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ヴォルティアナ  作者: rimuru the jūto
対ドワーフ戦争編
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11/20

第十一話「岩姫」

――アスマナ森林――


 城内の食堂。


 ダチーと巌雄は、石造りの卓を挟んで向かい合っていた。


 鎖はもうない。代わりに、ダチーの体は毛皮の外套に包まれている。


 少年は落ち着かなげに周囲へ目を走らせた。入口にはドワーフの護衛が並び、隣の厨房では数人の料理人が食事の支度をしている。


「こうして直に顔を合わせられて何よりだ、ダチー殿」


 巌雄が言った。


「聞きたいことが山ほどあるのであろう?」


「まあ、そうだな」


 ダチーが答える。


「まず、なんで鎖を外した? 別に文句を言ってるわけじゃないぞ。それと、どうして俺はここにいる? あんたは俺がホルダーだって言うけど、俺自身、自分が何なのかも知らないんだ」


 巌雄が両手を打ち合わせた。


 料理人たちが皿を運んでくる。


 焼いた肉。新鮮な果物。大きな杯に注がれた茶。


 さらに、灰色がかった大きな塊が石板に載せられ、ダチーの前へ差し出された。


 甘い香りが漂ってくる。


「我らの岩菓子だ」


 巌雄が説明する。


「我が民の間では珍味とされている。試してみよ。手で掴み、そのまま齧りつけばよい」


 ダチーは菓子を見つめた。


 次に護衛を、料理人を、そして巌雄を順に窺う。


 一分近く経ってから、ようやく菓子を持ち上げて齧りついた。


 味がたちまち口いっぱいに広がる。


 滑らかで濃厚。それでいて、強い旨味があった。


「うわ」


 ダチーが息を呑む。


「トリュフみたいな味だ! いや、アイスクリームか? ……くそ、うまく言えないな。これ、どうやって作ったんだ?」


「我らはただの樹の民ではない。得意とするものもある」


 ダチーは岩菓子を食べ進めた。


 気づけば、すべて食べ尽くしている。


 巌雄は辛抱強く見守っていた。その視線がダチーから外れることはない。


 食べ終えた少年は茶を一口あおり、口元を拭った。


「でも、俺の質問には答えてないぞ」


「そうであったな。うむ」


 巌雄が林檎を齧る。


「貴殿を鎖で繋いでおくことに意味はない。何しろ、貴殿の力を制御できるのは貴殿自身だけだからな」


「じゃあ、俺を武器にしようって計画はそれで終わりか? なら帰らせてくれ。弟がヴォルティアナに残ってるんだ。一人にしておけない」


 巌雄が林檎を脇へ放った。


「まさに、そのヴォルティアナについて余は話したいのだ。あの者どもは、数え切れぬ非道の元凶だ。我らドワーフは、息をする一日一日を、あの者どもへの恐怖の中で生きねばならん。……貴殿を連れ出せたのは奇跡だった。あと少し長引けば、我らは司令官を失っていただろう」


「それはご立派な話だけどな。それが俺とどう関係するんだ?」


「貴殿の助けが欲しい。ホルダーの力は、その使い手に神にも等しい強さを授ける。貴殿が我らへ力を貸せば、ヴォルティアナに勝ち目はない」


「俺の属性は、その……神みたいなもんじゃないぞ。強く殴って、高く跳んで、速く動ける。それだけだ。別に特別じゃない」


 巌雄が喉を鳴らして笑った。


「確かにな。今の貴殿では、戦を終わらせる者とは到底呼べぬ。……だが、余は見誤っておらん。貴殿の内に、それを感じる」


 ダチーが片手を差し出す。


 見慣れた灰色の光が、掌の周囲に灯り始めた。


「あんたが言ってる力って、これか?」


「否。……だが、その力が完全に開花すれば、万一の備えとしては申し分あるまい。ホルダーの力を余さず引き出せば、それに耐えられぬ肉体は破滅する。ゆえに貴殿こそが完璧なのだ。その作用を釣り合わせる、もう一つの属性を持っているからな」


