第八話「器《ホルダー》」
――飛鳥区――
「進め、同胞たちよ! 王より賜りし任を果たせ! 必要とあらば、この悪鬼どもの住処を更地にせよ!」
ドワーフと巨大な鉄巨兵が道路を進軍し、その足でコンクリートを粉砕していく。
逃げ惑う人々はルカ、ダチー、マラチーに次々とぶつかりながらも、一瞥すらくれず全力で駆け去っていった。
ダチーとマラチーが敵の規模を見定める一方、ルカは目を見開いたまま立ち尽くしていた。
(どうしてだ? ここまでの危険を冒す? ……なぜだ。あいつらは今まで、一度も俺たちの領土へ踏み込んでこなかった! なぜ、こんな賭けに出る? しかも、これほどの兵力で)
「ルカ、どうすればいい?」
マラチーが尋ねる。
「何らかの実戦経験はあるんだよね?」
ルカは答えない。
その目は、進軍してくるドワーフたちへ釘づけになっていた。
先頭に立つ頭目は、一歩踏み出すごとに地面を揺らし、片手で大剣の柄を握っている。
ダチーがルカの腕を掴んで揺すった。
「おい! 基地に戻って将軍へ知らせるのか? ここで踏み止まるのか? ドワーフが進軍してきたときの手順はどうなってるんだ!?」
そのとき、幼い少女がつまずいて転び、泣き出した。
ようやくルカが我に返る。
「お母さん! どこに行ったの?」
ルカは少女を抱き起こし、服についた埃を払うと、逃げていくほかのヴォルティアナ族のほうへ導いた。
「ここから逃げるんだ、お嬢ちゃん。今から酷いことになる」
「う、うん! ありがとう、お兄ちゃん!」
ルカは腰の銃を引き抜いた。
圧縮が解除されて銃身が伸び、その照準がドワーフの頭目へ向けられる。
「基地まで走って戻る時間はない。マラチー、手首の端末を叩いて、救援信号を送って」
マラチーが言われたとおりにする。
籠手からホログラムの画面が浮かび上がった。
見覚えのない記号で埋め尽くされている。
「どれを押せばいいの?」
「小銃みたいな形の記号!」
その記号は画面の隅にあった。
マラチーが触れると、表示が呼び出し中を示す記号へ切り替わる。
〈救援信号を送信。S-1部隊へ通知〉
「できた!」
「よし。じゃあ、殴り合う覚悟をしておいて」
「えっ? これは気軽な外出のはずだっただろ!」
ダチーが抗議する。
「血の海に飛び込むなんて聞いてないぞ!」
頭目とその軍勢が、三人の前で進軍を止めた。
頭目は大剣を地面へ突き立て、片手を差し出す。
「子供らよ」
轟くような声が響いた。
「器を差し出せ。そうすれば、我らは静かに立ち去る。拒むなら、貴様らの愛する飛鳥を灰になるまで焼き尽くす!」
三人は同時に顔を見合わせた。
「器?」
マラチーが呟く。
「何、それ? あんたたちが持ってる武器か、動力源のこと?」
「俺の知る限り、そんなものは存在しない」
ルカが答える。
「おい、もっと具体的に言え! いったい何が欲しいんだ!」
頭目が喉を鳴らして笑った。
配下のドワーフたちが一斉に武器を掲げる。
しかし頭目が片手を上げると、全員が凍りついたように動きを止めた。
「我が名は岩鉄鋼牙」
頭目が名乗る。
「アスマナ森林の司令官だ。器とは、我らが長きにわたって追い求めてきた者。その者は貴様らの役には立たん。だが我らにとっては……極めて重要だ。差し出せば、この戦争は終わったも同然となる」
「終わったも同然だと? ふざけるな」
ルカは目を細めた。
「あんたら、戦況を自分たちに有利に傾ける何かが欲しいんだろ?」
「人なんだ!」
マラチーが気づく。
「灯里を探してるんじゃないの?」
「たぶんな」
ダチーが肩をすくめた。
「王族の血を引いてるし、みんなあいつを女神みたいに語ってる」
ルカが顎を撫でる。
「そうだね。灯里だ。……いや、光の可能性もある。あの子の力も、ドワーフにとっては相当厄介なはずだ。でも関係ない。どちらも渡さない」
鋼牙が笑った。
