3.エミル、目覚める。
私、エミル・シュトーはあまりのことに言葉を失っていました。
気がついたら病院というところにいて、信じられないほど寝心地の良いベッドでほぼ横になったまま1日を過ごしました。
時折来る人々に体をいじられて不快でしたが、あれは治療だと後から聞かされて納得しました。
ヒールどころか、魔法というものがない世界なのだそうです!
しばらくすると、レイカさんという女性と、タケルさんという男性が私の元に来て、慌てた様子で「お母さん」と声をかけられて驚きました。
けれど私は、これが自分の体ではないことに薄々気がついていました。
私はシュトウ エミコさんという女性と入れ替わってしまったのです。
そして審理の庭で彼女と対面してそれを確信していました。
私の中にいる彼女は気さくな女性で、好感が持てました。多少の不安はありますが、そばにはメトス様とリッカ兄さんもいます。
きっとうまくやってくれるでしょう。
勇者パーティー選抜のことは残念ですが、それを彼女に任せるのはさすがに酷でしょう。
こうなった以上、運がなかったと諦めはついています。
というか、今はそれよりも、この世界のことが気になって仕方ありません!
「何人の人がこの建物の中にいるのでしょうか?」
私はたまらず隣にいるレイカさんに言葉をかけました。
これから、退院?というのをすると聞いて、言われるがままにレイカさんについて歩いて来ましたが、好奇心が抑えられません!
ちなみにレイカさんはエミコさんの娘さん。タケルさんは息子さん。タケルさんは今日は学校があるので来られないそうです。
幸いに、お二人とも入れ替わったことをすんなり受け入れてくれたのですが、この世界ではよくあることなのでしょうか?
「んー、総合病院だからね、いろんなところから病気治しに集まってくるわけよ。ほら、こっち」
手を引かれるまま、私はわけもわからず進みます。
「車持ってくるから、お母さん……じゃない、エミルはここで待っててー」
「はい。承知いたしました」
私は返事をして建物の入り口のそばにある長椅子に座りました。
この世界は色とりどりで驚きに溢れていて興味深いけれど……、唯一の欠点は体がどこそこ痛いことですかね。
首を左右に動かすと、ゴリゴリッと音がして少しだけ体が楽になります。
外を見ると、大きな車輪のついた箱のようなものがすごいスピードで走っています。そして馬や馬車はどこにもありません。
中に魔物でも入っていて、引かせているのでしょうか?
「エミル、お待たせー! さあ、家に帰ろうか」
レイカさんが来て、私は一緒に病院を出ました。
外の空気はあまり良くありませんね。車輪のついた箱の息の匂いが気になりました。
「さあ、乗って乗って」
「こ、これに乗ってもいいのですか?」
「もちろん! どうぞ」
レイカさんが扉を開けてくれました。
思っていたよりも狭いですが、座り心地は実に良い! ワクワクします!
