第五十八話「古の戦」
藤井が邸の玄関前の段に座っていると、千里がこちらへ歩いてくるのが見えた。
「あんたか」
藤井が呟く。
「なぜここにいる」
「剣士、剣士、剣士……」
千里が嘲るように名を繰り返した。
「なぜ玄関の外にいるのです。……家を出たとして、あなたを逮捕することもできるのですよ」
「回りくどい話はやめろ。……あんたが命じたのは、敷地の外へ出るなということだ。庭も敷地に含まれる。……それに、あんたがなぜこんな真似をしてるのかは、互いによくわかってるだろ」
「夫として失格。父として失格。将軍としても失格」
千里が声を尖らせる。
「ですが、今のあなたなどどうでもよろしい。……退きなさい。器と話がしたいのです」
「無理だな。どこぞの男が来て、連れていった」
「何ですって?」
数分後。
法官と藤井はダチーの部屋に立ち、イオニクスが現れた場所に残る焦げ跡を見つめていた。
「では、私の聞き違いでなければ……あなたは隊を丸ごと敵に攫わせたうえ、その行方すら把握していないと?」
「あんたのせいだろ」
藤井が指摘する。
「この足首の装置に動きを鈍らされた。……あんたが正義の裁定者ごっこをして俺を縛っていなければ、こうはならなかった」
「私の責任にするなど許しません! 房へ送り返しますよ。……あるいは、それ以上の処分を下してもよいのです」
「やってみろ」
千里と藤井が睨み合う。
女の瞳が、鋭い緑色の光を帯び始めた。
だが藤井は手を振り、先に視線を外す。
「もういい。……王妃陛下に知らせなければならん。連中を捜し出すには、永遠にかかるかもしれんぞ。腕時計も装備も、追跡信号を切られている」
「ふん。私は王妃陛下のもとへ戻ります。……あなたはここに留まり、自らの罰に服していなさい」
「仰せのままに、“御婦人”」
法官が邸を出ていく。
藤井は、女が高級車へ乗り込み、急いで走り去るまで見送った。
「さて……俺も、ちょっとした反逆を始めるとするか」
藤井が足首へ目を落とす。
「で、こいつをどう壊す」
片手を氷へ変え、監視装置へ触れた。
だが、何も起きない。
「タングステンか。……くそ」
藤井が首を鳴らす。
「次の策だな」
*
ドォンッ。
雷が闘技場へ降り注ぎ、床を一部ずつ削り取っていく。
何人もの競技者が奈落へ落ち、そのたびに観客が歓声を上げた。
光の足元へ雷が落ちかけ、少女がダチーへしがみつく。
「きゃっ!」
自分が何をしたのかに気づいた途端、慌てて手を放した。
頬が赤くなっている。
「ええと……今のは無視して」
「怖がってるのは、あんたのほうじゃないか? 俺なんて『俺が器です。どうぞ狙ってください』って看板を背負って歩いてるようなもんだぞ!」
斧が光の頭上を飛び、髪を一筋だけ削ぎ落とした。
「私、こんなふざけたものに参加したことは一度もないのよ! 構造もない! 規則もない! ただの混沌じゃない!」
ダチーが光を抱き上げ、横へ跳んだ。
直後、ゴブリンの群れが酸を吐きながら二人の脇を飛び過ぎていく。
アオキだけは、その場に立ったままだった。
群れが迫ると同時に刀を抜き、ダチーの目にも捉えられない速さで翼を斬り裂いていく。
ゴブリンたちが地面へ落ち、のたうち回りながら血を吐いた。
(この女……本当に殺してないのか?)
