第七話「森のために」
飛鳥区の商店街は、店内も通りも数百人のヴォルティアナ族でごった返していた。
夜の帳が、ゆっくりと下り始めている。
建物の屋上ではホログラムの照明が次々と明滅し、暮れゆく空の下でも一帯を鮮やかに照らしていた。
その人波を、ダチー、マラチー、ルカの三人が押し分けて進んでいる。
顔はフードですっぽりと覆われていた。
「誰も僕たちを見てすらいないね」
マラチーが声を潜める。
「この肌の色なら、目立つはずじゃないの?」
「人って案外、周りを見てないものだよ。特に、平民も大勢混じってる場所ならね」
ルカが答える。
「このフードもかなり役に立ってる。でも、喋るのは全部俺に任せて。ニュースで顔を覚えられてる可能性はあるから」
「少なくとも、あの家に押し込められてるよりはいい」
ダチーが呟く。
「規則もない。鍵をかけて閉じ込められることも、何かを命じられることもない。ただ夜に出歩いてるだけだ。……少し故郷を思い出す」
三人はそのまま歩き続けた。
やがてルカが、一切れのピザをかたどった看板の店先で足を止める。
「ここ、俺がいつも行くピザ屋。店主もかなり気のいい人だよ」
ルカに続いて店内へ入る。
十数卓あるボックス席は、そのほとんどがヴォルティアナ族の客で埋まっていた。
「あれ?」
ルカが首を傾げる。
「今日は妙に混んでるな。何かあったのか?」
店主がルカに気づき、手を振って呼び寄せた。
「おう、守ルカ! 久しぶりだな、坊主! また試食目当てか?」
ルカは列に並ぶ客の間をすり抜け、カウンターへ歩み寄る。
「違うよ。家の食い物が切れたんだ。箱でいくつか欲しい」
店主が髭を撫でながら笑った。
「当ててやろう。トッピング増し、ソース増しだろ?」
「そう。ラージを四枚くれる?」
「任せとけ」
店主はカウンター奥の部屋へ引っ込んだ。
その間、ダチーは物珍しそうに店内を見て回っていた。
窓へ触れたかと思えば、複数の注ぎ口と、その下にコップ置き場が並ぶ奇妙な機械の前で足を止める。
「これ、炭酸飲料の機械か?」
声が大きすぎた。
何人かの客が顔を上げ、訝しげな横目を向けてくる。
ダチーはフードを深くかぶり直し、両手をポケットへ突っ込んで咳払いをした。
「……いや、新型かどうかって話だ。へえ。俺が覚えてるものより、ずいぶん大きく見えるな」
マラチーがその腕を掴む。
「ダチー! カウンターの近くにいたほうがいいよ。僕たちは地元民じゃないんだ。あまり運を試さないほうがいい」
「はいはい。でも、今のはたぶん誤魔化せただろ」
店主が料理を用意している間、ルカはボックス席の一つに座って待っていた。
ダチーはフードの陰から周囲を見回し、近くの家族連れへ目を留める。
「あの人たち……幸せそうだな」
思わず声が漏れた。
「故郷で、家族揃ってピザを食いに来てるみたいだ」
マラチーが座席の背もたれ越しに覗き込む。
虹色の髪と瞳を持つ幼い少女が母親と向かい合って座り、その母親は娘の頬を優しく撫でていた。
「ねえ、お母さん。あとでまた踊りを教えてくれる?」
「もちろんよ。お父さんにお願いして、あとで劇場へ連れていってくれるか聞いてみましょうね」
「お父さん、まだ忙しいの?」
「そうね。でも、もうすぐ目標を達成できそうなのよ」
マラチーは母親に気づかれる前に、そっと身を沈めた。
「あの声、本心からだ。あの子もすごく可愛いね」
ルカは店の外へ目を向ける。
恋人たちが腕を絡め、店先で写真を撮っていた。
