第五十一話「形・武装型」
「怯えていますか? ……それとも、怯えることすらできないほど弱いのですか」
アルテルナが金庫の中央へ立ち、指を鳴らした。
その周囲に三体の分身が現れ、同じ拍子を刻みながら跳ね回る。
「なんだ、これは」
ダチーが問う。
「ゴブリンの力です。……第四の魂」
アルテルナがダチーを指した。
「攻めなさい、可愛い子たち」
三体の分身が、霞よりも速く動いた。
ダチーが刃を振り抜き、そのうち一体の腕を斬り落とす。
残る二体が左右から襲いかかり、その体を地面へ叩き落とした。
ダチーは倒れながら狙撃銃を抜き、一体の顔面を撃ち飛ばす。
最後の一体の脚を払い、その場へ転倒させた。
その瞬間、ダチーの顔を覆うように金属の頭巾が形成される。
アルテルナが興味深そうに眉を上げた。
「ふむ?」
〈走査中……〉
分身たちが一斉に退き、アルテルナの隣へ並ぶ。
〈脅威度:最大〉
「弱点は? 欠陥は? 何でもいい! 使える情報を寄越せ!」
アルテルナが背後へ現れ、上段から大剣を振り下ろした。
ダチーは刃で受け止めるが、その威力に耐え切れず、両膝をつかされる。
頭巾が再びアルテルナを走査した。
〈弱点:心臓〉
〈変形回数:有限〉
〈分身体:継続的消耗〉
(つまり、分身を出してる間は、こいつ自身も好き勝手には動けないってことか。……わかったぞ!)
ダチーが頭突きを叩き込み、アルテルナを押し戻した。
女の瞳が一度閃く。
片腕が見る間に膨張し、大型貨車ほどの大きさへ成長した。
三体の分身も同じ姿へ変わる。
四つの巨大な拳が、同時にダチーへ迫った。
その瞬間、鎧の籠手から鉤縄が射出され、ダチーの体を拳の軌道上から引き抜く。
宙を移動しながら狙撃銃を構え、分身たちへ続けざまに弾丸を撃ち込んだ。
だが穿たれた傷は、一秒とかからずに塞がっていく。
ダチーは鉤縄でその頭上を振り渡り、手にした刃を投げ放った。
刃はブーメランのように女たちの間を飛び交い、次々と首を刈り落としていく。
最後にはダチーの手へ戻り、そのまま少年は床へ着地した。
直後、本物のアルテルナが放った巨大な蹴りが、その頭上を掠める。
「あなたは……想像していたよりも強いのですね」
アルテルナが認めた。
「経験は浅くとも、実に愉快な戦いです」
女が頭を後ろへ反らす。
紫の蒸気が全身から噴き出し、体を覆う暗い鎧と、巨大な剣を形成した。
躊躇なく、その刃がダチーの首へ振るわれる。
ダチーも自らの刃で迎え撃った。
金属音が響き渡り、二人は金庫の中央で激しく打ち合い始める。
ダチーがどのように刃を振ろうと、アルテルナは正確な受け流しで応じた。
やがて手首を打たれ、刃を叩き落とされる。
それでもダチーは狙撃銃で女の側頭部を殴りつけ、そのまま肩へプラズマ弾を撃ち込んだ。
アルテルナの胴体から、途方もない大きさの腕が六本生え出す。
巨大な拳が、金庫の壁という壁へ叩きつけられた。
赤い警報灯が点滅する。
〈警告! 警告!〉
〈構造健全性:六十九パーセント〉
「この場所を丸ごと崩す気か!」
「ならば、それまでのこと! ……あなたの将軍を解放したければ、今ここで私を打ち負かしなさい! 言い訳も、仲間の助けも無しです!」
「戦うのは嫌いだって話は、どこへ行った!」
「あれは、あの時の話です。……この都市の頭脳たちは、私が策を巡らせることを許してはくれない。……今この瞬間にも、じきにここへ降りてくるでしょう。……相手の縄張りで出し抜けないのなら、力で押し潰すまでです!」
アルテルナが脚を上げ、部屋全体を揺るがす勢いで床を踏み鳴らした。
ダチーは壁から金属の塊を引き剥がし、女へ投げつける。
アルテルナが一蹴して弾き飛ばした。
直後、爆発的な加速と共にダチーが突進する。
女はおぞましい咆哮でそれを迎え撃った。
「うおおおおおッ!」
咆哮の衝撃がダチーを床へ叩き伏せる。
少年は両耳を覆い、顔を歪めた。
それでも唸り声を上げながら片手を床へ叩きつけ、重力の衝撃を走らせる。
アルテルナの体勢が崩れ、咆哮が途切れた。
「もういい!」
