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ヴォルティアナ  作者: rimuru the jūto
対ドワーフ戦争編
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6/20

第六話「灰色の光」

朝はとうに過ぎ、時刻は午後へ差しかかっていた。


 藤井は邸宅の屋根に立ち、ほかの部隊員たちはその傍らに腰を下ろしている。


 マラチーが屋根の縁から地上を覗き込んだ。


 眼下では、ダチーが這いつくばっていた。


 邸宅の高さに届きそうなほど積み上げられた巨岩が、何重もの縄でまとめられ、その背中に括りつけられている。


「あと十回だ、坊主!」


 藤井が命じる。


 ダチーの顔は汗まみれだった。


 腕立て伏せの姿勢から体を沈める。だが、押し上げようとする両腕が激しく震えていた。


 丸一分。


 最初から最後まで腕を震わせながら、ダチーはようやく一回の腕立て伏せをやり遂げた。


 たった一回。


 そして力尽き、地面へ崩れ落ちた。


「九十回まではいったね」


 ルカが評する。


「百回の大台に届かなかったのは残念。達成できたら、とんでもない自慢になったのに」


 藤井は屋根の縁に片膝をつき、すでに気を失ったダチーを見下ろした。


「持久力は平均以上――いや、並外れていると言ってもいい。凄まじい身体能力と極端な持久力、その両方を備える属性とは何だ?」


「それって、どの属性にも当てはまるんじゃありません?」


 光が口を挟む。


「私たちだって、すぐに疲れるわけでも、腕が棒切れみたいに細いわけでもないでしょう」


「ある意味ではな。競技選手と同じだ。誰もが高い運動能力を持つが、得意分野では個人差が出る。土属性は風属性より力が強く、風属性は土属性より速い。だが、どちらも属性を持たない者のほぼ全員より、遥かに速く、遥かに強い」


 藤井が目を細めた。


「だからこそ、具体的な証拠がない限り、こいつの属性の正体を割り出すのは難しい」


 灯里が片手を上げる。


「私に試させてください、将軍。この人間が壊れるまで徹底的に追い込めるなら、これ以上の喜びはありません」


「却下だ。体と心を両方折ったら、兵士に仕立てる素材すら残らん」


 ダチーの体を包んでいた灰色の光が明滅し、やがて消えた。


 藤井は屋根から飛び降り、ダチーを抱え上げる。


「移動だ、兵士諸君」


 灯里は一切ためらわず、屋根から飛び降りた。


 光は慎重に屋根の縁を跨いでから、地上へ降りる。


 ルカは狼へ変身し、爪で壁を削りながら滑り降りていった。


 マラチーは、そのすべてを見つめていた。


 動き方が、自分とはまるで違う。


 屋根の縁から身を乗り出し、改めて地面までの高さを確かめる。


(よし。あの耐久力の理屈が正しいなら、死にはしない。……ただ落ちるだけだ)