「じゃあ、この属性が何なのか教えてくれるのか?」


「知らぬ。属性は、我らの理解を遥かに超えている。確かに言えるのはただ一つ……貴殿は二つの属性を持っている」


 ダチーが眉を上げた。


「二つ?」


「そうだ。今のものと、ホルダーとしてのもの。……重要なのは、どうやって得たかではない。ヴォルティアナが攻めてくる前に、我らがその力を引き出せるかどうかだ」


 ダチーが茶をもう一口あおる。


「でも、話が通ってないぞ。あんたらは、この手のことに詳しいんじゃなかったのか?」


 巌雄が深く息を吸った。


「我らの知識は、我ら自身の経験から得たものではない。あの者たちから、必要なだけの情報を与えられたのだ。……必要なだけで、それ以上は何もない」


「また『あの者たち』か。誰なんだよ?」


「この世界の歴史から、自らの存在を消した民だ。ヴォルティアナの残虐さによって、誰よりも深く傷つけられた。そして暴君どもが倒れるのを見るためなら、何でもする」


 ダチーが顎を撫でた。


「自分たちを消した……つまり、隠れたのか? ヴォルティアナに追い込まれて?」


 巌雄が肩をすくめる。


「貴殿の推測も、余の推測と大差ない。あの者たちは姿を現さぬ。秘密の経路であり、仮面なのだ」


 王が立ち上がり、拳を握り込んだ。


「何を為すべきかを知る仮面。……アスマナ大陸を、あの魔法を操る殺人者どもからついに解き放つため、我らに何が必要かを知る仮面だ」


 ダチーが首を横に振った。


「無理だ。悪いけど」


 巌雄が振り返る。


「なに?」


「戦争に参加した覚えはない。それに、もし俺が加わったら、あいつらは弟をどうする? 祖父さんもあいつらの下で働いてる。危険に晒される。それに故郷には、母さんと親友もいる」


 巌雄が目を細める。


 ダチーは卓から離れた。


「それに、俺は今の属性すらまともに制御できない。あんたの言うような二つ目があったとしても、使えるようになるまで永遠にかかる。……そうなったら、全員死ぬ」


「では貴殿は、我らに自らをあの者どもへ差し出せと申すのか? 戦を終わらせ、あの権威に服せと?」


「違う。でも、交渉はできないのか? 互いに結べる条約とか、取り決めとか、何かあるはずだ。あいつらはあんたらの森に手を出さない。あんたらも、あいつらに手を出さない。……見込みが薄いのはわかってる。でも、それでもだ!」


 巌雄が掌を卓へ叩きつけた。


 床を割り、何本もの蔓が芽吹く。


「取り引きなどあり得ぬ! あの者どもは幾度となく、我らを絶滅の淵まで追い込んだ! 貴殿をあの者どもへ引き渡せば、我らは自らの滅亡を確実なものとする! ……貴殿は、自分が何であるかを理解しているのか? あの者どもが貴殿の力を解き放てば、世界はその気まぐれひとつで歪められるのだ!」


「だからって、試さないと駄目だろ! 血を流す必要はない。話し合えばいいんだ! あいつらには十分な領土があって、あんたらにはこの森がある! それで十分だろ? な?」