「お前らは、“情がない”ことと“容赦がない”ことを混同してる。俺の種族は仲間同士には愛情深いんだ。ただし、その思いやりは、価値を証明していない相手には向けられない」
そして夜空を見上げる。
「というか、今の俺たちを見てみろよ。もし、いつもこんなふうに暮らせたらって想像してみて。気楽で、何も恐れずにさ」
ダチーはしばらく黙り、夜風を顔に受けた。
やがて、一つの疑問が浮かぶ。
「でも、ほかの人間たちはどうなる? まだ貧困の中で暮らしてるんだろ」
「そうだね。それがすぐに変わることはない。森野将軍でさえ、あれだけ尊敬されているのに、人間の子供たちが学んで遊べる学校を一つ建てる許可しか得られなかった」
ルカは店内へ視線を戻す。
「……しかも、問題になった瞬間、連中はそこを跡形もなく吹き飛ばす」
「ちっ」
ダチーが苛立たしげに息を吐く。
「少しは善良なところもあると思ったのにな。……で、あいつらが俺たちの不在に気づくまで、あとどれくらいだ?」
ルカが手首の端末を掲げる。
ホログラムの立方体が浮かび上がり、それを指で払った。
何の通知もない。
「連絡なし。問題ないよ」
店主が、大きなピザ箱を四つ抱えて戻ってきた。
ルカは間髪入れず一番上の箱を奪い取り、ペパロニピザを食べ始める。
「ずいぶん腹が減ってたんだな、坊主?」
店主が笑った。
「家まで待てないのか。友達の分も残す気はあるのか、それとも……?」
ルカは四切れを立て続けに飲み込んだところで、胸を押さえて咳き込んだ。
マラチーが手を伸ばすが、店主がそれを制する。
「大丈夫だ。この坊主が話したか知らんが、獣属性持ちでな。胃袋まで、この不細工な面と同じくらい野生なんだ」
ルカは大きく喉を鳴らして飲み込み、ようやく表情を緩めた。
「失礼だな」
店主はカウンターへ戻っていく。
「ほかに必要なものがあったら言ってくれ。それと、三百枚はきっちり払えよ!」
「はいはい」
マラチーが、はみ出していた髪をさらにフードの中へ押し込んだ。
「ルカの言ったとおりだった! すぐそばに立ってたのに、まったく気づかれなかったよ!」
「えっ、俺が嘘をつくと思った?」
ルカがピザへ手を伸ばす。
「誰も、人間が近くにいるなんて考えたくないんだ。だから、あからさまに怪しく振る舞わなければ、わざわざ疑いもしない」
ダチーはピザ箱を見つめ、蓋を少しだけ開けた。
「お前ら、これが人間の食い物だって知らないのか? お前がいつも食ってる干し肉だって、故郷にあるぞ」
ルカはさらに三切れを口へ放り込み、ほとんど間を置かずに飲み込む。
「そうなの?」
「“そうなの?”って何だよ。ピザがどこから来たかも知らないのか?」
ダチーは呆れたように箱を叩く。
「誰かが突然、“パンとトマトとチーズを一緒にしよう。はい完成”なんて思いつくわけないだろ」
ルカが頭を掻いた。
「バタンゴの人間も出してるのは知ってる。でも、それは森野将軍が材料を供給する許可を取れたときだけだ。こっちじゃ何世紀も前からメニューに載ってる。作り方も代々受け継がれてきたんだ」
マラチーは両手を組み、目を閉じた。
「この国は、最初に思ってた以上に謎だらけだ。……歴史そのものが書き換えられてる? それが、人間やほかの種族が尊重されない理由だったりしないかな」
ルカは背もたれへ体を預け、ボックス席の両側へ腕を広げた。
「その手のことは、あとで好きなだけ研究すればいい。もう一か所、見せたいところがあるんだ」
「どこだ?」
ルカはピザ箱を抱え上げ、二人の腕を引っ張って店の外へ連れ出した。
