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第四十八話「金庫の中」

 明が振り返り、低く鼻歌を漏らした。


 ダチーとアルテルナは、素早く角の陰へ退く。


 明が扉の様子を確かめようと歩み出した瞬間、アルテルナの両腕が伸びた。


 片腕をダチーの腰へ巻きつけ、もう片方の手で天井に組み込まれた配管を掴む。


 息を詰め、二人分の体を一気に引き上げた。


 明が事務室の外へ踏み出す。


 その顔が上を向くより先に、ダチーはアルテルナを掴んで配管の上へ引き寄せた。


 二人で平らに伏せ、明の視界から身を隠す。


「妙だな」


 明は周囲を見回してから事務室へ戻り、携帯を取り出した。


 アルテルナとダチーが同時に深く息を吐く。


「素早く動きましたね」


 女が評した。


「素早すぎるほどに」


 ダチーが自分の両手を見る。


 淡い灰色の光が、その表面へ浮かび始めていた。


「ああ……手足に少し力が戻ってきた気がする。……もしかしたら、力が戻りかけてるのかもしれない!」


「圧のおかげでしょうか。……いえ、今はそれより、盗みを終わらせなければなりません」


 アルテルナは手足を伸ばし、物音を立てないよう慎重に二人の体を床へ降ろした。


 扉へ戻る途中で、ダチーの顔に触れる。


「何を――?」


 次の瞬間、ダチーは修の姿へ変わっていた。


 即座に自分の顔を両手で掴み、悲鳴を堪えるために全力を尽くす。


 アルテルナの姿も変わり、中田のものとなった。


「行きましょう。報告に来たふりをします。……精いっぱい、修の声を真似してくださいね」


「『黙れ、この薄汚い後援者め』……こんな感じか?」


「……惜しいですね。それで押し通すしかありません。行きますよ」


 二人が扉を開ける。


 明は携帯での通話にかかりきりだった。


 二人が入ってくると、短く顔を上げる。


「なあ、いったん保留にするぞ、商人」


 通信の向こうから、不機嫌な声が返ってきた。


「馬鹿者め! 貴様のちっぽけな商売へ金を出しておるのは儂だぞ! ……投資に見合う利益は返してもらう。さもなくば、貴様も王妃も実に不愉快な一週間を過ごすことになる。……何しろ今週は、藤井の審理が行われる週であろう?」


「そうだな。……だが少し待ってくれ。あんたより大事な客が俺の部屋へ入ってきた。待たせたくないんでね」


 明は釦を押して通話を保留にし、携帯を卓へ置いた。


「それで? 何の用だ」


 アルテルナが咳払いをする。


「私どもは――」


「その仮面は外していいぞ、アルテルナ。……俺の街で器《ホルダー》を連れ回しておいて、俺が何も知らないとでも思ったのか?」


 アルテルナの体が強張った。


 目に見えない衝撃が二人を襲う。


 アルテルナとダチーは後方へ吹き飛ばされ、その姿も元へ戻った。


 明が鼻を鳴らす。


「この女に何を吹き込まれた、小僧」


「まあ……その……ちょっとあんたの様子を探ってただけだよ。どんな仕事をしてるのか、気になってな!」


「くだらん言い訳はやめろ。この女に唆されたんだろう」


 明が片手に鍵を掲げた。


「俺の金庫へ入ろうとしたな? ……残念だが、そう単純にはいかん。お前の小さな遊びは失敗だ、お嬢さん」


 アルテルナが背筋を伸ばす。


「ふん。……では、なぜまだ私を捕らえていないのです? 何もかも御存じだと仰るのに、私がここまで来ることを許した」


「お前にあれだけ小細工をされて、なお殺していないのと同じ理由だ。……こっちが必要としているものを、お前が持ってるからだよ」


 明がアルテルナを睨む。


「藤井将軍を解放する手段だ」


「ふん。あなたは私とダチーの取り引きを破りました。……それなのに、なぜ私が今さら手を貸すと? よほど一戦交えたいのであれば別ですが、私はそうなることを心底嫌っています」


