第十話「敵の敵は味方」
S-1邸。
灯里は鏡台の前に座り、籠手の具合を確かめていた。全身を包む鎧は、体の線にぴたりと沿っている。
白金色の装甲に、白い光の筋。男子用の軍装とよく似ているが、女性の体格に合わせて洗練された形状だった。
胴部は戦闘用ドレスを思わせる造りで、脚は金属質のレギンスと長靴に覆われている。頭巾は肩に垂れていた。
灯里は立ち上がりながら、その頭巾を被った。
そこへ光が入ってくる。装備はほとんど同じだが、装甲を縁取る光は桃色だった。
「すごく格好いいわ、灯里」
光が評する。
「わくわくしない? 初めて二人で出る正式任務よ!」
灯里は髪を頭巾の中へ押し込んだ。
「そうだな。人間一人を救うためだけに敵地へ踏み込むことには、さほど心が躍らん。……だが、我が故郷を傷つけたドワーフどもを殲滅できるなら、誇りを持って臨める」
光は鏡を見つめ、そっと目を閉じた。
「私は少し不安。こんなふうに攻め込まれたのは初めてだし、被害もひどかったでしょう。ルカを見た? あの子でさえ不意を突かれたのよ。いつだって備えてる子なのに。……まあ、その点だけは認めてあげるわ」
灯里の動きが止まった。
「お前は信じているのか」
「何を?」
「ダチーが特別な存在だという話だ」
「わ、わからない。属性自体はあんなに単純なのに、体の中は……ぞっとした。どうしても構造を掴めなかったの。思い出すだけで気分が悪くなるわ」
灯里が背筋を伸ばす。
「あの者が抱えている秘密が何であれ、測る時間は後でいくらでもある。ただし、ドワーフどもに先に中身を暴かれては困る」
光が頷いた。
「そうね」
藤井が静かに扉を押し開けた。
「お嬢さん方、準備はいいか? S-1専用装甲指揮車は準備万端だ。ぐずぐずしている暇はないぞ!」
少女二人は揃って溜息をついた。
「はい、将軍」
灯里は与えられたばかりの寝室を最後に一度見渡し、藤井と光に続いて階段を下りた。
階下では、マラチーとルカが待っていた。
ルカは両手を懐へ入れて立ち、マラチーは体を小刻みに揺らしながら、落ち着きなく行ったり来たりしている。
灯里と光がその横を通り過ぎ、藤井が玄関の扉を開けた。
車寄せに停まっていたのは、巨大な車輪を八つ備えた、まさに動く要塞だった。
巨大な車室。鋼合金に覆われた外装。その表面には、立体映像の光が幾筋も埋め込まれている。
全貌を目にしたマラチーは、自分の目を疑った。
「あれって……戦車ですか?」
「戦車?」
藤井が笑う。
「違う違う。これこそ軍用規格の装甲指揮車だ。最大四十人の兵士を収容できる。各部隊に一台ずつ配備される代物だ」
「これで兄さんを助けられるんですか?」
「当然だ。あのドワーフども、自分たちが何に吹き飛ばされたのかもわからんぞ」
藤井が籠手を叩くと、立体映像の操作画面が浮かび上がった。
マラチーが見守る中、藤井は幾つかの記号を叩き、やがてリモコンを模した記号を呼び出す。
それを押し込んだ。
ガコン。
ランドクルーザーの扉が開き、床から乗降用のスロープが伸びて、一行の足元まで下りてきた。
灯里が車体を見上げる。
「ほう。見事だ」
「だろ?」
「私が操縦する」
「駄目だ!」
「駄目とはどういう意味です、将軍! 私はヴォルティアナの姫ですよ! この高価な機械を操りたいと望むのなら、私にはその権利が十分にあります!」
「まだ若すぎる。建物に突っ込まれでもしたら困る。……次の誕生日になったら考えてやる」
灯里が足を踏み鳴らし、顔を赤くした。
光がその背に手を置く。だが姫は鼻を鳴らし、歩き去っていった。
「あの人、運転するには本当に若すぎるの?」
マラチーが身を屈め、ルカにだけ聞こえる声で囁く。
「もっと悪い。自惚れすぎてる」
藤井がスロープを上って車室へ入り、ランドクルーザーの側面を叩いた。