「聞こえているわ、子供」
アオキが答える。
「ええ、殺してはいない。規則で禁じられているの。……今のところはね」
槍を掲げたドワーフの一団が、一斉にアオキへ迫る。
その周囲を取り囲み、円陣を組んだ。
アオキが目を閉じる。
ドワーフたちが動いた瞬間、少女はすべての槍を受け流し、旋風のように回転した。
目を抉り、手首を斬り落とし、腹へ深い裂傷を刻んでいく。
ドワーフたちが次々と崩れ落ちた。
ダチーと光が体勢を立て直す。
「なぜ、あんな戦い方をするの?」
光が訝った。
「あまりに洗練されていないわ! 無秩序で、滅茶苦茶! ……本当に私たちの軍の規律に従って訓練したの?」
「まあ」
ダチーが認める。
「強いのは確かだ。たぶんな。……三万人くらいの観客の前で、俺に恥をかかせたから」
アオキが、さらに襲撃者の群れをバターでも切るように斬り抜けていく。
ダチーが瞬きをした頃には、少女はすでに闘技場の反対側にいた。
ゴブリンもドワーフもオークも、次々と空へ投げ飛ばされている。
ダチーが加勢しようとした、そのときだった。
迅雷が正面へ降り立つ。
着地の衝撃で、ダチーと光がまとめて空へ吹き飛ばされた。
ダチーは地面を滑りながら体勢を立て直す。
迅雷が前へ進んでくる。
その隣には、棍を担いだ巨大なトロール。
さらに、角と戦槌を持つ、傲然とした筋骨たくましい雌のオーク。
そして――他ならぬ鋼牙その人。
「なんだよ、これは。迅雷? 鋼牙?」
「ああ、そうとも」
迅雷が喉の奥で笑う。
「万全の戦力で参ったぞ、若き子よ。……器は重要すぎる。そこらの競技者どもに任せてはおけん。……何しろウェニレが言ったのだ。貴様を脱落させた隊には、貴様の所有権が与えられるとな。……その力を発動させる秘訣も、残らず教えてくれるそうだ!」
「勘弁しろよ! 俺の助けが欲しかったんだろ! 鋼牙と知らない二人まで連れて、四人がかりで襲うのは話が違うぞ!」
「ほう? ならば、その話は貴様を叩きのめした後にしよう、小僧! ……あの狼と、技術属性の小僧はどこだ」
「知りたいだろうな」
迅雷が咳払いをした。
「ああ、礼を欠いたな。……鋼牙はすでに知っているだろう。こちらの御婦人は焔。オーク族の姫だ」
「なんだと――?」
「そして貴様は、怪物種には馴染みがなかろう。……こちらの見目麗しい阿呆は源太。怪物どもの上級隊長を務めている」
「頭目ばかり揃えて俺に差し向けたのか? なんだよ、この出来レースは? ……いや、もうどうでもいい! 俺には時間がない。まとめてぶちのめすしかないな! 悪いな、お嬢さん。それと男ども!」
「ふふ」
鋼牙が笑った。
「愉快になりそうだ。……どれほど腕を上げたか、見せてもらおう」
四人が同時に動いた。
ダチーは灰色の籠手を成し、両手を一度打ち合わせる。
迅雷たちの体が、立っていた地面へ一斉に叩きつけられた。
ただし迅雷だけは翼を広げ、寸前で空へ逃れる。
そのままダチーの腕を掴み、上空へ連れ去っていった。
周囲へ雷が降り注ぐ。
ダチーは迅雷の顔を殴って距離を開き、もう一度両手を打ち合わせた。
二人揃って床へ落下する。
ダチーが先に転がって逃れた。
迅雷が酸を吐き、その右腕を捉える。
ダチーは即座に、溶け始めた腕を自ら引き千切った。
「仕留めろ!」
迅雷が命じる。
鋼牙がダチーの背後へ現れ、大剣で押し潰そうとする。
ダチーは大剣の腹を何度も殴りつけた。
だがドワーフの司令官は揺るがず、その刃の腹でダチーの脇腹を打ち据える。
ダチーは大剣の上端を掴み、鋼牙ごと脇へ投げ飛ばした。
直後、源太の棍が頭上から振り下ろされる。
寸前で身を躱した。
源太が今度は足を上げ、ダチーを踏み潰そうとする。
ダチーは前腕を突き出し、トロールの足を押し留めた。
そこへ焔が組みつき、ダチーを地面へ押し倒す。
