第五十六話「雷神闘技場」
「ダチー! ダチー! ダチー!」
ダチーは周囲を見回した。
ゴブリン。ドワーフ。そして、見たこともない種族の生き物たち。
そのすべてが観客席を埋め尽くし、一斉に自分の名を叫んでいる。
闘技場の照明が頭上に並び、そのさらに上には、彼方を覆い隠す灰黒色の空が広がっていた。
そして正面には――
「あなたね」
少女が呟いた。
「なんであんたがここにいるんだ? ……いや、そんなことはどうでもいい! 弟はどこだ? 俺の隊の残りは? ……今すぐここを出ないといけないんだ!」
告知の声が、その言葉を遮った。
『さあ、予選最後の一戦です! ダチー対――アオキ!』
アオキが目を閉じたまま、刃を掲げる。
『試合開始!』
「なんだよ、これ」
ダチーが声を上げた。
「そんな暇はないんだ! あんたらの遊びに付き合う気は――」
ヒュンッ。
反応する間もなかった。
アオキがダチーの脇を切り裂くように駆け抜け、その両腕と首の一部が遅れて宙を舞った。
少女が振り返る。
「ふうん」
地面へ転がったダチーの両腕には、灰色の籠手が嵌まっていた。
「胸を狙ったのだけれど。……速いのね」
「おい、ふざけんな! なんなんだよ、あんたは!」
アオキの刃が、ダチーの心臓へ迫る。
だが両腕はすでに生え直していた。
ダチーは再び籠手を成し、その拳をアオキの腹へ叩き込む。
アオキが血を吐いた。
「あっ、悪い! そこまでやるつもりじゃ――!」
少女が体を捻り、ダチーの顔面を蹴り抜いた。
ダチーが地面へ叩きつけられる。
唸りながら身を起こした。
「おい、やめろ! こんなことをしてる暇はないって言っただろ!」
アオキが唇の血を拭う。
その瞳が赤く閃いた。
ダチーが拳を上げた瞬間、少女は背後へ回り込み、後ろから首を斬り落とそうとする。
ダチーは身を屈め、両手を打ち合わせた。
重力に弾かれ、アオキの体が空へ吹き飛ぶ。
少女は刀を壁へ突き立てると、それを支点に壁面へ着地し、そのまま駆け始めた。
ダチーの目でも追い切れない速さで。
(本気か? 藤井と同じくらい速い! ……けど、属性はどうした? なんで一つも使ってこない?)
アオキが壁を蹴り、その刃をダチーの目へ突き出す。
ダチーは籠手で受け止め、銃を抜いて撃ち返した。
アオキは最初のプラズマ弾を跳び越え、残りを刀で次々と逸らしていく。
そしてダチーの見ている前で、三枚の札を掲げた。
「――札魔法・赤札」
(魔法? この女、属性を持ってないのか? ……だったら、なんでこんなに速いんだ?)
アオキが赤い札をダチーの胸へ投げつける。
「爆ぜろ!」
札が爆発する寸前、ダチーはそれを空へ殴り飛ばし、その勢いでアオキを押し戻した。
だが少女は両脚をダチーの首へ巻きつけ、そのまま地面へ投げ落とす。
上から刀を突き立てようとしたところで、ダチーがその腕を掴み、壁へ投げつけた。
壁面に大きな亀裂が走る。
アオキが地面へ崩れ落ちた。
頭から血が溢れ出している。
少女は傷口へ指先で触れ、そこについた血をじっと見つめた。
ダチーは拳を上げたまま叫ぶ。
「もうやめろ! こんな戦いには何の意味もない! ……ここがどこで、弟がどこへ連れていかれたのか教えてくれ!」
アオキが笑みを浮かべた。
ダチーの背筋を冷たくするような笑みだった。
「それでいいわ!」
「やべ――!」
一薙ぎで、ダチーの首が落ちる。
首から上が再生しかけた視界に、螺旋を描きながら胸へ迫る刃が映った。
ダチーが両手で刀身を受け止める。
アオキの手に、青い札が現れた。
「――札魔法・青札。帳」
札が床へ落ちた途端、青い煙が闘技場を満たし、ダチーの視界を覆い尽くした。
アオキが背後から忍び寄る。
ダチーは横へ跳んで刃を躱し、そのまま二人は煙の中で激しく打ち合い始めた。