「全員乗れ!」
次にルカが乗り込み、その後をマラチーが追う。
光は二人が奥まで入ったのを確認してからスロープを上り、灯里は腕を組んだまま最後に乗り込んだ。
全員が中へ入ると、藤井は扉の横にあるつまみを弾いた。
スロープが格納され、そのまま扉が密閉される。
車室の内部は、想像以上に広かった。
側面と後壁に沿って座席が並び、中央には指揮卓が据えられている。
前方には独立した二脚の座席。計器盤には各種の押釦や地図が表示されていた。
操縦席の計器盤上には、立体映像の球体が浮かんでいる。
マラチーは言葉を失った。
ただ、目の前の光景を見つめることしかできない。
藤井がその肩へ手を置いた。
「痺れるだろ? こいつ一台に、何十億枚分もの貨幣がつぎ込まれてる。……ほら、右側の席へ座れ」
マラチーが腰を下ろすと、周囲の計器盤が一斉に点灯した。
幾つもの地形図。
近隣の建物を映すリアルタイムの監視映像。
さらには、S-1邸の内部を映した画面まで浮かび上がった。
灯里が拳を握り込む。
「なぜその人間が副操縦席に座るのです!? 将軍、ただちに説明を求めます!」
「落ち着け、姫殿下。ランドクルーザーには、技能に応じた担当席がいくつもある。マラチーはかなりの機械好きで、細かいところまで気が回るようだからな。航法系統を任せるのが適任だ」
「……どうも?」
マラチーが答えた。
灯里は顔を背ける。
「よろしい。では私は何を? 姫たる私が担うに相応しい、重要な役目はどれです」
藤井が中央の指揮卓を指した。
「そこにつけ。武装と防御系統の起動を任せる」
灯里が指揮卓へ歩み寄り、中央で光る走査装置に手を置く。
掌が走査され、巨大な操作画面が空中へ展開された。両脇には周辺一帯の映像が並んでいる。
ランドクルーザーが低く唸った。
画面に、車体の屋根から巨大な砲塔がせり上がる様子が映し出される。
ルカと光が息を呑み、光は片手で口を覆った。
灯里は満足そうに頷く。その顔に笑みが浮かんだ。
「気に入った。……よし、悪くない」
藤井が立体映像の球体へ手を差し入れた。
「行くぞ、兵士諸君!」
腕を一払いする。
ランドクルーザーが車寄せを離れ、通りを進み始めた。
その後方には、何台もの装甲車が続いている。
車内が武装した兵士で埋め尽くされていることに、マラチーは気づいた。
住民たちが歩道から車列を眺めている。まるで盛大な行進のようだった。
多くの者が手を叩き、中には写真を撮る者もいる。
「S-1部隊だ!」
「藤井将軍が乗ってるの? ちょっと、押さないで! 私にも見せてよ!」
「人間を取り戻しに行くんだ! あのドワーフどもに勝ち目はないぞ!」
やがて飛鳥区の門が近づいてきた。
周囲の建物よりも高くそびえる巨大な門が開き、軍の車列を滞りなく通していく。
その先の区には、摩天楼も邸宅も商店街も少なかった。
代わりに並ぶのは、二階建ての住宅。のどかな公園。街角の小さな店。
飛鳥区の豪奢な景色とは、まるで異なっている。
頭上の標識には、こう記されていた。
ショノラ区。
物見高い住民たちが窓から顔を出し、あるいは家の外まで出てきて、進軍する部隊を眺めている。
「S-1って、本当に有名なんですね」
マラチーが言った。
「当然だ」
藤井が誇らしげに答える。
「恐れられる国家としてのヴォルティアナを支えているのは、我々だからな。民は、我々が蒔いた種から実った恩恵を受けている」
遠くに、最後の門が見えてきた。
その手前には、国全体を包み込む巨大なエネルギー防壁がそびえている。
衛兵たちが近づいてくるのに合わせ、藤井がランドクルーザーを停止させた。
「止まれ!」
衛兵の一人が命じる。
「所属を名乗れ。なぜヴォルティアナ領外へ出ようとしている」
藤井がマラチーを肘で突いた。
「警笛の形をした押釦を押せ」