「まあ、やり合っても構わん。だがお前は対等な立場にいない。……ここは俺たちの縄張りだ」


 明が腕を組む。


「賢い選択は、あの忌々しいゴブリンどもを片づけるのに協力し、そのうえで法官と民衆へ何もかも認めることだ。……最強の将軍が牢へ入れられていることに全員の目が向いている限り、安定した協力関係など築けん」


「それで、私に何の得があるのです、監督官」


 アルテルナの片手が、不吉な――ほとんど不規則とさえ呼べる紫色の光を帯びた。


 両目も同じ色に輝く。


 明が手を振って流した。


「俺を脅そうとするな。長の一人には勝てんと、お前もわかっているだろう」


 そして、アルテルナへ鍵を放り投げた。


 女が片手で受け止める。


「それに、金庫へは入れてやる。……こっちにはもう、技術属性者が装備を作ってるんだ。あの中に置いてあるもので、それに敵う品などないからな」


 アルテルナが手の中の鍵を見つめた。


「偽りの約束では、私は動きません、監督官。……申し上げたとおり、あなたを助ける理由がない」


「なら、俺が理由をやるってのはどうだ?」


 ダチーが割って入る。


「俺と話したことを覚えてるだろ? あんたが藤井を助ければ、俺はあんたとの連絡を絶たない」


 明が眉を上げた。


「危険な遊びだぞ、小僧。……その女はお前の側ではない」


「あなたが彼の側だとでも?」


 アルテルナが撃ち返す。


「当てこすりの応酬はやめましょう、監督官。……我らはどちらも、自らの目的のためにこの少年を欲している。ならば、決めるのは本人に委ねてはいかがです?」


「ふん」


 ダチーは二人の間へ視線を巡らせた。


「誰も死なず、誰も殺し合わずにここから出られるなら、俺はそれでいい。……アルテルナ、連絡先はもう渡した。妙な真似をしないなら、そのまま持っててくれていい」


 アルテルナが息を吐く。


「あなたの勝ちです。……そう認めることを、私の矜持は心底嫌がっていますが」


 明が事務室の扉を開け、その途中で保留中の通話を切った。


「あの太った怠け者とは後で話す。……来い。常に俺から三メートル以内にいろ。いいな?」


「わかった」


 ダチーが頷く。


「仰せのままに」


 アルテルナが嘲るように答えた。


 二人は明の後に続いて事務室を出る。


 明は製造区画の突き当たりにある、右側の扉へ真っ直ぐ向かった。


 途中で、ダチーが床に落ちていた銅片を拾い上げる。


 だが明が即座に、その手から叩き落とした。


「触るな。そいつは放射性だ」


「……ああ」


 扉へ着くと、明が走査装置へ片手を当てた。


 扉が格納される。


 その先に待っていたのは、地下へ続く長い階段だった。


 明、ダチー、アルテルナの三人は、延々とその階段を下りていく。


 アルテルナは歩いている間も、片腕をダチーの肩へ引っ掛けたままだった。


 少年はその腕を、ずっと横目で見ている。


 階段の終わりが見える頃には、三十分近くが経過していた。


 巨大な金属製の両開き扉へ辿り着く。


 虹彩、掌、全身を調べる走査装置が順番に明を照合していった。


 扉の向こうには、金属の通路が伸びていた。


 その先には、幾つもの巨大な試作機が据えつけられた広大な区画が広がっている。


「なるほどな」


 ダチーが認めた。


「マラチーが、この手のものにあれだけ夢中になる理由がわかったよ」


 信じ難い発明品の数々。


 三本の砲身を備えた、途方もなく巨大な飛翔弾発射機。


 車輪の代わりに蜘蛛の脚を持ち、後部には蠍のような巨大な尾を備えた装甲指揮車。


 そして何より目を引いたのは――


 中央の硝子容器に収められた、技術装甲だった。


 全体は滑らかな造りをしており、金属製の覆面が着用者の顔の上半分を覆う形になっている。