ダチーが顔を上げる。
その瞳は、深い闇に染まっていた。
アルテルナが初めて笑みを消す。
ダチーがゆっくりと立ち上がる中、聞き慣れた声が頭の中へ響いた。
(貴殿の意思が、力を凌駕する)
玄三が告げる。
(貴殿は、この女を止めることを望んでいる。……ならば止めよ)
「俺が……俺がこいつを止める! もう誰も死なせない! これで終わりだ、わかったか、お嬢さん? このふざけた話は、ここで終わりだ!」
アルテルナの見つめる前で、空気そのものが重く、濃密なものへ変わっていく。
ダチーの両腕が、目を焼くほど眩い灰色の光に包まれた。
やがて光が晴れる。
両の拳には、巨大な灰色の籠手が嵌まっていた。
「属性武器……ですって?」
アルテルナが息を呑む。
「ですが、あなたが力を得てから、まだ半年も経っていない! ……どうやって、その領域へ」
ダチーが両腕の籠手を見回した。
「玄三、あんたがやったのか? 俺の力を押し上げたのか?」
(まさに。……だが、いずれ深い代償を払うことになる。……力は無償ではない。……貴殿の意思が、その道を開いたのだ)
「なんだって? 代償って何だ? おい、答えろ!」
声は応じなかった。
「あの爺さん……! ああ、もういい! そっちは後で考える!」
ヒュンッ。
ダチーの姿が掻き消えた。
次の瞬間にはアルテルナの正面へ現れ、右の鉤突きを腹へ叩き込んでいる。
アルテルナは殴られながらその腕を掴み、凄まじい力で肩から引き千切った。
しかし腕は即座に再生する。
ダチーが生え揃った腕の肘を女の頭へ打ち込み、その意識を揺らした。
分身たちが四方から巨大な手を伸ばし、ダチーを握り潰そうとする。
ダチーが一度、両手を打ち合わせた。
部屋の重力が激増する。
三体の分身が一斉に床へ叩きつけられ、その場へ縫い留められた。
ただ一人、アルテルナだけは影響を受けずに立っている。
「そこまで私の手を煩わせるというのなら……」
アルテルナの背中から、巨大な翼が芽吹いた。
「形・武装型」
紫色の杖が、その手の中へ形成される。
「変転の杖。……あなたは私の前に屈するのです、ダチー。……新たな世界に備えなさい」
「新たな世界だと? ふざけるな! 俺をここへ連れてきて殴り合う気になった時点で、自分もぶちのめされるって覚悟しておくべきだったな!」
「ならば、振りなさい」
ダチーが一気に間合いを詰める。
アルテルナの杖が変形し、樹木ほど巨大な武器へ膨れ上がった。
その一振りがダチーを壁へ打ち込む。
少年は両腕で杖を受け止め、辛うじて壁との間で押し潰されるのを防いだ。
杖が元の大きさへ戻る。
今度は、その先端が槍のように伸びた。
胸を捉えられ、ダチーの体が後方へ押される。
ダチーは両手で杖を握り締め、力ずくでアルテルナの手から奪い取った。
そのまま、女の顔を杖で殴りつける。
アルテルナが杖へ噛みつき、歯だけで真っ二つに折った。
二つの破片が足元へ転がる。
アルテルナがそれを拾い上げると、杖は生き物のように自ら繋がり直した。
直後、女の姿が消える。
「装備! この女を走査しろ!」
〈走査中……〉
〈捕捉。上方〉
反応する暇はなかった。
頭上から振り下ろされた杖が、ダチーの顎を丸ごと吹き飛ばす。
顎が再生していく中、ダチーはアルテルナの姿を捉え、次の一撃を横へ飛んで躱した。
(最高だな! 自分の形を変えて、巨大な棒を作って、そのうえゴブリンの力まで使える? ……この女が序列第十一位なら、上の十人は一体何なんだよ)
押し固められた巨大な金属球が飛んでくる。
ダチーが身を伏せて避けると、手足を通常の何倍にも伸ばしたアルテルナが、その後を追ってきた。
「あら、ダチー」
「近寄るな、この変態が!」
ダチーが何もない空間へ拳を振るう。
重力の衝撃が炸裂し、アルテルナの体が天井近くまで跳ね上がった。
女は空中から両腕を伸ばし、ダチーの両肩を掴み取る。
「くそ、くそ、くそ!」
アルテルナが自分もろともダチーを引き上げようとした、そのとき。
二人は同時に動きを止めた。
声が聞こえる。
下へ目を向けた。
