第九話「心臓は電池のようなもの」
ルカとマラチーは、道端のベンチに腰を下ろしていた。
鋼牙に刻まれた傷は、まだ塞がりきっていない。身を包む鎧も、それに合わせるように自己修復を続けている。
「どうして治りが遅くなったの?」
マラチーが訊いた。
「いつでも、どんな傷からでも回復できると思ってた」
ルカが血を吐くように咳き込んだ。顔は汗にまみれている。
「基本的にはな。でも、限界はある。あいつらは何十年も俺たちと戦ってきた。……あの司令官、真っ先に心臓を狙ったんだ」
「心臓? どういうこと?」
ルカが頷く。
「電池みたいなものだと思えばいい。電池が傷めば、体の動きも鈍る。そして完全に切れたら――」
マラチーは身を震わせ、傷ついた胸骨のあたりをそっとなぞった。
その奥で脈打つ心臓の真上に、掌を当てる。
だが、その鼓動は――ひどく遅い。
「僕たち……死ぬの?」
ルカは答えなかった。
ただ、再生を続ける体の痛みに顔を歪めている。胸の裂傷が徐々に縫い合わさり、その下に覗いていた心臓を覆い隠していった。
「兄さんを捜さないと」
マラチーは言い切り、立ち上がった。
「あいつらが属性者の弱点まで知ってるなら、兄さんに何が起きてるかだって、もっとずっと多く知ってるはずだ! 兄さんの名前も、ここにいることも知ってた!」
「知りすぎてる」
ルカも同意した。
「あいつらはずっと鳴りを潜めてた。こっちが優位に立ってるなんて、思い込んだのが間違いだった。……敵は情報と明確な目的を持って乗り込んできた。敵が持ち得るものの中で、最悪の二つだ」
「僕たち、ずっと監視されてたのかな……?」
「さあな」
兵士たちが道路を捜索していた。銃を構え、取り付けられた灯りで暗い路地を照らしていく。
何人かが通りの先から戻り、背広姿の男へ首を横に振った。
マラチーは、その男をすぐに見分けた。
米村だ。
「発見できませんでした。目視できる痕跡は皆無です。何一つ残っていません」
「ならばアスマナ森林を走査しろ。害虫どもの帰る巣は、あそこしかない。ショノラ区も直ちに調べさせろ。連中が排除されもせず、ここまで侵入できた経緯を一つ残らず洗い出せ」
「はっ」
米村がルカとマラチーのもとへ歩み寄る。
「さて、小僧。また会ったな」
「は、はい」
マラチーが答える。
「我らが愛する飛鳥の平穏が、なぜこのように乱されたのか。説明してもらおうか? 貴様らには、藤井将軍から外出許可など出ていなかったはずだが」
マラチーは答えられず、首を横に振った。
代わりにルカが手を上げる。
「俺が連れ出した。家に食い物が残ってなかったし、装備も出来上がってた。一石二鳥で済ませようと思ったんだ」
「守。正直に申し出たことは評価しよう。だが平民の貴様が、兵士だからといって規則を勝手に曲げてよいわけではない。それくらいは心得ておけ」
「同じ間違いはしない」
「そうだ。二度とさせん。今後、命令違反には即刻三十日の収監を科す」
米村が背筋を伸ばす。
「理解したか」
「はい」
二人が揃って答えた。
そこへ、少女たちが歩いてくる。
灯里は、破壊された建物や道路を見渡していた。その双眸に白い光が燃え上がる。
米村が一歩下がった。
「姫殿下」
「下がれ」
灯里が命じた。
「……御意のままに」
灯里はルカの顔へ詰め寄る。
「何を考えていた。無断で抜け出した挙げ句、ドワーフどもに飛鳥を蹂躙させたというのか? そのうえ、もう一人の人間まで攫われた?」
ルカが頭を掻いた。
「いろいろ込み入った事情があって……」
光が鼻を鳴らし、腰に手を当てる。