 どうにか手を離す勇気を振り絞り、背中から真っ逆さまに落ちた。


 着地点の近くには、ルカが立っている。


 マラチーは起き上がるのにも手間取り、視界の端に黒い斑点が浮かび始めた。


「足から着地すればよかったのに」


 ルカが言う。


「野生じゃ、狼はいつもこう言う。“着地だけはしくじるな”。格好の獲物になるだけだからね」


「狼って喋るの?」


「まさか。唸るだけ。でも、何年も一緒に暮らせば意味はわかる。……あるいは、こんな力を持っていればね」


 ルカの手が、一瞬だけ緑色に光った。


 マラチーも立ち上がり、二人で邸宅へ戻っていった。


     *


 過酷な訓練が再開された。


 ――一時間目。


 四七七号機が室内でダチーを追い回し、両手から光線を連射している。


 藤井は壁際に腰を下ろし、数分おきに号令を飛ばしていた。


「もっと速く! 跳べ! その体のどこかに飛行能力くらい入ってるんじゃないのか? 選抜試験で見せた敏捷さはどうした!」


「頼むから、こいつを止めてくれ!」


 灰色の力を爆発させ、ダチーは身を屈めた。


 四七七号機が組みつこうと飛びかかった寸前、真上へ跳ね上がる。


 だが、天井はその衝撃に耐えられなかった。


 ダチーは急行列車さながらの勢いで天井へ激突し、その中央に巨大な亀裂を走らせる。


 四七七号機は、藤井がリモコンのボタンを押すまで攻撃をやめなかった。


 ダチーが床へ落下し、その衝撃だけで部屋はさらに損壊する。


「政府へ回す請求書が、また一枚増えたな」


 藤井がうめいた。


「なあ、姫殿下。修理を急がせるよう手配できないか? 前回は六日もかかった」


「掛け合ってみます」


 ダチーは外れた腕を、自分で関節へはめ直した。


「もう終わりか?」


「まだだ。だが、お前の脚が想定より遥かに速いとわかった! 基準を超えているのは打撃力だけじゃないらしい。骨属性の線はまだ残る。磁力属性はどうだ? ふむ……案外、有力かもしれん!」


「ちっ」


 灯里が小さく舌打ちする。


「僭越ながら、これ以上この者に時間を費やすのは無駄かと。何の属性であろうと、注目に値するものではありません。強く殴る。速く走る。それ以外の機能はない。しかも、その二つですら飛び抜けてはいません」


「人間だもの、灯里。珍しい属性なんて持っているはずないわ」


 光が同意する。


「これに耐えているだけでも奇跡よ。私も磁力属性だと思う。単純で、役立たず」


 ――二時間目。


 ダチーは椅子に座らされ、いくつもの金属製拘束具で固定されていた。


 藤井がその背後に立つ。


「今から光がお前に触れる。いいな? こいつの能力は、生物の身体状態を見抜き、操ることに長けている。お前の内側まで探れる者がいるとすれば、光だ!」


「待ってください! 私は同意していません!」


 光が声を尖らせる。


「そんな汚い蟻、触りたくありません!」


「光。約束しただろう。訓練に協力する代わりに、飛鳥区の商人たちへ話をつけ、衣服を値引きさせる」


 光は顔を背けた。


「嫌です! やりません! 人間の菌なんか体につけたくありません! 感染したらどうするんです!」


「八割引きなら?」


「あ、あなたって人は……もう! わかりました!」


 光の腕が桃色に輝き、ダチーが椅子の上で身をよじり始める。


「うわ、待て! 何してる? その力、何なんだよ!?」


「治癒属性というのよ、この無知な虫」


 光が答える。


「それから、そんな目で私を見ないで! こんなくだらないことに付き合ってあげてるだけでも、有難く思いなさい!」


 光が人差し指をダチーの額へ置く。


 桃色の光が、ダチーの皮膚の下を走った。


 ダチーは激しく咳き込み、血を吐き始める。


 だが、光が指を離すと、その体はたちまち元へ戻った。


「どうだ?」


 藤井が尋ねる。


「何か見つけたか? 属性の痕跡は?」


「何も。……ただ、内臓の配置がひどく……滅茶苦茶です。心臓は肋骨の内側を漂っているような状態で、腸も本来より遥かに太い。少なくとも、私の知識では。人間の体に詳しいわけではありませんから」


「漂っている?」


 マラチーが顔を上げた。


「待って。それはおかしい。兄さんは人間だよ。心臓がそんな状態で、どうして生きていられるんだ? それも属性の影響なんですか?」


「属性が肉体へ及ぼす影響は、それぞれ異なる。俺は体内温度が常に低い。光は一般的な病気のほとんどにかからない。ルカは……ほぼ何でも飲み込み、消化できる。そして灯里はエネルギー属性だから、肉体が自然と、ほかの属性者より高い持久力を備えている」


 藤井がマラチーへ片目をつぶってみせる。


「お前は技術属性だからな。体の中に回路が走ってるかもしれんぞ」


「えっ、待ってください。じゃあ僕、ロボットになっていくんですか?」


「そういう意味じゃない。属性による生物学的な影響だ。だが、そのどれを考えても、ダチーの体にこんな無秩序な変異が起きている理由は説明できん。風属性でもない。身体強度が高すぎる」