「ようやく着いたわ。……何なのよ、あの忌々しい階段の数は。……『社会の長』とやらを名乗るほど賢い男なら、本気で昇降機くらい造るべきでしょう」
西山が立っていた。
二人を見上げ、呆れたように腕を組んでいる。
「それで、あの狂った女はやっぱり敵だったのね? そうだと思ったわ! ……しかも、こんな場所まで一人で降りてきたの? 人間って、どこまで馬鹿なのかしら」
アルテルナの眼差しが鋭くなる。
「私たちは取り込み中です」
分身の一体が飛び出し、肩口から西山へ体当たりを仕掛けた。
しかし接触する寸前、その体がぴたりと硬直する。
西山が素早く間合いを開いた。
アルテルナの腕から解放されたダチーが床へ着地し、荒い呼吸を整える。
「西山、なんでここへ来た? 他の連中と一緒に上にいるはずだろ」
「あなたもでしょう、この愚鈍な人間! 見下さないで!」
「何がどう見下してるんだよ」
アルテルナの両腕が伸び、それぞれダチーと西山へ巻きついた。
西山は自分を捕らえた腕を麻痺させる。
ダチーは籠手を使い、力ずくで締めつけを振りほどいた。
分身たちがアルテルナの体へ融け戻り、膨大な紫の力が金庫中に迸る。
「そもそも、この女は何者なの」
西山が訊いた。
「ゴブリンから後援者になった狂人だ」
ダチーが答える。
「藤井を嵌めた殺人犯で、飛鳥の陰謀にいた三人目でもある。……あと、俺はこいつの連絡先を持ってる」
「えっ、何ですって!?」
「なんでもない。伏せろ!」
ダチーが西山を掴み、床へ引き倒した。
直前まで二人の頭があった空間を、巨大な手が握り潰す。
続けてアルテルナの拳が振り下ろされた。
ダチーが両手で受け止め、重力を放って押し返す。
危機を脱した西山は、すぐさまダチーを突き飛ばした。
「うえっ、触らないで!」
「また始まった……」
二人の言い争いを眺め、アルテルナが愉快そうに笑った。
「わかりますか、ダチー。……この者たちは本当に、戦って守るに値するのですか。……この娘を心から『仲間』と呼べますか?」
「まあ、少なくとも、こいつは俺を殺そうとはしてないな」
アルテルナが声を上げて笑う。
「殺す? いいえ。……あなたを殺すなど論外です。お忘れですか。……我が主は、あなたを生きたまま、健やかな状態で望んでおられる。……それに私個人としても、あなたは殺してしまうには面白すぎる」
その視線が西山へ移った。
「この娘とは違ってね」
アルテルナが西山の首を掴み、軽々と持ち上げた。
「甘やかされた貴族。何もかもを与えられ、自らの手では何一つ勝ち取っていない」
「あなたに私の何がわかるの! 下ろしなさい!」
「お前たちの類は、実に憐れだ。……お前と、あの高慢な貴族の小さな一団。……もっと相応しい取り引きについて話せるかと思っていましたが、お前たちという生き物が理解できる言葉は、暴力だけのようですね」
「そんなの嘘よ! 私も、あの子たちも、誰より努力しているわ! あなたに何がわかるっていうの、この悪鬼じみた化け物!」
「どうして、そのようなことがあり得るのです。……象牙の庭園と、銀糸を纏った寝具に囲まれて育ったお前が。……お前は働くということを知らない。……自らの手を汚す術すら知らないのです!」
アルテルナが咆哮を上げ、西山を脇へ投げ捨てた。
少女は床へ叩きつけられ、外れた腕を押さえて顔を歪める。
次に狙われたのはダチーだった。
巨大な腕に薙ぎ払われ、武器架に収められた飛翔弾発射装置へ叩きつけられる。
ダチーは背後の発射装置を掴み、迷わず引き金を引いた。
爆発性の飛翔弾が、アルテルナの心臓を目がけて飛んでいく。
アルテルナは胸へ到達する寸前でそれを受け止めた。
爆発が金庫を揺るがす。
女の体の右半分が消し飛んだ。
だが失われた肉体は、ダチーが息を呑むよりも早く再形成される。
(最高だな)
ダチーが思う。
(心臓まで届いても、何の違いも生まれない。……そのうえ、こいつが負けたときに自死するのも止めないといけない。……どうすればいい? この女、自分がどんな勝負を仕掛けてるのか、最初から全部わかってやがる!)
