第五話「強度解析」
「起きろ、新入り! 訓練の時間だ!」
ダチーはうめき声を上げ、腕で顔を覆った。
藤井が部屋の扉を蹴り開け、耳を塞ぎたくなるほど大きく手を叩き鳴らす。
「将軍……? いつ戻ったんだよ」
「五分くらい前だ! お前らの登録手続きを通すために、あちこち手を回してきたぞ! これで晴れて正式な部隊員だ!」
「やった。人生の夢が叶った。……で、もう寝ていいか?」
藤井はベッドへ歩み寄り、その傍らに膝をついた。
「灯里と光が訓練室で待ってるぞ。あの二人にやられっぱなしでいいのか? 見下されて腹も立たんのか? 一度くらい、どちらが上か教えてやったらどうだ」
「いや、遠慮しとく。用があるなら、俺の部屋まで来いって伝えてくれ」
ダチーは枕へ顔を埋めた。
藤井が顎を叩く。
「ほう。いつもならこれで釣れるんだがな。マラチーでさえ食いついたぞ」
それでも引かず、ダチーの背に手を置く。
触れられた瞬間、ダチーの肌を悪寒が走った。
「弟を下に置き去りにする気か? あいつを殺したがってる、美しくて強い女が二人もいる場所に。ルカは心のいい奴だが、これだけは断言できる。あの二人にかかれば、あいつでも床の染みだぞ」
ダチーが顔を上げる。
「待て。あんた、何を企んでるんだ、将軍さん」
藤井がダチーへ顔を寄せた。
「姫は俺より立場が上だ、坊主。もし万が一、あの手が……滑ったとしても、俺には表立って何もできん。世の中ってのはそういう仕組みだ、愛しの坊主よ。駆け引きに乗るか、圧力をかけられるか――二つに一つだ」
そう言って身を引く。
「下で待ってるぞ!」
藤井が部屋を出ていく。
ダチーはベッドから転がり落ち、ふらつきながら立ち上がった。
そのまま駆け足で階下へ向かい、階段の手すりを飛び越える。
訓練室の扉は、すでに開いていた。
中ではルカとマラチーが、岩を押し動かそうと必死に踏ん張っている。数メートル離れたところでは、灯里と光が、二人のものよりはるかに長い別の岩に腰掛けていた。
「なんだよ、これ。何やってんだ?」
藤井がダチーの肩へ腕を回す。
「訓練だ! 基礎体力づくりと精神鍛錬をやってる! そんなに重い訓練じゃないぞ!」
「弟が殺されるって言ったよな!?」
「殺したいと思うのと、本当に殺すのとは別物だ、相棒。その違いは、じきに嫌でもわかる。問題はな……」
藤井がさらに顔を寄せた。
「身分が上の者と関わるときは、何をするにも危険がつきまとう。俺を襲う? 自殺行為だ。だがお前ならどうだ? 俺がその場にいれば、姫を止めることはできる。だが、一人のところを姫かその友人に捕まったら? 任務の最中、お前が“なぜか”消えたら?」
「何を言ってるんだ、将軍」
「戦う相手は賢く選べ。外の敵なら始末できる。だが、内側の敵はそうはいかん。世の中は白と黒だけでできてるわけじゃない。利用するか、利用されるかだ」
藤井は背筋を伸ばした。
「覚えておけ」
ダチーはその顔を見つめ、何度か瞬きをした。
そこでようやく我に返る。
(なんで、こんなことを俺に話す……?)