「人間だからです」


 灯里が言い切った。


「この者に関しては、何一つ理屈が通りません」


 不快そうに舌を鳴らす。


「だから、すべて無意味だと申し上げているのです」


 光は三人から後ずさり、藤井を睨みつけた。


「約束は絶対に守ってくださいね! 私にどれだけ多くの一線を越えさせたか、わかっていますか!?」


 そのまま全速力で部屋を飛び出していく。


 ほどなく近くから、水を勢いよく流す音が聞こえてきた。


 藤井は頭を抱えた。


「俺が普段、何を相手にしてるか、わかったか?」


 深く息を吐く。


「これが将軍の暮らしだ」


「給料はいいのか?」


 ダチーが尋ねる。


「いいぞ。一時間で白金貨五百枚だ」


「ドルに換算すると、いくらだ?」


「わからんな。人間の通貨を使ったことがない」


「じゃあ、俺の給料は? ここに閉じ込めるなら、せめて報酬くらい寄越せ!」


「心配するな! 二週間後には受け取れる! 政府か王家がお前を騙して、娘たちに回さなければな!」


「なんだそ――」


「次の試験へ行くぞ!」


 ――三時間目。


 部隊は邸宅の裏庭へ集まっていた。


 ダチーは、近くの池の中へ沈められている。


 藤井、灯里、光、マラチーは木陰に集まり、ルカは狼の姿のまま、庭の椅子で日光を浴びていた。


 ダチーは懸命に息を止める。


 魚が頭の周囲を泳ぎ回り、何度も顔にぶつかってきた。


(どれくらい経った? 十秒? 十五秒? 二十秒?)