 背中には狙撃銃。


 側面には、両端にプラズマの刃を備えた長柄武器が留められていた。


「なんだ、あれは」


 ダチーが問う。


「あの鎧は何なんだ?」


「軍用装甲だ。俺が作った第二型。……不具合をすべて潰すまでに一年かかった。だが、まだ量産には手が回ってない。在庫は十着ほどだ」


 明がアルテルナを睨む。


「つまり、売り物ではない」


「結構です。あなたの矮小な鎧など必要ありません。私は元より、自ら再生できますので。……私が求めているのは、もっと……広範囲に使えるものです」


 アルテルナが飛翔弾発射機へ目を留めた。


「あれでもよいかもしれませんね。……ですが、ゆっくり選ばせていただきます。別に急いではいないでしょう、監督官?」


「こちらを仕切ろうとするな。……お前は、与えられたものを受け取るだけだ」


 ダチーは、技術装甲の背後にある封鎖された扉へ気づいた。


「あれは何だ? 奥の実験室か?」


「違う。あそこは拓斗が眠っている場所だ」


 アルテルナが、その名を聞いた瞬間だけ動きを止めた。


 だがダチーが目を向けると、何事もなかったかのように視線を逸らす。


 明はゆっくりと扉へ歩み寄り、目を閉じた。


「X区画を開け」


〈確認。藤田監督官。開放します〉


 扉が格納される。


 その先に現れたのは、卓上へ浮かぶ巨大な立方体だった。


 明が中へ踏み入ると、立方体が小さく縮み、監督官のもとへ漂ってくる。


「監督官!」


 歪んだ声が響いた。


「お戻りに……なられましたね!」


「なんだ、あれ! 喋ってるぞ!」


 ダチーが吐き出す。


「意識を持つ立方体だ」


 明が説明する。


「俺が作ったわけじゃない。……だが俺の知る限り、こいつは以前、人間だった。少なくとも、本人はそう主張している」


 アルテルナが顎を撫でた。


「その方を、私と共に連れ帰りたいのですが」


「駄目だ。こいつはヴォルティアナに残る。……その知識は、梅子の研究開発にとって欠かせない。お前に渡すなど、意味もなく自分たちの手足を縛るようなものだ」


 拓斗がアルテルナへ意識を向ける。


「おお! あなたは……お名前は……?」


「その女は気にするな」


 明が命じる。


「ただの雇われの銃だ。一度放てば、あとは勝手に標的を片づける」


 拓斗がダチーの周囲を漂う。


「器《ホルダー》……確認。ダチー……ジョーンズ?」


「器《ホルダー》が何なのか知っているのか?」


 明が訊く。


「そういう話は、これまで一度も詳しく教えてくれなかったな!」


「記憶……不鮮明。想起された情報……同意を必要とする。……対象の力は、極めて危険と記録されている。……『???』と呼称される勢力が、当該の力の獲得を希望。……率いる者は『???』」


「あら」


 アルテルナが笑った。


「あなたの人工知能にも、やはり限界があるようですね」


「もういい。さっさと品を選べ。……それから、俺たちから三メートル以上離れるな」


「はい、もちろん。仰せのとおりに」


 アルテルナは歩き去りながら一瞬だけ足を止め、もう一度拓斗へ視線を向けた。


(同意が必要、か)


 明が思案する。


(なら、王妃は最初からやり方を間違えていたわけだ。……伝えてやるべきだな)


(藤井を出せるかもしれん。そうすれば、あの女とは完全に手を切れる。……いや、待て。それでは民衆の心証は戻らん)


(ああ、面倒だ)


 ダチーが立方体を注意深く検分した。


「なあ、こいつを王妃のために使えると思うか?」


「どういう意味だ?」


「マラチーの竜へ組み込んだらどうだ? 想像してみろよ。属性の力を備えた完全な機械竜が、この国全土へ睨みを利かせるんだ。……そうすれば、誰も襲おうとしない。あんたらだって、戦って殺す必要がなくなる」


