第五十三話「法官・有栖川千里」
――飛鳥区――
数日後。
S-3の装甲指揮車と数十台の車両が街路を進む中、その帰還を迎えた住民たちが拍手を送っていた。
やがて車列は裁判所へ辿り着き、正面の広場へ次々と停車する。
装甲指揮車の扉が開き、森野と中田が先に降り立った。
「あの書類やら何やらを全部片づけるのは、えらい難儀だったな」
森野が漏らす。
「後始末については、言うまでもない」
「ですが、それだけの価値はありました」
中田が答えた。
「我々には住民へ償う責任があります。……そして今、飛鳥の惨事を引き起こした真の下手人を連れ帰ることができた」
「あの坊主は心根が優しい。……だが、あれほど危険な者を自由に行動させるのは、上層部にとって現実的な脅威だ。……誰か一人でも傷つくか、それ以上のことが起きれば、儂らも揃って藤井の後を追うことになるぞ」
「ならば、あの女に取り引きを守らせるまでです。……こちらから襲う理由を与えなければよい」
さらに兵士たちが車両から降りてくる。
続いて亜斗夢、西山、ルカ。
最後にマラチー、ダチー、アルテルナが姿を現した。
「ああ、飛鳥」
アルテルナが街並みを眺める。
「初めて訪れたときと変わらず、美しい場所ですこと」
「観光に来たんじゃない」
ルカが告げた。
「中へ入って、用を済ませて、出る。それだけだ。……それとも、自分がここで何人殺したのか忘れた?」
「後悔はしておりません」
「だろうね」
アルテルナが隣のダチーへ目を向ける。
ダチーは逃げられないよう、その腕を片手で掴んでいた。
「それで、あなたはどう感じていますか。……正直なところ、あなたが本当に取り引きを守るとは思っておりませんでした」
「まあ、あんたらにこれ以上有利な材料を渡すのは気に入らないな。……あんたは金庫へ入って、欲しいものを手に入れた。……そのうえ俺は、全部済んだら、あんたが歩いて出ていくところを見届けないといけない」
「あなたが約束したことです。断る道もありましたよ」
「断れないんだよ。……たとえ沙織に憎まれても、藤井がやってないことで、あいつに藤井を憎み続けさせるわけにはいかない」
マラチーが二人の間へ踏み込んだ。
「どうして、あんなことをしたんですか、アルテルナさん。……全面的な虐殺を望んでいないのに、なぜヌルスとオシックスへ協力したんです?」
「理想が異なるからといって、目的まで異なるとは限らないからです。……私の望みを果たすには、この国を弱体化させる必要がある。……何しろ、器があの者たちの側につけば、この国は無敵となってしまいますから」
アルテルナが歯を噛み締める。
「そして、あの者たちには、この方を手放す意図など微塵もない」
「手放す気など、あってたまるか」
明が装甲指揮車から降りてきた。
その両脇を修と梅子の衛兵たちが固めている。
「お前ら後援者どもは、自分たちも俺たちと同じくらい混乱を撒き散らしておきながら、さも自分だけが正しく、潔白であるかのように振る舞う」
「私は一度もそのようなことを申しておりません。勝手に言葉を押しつけないでください」
「その態度が言ってるんだよ。……俺を相手に妙な心理戦を仕掛けるな。……さっさと中へ入って、時が来たら証言しろ」
「私に命令しないでいただきたい」
アルテルナは明へ背を向け、裁判所へ入っていった。
数十人の梅子の衛兵が、その後へ続く。
明が周囲の街並みを見回した。
「まったく。飛鳥は以前と違って見えるな。……襲撃で変わったのか、それとも人の心が変わっただけか」
「おそらく、その両方かと」
修が答える。
「後援者という新たな脅威が現れ、誰もが張り詰めております。……気軽に打ち倒せる相手ではありません」
明がダチーを脇へ引き寄せた。
「前にも言ったが、これは何の代償もなく済む話じゃない。……あの女とそんな取り引きを結べば、お前は多くの信頼を失うことになるぞ」