灰色の籠手と鋼の刀が擦れ合う。
ダチーが拳を放つたび、アオキが正確に軌道を逸らしていく。
やがて煙が散った。
『器が押されています! ここから流れを変えられるでしょうか!』
観客が咆哮を上げる。
ダチーの拳がアオキの顎を僅かに外れ、その代わりに少女の刃が口を貫いた。
ダチーは刀を口から引き抜き、そのまま奪い取ると、柄頭をアオキの胴へ叩き込む。
少女は刀身へ噛みつき、奪われた刃をその場へ固定した。
「本気かよ? ……藤井の言ったとおりだ。あんた、まともじゃない!」
その名を聞いた瞬間、アオキの動きが止まる。
ダチーは隙を逃さず、肩から体当たりを浴びせた。
少女が倒れながら、刀を握り締める。
ダチーには跳び退く暇もなかった。
アオキが地面すれすれで円を描くように回転し、その刃がダチーの両脚を刈り取った。
ダチーが背中から倒れる。
両脚が再生した瞬間には、すでにアオキの切っ先が胸へ突きつけられていた。
『勝者が決まりました!』
告知の声が響き渡る。
『副将軍・天讃アオキが、ダチー・ジョーンズを打ち破りました!』
「どういう意味だ? おい、俺はまだ五体満足だぞ!」
「もう一度、よく見なさい」
アオキが呟く。
少女が刃を鞘へ収めた途端、ダチーの両腕と両脚が一斉に落ちた。
もう一度、背中から地面へ倒れ込む。
観客が激しい野次と嘲笑を浴びせた。
だがアオキが一度顔を上げただけで、そのすべてが静まり返る。
ダチーは手足を再生させて立ち上がり、荒い息を繰り返した。
アオキがその姿を値踏みするように眺めていると、近くから拍手が聞こえてきた。
「お見事、お見事です!」
漆黒の肌と、長い緑髪、そして同じ色の瞳を持つ長身の女が、踵を鳴らしながら歩いてくる。
手には拡声器が握られていた。
「実に素晴らしい見世物でした。……これまでアオキに一撃でも当てられた挑戦者は、あなたただ一人ですよ!」
アオキが歯を食い縛る。
「あんたは誰だ」
ダチーが訊いた。
「我が名はウェニレ」
女が答える。
「黒曜の団の後援者にして、この雷神闘技場の興行主です」
そして、意外なほど恭しく一礼した。
「何か御質問はございますか、器。……喜んでお答えいたしますよ」
「ああ、問いなら山ほどある。……まず、ここは何なんだ。なんで俺はここにいる。……それから、なんでこのイカれた女は俺を殺そうとしてる」
アオキが刀の柄へ手を置いた。
「口の利き方に気をつけなさい。……今でも私はあなたの上官よ。その立場を使わないと思わないことね」
「上官も何もあるか! あんた、一体何者なんだよ!」
ウェニレが喉の奥で笑う。
「この方は、雷神闘技場の現王者です。……そして、こここそが雷神闘技場。……我らの故郷との境界に位置し、核によって稼働しております」
「核ってのは何だ」
「我らの民が……これ以上戦うことはできないと見なされたとき、最後に行き着く場所です」
「つまり、死ぬってことだろ」
「厳密には異なります。……ですが、今は講釈の時間ではありません。歓迎の宴の時間です! さあ、宿舎へ御案内いたしましょう」
「駄目だ、駄目、駄目! 俺はあんたらのくだらない遊びに付き合うために来たんじゃない! ……弟がここへ引きずり込まれたんだ。返してくれ」
「時が来れば、時が来れば――」
「今すぐ返せ」
ウェニレが息を吐いた。
「そのためには、イオニクスをお捜しいただくしかありません。……あの方こそ、雷神闘技場の監督者です」
「わかった。で、そいつはどこにいる」
ウェニレが地面を指した。
「地下におられます。……雷神大会の第二段階へ進むまでは、辿り着くことができません。……そこへ至ることが、あなたの脱出する唯一の道です」
「なんだよ、その狂った仕組みは! ……そいつをここへ連れてきて、弟を返せって言えばいいだろ!」