「私の行きつけのお店も、美容院も、お気に入りのカフェまで! 全部めちゃくちゃじゃない! 元に戻すのに何週間かかると思ってるの? よくもやってくれたわね、ルカ!」
「事情などどうでもいい。この失態は我らの記録に残る汚点だ。三人とも部隊から除名すべきだな。S-1は失敗しない。尻尾を巻いて引き下がることもない」
マラチーが空へプラズマ弾を撃ち上げた。
「あの! 悪いけど、本題に戻ってもらえませんか!? ドワーフに兄さんを攫われたんです!」
灯里の蹴りがマラチーの顔面を捉えた。
少年は地面へ倒れ、そのまま灯里を睨み上げる。
「誰に向かって口をきいていると思っている。口の利き方に気をつけろ!」
「兄さんのことなら、そんなの気にしてられない!」
光が目を回した。
「もう、仕方ないわよ、灯里。所詮は人間だもの。……でも本当に、どうしてあの子だけを狙って連れ去ったのかしら。人質が欲しいなら、灯里か、私のような貴族を攫うほうがずっと確実でしょう?」
ルカが顔を上げる。
「人質が目当てじゃなかった」
少女二人が眉を上げた。ルカは続ける。
「連中はダチーを、何か……重要な物みたいに扱ってた。まるで鍵か何かみたいにな。あれほど切羽詰まって、真正面から強襲してきたんだ。搦め手を使う気配なんて欠片もなかった」
「だが、なぜだ」
灯里が問う。
「奇妙な存在であることは認めよう。しかし、説明のつかない挙動を除けば、その力に特筆すべき点はない。ただ出力が高いだけの、単純で基礎的な能力だ」
マラチーが身を起こし、顎をさすった。
「兄さんを単純だと言うのは構いません。僕たちも同じことを考えてましたから。……でもあいつら、あなたたちの名前を出した途端、笑ったんです」
少女二人の目が一瞬だけ見開かれた。
驚きは、たちまち怒りへ変わっていく。
ルカが間へ割って入った。
「本当だ。あいつらは欲しかったものを正確に持ち去った。それをどう使うつもりなのかは、誰にもわからない。……下手をすれば、俺たちは全員終わりだ」
冷たい声が、それを断ち切った。
「奴らが何をするつもりかなら、俺にはわかる」
一同が振り返る。
「藤井将軍!」
藤井は、腰の刀の柄に手を置いていた。
「何もせんさ。予想どおりだ。敵には、初めから明確な標的があった」
「こうなると知っていたんですか、将軍?」
ルカが問う。
「もちろんだ! お前たちの小さな遠出が、俺の疑いを確信に変えてくれた。ドワーフは原始的だが、馬鹿ではない。なぜ奴らは、我々が対ドワーフ戦の準備を整えるのを、これほど長く黙って見過ごした? 正面衝突なら自殺行為だ。奴らに、我が国を破壊できるほど強大な兵器など造れるはずがない」
光が息を呑む。
「つまり……ダチーが現れるのを待っていたから、あいつらはずっと沈黙していたと? あの子を?」
「そのとおり。仮説が裏づけられた以上、一刻も早く取り戻さねばならん」
「将軍、兄さんが危険に晒されると知っていて、僕たちを外へ出したんですか?」
マラチーが詰め寄る。
「ここで、そのせいで攫われたんですよ!」
「いや、送り出したんじゃない。出ていくのを見逃してやったのさ! 鼠を穴から誘い出すには、時に目の前でチーズをちらつかせる必要がある」
灯里、光、ルカが揃って身を引いた。
三人の視線を受けながらも、藤井は笑っている。
「そんな理屈、完全に狂ってますよ、将軍! 僕たちは死にかけたんです!」
「だが、死ななかった。連中は属性を持つ人間を見つけ、攫い、さっさと退いた。民間人の死者も出ていないようだ。よく持ちこたえたな!」
マラチーが自分を指した。
「でも僕は連れていかれそうにすらならなかった! ほとんど目も向けられなかったんです。僕だって人間なのに!」