マラチーは右手側にそれを見つけ、押し込んだ。
甲高い音が車内外へ響き、藤井の声が外部へ拡声される。
「こちらS-1部隊! 敵の手に落ちた重要資産を回収する任務中だ! 王妃陛下は一刻の遅滞も望んでおられん。道を開けてくれ!」
短い沈黙。
やがて、先頭の衛兵が口を開いた。
「将軍、失礼を承知で申し上げます。ドワーフ領へ踏み込むのは賢明でしょうか。連中が待ち伏せしていないとは思えません」
「もっともな見立てだ、我が友よ。だが、連中が確保した資産は完全な未知数だ。しかも一度、我らの防壁内へ侵入を許した以上、二度目もあり得る。……本来、それを防ぐのが貴官の職務だったはずだが」
衛兵が頭を垂れた。
「申し訳ありません、将軍」
「通してくれ。時間が惜しい」
衛兵は仲間へ頷き、近くの監視塔へ入っていった。
幾つかの電子音が鳴る。
防壁に小さな開口部が生まれ、救出部隊を領外へ通した。
その先には、広大な土地が広がっていた。
川。草原。山々。
そして、遥か彼方に見える森。
「待ってて、兄さん」
マラチーが囁く。
「今、助けに行くから」
*
ダチーが目を覚ましたのは、石造りの房の中だった。
頑丈な鉄格子が、外の通路と隔てている。
向かいの房には、色白の肌と灰色の瞳を持つ若い男がいた。身には外套をまとっている。
「目が覚めたか」
男が言った。
ダチーは何度か瞬き、ようやく周囲の状況を認識した。
「ここ、どこだ? それに、あんたは誰だ」
「俺の名は応輝」
男が名乗る。
「折原応輝だ」
「変わった名前だな」
ダチーが評した。
「あんたも、ここに捕まったドワーフか何か?」
応輝が首を横に振る。
「俺はヴォルティアナの人間だ。バタンゴ出身のな。偵察員としてここへ送り込まれた。本物の兵士を危険に晒さずに済むからだ。……どうなったかは、見てのとおりだ」
「ここ、あいつらの地下牢か何か?」
「そんなところだ。だが、お前こそなぜここにいる? 偵察には見えん。どう見てもな」
「違うって。俺はただの普通の人間だ。なのに、なぜか俺だけ狙われた。属性を持ってるからか?」
応輝が身を起こした。
「属性? 証明できるか」
ダチーが片手を差し出す。
その体に、灰色の光が浮かび上がった。
拳を握り、鉄格子へ叩き込む。
だが、鉄格子には傷一つつかなかった。
衝撃だけが、房全体を大きく揺らす。
「属性封じの素材か何かか? なんだよ、このふざけた鉄格子は」
「タングステンだ」
応輝が教える。
「属性の働きを狂わせる唯一の物質だ。ただし、重すぎて取り回しが悪い。自分まで鈍重になりたいのでなければ、戦場では使えん」
(そりゃそうだ。こんな危険な力に、対抗策がないわけないよな。制限もなく好き勝手できるなんて、考えが甘かった。……くそ、ドワーフども、用意がいい)
一つの考えが、ダチーの頭をよぎる。
(あの魔法野郎どもが、俺と弟を押さえ込んだのもこれだったのか? ……くそ。どいつもこいつも、この力について俺より詳しい)
「それより」
応輝が思考を遮った。
「お前は、どうして属性を持っている? 人間だろう。近年、属性を発現させた例があるのは、ヴォルティアナ族だけだ」
「こっちが聞きたいよ」
どこか頭上から、物音が聞こえてきた。
天井から埃が落ち、ダチーの顔へ降りかかる。
「あいつら、俺をどうする気なんだ?」
応輝が肩をすくめた。
「お前が来てから、ずっと同じ話だ。器がどうした、器がこうした。そればかりだよ」
「人違いなんだって」
ダチーが言い張る。
「俺は入ったばかりの新人だ。力だって派手じゃないし、神聖な何かでもない。あいつらの頭目には、意識が飛ぶまでボコボコにされた。……そんな俺を、何に使うってんだよ」
応輝は自分の房の壁へ背を預けた。
「少なくとも、ヴォルティアナは兵士を一人失う。それだけでも、連中にとっては勝ちだろう」