藤井がダチーを訓練室へ連れ入れた。
「よし、全員注目! 最後の隊員が到着したぞ! これで本格的に始められる。そうだろう?」
マラチーが勢いよく振り返る。
「あっ、兄さん!」
ルカは欠伸をしながら、指を二本立てた。
「よお。俺より遅く来る奴がいるとは思わなかった」
「正直、来たくもなかったんだよ」
ダチーは素直に認める。
「この家で唯一いいのは、ベッドくらいだ」
灯里が岩からひらりと飛び降り、片手を腰に当ててダチーへ歩み寄ってくる。
近づく一歩ごとに、ダチーの体が強張っていった。
やがて、真正面で止まる。
「私を待たせたな」
瞳に白い光を閃かせ、ダチーの顔を至近距離から覗き込む。
「この部隊での取るに足らぬ居場所を守りたいのなら、部隊の評判も、価値も、威信も傷つけるな。わかったか」
「その人間に、そこまで理解できる知能があるとは思えないわ」
光が横から口を挟んだ。
「弟のほうには、最低限の常識くらいあるみたいだけど。虫けらにしては感心ね」
ダチーの視線が、灯里から藤井へ移る。
藤井は片目をつぶってみせた。
「……ええと、承知しました、姫殿下。二度とご迷惑をおかけしないよう努めます」
灯里は顎を上げ、ダチーを押しのけた。
「そうしろ。下賤な鼠一匹に台無しにされるために、この部隊へ入ったのではない」
灯里の背が遠ざかると、藤井がダチーへ親指を立てた。
「な?」
声を潜める。
「相手の認識を操れば、主導権はこちらのものだ。その調子でいけ!」
(母さんが言ってた“地獄”って、こういうことか)
ダチーは小さく息を吐いた。
(くだらねえ。どれだけ顔がよくても、毎日こんなふうにいびられ続けたら、たまったもんじゃない。母さんがこいつらと関わらずに済んだのだけは、よかった)
藤井が声を張り上げ、全員の注意を集めた。
「よく聞け! お前たちは皆、何らかの形で実戦を経験している! だが、戦いというものを深く理解してはいない。本能で動けるのは結構。だが、相手を読み、状況に適応する――それこそが兵士の真価だ!」
「それで、今日は何をするんです、将軍」
ルカが尋ねる。
「また野に放り出して、自力でどうにかしろって?」
「その無教養な言い方、やめてくれない、ルカ」
光がうんざりしたように言う。
「ここで育ってないのは知ってるけど、せめてこの部隊の一員らしく振る舞ってよ。まったく。品性に欠けるのは人間のほうだと思ってたのに」
「もっといい案がある」
藤井はズボンのポケットから楕円形のリモコンを取り出し、中央のボタンを押した。
床の敷石が数枚、左右に割れる。
その下から台座がせり上がってきた。
載せられているのは、ヴォルティアナ族の女性を模した機械人形。髪も瞳も淡い褐色で、両足は二本の金属製拘束具によって台座へ固定されている。
「こいつが四七七号機だ。中田将軍がS-4部隊の訓練用に造ったんだが、俺は彼女のお気に入りだからな。特別に、お前らにも使わせてもらえることになった」
「お気に入りは森野将軍じゃなかったっけ」
ルカが返した。
「細かいことは気にするな。とにかく、こいつはお前らの打撃力、速度、属性出力を測定できる。ダチー、お前の妙な属性の正体を突き止める手掛かりにもなるかもしれん。やってみるか?」
ダチーが頭を掻く。
「何をすればいいんだ?」
「少し待て」
藤井がもう一度ボタンを押した。
〈確認。打撃力測定モード〉
「さあ、全力でぶち込め。粉々に砕いて、欠片一つ残さないつもりでな!」
「壊したら高くつくんじゃないか? 弁償代まで背負う気はないぞ」
藤井は片膝をつき、腹を抱えて笑い出した。
やがて笑いすぎて咳き込み、ルカがその背中を叩いてやる。