景色がすごい勢いで流れていきます。私はたまらずレイカさんに質問しました。
「レイカさん、この箱はどのようにして動いているのですか? 中に魔物でもいて引かせているのでしょうか?」
「魔物かあ。ファンタジーだなあ。エンジンっていう動力が積んであってその力で動かしてるんだけど、私も仕組みはよく知らないや。ごめんね」
申し訳なさそうに謝るレイカさんに、私は言葉を返しました。
「いえ。それにしてもこの世界は不思議なことで溢れていますね」
「あはは。私のお母さんも今頃、向こうで同じこと思ってるんじゃないかな。って、マジでお母さんじゃないんだよね? いつもの厨二病ごっこしてるわけじゃないよね?」
「厨二病ごっこ? とはなんですか?」
また私の知らない言葉が出てきました。本当にこの世界は興味深いです。
「ううん。いいの、こっちの話。お母さんが大好きなシュークリーム食べていいなんて言うんだもん。私は入れ替わりを信じるよ」
シュークリームとは人を信じさせる力を持つほど重要な食べ物なんでしょうか? 興味は尽きません。
「信じていただけると助かります。元に戻るまでご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「エミルは丁寧だなあ。それにしても不思議なんだけど、どうして言葉がわかるの?」
言葉の件は私も気になっていたことでした。推測の域を出ませんが、ある可能性をレイカさんに伝えることにしました。
「おそらくですが、私がエミコさんと出会った審理の庭が関係していると思われます」
「審理の庭? 夢じゃなくて?」
不思議そうにレイカさんが言いました。
それでも彼女は前を見たままです。馬車でいうところの御者の役割をしているのでしょう。私は気にせず彼女の問いに答えました。
「はい。審理の庭とは私の信仰するクックゥ教の神が審判をする場所なのですが、そこに関わったものは全ての言葉を理解する、と言われています。そして、エミコさんと出会った夢の情景が、伝承で語られている審理の庭と一致していたのです」
「ええー! じゃあそれが本当なら、審理の庭に行けば、どんな言葉も話せるようになっちゃうの?」
大きな声に少し驚きましたが、この元気の良さは好感が持てます。
これから一緒に過ごす相手が彼女ならひとまずは安心できそうです。
「そうですね。私も正直半信半疑でしたが身をもって体験しておりますので、その可能性は高いかと」
「じゃあお母さんも話せてるの?」
「はい。私の身内の者と話していたようですから」
「いいなー。私も審理の庭行きたいなー」
レイカさんが審理の庭に行って、そして私の世界に行ったらどうなるのでしょう?
ありもしない想像をして、思わず顔が綻びました。
「ふふふ、いつか行けるといいですね」
「本当に。さて、家に着いたよー」
私は恐る恐る自分で箱の扉を開けてみました。
目の前には、白い壁にオレンジ色の屋根の綺麗な家がありました。
庭には色とりどりの花が咲いています。
「素敵なお家ですね!」
「お母さん、花好きなんだよ。パート先も花屋だし。エミルは花好き?」
「はい。よろしければ、エミコさんの代わりに私がこれから花の世話をしましょうか?」
「ありがと! マジで助かる。あ、玄関はこっちだよ」
手招きされて、そちらの方を見ると茶色い大きな扉がありました。
「失礼します」
「あはは。次からはただいまって言いなよ。靴はここで脱いでこのスリッパに履き替えて」
言われるがままに履き替えて、レイカさんの後に続きました。さらに扉があって、そこを開けると小さな犬が私に向かって吠えてきました。
「こら、ショコラ。……ショコラ、中身がお母さんじゃないってわかるのかな?」
「そうかもしれませんね。こういう生き物は勘が鋭いですから」
「ところでエミルの世界にも犬っている?」
「はい、いますよ。私の世界でも家で飼育している方はたくさんいます」
私の周りを吠えながらくるくる回る姿はとても可愛らしくて癒されます。
「そうなんだー! ショコラとも仲良くしてね。あ、そこに座ってよ」
私は言われるがまま長椅子に腰掛けました。病院にあったものと違って弾力があり、とても座り心地が良くて驚きました。
するとショコラも私の隣に座りました。
「ショコラさん、よろしくお願いします」
「あはは。さすがに犬に敬語はおかしいって。あ、エミル、せっかくだからシュークリーム食べなよ」
「シュークリームとは、あのエミコさんが言っていたものですね」
「うんそう。この世界のお菓子。美味しいよ」
そう言うと、レイカさんは部屋を出て行き、小さな袋を持ってすぐに帰ってきました。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
目の前に差し出されたその袋には、拳大くらいの丸くて柔らかいものが入っています。
「食べてみて?」
「はい」
私は袋を開けて、恐る恐るそれを口に入れました。
……なんということでしょう!
今まで食べたものの中で、一番柔らかくて一番甘くて一番美味しい!!!
私は言葉を忘れて、シュークリームを貪り食ったのでした……。
面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると励みになります。