ダチーが頭を抱える。
「弟がまだあそこにいるんだ。戻らないと。……あいつが触っちゃいけないものに手を出すか、怒らせちゃいけない奴を怒らせる前に、誰かが見張ってやらないと」
応輝が口を開こうとした。
だが、鍵の回る音がそれを遮る。
二人が反応するより先に、地下牢はドワーフの群れで埋め尽くされた。
その先頭には、鋼牙が立っている。
「器」
鋼牙が呼びかけた。
「だから、人違いだって」
ダチーが返す。
「共に来る時だ。王と御子息が、貴様との面会を望んでおられる」
鋼牙が一度頷く。
ドワーフたちがダチーの房を開け、その両手首へタングステン製の手枷を掛けた。
そのまま房の外へ連れ出される。
応輝だけが、向かいの房に残された。
「またすぐ会おう」
応輝が言った。
ダチーには、返す言葉を探す暇さえなかった。
ドワーフたちは彼を扉の向こうへ引きずり、幾層もの階段を上っていく。
そして、ようやく地上の通りへ出た。
ヴォルティアナとは、何もかもが違っていた。
道は遥かに原始的だ。
石畳。
木材とタングステンで組まれた家々。
巨大な樹木が至るところに生え、夜空の大半を覆い隠している。
ドワーフたちはそれぞれの日常を送り、近くでは鍛冶屋が店先に武器を並べていた。
ダチーが姿を現した途端、通りにいたドワーフが一人残らず動きを止めた。
そして、少年を見つめる。
「なんだよ、その目」
ダチーが訊く。
「あんたら、俺のこと嫌いなんじゃなかったのか?」
「逆だ」
鋼牙が答える。
「あの者らが約したとおり、貴様は我らに新たな世界を開く鍵となる。この星から、あの災厄を拭い去るには、貴様の助けが不可欠だ」
「誰だよ、その『あの者ら』って」
「じきに知る。そして『敵の敵は味方』という言葉の意味もな。……誰より貴様自身がわかっているはずだ。ヴォルティアナには敵が多い」
「他の……種族か?」
鋼牙が喉で笑い、ダチーの背を叩いた。
「鋭いな」
数区画先には、丸みを帯びた堅牢な石造りの城がそびえていた。
「城へ向かう。王がお待ちだ」
ダチーが通りを進むたび、周囲のドワーフたちが歓声を上げた。
少年は、できる限りそちらを見ないようにした。
何人かが間近まで歩み寄ってきたが、護衛のドワーフたちが押し戻す。
「器へ近づくな! 命令に背けば処罰するぞ!」
城へ到着すると、門を守るドワーフたちは何の抵抗もなく一行を通した。
二人とも、鋼牙に迫るほどの巨躯を誇っている。
ダチーは石造りの回廊を無理やり歩かされ、幾度もの曲がり角を抜けていった。
やがて辿り着いたのは、石敷きの玉座の間。
中央には玉座が一つだけ置かれている。
その背後には、二メートルを超える巨躯のドワーフが立っていた。全身をタングステン製の鎧で固めている。
そして玉座には、ほかのドワーフと変わらぬ背丈の男が座っていた。
身には外套をまとっている。
「我が王」
鋼牙が頭を下げる。
「器を確保いたしました」
王は即座に立ち上がり、長い髭を撫でた。
一歩進むごとに、足元の石床を突き破って蔓が噴き出していく。
そのうちの一本がダチーの胴へ巻きつき、少年を王のもとへ引き寄せた。
「ああ。上出来だ。あの魔法を振り回す妖精どもは、さほど手を焼かせなかったであろう?」
「ほとんど手間にはなりませんでした。ですが、必ず追ってまいります。そう確信しております」
王がダチーの顔の真正面まで近づく。
ダチーは身を引いた。
すると幾本もの蔓が頭へ絡みつき、無理やり王のほうへ向き直らせる。
「来させよ。我らには、すでに対抗策がある」
王はダチーへ手を差し出した。
「余はこの国を治める王、巌雄だ。ダチー殿、貴殿と共に働けることを楽しみにしている。……そして貴殿を用い、我らの旧き栄光を取り戻すこともな」