「ああ、わかってるよ。……けど、どっちを選んでも悪くなるなら、せめて何か一つは取り返しておくべきだろ」
「無謀な考えだな。嫌いじゃない」
一行が裁判所へ入る。
法廷では、すでに大勢の関係者が席についていた。
アルテルナが足を踏み入れた瞬間、裁判所の衛兵たちが一斉に小銃を向ける。
「後援者だ!」
「早く撃て!」
明が片手を上げ、制止した。
「待て。この女は器に招かれてここへ来た」
「何ですと?」
衛兵たちの視線がダチーへ集まる。
ダチーが頷いた。
「ああ。この人は弁護に必要なんだ。だから……まあ、今は生きててもらわないと困る」
衛兵たちが互いに顔を見合わせた。
そこへ聞き慣れた声が割って入る。
「止まれ。ここは私が引き受ける」
ダチーが顔を上げた。
灯里が法廷を横切り、少年たちの正面へ歩いてくる。
「ようやく戻ったな! 私がどれほど心配したか、わかっていなかったのか!」
灯里が即座にダチーの襟首を掴んだ。
「それから、二度と私との通信を勝手に切るな。わかったか」
「あ、ああ! わかった! ……だから離してくれ、お嬢さん!」
灯里が手を放し、今度はアルテルナを睨みつける。
「これは誰だ。なぜここにいる。……そして、なぜ私が今この場で斬り捨ててはならない」
「あの後援者だよ」
ルカが説明した。
「飛鳥の事件を丸ごと引き起こした張本人」
灯里の瞳が光り始める。
「こいつが……何だと?」
「あら、あら」
アルテルナが嘲るように笑った。
「あなたは私に手を上げてはならないのですよ。……ダチーと私の間には取り引きがある。……そちらが破るのなら、私も自分の務めを果たしません」
「誰に向かってその口を――」
「藤井を助けられる情報を持ってるんだ」
ダチーが遮る。
「現場に残された偽装の遺伝情報も、この人の能力によるものだった。……こいつが証言すれば、藤井は罪を免れる!」
「否。免れん」
「『免れん』って、どういう意味だよ」
「藤井はすでに、後援者について事前の知識があったことを認めている。……殺人容疑が晴れたとしても、国家にとって重要な情報を隠していた責任は問われる。……そしてお前は今、後援者だと知りながら、別の一人を飛鳥へ連れ込んだ」
「まあ、それは別件だろ。後で何とかしてくれ。……それで、この人の助けが要るのか、要らないのか」
「……よかろう」
灯里がアルテルナの顔の真正面まで迫った。
「何か一つでも企めば、私がお前を終わらせる。……どのような言い訳があろうと関係ない」
「お好きなように、姫殿下」
灯里は数歩離れた場所に留まる亜斗夢の姿に気づいた。
冷たい眼差しを向ける。
亜斗夢も同じ目で睨み返した。
灯里は何も言わずに身を翻し、法廷の奥へ歩いていく。
裁定者の席は、まだ空だった。
明、修、森野、中田が傍聴席へつき、灯里、ダチー、ルカ、マラチー、アルテルナは衛兵に導かれて奥の廊下へ向かった。
*
光と沙織は、奥の廊下にある尋問室の前で待っていた。
少年たちの姿を見つけた瞬間、沙織の顔が明るくなる。
「帰ってきた!」
光の顔も僅かに赤くなり、すぐにそっぽを向いた。
「そうね。……ええと、戻ってきたわね」
沙織が一行へ駆け寄る。
だがアルテルナの姿を見た途端、足を止めた。
「だ、誰ですか、この人」
「アルテルナだ」
ダチーが答える。
「藤井のために証言しに来た」
「なぜ?」
少年たちは揃って顔を見合わせた。
「まあ……」
マラチーが一歩下がる。
「そこは兄さんたちに任せるよ! 僕はこの辺にいるから」
ルカが片手で顔を覆った。
「そのまま話せばいいだろ。……真実を伏せたところで、後からもっと深く傷つくだけだ」
「狼の言うとおりですね」
アルテルナが言う。
「もっとも、私はこの娘に同情など一滴も感じておりませんが」
「黙ってろ」
ダチーが命じた。
「その……沙織。……端的に言うと、あんたの母親を傷つけたのは、この人だ」
沙織と光の目が大きく見開かれた。
「え? でも、オシックスが――!」
光の声が途切れる。