戦槌が、容赦なく何度も振り下ろされた。
ダチーは焔の腹を蹴り、強引に引き剥がす。
迅雷が正面へ舞い降り、四人が再び集まった。
「ふむ。……今この瞬間にも強くなっている。……我が妹と同じようにな」
「あんたの妹は、頭の狂った女だ!」
ダチーが言い放つ。
「かもしれん。だが、あの者に悪意はなかった」
「はいはい、そういうことにしとけ! ……あいつはどこだ」
「無論、いまだ貴様らの監獄の中よ。……貴様が、あの者との約束を破った後でな」
「あいつらが投獄するなんて、俺にわかるわけないだろ! 取り引きがあるって、ちゃんと伝えたんだ!」
「まあ、それはどうでもよい。……我らは間もなくあの者を解き放つ。だが、今は貴様が優先だ」
「そうかよ……」
迅雷が咆哮を上げた。
何人もの競技者が、一斉に床へ崩れ落ちる。
ダチーだけでなく、鋼牙や源太まで膝をついた。
ただ一人、焔だけが踏み留まる。
戦槌を掴み、ダチーへ投げつけた。
ダチーが真上へ拳を突き上げる。
戦槌が空へ弾き飛ばされ――
――そのまま雲の彼方へ消えていった。
「見事」
焔が評する。
「貴殿ならば、我が民へ大いに貢献するだろう。器」
「なあ、そこで話が合わなくなるんだよ、お嬢さん」
焔が拳の関節を鳴らす。
大きく体を捻り、凄まじい一撃をダチーへ叩き込んだ。
ダチーの体が吹き飛び、闘技場の壁へ激突する。
そこへ雷が落ちてきた。
ダチーは落下する前に横へ跳び、辛うじて躱す。
壁を一塊、丸ごと引き剥がした。
それを焔の頭上へ叩き落とす。
だが女は、巨大な瓦礫を受け止めて耐え切った。
「なんだよ? あんた、何でできてるんだ?」
「純粋な筋肉と骨だ」
焔が答える。
「私は折れぬ」
「そうか。なら、曲がるか試してやる!」
ダチーが空を蹴り、焔へかかる重力を引き上げた。
女が片膝をつく。
それでも立ち上がり、地面を踏み鳴らして床を砕いた。
衝撃でダチーの集中が途切れ、重力が元へ戻る。
源太がダチーへ突進してきた。
その両肩には、鋼牙と迅雷が乗っている。
三人が届く直前、光が間へ飛び込み、源太の足首へ触れた。
「治し手だ!」
鋼牙が察する。
「気をつけろ――!」
光が拳を握り込んだ。
源太が大量の血を吐き、胸を掴みながら顔から地面へ倒れ込む。
「大丈夫?」
光が訊いた。
「ああ、絶好調だよ」
ダチーが息を吐く。
「なわけあるか! この狂人どもに袋叩きにされてるんだぞ!」
「失礼ね! 心配して訊いただけでしょう!」
迅雷の放った酸の一斉射が二人の間を切り裂き、左右へ分断した。
「ヴォルティアナの貴族か」
迅雷が鼻を鳴らす。
「憐れなものだ。あの種族の中でも、最も質が悪い。……身勝手で、残忍で、下劣。……貴様が生きている一秒ごとに、我が肌が粟立つぞ、小娘」
「それは残念ね」
光が告げる。
「私は生きているのが好きなの」
迅雷が右の鉤突きを放つ。
光は小さく声を上げて後ずさり、迫る腕へ触れた。
その瞬間、迅雷の体が強張る。
皮膚が内側から弾け始め、幾本もの血管から血が噴き出した。
源太が、それ以上傷つけられる前に棍を投げつける。
だが光が手を一振りすると、トロールは激しい咳の発作に襲われた。
「あの娘は、他者の身体を操れる」
焔が見抜いた。
「決して触れさせるな」
「そのとおりだ」
鋼牙が同意する。
「触れられた時点で、すでに負けている」
焔がダチーを指した。
「迅雷、源太! 小僧をやれ! 鋼牙と私は、あの娘を仕留める!」
三人が頷く。
光がダチーのもとへ駆け寄った。
「背中合わせで戦うわよ! 引き離されないようにして!」
「へえ。可愛いところもあるんだな」
「ダチー!」
「なんだよ?」
焔が真っ先に光へ躍りかかり、源太がダチーへ棍を振り抜いた。
ダチーと光が、背中合わせのまま位置を入れ替える。