藤井は口元の唾を拭い、リモコンを懐へ収めた。
「悪い、笑いすぎた。心配はいらん。さっさと殴れ」
ダチーは腰を落として構えた。
「わかったよ」
目を細める。
見慣れた灰色の光が全身を包み込み、両腕に鉛を流し込まれたような重みが宿った。
次の瞬間、拳が機械人形の顔面へ飛ぶ。
だが、触れた瞬間――機械人形の表面を、ホログラムの光膜が覆った。
反発した衝撃が、ダチーへ逆流する。
殴りつけた腕が肩口から弾け飛び、頭部と首の一部までもが吹き飛んだ。
マラチーが絶叫する。光は口元を覆い、顔を背けた。
灯里も一瞬だけ目を見開いたが、すぐに顔を逸らし、髪の陰へ表情を隠す。
ルカだけは肩をすくめた。
「いい一撃」
ダチーの頭部がゆっくりと再生し、続いて肩と腕も元の形を取り戻していく。
ダチーはその場に崩れ落ち、両手で自分の顔を確かめた。
「生きてる……? 俺、生きてる! なんだよ今の!? ずっと真っ暗だった! 俺、死んでたのか!?」
「首が飛ぶと面倒でな」
藤井が答える。
「前にも言っただろ。死にはしなくても、その間は隙だらけになる」
「なら、なんでこんなもの殴らせたんだ! 頭が吹っ飛んだぞ!」
「おかげで、お前の打撃力がわかった! 気楽にいけ、坊主。頭が一つなくなった程度でくたばる体じゃないだろ」
ダチーは目を細めた。
(つまり、俺を殺すには全身を消し飛ばさなきゃならないってことか?)
(でも、それなら、王妃はどうして藤井将軍なら俺を殺せると言い切った? 待て。あれ自体、嘘だった可能性もある。……この男なら、何があってもおかしくない)
その思考を、藤井の声が断ち切った。
「悪くない! 四七七号機を一歩後ろへ押したぞ! 男では初めてだ。S-4の男どもなんか、自称“アルファ”のくせに、揃いも揃って軟弱者だからな!」
機械人形の瞳が光り始める。
閃光が走り、その前にホログラムの表示が浮かんだ。
〈打撃力解析:レベル4〉
「レベル4?」
「そうだ。測定結果は全七段階。7が最高だ。属性者の大半は、3あたりで頭打ちになる」
「じゃあ、俺は平均以上ってことか」
「そんなところだ。これで候補はだいぶ消えたな。結晶、自然、形状……その辺りは違う。いや、もしかすると骨属性かもしれんぞ!」
「でも、こいつ、鎧みたいなものは何も作ってませんよ」
ルカが指摘する。
「骨格だって普通に見えるし」
「確かにな。だが、まだ候補から外すには早い。試験を重ねよう」
藤井が灯里へ手を向けた。
「どうだ。姫殿下もやってみるか?」
灯里はうんざりしたように目を天井へ向ける。
「光栄です、将軍」
機械人形が定位置へ戻った。
灯里は腰を低く落とす。
次の瞬間、淀みない一連の動きで、その胸部へ蹴りを叩き込んだ。
生じた衝撃波が全員を戸口の外まで吹き飛ばし、誰もが扉枠へしがみついて体を支える羽目になった。
「灯里ってば!」
光が叫ぶ。
「危うく死ぬところだったわよ!」
灯里は深く息を吸った。
「すまない。訓練に危険はつきものだ」
「もう! 少しは加減してくれない? 私の髪は繊細なのよ」
「大げさだ」
機械人形の瞳が点滅する。
今度の表示は、まるで違う判定を返した。
〈打撃力解析:レベル6〉
「なんで俺よりレベルが二つも上なんだよ!」
ダチーが思わず叫ぶ。
「俺なんか、体の半分が吹き飛んだんだぞ!」
そこで全員が、四七七号機が定位置から数歩ぶん後退していることに気づいた。
「抑えながら、この威力か……見事だ、灯里!」
藤井が声を上げる。
「お褒めの言葉は不要です、将軍」
灯里は鼻を鳴らした。
「私に必要なのは本物の試練です。機械相手の耐久試験など、前座にもなりません」