店主は去っていく三人の背中へ、最後に一度だけ視線を送った。
*
通りは、先ほど以上の人波で溢れていた。
この時間になると、住民たちは互いを押し潰しかねない勢いで進み、その頭上を飛行車がすり抜けている。
三人は歩道を進んだ。
ルカは歩きながら、建物の壁を指先でなぞっている。
ダチーには、その目に一瞬――ためらいのようなものが浮かんだ気がした。
だが、ルカはフードを深くかぶり、表情を隠した。
空には満月が昇っている。
「いつまで歩くんだよ……」
ダチーがうめく。
「そこ、本当にそんなに大事な場所なのか?」
「まあ、軍用装備を受け取る場所だからね」
ルカが答える。
「もちろん、藤井は取りに行くのが面倒だったみたいだから、帰り道に寄ろうと思ったんだ」
「じゃあ、俺の言ったとおりだな。大事じゃない」
「僕は見てみたい!」
マラチーが割り込む。
「別に大したものじゃないよ」
ルカは肩をすくめた。
「しかも、すぐ汚れる。今月だけで三着目を注文する羽目になった」
「せめて銃は付いてるのか?」
ダチーが尋ねる。
「付いてる。監獄の衛兵が持ってたのと同型。ただし、あれよりずっと使いやすく最適化されてる」
ダチーの口元に、思わず笑みが浮かんだ。
マラチーは背伸びをし、ルカの耳元へ顔を寄せる。
「ダチーに銃を持たせるのはまずいよ。母さん、芝刈り機すら任せてなかったんだから」
「なんで?」
「察して」
ルカがダチーを振り返った。
「……なるほどね」
さらに歩き続け、やがて裁判所を思わせる造りの事務所へ辿り着いた。
ルカが扉を叩く。
「どちら様ですか?」
ルカは兄弟へ素早く手を振った。
「路地へ! 早く!」
ダチーが聞き返すより先に、マラチーがその体を脇の路地へ引き込む。
直後、若いヴォルティアナ族の女性が扉を開けた。
ルカがフードを外すと、女性の目が見開かれる。
「あら、守さん! どういったご用でしょうか?」
「S-1の装備を受け取りに来ました。もう完成してますか?」
「少々お待ちください。確認してまいります!」
女性が奥へ姿を消し、ルカは歩道を行ったり来たりしながら待った。
兄弟は大きなごみ箱の陰へ隠れたまま、マラチーはルカの様子を注意深く見ている。
ダチーは鼻をつまんだ。
「まだ終わらないのか?」
「しっ! 戻ってくる!」
扉の奥から足音が響く。
再び現れた女性は、三つの金属製の箱を抱えていた。
「お待たせしました。こちらです」
「待って。残りは?」
「残り三着でしたら、すでにS-1邸へ配送済みです。姫殿下が速達をご希望でしたので」
女性は申し訳なさそうに頭を下げる。
「現在の資材在庫では、一度に三着までしか用意できないのです」
「あの人らしいね」
ルカが鼻を鳴らした。
「ありがとうございます」
ルカは箱を受け取り、手を振る女性に見送られながらその場を離れた。
扉が閉まると、兄弟へ箱を一つずつ放り投げる。
「うわっ!」
マラチーが箱を受け止め、目を輝かせた。
「金属がこんなに滑らかだ! この光る線も……収納箱までこんなに精巧なんだね!」
「箱を開けろよ、マラチー」
ダチーは自分の箱の蓋を引っ張りながら言う。
「やり方は知らないけどな」
ルカは自分の箱を地面へ置いた。
箱から光が走り、その全身を走査する。
〈使用者確認〉
蒸気を吐き出す音とともに箱が開き、中から戦闘装備がせり上がった。
黒い戦闘服を基調に、白金色の装甲板が重ねられている。
ホログラムの光が両脇と、首元に垂れたフードの内側に沿って走っていた。
腰の片側には小銃。