ダチーが焔の額を殴り抜き、光は源太が棍を振り切る前にその体へ触れた。
トロールが倒れ込み、そのまま焔の上へ落ちる。
迅雷が二人の頭上へ浮かび、咆哮を放とうと息を吸った。
だが光が先に手を下へ払う。
迅雷は声を失い、自らの喉を掴んだ。
鋼牙の大剣が空を引き裂き、光とダチーをまとめて打ち据える。
二人は地面を転がった。
その足場へ、新たな雷が落ちる。
「まずい!」
ダチーが光の腕を掴み、安全な足場へ放り投げた。
だが自分は床から滑り落ち、辛うじて縁を掴む。
光が身を乗り出し、その腕を掴んだ。
そこへ迅雷が、さらに酸を浴びせる。
酸が光の両肩を喰い進み、その握力を奪っていった。
それでも少女は歯を食い縛り、全力でダチーを引き上げる。
まさにその瞬間、源太が頭から突進してきた。
ダチーは籠手を突き出し、正面から押し返す。
その隙を突き、焔が光の顔面を殴りつけた。
光は倒れず、その背へ飛び乗る。
両手を焔の鼻へ重ねた。
オークが大量の血を吐き――
――直後、光を振り落とした。
「こんなの、いつまでも続けられないわ!」
光がダチーへ叫ぶ。
「全員強すぎる! このままでは押し切られる!」
迅雷、鋼牙、源太がダチーを包囲し、立て続けに攻撃を浴びせていた。
ダチーは籠手で打撃の大半を防ぐ。
だが、幾つもの拳と武器が守りを抜け、その体へ届き始めた。
「ダチー! 待って、今行くわ!」
光が焔から離れ、助けに向かおうとする。
だが焔が体を捻り、その脇腹を蹴り抜いた。
光が間合いの外まで吹き飛ばされる。
三人がなおもダチーへ圧力をかけ続ける中――
強烈な衝撃波が炸裂した。
迅雷たちが、まとめて後方へ吹き飛ばされる。
その力は、周囲の競技者までも床へ崩れ落ちさせた。
最上段にいたウェニレさえ、その光景に動きを止める。
『あら……』
ダチーがゆっくりと立ち上がった。
その両目が、黒く染まっている。
「兎が銃を持ったら、狩る側はもう笑ってられないだろ」
*
マラチーが目を覚ましたのは、大きな房の中だった。
厚いタングステン製の拘束具によって、壁へ繋がれている。
周囲を見回す。
煉瓦の壁と鉄格子以外には、何もなかった。
やがて、房の扉が開く。
「マラチー・ジョーンズ」
マラチーが身を起こした。
「あなた! 誰なんですか! 兄さんはどこです!」
イオニクスが房へ踏み入り、少年の前にそびえ立つ。
罅割れた体から、雷光が絶えず明滅していた。
「俺は……イオニクスと呼ばれている」
その胸に、光の線が数字を描く。
〈序列:第九位〉
「手荒な真似をして悪かった。……だが、交渉では通じぬことが明白だったのでな。お前が真実を見るまでは」
「何を見るんです? どうして僕はここにいるんですか」
「初めは、お前を餌として使うつもりだった。……だがアルテルナから、お前が造ったものについて聞かされてな。すべてが変わった」
「それで何です? 僕はあなたたちの駒ですか?」
イオニクスが、マラチーの向かいへ腰を下ろす。
「否。それより遥かに大きな存在だ。……後援者の身分を得る気はないか。黒曜の団へ加わるのだ」
「黒曜の団……? でも、僕はもう部隊に所属しています! 兄と一緒に!」
「ああ、そうだったな。……あの兄は相変わらず頑固だ。……だが構わん。真実を見せれば、お前からあれへ伝えられる」
「伝える……?」
イオニクスが立ち上がった。
「主よ、どうかその力をお貸しいただきたい」
部屋全体が激しく揺れ始めた。
壁から煉瓦が崩れ、次々と床へ落ちていく。
イオニクスがマラチーへ手を掲げる。
だが、その一撃が砕いたのは少年ではない。
マラチーを壁へ繋いでいた、タングステンの鎖だった。
二人の前に、緑色の門が形を成す。
イオニクスがマラチーの腕を取り、立ち上がらせた。
「ついてこい。……古の戦を見せてやろう」