「ふむ。……小僧、お前の考え方は妙だが、俺は嫌いじゃない。……とりわけ、それが展示会の注目を集めるならな」


 ダチーが技術装甲を指差した。


「それと、あれについてなんだけどな……」


    *


 マラチーのブースでは、陳列棚がほとんど空になっていた。


 列は次第に短くなり、残された発明品を巡って客同士が争い始めている。


 狼の姿になったルカが、金属製の球を口に咥えて戻ってきた。


 マラチーが素早くそれを取り上げる。


「ちょっと! この重力球、盗んできたの?」


 ルカが人の姿へ戻った。


「違うよ。研究開発室に余り物が一つあったから、ちょっとくすねてきただけ」


「やっぱり盗んでるじゃないか、このこそ泥犬!」


 マラチーの卓上には、稼いだ硬貨が陳列台の高さへ届くほど積み上がっていた。


 やがて列は数人にまで減る。


 そのうちの一人、若い男が前へ進み出た。


 背後には、洗練された装いの護衛たちが並んでいる。


「ああ。ごきげんよう」


 マラチーが手を振る。


「こんにちは。もう銃が数丁と、極小技術製の装衣くらいしか残っていないんです。……これ、すごく格好いいんですよ。着れば誰にでも変装できます。……でも、品数が少なくてすみません」


「構わない。私はもっと大きな賞品を求めて来た」


「はい?」


「君だ」


 ルカが即座に、マラチーを庇うように片腕を差し出した。


「公爵」


 公爵が両手を背中へ回す。


「そうとも。……森ルカ。平民からS-1の兵士へ。……君と、君の小さな……群れについては、多くの情報を得ている」


 陳列棚に残った銃の一丁へ目をやる。


「ところで、藤井の様子はどうかね?」


「元気そのものだよ」


 ルカが答える。


「あんたと商売する気はない。……よければ、他を当たってくれ」


「いや。私はここにいたい」


 そして、マラチーへ片手を差し伸べた。


「君は我らと共に北へ来るべきだ。……その頭脳は実に輝かしい。これほど短い時間で、これだけの発明品を作り上げるとは。いったい、どうやっている?」


「うーん。物が何をするためのもので、どこに収まるべきなのか。そういう感覚が自然に来るんです。……たとえば、銃を作ろうと思えば……」


 マラチーの背中から触手が現れた。


 二丁の銃を瞬く間に分解し、その部品を組み替えて、さらに大型の一丁へ作り直す。


 完成した銃を陳列棚へ戻した。


「こんなふうに形にするんです」


 公爵が目を見開き、その銃を手に取る。


「見事な技巧だ!」


「はい。よければ差し上げますよ」


「私が欲しているものは、すでに伝えたはずだ。……機械そのものには、それを生み出す者の頭脳ほどの価値はない」


 マラチーが頭を掻く。


「まあ、僕は兄さんを置いていきたくありませんし、兄さんがここより遠くへ行きたがるとも思えないので……そういうことです」


「もちろん、器《ホルダー》も歓迎しよう。……技術属性者と器《ホルダー》の両方が手に入る。完璧ではないか」


 マラチーが呻いた。


(僕の言うことを、何一つ聞いてない)


(この人、原始的な頭だってすぐにわかるな)


 ルカが卓へ両手を叩きつけた。


「なあ。こいつはあんたと一緒には行かない。話はこれで終わりだ。……もう行ってくれ」


 公爵の顔が渋面へ変わった。


「そうか。……その決断を後悔することになるぞ、森。両方とも手に入れてみせる。待っているがいい」


 二人は、その背中を黙って見送った。


「ふん。引き際を知らない男だな。……すぐ戻る。罠でも企んでいないか確かめてくるよ」


 ルカが狼へ姿を変え、扉へ向かって外の様子を覗き込んだ。


 そこで、それを目にした。


 展示会場からさほど離れていない路地。


 公爵が、巨大なゴブリンと言葉を交わしている。


 岳斬よりも遥かに大きな個体。


 その周囲には、さらに幾体ものゴブリンが浮かんでいた。


 そしてほどなくして、公爵が真っ直ぐ展示会場を指差し――頷いた。

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