次の瞬間、沙織の手から虹色の光条が放たれた。
アルテルナは僅かに身をずらし、それを難なく躱す。
「感情的な子供ですこと」
ダチーが二人の間へ腕を出した。
「待て、やめろ!」
沙織がその手を激しく振り払う。
「どうして、この人をここへ連れてきたんですか! いつから知っていたんです! 私に隠していたんですか!」
アルテルナが指を鳴らした。
その姿が藤井と瓜二つに変わり、手の中には氷の刀まで形成される。
沙織がもう一条の光を放つ。
アルテルナが刀を振り、その軌道を逸らした。
虹色の光条が法廷の屋根を貫き、破片が廊下へ降り注ぐ。
物音を聞きつけた衛兵たちが、小銃を構えて駆け込んできた。
だが灯里が片手を突き出す。
「止まれ。事情は複雑だ」
アルテルナが元の姿へ戻った。
「およしなさい。あなた方は本当に大袈裟ですね。……私は自分の取り引きを果たしに来たのですよ。……なぜ揃って私へ武器を向けるのです」
「あなたは母上を殺しかけたのよ!」
沙織が声を震わせた。
「慰めになるのでしたら申し上げますが、あれは上役から求められたために実行しただけです」
アルテルナが淡々と告げる。
「あれほど価値の高い貴族を襲えば、S-1の将軍を確実に閉じ込め、ダチーの部隊を混乱に陥れられますから」
「この畜生が……」
灯里が唸った。
「あら?」
沙織の目から涙が零れ始める。
光がその肩を抱き寄せた。
「それで何なの? 私たちの将軍の運命が、頭のおかしい後援者の変身屋一人に懸かっているというの?」
「まあ」
アルテルナが答える。
「私と『機能する関係』を保つことは、あなた方全員の利益に適うはずですよ。……何しろ私は、あなた方を地上から完全に拭い去ることを望んでいない、黒曜の団で唯一の者ですから」
沙織が涙を拭った。
「私には無理です」
ダチーが手を伸ばす。
だが沙織はその手から身を引いた。
「どうしても……無理です」
少女は身を翻し、廊下の向こうへ駆け去った。
「まあ、当然だよな」
ダチーが呟く。
「あいつの信頼は、たぶん失った」
「これからどうするの?」
マラチーが訊く。
「ここまで来て、今さら歩いて帰るわけにもいかない。……もうアルテルナさんはここにいるんだから」
「残念ながら、そのとおりだ」
灯里が鼻を鳴らした。
「この女を尋問室へ入れろ。……藤井と面と向かって会わせたとき、どう振る舞うか見てやる」
灯里が扉を開ける。
手枷を嵌められた藤井が、卓の前へ座りながら低く鼻歌を漏らしていた。
「おお!」
藤井が一行へ目を向ける。
「お前たち! 何か策はあるのか? それとも、出たとこ勝負か?」
そしてアルテルナに気づき、動きを止めた。
「……雨か?」
アルテルナが部屋へ足を踏み入れる。
その表情は少しも変わらなかった。
「剣士」
女は藤井の隣へ腰を下ろした。
「この女を知っているのですか」
灯里が問う。
直後、自分で眉を顰める。
「私は何を言っている。当然、知っているに決まっているな」
「まあ……何度か行き合ったことがある、という程度だ」
「行き合った?」
アルテルナが口を挟む。
「数世紀にわたって積み重ねてきた過去を、その一言で片づけるのですか。……実に可笑しなこと。……自らの国に背かれ、今やあなたは鎖に繋がれて座っている」
藤井が卓を指先で叩いた。
「それはあんたの行いのせいだろう、お嬢さん。……だが、そういう遊びがしたいなら、いくらでも付き合うぞ」
「馬鹿なことを。私はあなたを助けに来たのです」
「なら助けろ」
灯里が要求した。
「我らの手札は少ない。……能力を見せるなり、証言するなり、必要なことを何でもやれ」
「でも、案件の残りも片づけないと」
マラチーが指摘する。
「誰も殺していないと証明できても、反逆罪か何かで有罪にされる可能性は残ってる」
「その橋は、辿り着いたときに渡る」
灯里が答えた。
「まずは殺人容疑を片づける。……この女は、自ら罪を認めるつもりがあるのか」