それだけではなかった。
アルテルナの体が、さらに巨大化し始める。
大きく。
さらに大きく。
なおも成長を続けていく。
西山が外れた腕を関節へ嵌め直し、立ち上がった。
「ちょっと、危ない!」
アルテルナの巨大な掌が、ダチーを握り取る。
その体は、もはや金庫に収まり切らないほどの大きさへ成長していた。
*
マラチー、ルカ、亜斗夢が屋根の上へ集まる中、二体のゴブリンの主が一つへ融け戻っていった。
ファイドーが大工場の残骸を押しのけて這い出してくる。
その足元から、明が姿を現した。
「これはな」
明が低く漏らす。
「到底、許容できん。……最新の玩具を欲しがった強欲のために、俺の美しい街を壊すとは」
明が指を鳴らした。
位置を変え続ける建物から無数の機銃が芽吹き、迅雷の翼を削ぎ落としていく。
岳斬がその銃火の前へ割り込み、全身を引き裂かれかけた。
迅雷は岳斬を掴み、建物の一つを盾にして射線から逃れる。
「長が自ら姿を現したか。……これは容易ではないぞ」
明が片腕を差し伸べた。
「――改造魔法、往け」
建物の一つが大きく捻れ、回転する。
壁も骨組みも組み替わり、やがて巨大な火炎放射器へ変形した。
噴き出した炎がゴブリンの一群を消し去り、迅雷の皮膚を黒く焼き焦がす。
「なんであの人が竜の中にいたの!」
マラチーが叫ぶ。
「まったく!」
「あれが長というものだよ」
ルカが答える。
「言っただろ。この国では、力がすべてを支配するんだ」
「残念ながらな」
亜斗夢が吐き捨てた。
「どれほど汚らわしい人格の持ち主であろうと、頂点に留まり続けられる理由だ」
迅雷が炎を突き破る。
その巨体が明滅し、完全に姿を消した。
明が手を握り潰すように拳を作る。
通りから巨大な壁がせり上がり、透明になった迅雷の体を下から持ち上げた。
壁の各所から銃が飛び出し、ゴブリンの痕跡を探して銃口を巡らせる。
傷ついた岳斬が建物の角から顔を覗かせ、その銃へ小銃を撃ちかけた。
だが弾丸は傷一つつけられない。
反撃の銃火が岳斬に残されていた腕を引き裂き、再び角の陰へ追い込んだ。
迅雷が壁の上に姿を現し、明の首へ片手を伸ばす。
明は難なく身を躱し、迅雷を壁から突き落とした。
迅雷が翼を広げて飛び戻ろうとする。
だが周囲の銃が一斉に火を噴き、その体を空中へ縫い留めた。
「もういい」
巨大な壁が変形し、迅雷を包囲する檻となる。
ゴブリンの主が格子へ拳を叩きつけた。
しかし檻は微動だにしない。
他のゴブリンたちが、その光景を見つめていた。
明が一度睨みつける。
それだけでゴブリンたちは次々に透明となり、空へ逃げ去っていった。
岳斬も同じように姿を消す。
「これで一つ片づいた」
明が鼻を鳴らした。
「さて、あの右腕はどこへ消えた」
マラチーが長のもとへ駆け寄った。
「監督官! 今の、すごかったです! 戦えるなんて誰も教えてくれませんでした!」
「長は全員戦える。……違うのは、自ら戦いたがるかどうかだけだ。……お前の兄と、将軍たちと、修の居場所も突き止めねばならん。……あの姿を変える女が、能力を使って全員を引き離したに違いない」
檻の中で迅雷が鼻を鳴らした。
「勝ったつもりでいるようだが、我が妹は常に幾手も先を進んでいる。……あの者の主が、自ら勧誘へ赴いたのには理由があるのだ」
「黙っていろ」
明が命じる。
「貴様の尋問は後だ。……妹はどこにいる。貴様は最初から餌だったのだろう?」
「ほう。噂どおりに賢い男だ。……下を見ろ」
地面が鳴動した。
巨大な手が一本、地表を突き破って現れる。
指が地面へ食い込み、地下から自らの体を引き上げていった。
周囲一帯が陥没し、巨大な穴へ崩れ始める。
兵士たちも住民も、巻き込まれまいと一斉に逃げ出した。
そして、誰もが目にした。
周囲の建物すら矮小に見せる、巨大な女。
その掌には、一人の少年が握られている。
女の目が、足元で逃げ惑う兵士たちを捉えた。
そして――
その口元に、愉悦の笑みが浮かんだ。