「規則は規則です、我が愛しの器。……それに、そう早くお帰りいただきたくもありません。……あなたは我らにとって、最も価値ある客人なのですから」
「ああ、そうか。罠だな。……俺をそっち側へ引き込むための罠なんだろ? そうはいかないぞ!」
「あら、まさか。……我らはただ、あなたに何ができるのかを真に見極めたいだけ。……そして、我らの……環境を味わっていただきたいだけです。……勝てば、弟君をお返しします! 敗れれば、次回の大会にも御参加いただくことになりますが」
ダチーが目を細めた。
「で、その大会はどういう仕組みなんだ」
「単純です。……全四回戦を勝ち抜けば、総合優勝となります。……最初の三回戦は、この地上で行われます。……そして最終戦の舞台は地下。そこでイオニクスが直々に、あなたの戦いを見届けます」
「はいはい、そういう説明はいいから、次の段階への行き方を教えてくれ。さっさとここから出たいんだ」
「辛抱、辛抱です! ……順を追って勝ち上がっていただかなくてはなりません。まずは組へ加わってください。四人一組です。……そして残念ながら、予選でアオキに敗れたあなたの所属先を決める権利は、この方にあります」
「ふざけるな」
アオキが腕を組んだ。
「私と組む。当然でしょう」
「駄目だ。駄目、駄目、駄目。……俺を殺そうとした女と組む気はない」
「殺す気があったなら、あなたはもう死んでいるわ」
「実に安心する言葉だな。……前にもあんたを見た。あんたは道徳も常識もない、狂った大量殺人者だ」
アオキが声を上げて笑い出した。
「そう思っているの?」
「今、そう言っただろ」
少女が刃を抜き、ダチーの首筋へ当てる。
「言ってみなさい。ほかには私をどう思っているの。……一滴残らず聞かせてもらうわ」
「ええと……」
ウェニレが両手を打ち合わせた。
「おめでとうございます、ダチー! あなたは今からアオキ隊の一員です! 何か御質問は?」
「頼むから、別の組に代えてくれ……」
アオキが首筋から刃を離した。
「代わりなどない。……私はあなたの副将軍よ。だから、私の命令が優先される」
ウェニレは抗議を続けるダチーとアオキを伴い、闘技場の外へ向かった。
入場門が開く。
その先には、闘技場を取り囲むように広がる、古風な街並みがあった。
ゴブリンやドワーフをはじめ、様々な種族が通りを行き交っている。
巨大な城壁が街を囲み、この一帯を外界から隔てていた。
「雷神市へようこそ!」
ダチーが市門をくぐった途端、何人ものゴブリンとドワーフが駆け寄ってきた。
「あんたがそうなのか! 話に聞いた御方だ!」
「器! 最強の属性者!」
「俺たちをここから解放してくれ!」
「ええと……」
ダチーが戸惑う。
「どうも?」
ウェニレが一度手を叩くと、集まっていた者たちは一斉に逃げ去った。
ダチーが女へ向き直る。
「あんたら、あいつらをここへ閉じ込めてるのか?」
「申し上げたでしょう。勝たぬ限り、ここから出ることはできません。……外の嵐が、あなたの体を跡形もなく消し飛ばします。……イオニクスの加護がない限りは」
「けど、俺は再生できる」
「心臓までは再生できません」
遠くで雷鳴が轟いた。
城壁の向こうで荒れ狂う雷嵐が、山の一つを粉々に砕く。
ダチーは、その光景を黙って見つめた。
「覚えとくよ」
そして短く答える。
「じゃあ急いでくれ。宿舎に行く。試合に出る。それから俺は帰る」
「随分とお急ぎですね。……アオキ、我らの客人を滞在先へ御案内していただけますか」
「あなたの喉へ、刃を案内して差し上げたいところね」
アオキが唸った。
ウェニレが不穏な笑みを浮かべる。
「イオニクスがお喜びにならないでしょうね? ……良い子にして、ダチーを寝所へお連れなさい。……お忘れなく。ここで唯一のヴォルティアナ族は、あなたなのですよ」