藤井が顎を撫でる。
「確かにな。技術属性は、敵側に渡れば極めて有用だ。しかも標的の弟を押さえれば、交渉でも遥かに融通が利く。なぜ見逃した? 焦っていたのか。それとも、別の理由があるのか」
「あの司令官は、時間がないと何度も言ってました」
マラチーが指摘する。
「意識は完全に兄さんへ向いてた」
藤井が踵を返した。
「全員、ついてこい。邸へ戻る。報告書をまとめ、救出任務に出ると王妃陛下へ伝えねばならん」
「はっ」
部隊員たちは藤井の後に続いた。
*
――玉座の間――
国王と王妃が、それぞれの玉座に着いていた。
王妃は布で王冠を磨き、国王は部屋の中央に投影された飛鳥区の立体映像を見つめている。
「報告では、飛鳥区は甚大な損害を受けたとある。あの人間どもが分をわきまえなかったのか?」
「そうであれば、ただでは済まさん」
王妃が答える。
「拡大しろ。全景を見たい」
国王が手を振ると、立体映像は鮮明な映像へ切り替わった。
兵士たちが火を消し、瓦礫を片づけている。
それを見つめる王妃の目が、大きく見開かれた。
「この被害……どうしてこのようなことに。……いや、今はよい! 藤井に連絡を取れ! 剛平はどこだ!」
扉の向こうから、太刀持ちの声が響いた。
「王妃陛下! 藤井将軍とその部隊が、拝謁を願い出ております!」
王妃の目元が引きつり、片手が上がる。
「通せ。人間は拘束しておけ」
数分後、扉が開いた。
藤井、光、灯里、ルカが玉座の前へ進み、揃って頭を下げる。
「母上」
灯里が挨拶する。
「娘よ。面を上げよ」
灯里は立ち上がり、脇へ退いて控えた。
続いて、マラチーが引き入れられる。
両腕と両足首には鎖が巻かれ、四人の衛兵がその両側を固めていた。
王妃が立ち上がる。
「もう一人はどこだ」
「我らが確認したのは、この者だけにございます」
衛兵の一人が答えた。
藤井が顔を上げる。
「陛下。もう一人の人間――ダチーは、ドワーフの襲撃によって連れ去られました」
王妃の口が開いたまま止まる。
国王までもが背筋を伸ばし、身を乗り出した。
「襲撃だと? 木々に縋る獣どもが、我らの誇る区の一つを襲ったというのか? しかも連れ去ったのは……人間だと?」
「周到に計画された作戦でした。標的は一人。確保すると、即座に撤退しました。守の報告によれば、連中は彼を『器』と呼んでいたとのことです」
「器……その言葉の意味を説明せよ」
「見当もつきません、陛下。私の推測も、陛下の推測と大差ないでしょう」
国王が前へ踏み出した。
「我が国土が直接攻撃を受けたのは六十年ぶりだぞ! 民衆は恐慌に陥る! 国家への信頼も、治安への信頼も地に落ちる!」
そして、王妃へ向き直る。
「妃よ、どうする? 必ず追及されるぞ。人間どもを軍へ入れたことでさえ、すでに反発を受けているのだ!」
「あの者を取り戻せ」
王妃が命じた。
「な、なんだと? しかし、妃よ!」
「連中の手に置いたままにするつもりか? あの下郎どもは飛鳥を破壊した。私の飛鳥を、たった一人の人間の子供のためにだ」
その双眸が閃く。
「連中が言うほど重要なら、なおさらあれは我らのものだ。必要なだけ部隊を動かせ、藤井。必ず生きたまま連れ戻せ。……あの者のために死にたいというドワーフがいるなら、望みどおり死なせてやれ」
国王の視線が、王妃から灯里へ移る。
灯里は目を閉じていた。
「私も賛成です、父上」
灯里が口を開く。
「敵にいかなる優位も許すべきではありません。あの人間を好いてはいませんが、私を差し置いて選ぶほど特別な何かが内にあるのなら、私個人への侮辱と受け取ります」
光が身を乗り出した。