「賢い種族を自称する割に、肝心なところでは愚かだな。虐殺を重ねすぎて、考える力まで鈍ったか」
鋼牙は躊躇なく大剣を引き抜き、三人へ横薙ぎに振るった。
ルカが兄弟の腕を掴み、後ろへ引き倒す。
大剣の刃が、三人の頭上すれすれを通過した。
「攻めよ、我が兵ども! 為すべきを為せ! 逃げ遅れた者は殺せ!」
ドワーフたちが一斉に押し寄せる。
七人のドワーフが、ルカへ斧を投げつけた。
だがルカの瞳が緑色に光り、その姿が狼へ変わる。
数人のドワーフが斬りかかる。
ルカは牙と顎でその腕や武器を噛み砕き、傷を負ったドワーフたちは顔を押さえて地面を転げ回った。
さらに別の者たちが前へ出る。
弓を構え、鏃をルカへ向けて一斉に放った。
だが、狼のほうが速い。
矢をかわしながら懐へ飛び込み、弓も顔もまとめて引き裂く。
その者たちも、次々と戦列から脱落していった。
直後、鉄巨兵の蹴りがルカを吹き飛ばした。
内部の操縦者が巨兵の手でルカの尾を掴み、その体を地面へ何度も叩きつける。
衝撃に耐えきれず、ルカの姿が元へ戻った。
戦闘装備の周囲に、緑色のホログラムが浮かび上がる。
ルカはよろめきながら身を起こした。
「この装備……」
低く唸る。
「本当に性能が上がってる。鎧がなかったら、内臓をぶち撒けてたな」
ダチーとマラチーが両側から腕を取り、ルカを引き起こす。
「灯里を渡すわけにはいかないよね?」
マラチーが不安げに尋ねる。
「もちろん。本人がこんなふうに攫われるのを許すとも思えないけど、兵士の俺たちが姫を守れなかったら――しかも、この立場でだ。全員まとめて首を刎ねられると思ったほうがいい」
「見捨てるには可愛すぎるしな」
ダチーが付け加える。
「あの態度だけは捨ててほしいけど」
そんな話をしている間に、三人は完全に包囲されていた。
見渡す限り、ドワーフだらけだった。
鋼牙が高々と跳び上がり、大剣を地面へ叩きつける。
凄まじい衝撃が爆発し、三人はそれぞれ別の方向へ吹き飛ばされた。
「脆いな」
鋼牙が鼻を鳴らす。
「これが我らの前に立つ抵抗か? 鍛冶場の職人どものほうが、まだ手応えがあったぞ!」
その目がダチーへ向けられた。
ダチーがごくりと喉を鳴らす。
「……やあ?」
鋼牙の大剣が、ダチーの首へ迫る。
ダチーは銃を抜いて撃とうとした。
だが、遅すぎた。
ところが、意外にも――首は無事だった。
代わりに、銃を抜こうとした腕が肩口から断ち切られている。
「……あ? なんでこいつ、腕を――」
鋼牙の拳がダチーの顔面を打ち砕く。
二撃目が来るより早く、マラチーの触手が鋼牙の腕へ巻きつき、その動きを封じた。
「兄さんから離れろ!」
「腕を狙った……?」
ルカが訝しげに呟く。
ドワーフたちがマラチーへ飛びかかり、地面へ組み伏せた。
ルカが正確な射撃で、その背中から一人ずつ撃ち落としていく。
鋼牙は触手を引き千切り、ダチーの拳をかわした。
その背中へ蹴りを叩き込み、片脚を掴んで持ち上げる。
ダチーの体が、逆さまに宙吊りになった。
「興味深い。貴様からは魔力を感じん。皮膚も光らぬ。……人間か?」
「そうだけど? 見ればわかるだろ」
「名を言え、小僧」
「あんたに何の関係があるんだ?」
「問いに答えよ」
鋼牙はダチーを最も近い建物へ投げ込んだ。
外壁が崩れ、瓦礫がその体へ降り積もる。
鋼牙はゆっくりと歩み寄った。
「答えを聞かせてもらおう」
「ダチーだ! なんだ、殺した奴の名前を一人ずつ記録してるのか?」
鋼牙の笑みが広がる。
「やはりな。貴様は本当に哀れな者だ。そうではないかと思っていた。……あの生き物どもと長く過ごしすぎれば、自らの可能性を狭めるぞ」
「何の話だよ。なんで俺を知ってるみたいな口をきくんだ?」
ダチーの体が灰色の光を帯びる。
周囲の瓦礫が一斉に浮き上がり、弾丸のような勢いで飛び出した。
鋼牙の頭を目がけて、風を切り裂きながら殺到する。