 巌雄が頭を抱え、目を閉じた。


 護衛と料理人が、一瞬だけ二人へ目を向ける。


 だが巌雄がそれに気づくと、全員がすぐさま視線を逸らした。


「もうよい。これでは埒が明かぬ」


 王が呟く。


「その力は、ホルダー本人にしか使えぬ。あの者たちは、貴殿が厄介な存在になると知っていた。……だが余は、この結末を受け入れられぬ」


 背筋を伸ばす。


「鋼牙!」


 司令官がすぐさま部屋へ入ってきた。


「陛下」


「我らの客を、森の中へ案内してやれ。少し外を歩けば、見方も変わるかもしれぬ」


 鋼牙が頭を下げる。


「はっ」


 分厚い手をダチーの背へ置き、部屋の外へ導いていく。


 入れ替わるように巌雄の息子が現れ、去っていくダチーを睨み据えた。


「父上、あの小僧は己の故郷に背を向けません。すでに毒されております。自ら進んで我らへ力を貸させるなど不可能です。となれば、我らの最大の好機も潰えます」


「毒は治せる、我が息子よ。理によってか、力によってか。……鼠どもを根絶やしにすれば、檻の中にあれを繋ぎ止める者はいなくなる」


 巌雄の瞳が光る。


「忘れるな。あれは今、我らの領内にある。あの者どもが欲しいのなら、ここまで来て奪うしかないのだ」


     *


 鋼牙がダチーを森の通りへ連れ出した。


 ドワーフたちが道を削り出し、金床の上で武器を鍛え、炉で鎧の素材を溶かしている。


 幼い子供たちが走り回り、鉄の棒を振りながら追いかけ合っていた。


「あんたら、幸せそうだな」


 ダチーが言った。


「まさに。……そのような地に、貴様は背を向けるというのか? 貴様に何一つ悪を為していない、幸福で穏やかな安息の地に」


「あんた、俺の頭を殴り飛ばしただろ。何が『何一つ悪を為していない』だよ」


「必要な犠牲だ」


 鋼牙は城から離れるように歩いていく。


 ダチーがその後に続いた。


 幾つもの石造りの家。


 鎧を扱う店。


 街角で肉を売る肉屋。


 二人は、それらの前を通り過ぎていく。


 鋼牙はその間、ずっと黙っていた。まるで何かを深く考え込んでいるかのように。


 ダチーへ注意を払うこともなく速足で進むため、少年は追いつくのに苦労した。


「どこへ行くんだ?」


「ある場所だ。極めて重要な場所だ」


 鋼牙が振り返った。


「貴様が本当に望むものは何だ。ドワーフを助けることか。それとも、あの暴君どもを助けることか」


「両方を助ける道はないのか?」


 ダチーが訊く。


「あいつらが差別なんてくだらない真似をやめるなら、俺は喜んで手を貸す。やめないなら、その……武器だけ壊すんじゃ駄目なのか?」


 鋼牙が息を吐いた。


「話しても無益だな」


 男は速い歩調で進み続け、ダチーへ最後に一度だけ視線を向けた。


 その背を小走りで追いながら、ダチーは周囲を見回す。


 すでに、何人ものドワーフが少年へ注目していた。


 子供たちが遊ぶのをやめる。


 肉屋が肉を刻む手を止める。


 鍛冶職人たちまで仕事の手を止めた。


「おい、ホルダーだ!」


「どけよ、俺にも見せろ!」


「話しかけに行こうぜ!」


 瞬く間に、ダチーはドワーフたちに囲まれた。


 鋼牙の姿は、もうどこにも見当たらない。


 子供たちが腕を引っ張る。


 鍛冶職人が顔を寄せ、その髭から汗を滴らせる。


 肉屋まで、すぐそばから覗き込もうとしてきた。


 ダチーは身をよじって振りほどこうとするが、群衆はますます膨れ上がっていく。


(まったく、こいつら風呂の入り方を知らないのかよ)


 ものの数秒で、聞き慣れない声が耳を埋め尽くした。


 幾つもの体が押しつけられ、身動きが取れなくなる。


 そのとき突然、力強い手がダチーの腕を掴んだ。


 群衆から引き剥がすようにして、近くの家へ引きずり込む。


 ダチーが消えた後も、群衆はなお押し合いながら集まり続けていた。


 一方のダチーは床へ投げ落とされ、外套をまとった謎の人影が、その背後で扉に鍵を掛けた。


 ダチーが頭をさする。


「痛っ。……最高だな。ありがとよ、司令官さん。次は何だ? 家の中でも案内してくれるのか?」


 人影が窓の外を窺う。


 やがて全員がダチーの消失に気づき、周囲へ散らばって捜し始めた。


 人影が振り返り、頭巾を外す。


「あ、あんた、司令官じゃない……女の子か!」


 頭巾の下から現れたのは、若いドワーフの少女だった。


 長い茶色の髪と、美しい茶色の瞳。


 ほかのドワーフより少し背が高く、ダチーとほぼ同じ高さだった。


「ごめんなさい」


 少女が言う。


「慌ててしまって。あんなに強く投げるつもりはなかったの」


 ダチーが立ち上がる。


「平気だよ。……で、あんたは誰? 王の手先か何か?」


 少女は顔を赤くし、目を逸らした。


「実は、あの人の娘なんです。名前は岩。……その、姫です」


 ダチーが呻いた。


(最高だ。また姫か。姫ってのはいつも可愛くて、いつでも俺の腸を引きずり出す準備ができてる)


 岩は木製の遮蔽板を使い、窓を塞いでいく。


 ダチーはその様子を見つめた。


「え? 何をしてるんだ?」


「父上に見つからないようにするんです」


 岩が答える。


「あの奇妙な男たちが、父上に都合のいい話を吹き込んだんです。でも、私はあの人たちを信じていません。……大量虐殺が正しいとも思いません。たとえ相手がヴォルティアナであっても」


 ダチーが首を傾げ、身を寄せる。


「本当に?」


「はい。殺すことは間違っています。父上と兄上は憎しみに目を塞がれ、ほかの解決策を何一つ見ようとしない。……あの者たちを消し去っても、私たちが彼らより善くなるわけではありません。それに、報復へ動く同盟者がいるかどうかも、私たちにはわからないんです」