アルテルナが首を振る。
「まったくありません。ダチーが私へ法的免責を約束しました」
「こいつに、そのような約束ができるはずがないだろう! 何をしている、ダチー!」
ダチーが息を吐いた。
「なあ、切羽詰まってたんだよ」
「お前は一体どうなっている!」
「なんだよ? ここまで来て、尻尾を巻いて帰りたいのか? ならご自由に!」
「気に入らないけれど」
光が口を挟んだ。
「ダチーの言葉にも一理あるわ。……それに、今ここで争ったところで、死ぬ人が増えるだけよ」
アルテルナが藤井へ向き直る。
「あなたの部隊は、いつもこのように動くのですか」
「だいたいはな」
藤井が呻く。
「そのうち慣れる」
マラチーが咳払いをした。
「ねえ、みんな。そろそろ案件を分解し始めない? 相手の筋書きを覆せる、こっちの筋道が要るんだ」
「『藤井は有罪』という、誰にでも辿り着ける結論以外にってこと?」
ルカが訊いた。
「そう。使えるものは全部使わないと。監視映像、位置情報の記録、襲撃時に藤井が現場へいなかったと証明できるものなら何でも」
「だが、法官がそのすべてを消していたらどうする」
灯里が返す。
「執行官はすでに一度、証拠を消す手助けをしている。……必要なら、また同じことをするぞ」
「僕の系統なら、消された記録を引き出せるかもしれない。……審理はいつ始まるの?」
「三十分後だ」
「法官を打ち破るには、それ以上のものが要るぞ」
藤井が警告する。
「遥かに多くのものがな」
そしてアルテルナへ意識を向けた。
「それに、俺を助けるのはあんたにとっても危険だ。……法官に逮捕されたら、どうやってここから出るつもりだ?」
「手立てはあります」
アルテルナが静かに答える。
「ですが、あなた方はそれを目にしたくないでしょう」
「まあ、そこまでの事態にはならんさ。……何にせよ、助力には感謝する」
「そうですか。私は無償では動きませんよ」
灯里が自分の隊へ向き直った。
「手元にあるものをすべて集めろ。……この案件は、我らの生涯で最大の難関となる」
その瞬間、警笛が鳴り響いた。
灯里が思わず肩を跳ねさせる。
「なんだ――?」
大きな声が、裁判所全体へ響き渡った。
「注目! すべての関係者は、直ちに法廷へお集まりください! 法官が御到着されました!」
「早く来たのか?」
マラチーが目を見開く。
「俺に公正な審理を受けさせないためなら、何でもやるわけだ」
藤井が嘆く。
「動くぞ、諸君」
衛兵たちが藤井を立たせ、その後ろにダチーたちを連れて尋問室を出た。
廊下を進む途中、ダチーは角の陰からこちらを見つめている沙織の姿に気づいた。
(まったく……)
(悪かったって伝えたいけどな。……今は、俺の言葉なんて何一つ聞きたくないんだろう)
それでもダチーは片手を上げ、沙織へ振ってみせた。
だが少女が振り返すことはなかった。
一行が法廷へ入る。
衛兵たちが藤井とその弁護側を、一方の卓へ案内した。
向かい側の卓には、白い髪と翠玉の瞳を持つ背の高い女が座っている。
仕立てのよい背広を身に纏い、すでに何冊もの資料を卓上へ並べていた。
「無法者だ」
灯里が見取る。
「相変わらず、支度だけは万全だな」
精鋭衛兵たちが一糸乱れぬ足取りで法廷へ入り、中央へ赤い絨毯を敷いていく。
「これより御到着をお知らせいたします。――法官、有栖川千里様!」
無法者よりもさらに背の高い女が、法廷へ足を踏み入れた。
同じ白い髪。
だが、その瞳はさらに暗く深い緑色をしている。
白と緑を基調とした、裾の長い衣装を纏っていた。
その姿が通り過ぎるたび、法廷にいる者たちが一斉に頭を下げる。
有栖川千里は裁定者の席へ辿り着き、洗練された所作で腰を下ろした。
鋭い眼差しで藤井を見下ろす。
やがてダチーへ目を移し、その隣に座るアルテルナの姿を認めた。
「藤井剣士」
千里が静かに呼ぶ。
藤井は正面からその目を睨み返した。
「では、あなたの審理を始めましょう」