だが鋼牙は大剣を振るい、そのすべてを斬り落とした。
「ここにいるのが嫌なのだろう?」
「あいつらのやり方が好きだとは言えないな」
ダチーが答える。
「でも、あんたが俺と弟を殺そうとしてるのも気に入らない。つまり、どっちにしろ問題があるってことだ」
「そのようだな。だが、その鎧も力も貴様を救わん、小僧。少なくとも、我の手からは」
その頃、マラチーは銃撃で何人ものドワーフを吹き飛ばし、触手で残りを寄せつけずにいた。
ルカがその頭上を宙返りで越え、狼へ姿を変える。
標的から標的へ、目で追えないほどの速さで飛び移っていった。
「どうして、あの司令官はダチーばかり狙うの?」
マラチーが尋ねる。
「一番の脅威だと思ってるのかな?」
一人のドワーフが、剣でマラチーの胸当てを斬りつけた。
攻撃に反応し、戦闘装備の周囲へ淡い青色のホログラムが広がる。
マラチーが胸元へ触れる。
刃はほとんど体まで届いていなかった。
ルカは別のドワーフの両目を爪で引き裂き、元の姿へ戻りながらマラチーの隣へ着地する。
「何かがおかしい。まるで、俺たちなんか眼中にないみたいだ」
ドワーフがルカの背中へ飛び乗った。
ルカは慌てて銃を抜き、背後の敵を撃ち落とす。
「何を企んでるんだ、あいつ」
「や、やっぱり灯里を探してるんじゃない? 将軍以外で、これだけの軍勢を差し向ける価値があるのは灯里だけだ!」
ルカが頷きかけ――突然、その目を見開いた。
「待って。本当に灯里か光、あるいは藤井が狙いなら、邸宅からこんなに離れた場所を襲うはずがない……くそっ! ダチーを助けるぞ!」
鋼牙が指を口へ当て、鋭く笛を吹いた。
「者ども! 今だ!」
地面を突き破り、巨大な鉄巨兵が飛び出した。
その片手がダチーの体を掴み取る。
ダチーは金属の指を押し返そうともがいた。
「なんだよ! 放せ!」
「貴様の回収こそ最優先だ。あの狼に気づかれた以上、これ以上、貴様へ言葉を費やすわけにはいかん」
鋼牙が鉄巨兵へ命じる。
「連れて行け!」
ダチーは拳を引き絞り、鉄巨兵の腕へ叩き込んだ。
凄まじい一撃によって、巨兵の腕が粉々に砕け散る。
鋼牙は満足そうに頷いた。
「ほう」
解放されたダチーが着地し、鋼牙の足元へ拳を叩きつける。
地面が砕けた。
それでも鋼牙は立ったまま、わずかにも揺らがない。
二人が同時に拳を繰り出し、真正面からぶつけ合う。
ダチーが手を引く。
指が何本も失われていた。
「あんた、何でできてるんだ? 鉄か?」
鋼牙はダチーの腹へ蹴りを入れ、続く裏拳で通りの先まで吹き飛ばした。
ダチーが腰のプラズマブレードを抜く。
鋼牙は面白そうに、その構えを眺めていた。
瞬きする間に、ダチーは間合いを詰め、鋼牙の片目を横切る傷を刻んだ。
だが鋼牙はほとんど身じろぎもせず、流れる血を拭った。
「よい一撃だ。だが、貴様を仕留めるのに目は一つで足りる」
ダチーは続く大剣をプラズマブレードで受け止め、そのまま鋼牙の鎧を斬りつけた。
だが残ったのは、わずかなへこみだけだった。
直後、ダチーは再び近くの建物へ投げ込まれる。
マラチーが鋼牙の背中へ銃撃を叩き込んだ。
鋼牙は一瞬だけ前屈みになり、傷口へ触れる。
そして、何事もなかったように身を起こした。
「勇敢だ。時間に追われていなければ、興味深い標本になっていただろう」
鋼牙が振り返り、鋭い視線をマラチーへ向ける。
その眼光だけで、マラチーの体が震えた。
「だが、今はその余裕がない」
鋼牙が大剣を投げ放つ。
回転する刃が、マラチーの両脚を膝から断ち切った。
マラチーは顔から地面へ倒れ込む。
ルカがプラズマブレードを抜き、鋼牙の頭を狙った。
だが、投げたはずの大剣はすでに鋼牙の手へ戻っている。
「失せろ」
一閃。
鋼牙はルカの首、両腕、そして片脚を断ち切り、その体を肉塊のように地面へ落とした。
ダチーが背後から忍び寄ろうとする。