「野心は結構だ。だが、焦るな。野心には自制が必要だ。さもなければ、ただ混乱を招くだけになる」
灯里は答えない。
最も近い壁へ背を預け、片足で何度も床を叩いている。
光もその隣へ並んだ。
「マラチー!」
藤井が呼ぶ。
「お前の実力を見せてやれ!」
マラチーは一歩、また一歩と慎重に機械人形へ近づいていく。
その瞳が光った瞬間、驚いて足をもつれさせた。
光が笑い、灯里も口の端を上げる。
だが、その笑みは浮かんだときと同じ速さで消えた。
「ただの機械だぞ、マラチー。慌てる必要はない」
藤井が声をかける。
マラチーの腕が変形し、再び金属の姿を取った。
大振りの拳を放つが、顎を外し、肩へ命中する。
反動が金属の腕をびりびりと走った。
機械人形は微動だにしない。
だが、表示だけが更新される。
〈打撃力解析:レベル3〉
「平均だ」
藤井が告げる。
「十分立派だぞ、坊主! ただし、体の使い方はまだまだ練習が必要だな」
そして後ろを振り返った。
「光! 次はお前だ!」
「やらなきゃ駄目ですか? 私が物を殴るのは嫌いだって、ご存じでしょう、将軍! 私は繊細なんです!」
「堅いことを言うな。お前ならできる」
灯里が請け合った。
「堅いとか、そういう話じゃないわよ! ……でも、そこまで言うなら、いいわ。やればいいんでしょう!」
光は機械人形の前へ立ち、おそるおそる両拳を上げた。
そのまま前へ体を倒し、全体重を乗せて機械人形のこめかみを殴りつける。
機械人形は完璧に静止したままだった。
〈打撃力解析:レベル3〉
光が腕を組む。
「誰も笑わないでよ、いい!? 笑ったら全員、痙攣して吐きながら眠る羽目にしてやるんだから!」
ダチーがルカを横目で見た。
「あれ、本当にできるのか?」
「言ったろ。あの子は役に立つって。腕力は取り柄じゃないかもしれないけど、俺なら絶対に怒らせない」
ルカの体が強張り、自分の喉を押さえる。
「前に、あの子のクレジットカードを盗んで牛肉を買ったことがある。……その後、数か月も牛肉アレルギーにされた」
ダチーは数秒、黙り込んだ。
「……ここで『冗談だ』って言うんだよな……?」
返事はない。
「……だよな?」
光は壁へ背を預け、目を閉じたまま顎を上げている。
灯里が思わず、くすりと笑った。
「なぜ、そこまで大騒ぎする。あの人間より下の判定だったのが、そんなに気に入らな――」
光の瞳が桃色に閃いた。
同じ色に輝く片手が、ゆっくりと持ち上がる。
「何も言うなって、言ったでしょう!」
灯里が両手を上げ、わずかに身を引いた。
「わかった、落ち着け。もう終わりだ。何も言わない」
「ふん」
騒ぎが収まったところで、藤井がルカへ手を向ける。
「よし、狼小僧。お前が最後だ! 全力で決めてこい!」
緑の光とともに、ルカの姿が狼へ変わった。
四七七号機へ駆け、跳び上がる。
そして四本の脚を揃え、その胴体へ蹴り込んだ。
機械人形の上半身がほんのわずかにのけぞり、すぐ弾かれるように元の位置へ戻る。
〈打撃力解析:レベル4〉
ルカが元の姿へ戻った。
「まあ、こんなもんか」
その後、藤井は全員を一列に並ばせた。
少女二人と少年三人の間には、数メートルの距離が空けられている。
「これで全員の打撃力は把握できた。それぞれの属性に合わせた訓練へ移れる」
藤井はダチーの前まで来ると、そこで足を止めた。
「だが、お前だけは依然として正体不明だ。お前の内側に何が宿っているのか、確実に突き止めなければならん。でなければ、任務そのものを台無しにしかねない」
「けど、どうやって確かめるんだ?」
「実は、かなり簡単だ」
藤井の瞳が一度だけ、氷のような青に閃いた。
「――お前を、限界まで追い込む」