「ああ。あんた、頭いいな。それに可愛い」


「……え?」


「なんでもない。それで、ここから出るのを手伝ってくれないか? 俺の部隊が来る前に抜け出せれば、ひどい戦いを丸ごと避けられるかもしれない」


 岩が両手を組み合わせた。


「やってみます」


 ダチーは窓の外を覗こうとして――不意に動きを止めた。


「待った。ここにはもう一人、人間がいるんだ。応輝っていう。あいつも助け出すのを手伝ってくれないか?」


「あの偵察の人?」


「ああ」


「やってみます……」


 岩が扉を細く開けた。


 すでにドワーフの大半は、周囲を捜すために散っている。


 岩は扉を閉め直し、外套を脱いでダチーへ渡した。


「これを着てください。私は人前を歩けますけど、あなたはそのままでは歩けませんから」


 ダチーは外套を持ち上げてから羽織った。


「これ、香水の匂いとか染みついてないよな?」


「ええと……いいえ?」


「そうか。訊いてみただけだ」


 外套が体を覆い、顔を隠す。


 岩が扉を開け、ダチーの両腕を背中へ回して押さえた。


 ダチーが一瞬だけ首を捻る。


「おい――!」


 少女が人差し指を唇へ当てた。


「しっ! 信じてください」


 ダチーは口を噤み、目を細めてから再び前を向いた。


 数人の護衛が通りを駆けてくる。


 少女の姿を見つけ、足を止めた。


「姫殿下! その者は誰です?」


「もう一人の偵察です」


 岩が説明する。


「おそらく、最初の者を助けに来たのでしょう。でも、簡単に捕らえました」


 蔓がダチーの胴へ巻きつき、両腕を背中に縫い留める。


 護衛たちが武器を構え、そのうちの一人がダチーの頭巾へ手を伸ばした。


「我らの衣装を着ておりますな。ドワーフとは似ても似つかぬ体格では、愚かな変装ですが」


 岩がその手を叩き落とした。


「触らないで。ヴォルティアナが何かを仕込んでいる可能性があります。あの者たちの技術は、私たちの理解を超えています」


 護衛たちが顔を見合わせる。


「承知いたしました。せめて護送はお任せください、姫殿下。……王が城へお戻りいただきたいと仰せです。ホルダーが姿を消しました」


 岩が護衛たちを睨みつけた。


「父上には待っていただきます。手に入れてから数時間も経たぬうちに、司令官と揃ってホルダーを失うほど無能なら、その失態に苦しませておけばよいのです」


 少女は護衛たちを押しのけ、ダチーを地下牢へ連れていく。


 護衛たちはその背を見送った後、再び通りの捜索へ戻った。


 岩がダチーを地下牢へ押していくと、働いていた住民たちが次々と目を向けた。


「全員、下がりなさい! この者は危険な人間の偵察です! 敵が迫っています! 何が起きてもいいよう、備えていなさい!」


 住民の何人かが手を叩く中、ダチーは地下牢へ引き込まれた。


 岩が背後で扉を閉め、ようやくダチーを解放する。


 ダチーはできる限り足音を殺し、階段を駆け下りた。


 応輝は、先ほどとまったく同じ場所――房の中にいた。


ホルダーか」


 応輝が言う。


「話でもしに来たのか?」


 ダチーが首を横に振った。


「違う。ここから抜け出す。同じ人間を置いていきたくなかった」


 岩が蔓を使って錠を開け、房の扉を開いた。


 応輝が外へ出てくる。


「姫まで味方につけたのか。やるな」


 だが、その顔が不意に険しくなった。


「……だが、来るべきではなかった。お前がどちらに忠誠を置くか知られた以上、連中は俺たちを逃がさない」


「どういう意味――」


 次の瞬間、武装した護衛たちが扉を破って押し入ってきた。


 その先頭には、鋼牙、巌雄、そして巌雄の息子がいる。


「ちっ」


 巌雄が鼻を鳴らす。


「これは何事だ?」


「父上!」


 岩が声を上げた。


 ダチーが応輝へ振り向く。


「あんた、俺たちを罠に嵌めたのか?」


「望んでやったことじゃない」


 応輝が答える。


「俺はあいつらの手下じゃない。……ヴォルティアナと同じだ。優位に立つためなら、使えるものは何でも使う」


 巌雄が首を横に振った。


「娘よ、余は貴様にもっと期待していた。我が民へ偽りを述べ、ホルダーを助けたと? ……そして貴殿もだ、ダチー。実に失望した。選択を貴殿自身に委ねれば、より良い結果になると思っていたのだがな」


 岩がダチーの前へ立つ。


「父上――!」


 巌雄が娘を指した。


「全員を捕らえよ! 今すぐだ!」


 護衛たちが霞のように動いた。


 次の瞬間、ダチーは顔から地面へ叩きつけられていた。

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