しかし鋼牙は勢いよく振り向き、その顎へ強烈な拳を叩き込んだ。
ダチーの顎が丸ごと吹き飛ぶ。
ダチーは顎のあった場所へ手を当てた。
失われた部分が、ゆっくりと生え直していく。
ドワーフたちはその周囲へ円陣を組み、一斉に弓を構えた。
「本気かよ? なんで俺なんだ? 人違いに決まってる!」
再生した顎で、ダチーが叫ぶ。
「俺は特別でも何でもない! 弱くて、普通の、ただの人間だ! 本当に灯里が狙いじゃないのか?」
ドワーフたちが一斉に、腹の底から笑い声を上げた。
「何がおかしいんだよ。冗談なんか言ってない。あいつは俺にないものを全部持ってる。なのに、なんで俺を追う?」
「おかしいのは貴様の無知だ。だが、我らは貴様を楽しませるために来たのではない」
鋼牙が言い放つ。
「いずれ救援部隊が駆けつける。最も堅固に守られた国を襲った以上、避けられぬ代償だ」
大剣の切っ先をダチーへ向ける。
「だが、愛しき坊やよ。貴様をあの者どもの手中に置いてはならん。さもなくば――人間の言葉を借りれば、“富める者はますます富む”ことになる」
「でも俺は、自分の力が何なのかも知らない! 藤井や灯里、マラチーみたいに格好よくもない! 物を殴れるだけだ!」
「じきにすべてが明らかになる、小僧。もう抵抗はやめよ! 貴様は我らの戦利品となる!」
鋼牙が大剣を構え直す。
「貴様こそが鍵なのだ!」
鋼牙が全力で駆け出し、周囲のドワーフたちも一斉に矢を放った。
ダチーの体が灰色に明滅し、空高く跳び上がる。
降り立った先は、建物の屋根だった。
だが鋼牙は大剣を外壁へ突き立て、それを支えに一気に屋根まで登ってくる。
鋼牙の刃が届くより先に、ダチーの体が前方へ弾けた。
拳が鋼牙の胸へ叩き込まれる。
建物全体が揺れ、屋根へ何本もの亀裂が走った。
鋼牙は大剣を屋根へ叩きつけ、その衝撃で二人の間合いを強引に引き離す。
ダチーは跳び上がり、鋼牙の手から大剣を蹴り飛ばした。
鋼牙は大剣が地面へ落ち、けたたましい音を立てるのを見下ろす。
「貴様は厄介になると聞いていた」
「誰に言われたんだ?」
「じきにわかる。……我は、このほうが好みだ。容易すぎては、褒美を得ても満足できん!」
「褒美が欲しいなら、この拳にくれてやる!」
ダチーの拳が鋼牙の顔面を打ち砕く。
だが鋼牙は、肩を揺らしただけで受け流した。
次の拳が迫った瞬間、前腕で弾き返す。
そして反撃の一撃で、ダチーの頭部を粉々に吹き飛ばした。
頭を失った体が屋根から落ち、下で待ち構えていた鉄巨兵の手へ収まる。
ドワーフたちが歓声を上げた。
「行け!」
鋼牙が命じる。
「器は再生する! 援軍が来る前に退くぞ!」
ドワーフたちが一斉に撤退を始める。
再生した手足で立ち上がったルカとマラチーが、その後を追おうとした。
「待て!」
マラチーが叫ぶ。
「兄さんを返せ、この森の野蛮人ども!」
鋼牙が屋根から飛び降り、二人の前へ着地する。
地面に落ちていた大剣を拾い上げ、二人の胸を立て続けに斬り裂いた。
傷は骨が覗くほど深い。
しかも意外なことに、その再生は……遅かった。
「慈悲だと思え」
鋼牙が告げる。
「貴様らが王族であったなら、その場で斬り捨てていた」
「待て……」
ルカが弱々しく呼びかける。
「あんたは何を知ってる? ダチーは何者なんだ?」
鋼牙は答えなかった。
鉄巨兵の背へ跳び乗り、そのまま遠ざかっていく。
ルカがどうにか上体を起こした。
ちょうどそのとき、ヴォルティアナ族の兵士たちが波のように押し寄せてきた。
全身を武装で固め、撤退するドワーフ軍へ一斉に銃撃を浴びせていく。
灯里が光を背負い、ルカとマラチーの隣へ降り立った。
二人の姿を頭から足まで見回す。
「二人とも、見るも無残な有様だな。何があった? ……もう一人はどこだ」
マラチーが力なく、逃げていくドワーフたちを指さした。
「兄さんが……連れていかれた」