ウェニレが立ち去ろうと身を翻した。
「ああ、それとダチー。……ほかにも御質問があれば、闘技場の事務所へお越しください。……いつでも遠慮なくどうぞ!」
アオキとダチーは、その背が遠ざかるのを見送った。
「動きなさい」
アオキが命じる。
「私が何かを刺したくなる前に」
「なんだったんだ、今の。……あの女、あんたに犬みたいな首輪でもつけてるのか?」
「私の首にはついていないわ。……つけようとしたら殺すもの」
「え?」
「どうでもいい。歩きなさい。私の家はここから遠くない」
ダチーは、その後ろを歩き始めた。
通りの者たちが、揃って二人へ視線を向けている。
だがアオキの姿に気づいた瞬間、それぞれの家へ飛び込んで隠れてしまった。
ダチーは、遥か遠くへ新たな雷が落ちるのを眺めた。
(マラチー……どこにいるんだよ)
やがてアオキが、ぽつんと建つ二階建ての家の前で足を止めた。
懐から鍵を取り出し、扉を開ける。
「入って」
少女が中へ踏み入り、ダチーも後に続いた。
家の中は埃っぽかった。
居間には長椅子が一脚。
その奥に小さな台所があり、狭い廊下には二つの扉が並んでいる。
階段は二階へ続いていた。
中へ入った途端、ダチーが咳き込む。
「おい、掃除くらいしないのか?」
「嫌なら泊まらなくて結構よ」
アオキが答えた。
「なあ」
ダチーが切り出す。
「S-1のほとんどが、この地獄みたいな場所へ引きずり込まれたんだ。俺の弟も含めてな。……あんたが隠し事をしてる時間が長いほど、俺たちがここに縛られる時間も長くなる」
「私はもう何年もここにいる」
アオキが告げる。
「私にとっては、どうでもいいことよ。……重要なのは、あなた」
刀の切っ先をダチーへ向けた。
「あなたは何者なの。……なぜ私は、あのときあなたを見たの」
「俺? 俺はただの普通の子供だよ。……あの時間が繰り返された件なら、俺が引き起こしたんじゃない。あの王がやったんだ」
「時間が……繰り返された?」
「けど、あんたがやったことは見た! あの女王を殺して、テロリストみたいに暴れてた! ……藤井があんたをここへ閉じ込めたのは、それが理由なのか?」
アオキの眼差しが硬くなる。
「何も知らないくせに、よくそこまで語れるものね。……まあ、当然か。……今この瞬間も、藤井は私の悪口を言っているのでしょう。……それで、あの男はまだ生きているの?」
「ああ、生きてるけど? なんで死んでると思ったんだ?」
少女が首を振った。
「なんでもない。……今は試合に勝つことだけを考えなさい。……あなたがあの者たちの手に落ちれば、私の民は滅びる」
アオキが腰に手を当て、ダチーへ顔を近づけた。
「つまり、あなたは私の言うとおりにする。わかった?」
「なあ、俺を刺そうとしないなら、今のところは何とかやっていけるだろ」
「私は質問に答えろと言ったの」
「ああ、はいはい。わかったよ」
アオキが自分の住まいを見回す。
「私には隊員がいない。……だから、二人だけで勝ち抜くしかないわね」
「二人? 正気か? S-1の誰かを見つければいいだろ! なんでわざわざ不利な形で出るんだ!」
「残りの二枠も私が務めるのよ、間抜け。……あなたの弱い仲間など必要ない」
「弱い? いや、あいつらはけっこうやるぞ。……特にあの姫と、それにルカと――」
アオキが刀を居間の椅子へ置いた。
「聞いていない。……それほど欲しいのなら、自分で捜しに行きなさい」
まさにそのとき、扉を叩く音がした。
アオキが即座に刀を取り上げる。
だがダチーは、すでに扉を勢いよく開けていた。
「やっと来たか、お嬢さん! 弟のところへ連れていって――」
だが、その向こうに立っていたのはウェニレではなかった。
「……光?」