もう片側には、大型の刃が装着されている。
ダチーとマラチーは、口を開けたまま見つめた。
「どう? かっこいいだろ」
マラチーは待ちきれず、自分の箱を地面へ置いた。
光が頭から爪先まで全身を走査する。
箱が開き、ルカのものとよく似た戦闘装備がせり上がった。
〈確認完了〉
マラチーがダチーの肩を揺する。
「見てよ! 天国みたいだ! 自作のマイクロボットを設計して、科学を進歩させてるつもりだったのに、この人たちは科学そのものを次の段階へ押し上げてるの!?」
「俺は銃が撃てれば、それでいい」
ダチーが自分の箱の前へ立つと、すぐに蓋が開いた。
戦闘装備の腰から銃を引き抜こうとする。
だが、銃は微動だにしなかった。
「なんだよ。これ、壊れてるのか?」
「先に装備しないと駄目だよ」
ルカが教える。
「手順は?」
「触ればいい。それでお前に紐づく」
ダチーはゆっくりと手を伸ばし、胸当てへ掌を置いた。
戦闘装備が震え始める。
次の瞬間、エネルギーが弾けた。
装備が細かな光へ分解され、ダチーの体へ吸い込まれていく。
直後、同じ装備がその全身を覆っていた。
マラチーはさらに目を見開き、ダチーの両肩を掴んで揺さぶる。
「見てよ! 一瞬でもう着てる! どんな感じ?」
ダチーは両腕を伸ばし、感触を確かめた。
「普通かな。重くないし、この銃の重さもほとんど感じない」
腰の銃へ手をかける。
圧縮状態が解除され、高精度ライフルへと展開した。
「大きくなるのか? 少なくとも、ここは火力の仕込み方をわかってるな! 剣のほうは何ができるんだ?」
「両刃のプラズマブレードだよ」
ルカが答える。
「掴んでみな」
ライフルが再び圧縮され、ダチーの腰へ収まる。
代わりに、もう片方の武器を掴んだ。
柄が伸び、その両端から大鎌を思わせる大型の刃が一枚ずつ形成される。
「おお……これはすげえ」
マラチーも戦闘装備へ触れ、全身へ装着した。
嬉しさのあまり、路地の中を何度も跳び回る。
ルカも落ち着いて自分の装備を身につけ、一通り点検した。
「こっちは汚れ一つないね。当分もちそうだ」
「あの二人の装備は、どんな見た目なんだ?」
ダチーが尋ねる。
ルカがその肩を叩いた。
「じきに見られるよ。でも、もう遅い。そろそろ帰ろう」
ルカが装備を解除しようとした、そのときだった。
奇妙な煙が顔の横を流れ、ダチーへ吹きつける。
「なんだ……? この装備の不具合か?」
「違う……」
ルカが顔を上げた。
煙は間違いなく、遠くの建物から立ち上っている。
続いて、いくつもの悲鳴が響いた。
「まさか、あいつら……」
ルカが呟く。
「こんな形で……!」
「何?」
マラチーが不安げに尋ねる。
「何が起きてるの?」
ルカは二人の横を駆け抜け、通りへ飛び出した。
「来て! 急がないと!」
ダチーとマラチーもその後を追う。
路地を抜けた瞬間――それが見えた。
「進めッ! 進めッ! 進めッ!」
軍勢が通りを進軍し、ヴォルティア族が悲鳴を上げて逃げ散っていた。
複数の鉄巨兵が道路を踏み鳴らし、足元の車を次々に押し潰していく。
その背後には、髭を蓄えた小柄な人型が数十人。
それぞれが鋼の刃を握り、地面へ亀裂を走らせるほど重い鎧を身につけていた。
中でも、一人の戦士がダチーの目を引いた。
ほかの者より何メートルも背が高く、その手には巨大な大剣が握られている。
「森のために!」
その戦士が高らかに宣言した。
「器を探し出せ! 目に入る暴君どもを、一人残らず消し去れ!」
ルカが奥歯を噛みしめる。
「ドワーフだ」