「そうです。私も見過ごされたままでは納得できません。あまりにも無礼ですわ! 人間を、この私より上に?」
灯里が睨みつける。
「光!」
光の顔が赤くなった。
「あっ! 申し訳ございません、両陛下!」
国王は玉座へ座り直し、両手を組みながら立体映像を見つめた。
「これは確かにまずい。あの小僧が破滅的な何かだと判明すれば、我々の判断は致命的な裏目に出るぞ」
深く息を吐く。
「……よい。あの者の確保を最優先とせよ! これ以上の失態は許さん!」
「二度と起こさせません」
王妃が答えた。
「藤井、処理できるか。それとも、さらに部隊が必要か」
「少人数で向かいます。大部隊で連中の領域へ入れば、初めから感づかれます。そうなれば、ダチーに対して短慮な行動に出る恐れがあります」
「慎重策か。認めよう。私を失望させるな、剣士」
「ご安心を、王妃陛下。決して失望はさせません」
王妃が夫の隣へ腰を下ろした。
「全員、下がれ」
藤井が部隊員たちをまとめ、速やかに退出していく。
だが王妃は、マラチーを指した。
「その者は残せ」
衛兵たちは一瞬だけ顔を見合わせたのち、マラチーの鎖を解いた。
「……あの、王妃陛下?」
「マラチー、だったな。答えよ。お前の兄をそこまで特別たらしめているものは、何だと思う?」
「僕は……わかりません。兄さんの力については、僕より陛下たちのほうがご存じです。それ以外なら、人間としては普通です。女の子が好きで、空気が読めなくて、腹が減るとちょっと食い意地が張るくらいで……」
王妃がマラチーを睨み下ろす。
「それだけか」
「はい」
王妃が夫へ目を向けた。
「この小僧は、真実を語っているように見える」
国王が評する。
「口調にも悪意は感じられん」
「だが、人間は欺瞞に長ける」
王妃が呟いた。
「この者が知らぬだけで、兄のほうが我らに何かを隠していたら? この機会を待ち、逃亡を企てていた可能性はないか」
「家だ」
国王が思い返す。
「あの者が望んでいたのは、家へ帰ることだ。今回の件に加担していた可能性はあるぞ、妃よ。……だが我らの娘が、あれを容易く制圧した。真の力を隠していたとして、何の得にもならん」
「同意する。だが自覚の有無にかかわらず、何かがおかしい。そして、どれほどの代償を払おうとも、我らの手で正しく管理下に置かねばならん」
二人は再び、マラチーへ向き直った。
「お前たちが……ドワーフどもと戦っていたとき」
王妃が問う。
「連中は、お前か兄に何か告げたか」
「『ここに留まれば、お前の力は制限される』と。それから司令官は、兄さんを手に入れれば自分たちが勝てると確信していました」
王妃が目を閉じる。
その呼吸は、意識して抑えているかのようにゆっくりとしていた。
国王は目を細め、やがて表情を緩める。
「もうよい。下がれ」
王妃が命じた。
「以上だ」
衛兵の一人が、マラチーを部屋の外へ導いていく。
王妃は顎へ手を当て、その背を注意深く見送った。
マラチーは城の廊下を歩いていく。
誰も声をかけない。
衛兵の視線に気づくたび、相手は目を逸らし、低い声で何かを囁き合った。
中には、マラチーが通り過ぎるだけで怯えた表情を見せる者までいた。
城の外では、藤井たちが待っていた。
「王妃陛下と内々の話か?」
藤井が冗談めかして言う。
「羨ましいな」
「……ええ、まあ」
藤井が少女たちへ向き直った。
「装備を着けろ、お嬢さん方。ドワーフどもは戦争を終わらせるつもりだったようだが――たった今、新たな戦争を始めた」
夜空が、一行の頭上に広がっている。
マラチーは月を見上げた。
「兄さん……どこにいるんだよ……」