 金魚。


 フグ。


 果てはカジキまでいた。


 カジキの尖った鼻先が脇腹を突き、ダチーは思わず息を吐いて、水を一口吸い込んでしまう。


 慌てて水面へ泳ごうとした。


 だが、どういうわけか――


 水が分厚いコンクリートの層のように重く、立ち上がることすらできない。


 必死に水を掻き分けて出ようとしたところへ、カジキがもう一度突っ込んできた。


 ダチーの体が、濃い灰色に染まる。


 ドォンッ。


 巨大な水柱が高々と上がり、ルカと庭の半分へ降り注いだ。


 ほかの者たちには、ぎりぎり届かない。


 ルカは水たまりの中を転げ回った。


 その一方で、飛び散った水滴のいくつかは空中に浮いたまま静止し――やがて地面へ落ちる。


 ダチーは芝生の上へ着地した。


 口に入った水を吐き出し、髪に残った水も絞り取る。


 藤井が、宙から落ちてきた水滴の一つへ触れた。


「ふむ。水属性の可能性もあるか? だが、力の色は灰色だ。とはいえ、まだ除外はできん。人間が属性を持つこと自体、一生に一度あるかどうかの異常事態だからな」


「試してみましょう」


 灯里が口を挟む。


 池の水面を蹴りつけ、大波をダチーの体へ叩きつけた。


 だが、灯里の予想に反し、水は上空へ浮かび始め――そのまま真っ直ぐダチーの顔へ落ちた。


「……今の、効いたのか?」


 藤井が咳払いをする。


「よし。水属性も候補に加えよう」


 そこで一度、言葉を切った。


「……だが、なぜ水が浮いた? 重力を操る属性など存在しない。これでは理屈が通らん」


 藤井の視線がダチーへ向けられる。


 冷たい目ではない。


 ただ、その瞳には強い好奇心が宿っていた。


 やがて、一つの疑問を口にする。


「光が見つけた異常と同じだ。……こいつは、既存の属性を持っていないんじゃないか?」


 藤井は首を振った。


「すべて考え直す必要があるな。どの候補にも綺麗には当てはまらん。外の世界で、新たな属性が生まれたのか?」


 ダチーはシャツを脱ぎ、それで顔を拭った。


「休ませてくれないか? 体の中まで探られて、背中を折られて、この池で溺れかけた。次は何だ? 飛行機から吊るすのか?」


「それは使えるな」


 藤井が頷く。


「違う! 本気で提案したんじゃない!」


 灯里が光弾をダチーの頭へ放ち、無理やり身を屈めさせた。


「シャツを着ろ」


「言えば済むだろ、お嬢さん!」


 灯里の手に、もう一発の光弾が形成される。


「黙れ。私に指図をするな。二度とだ」


「わ、わかった。悪かった」


 ――四時間目。


 ダチーとマラチーは階段に座り、その背後ではルカが干し肉を食べていた。


 ダチーが手拭いで顔を拭う。


「なんで、あんたらにはこんな無茶な訓練をさせないんだ?」


「俺たちは能力がわかってるから。灯里と光は子供の頃から、こういう訓練を徹底的に受けてきた。だから選抜試験にも通ったんだ」


「ルカはどうやって入ったの?」


 マラチーが尋ねる。


「えっ。属性を持ってたから?」


「そうじゃなくて、ルカも試験を受けたのかってこと」


「いや。十三になった年にこの国へ忍び込んだ。捕まって、孤児院へ入れられて、力を見せたら追い出されて、それから藤井が引き取った。単純な話だよ」


「それを単純って呼ぶなら、世の中の何もかも単純だよ。……でも、僕たちと少し似てるかも」


「そうだね。お前らのほうが、ずっと憎まれてるけど」


 ダチーは手拭いを脇へ置いた。


 少女二人は映像装置を流したまま、互いの手提げ鞄を交換していた。


「エネルギー属性の姫と、肉体を操る貴族か。故郷とは何もかも違うな」


「故郷には何があるの?」


「少なくとも、王族の血を引いた奴はいない。それだけは言える」


 マラチーの腹が鳴った。


「何か食べ物ない? 最後に食べてから、かなり経ってるんだけど」


「ないよ。戻ってきたあと、女子二人が全部持っていった。干し肉なら分けるけど」


「ちゃんとした食事のことだよ。僕たち、自分の家で二軍扱いじゃないか。ここを家と呼べるならだけど」


「買いに行く?」


 ダチーとマラチーの耳が、同時にぴくりと動いた。


「この家を出るってことか?」


 ダチーが聞き返す。


「そう。将軍は今日はもう上がっていいって言ってたし、あの二人はお前らがどうなろうと気にしない。街へ繰り出そう」


「あいつら、玄関のすぐそばにいるぞ」


「なら、窓から出る」


 ルカは自室へ向かい、扉横のスキャナーに手を置いた。


 扉が開き、ダチーとマラチーも立ち上がって中へ入る。


 室内は散らかり放題だった。


 緑色の寝具と壁紙。


 床一面に衣類が投げ散らされ、敷物にはいくつもの穴が開いている。大型映像装置の画面にも、何本もの引っかき傷が走っていた。


 ダチーは、窓が最初から開いていることに気づいた。


「よくここから飛び降りるのか?」


「退屈なときはね」


 ルカは室内側のスキャナーへ手を置き、三人の背後で扉を閉めた。


 衣裳部屋には、大きな籠が置かれていた。


 ルカはその中を掻き回し、フード付きの翠色の外套を三着引っ張り出す。


「これを着て。変装になるから」


「……そうか?」


 三人が支度を整えると、ルカは窓へ駆け、そのまま外へ身を躍らせた。


 下から、茂みへ突っ込む音が聞こえてくる。


「自由だ……」


 ダチーが小さく呟いた。


「でも、これで殺されないかな」


 マラチーが不安そうに言う。


「わからん。でも、出るのは数時間だけだ。気づかれないだろ」


 ダチーもルカに続き、窓の外へ飛び出した。


 マラチーは部屋を見回し、扉が閉まっていることを確かめる。


 ようやく勇気を振り絞って窓へ近づき、慎重に窓枠を跨いで外へ身を投げた。


 分厚い茂みの中へ落ちたところを、ダチーが引っ張り出してやる。


 マラチーは服についた葉を払い落とした。


「どこへ行くの、ルカ?」


 ルカが道の先を指さす。


 大小さまざまな店が並び、大勢のヴォルティアナ族が行き交う商店街が見えた。


「あそこ。飯を買って戻るだけだ」


 三人は歩き出す。


 だが、そのことを彼らは知らない。


 藤井が屋根の上から、すべてを見ていた。

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