第四十三話「珈琲でも」
宿泊施設の一室で、ダチーとマラチーは腕時計から投影された立体映像へ向き合っていた。
画面には、母のキアとアヤナが映っている。
「母さん! アヤナ!」
マラチーが嬉しそうに呼びかける。
ダチーも片手を上げて振った。
キアは車椅子に座り、その背後にはアヤナが寄り添うように立っていた。
「やあ、二人とも! ようやく連絡する気になったんだ?」
「ああ、悪い」
ダチーが素直に謝った。
「けっこう慌ただしくてな。……妙な力が目覚めて、うっかり姫と戦って、捕まって、もう一度その姫と戦って……今は軍の特殊部隊にいる」
キアが眉を上げる。
「あら?」
ダチーは、ヴォルティアへ来てから起きた一連の出来事を説明していった。
その間、ルカと亜斗夢が扉の向こうで聞き耳を立てている。
やがて話が終わると、長い沈黙が訪れた。
「うわ……」
アヤナがようやく声を漏らす。
「もう、本当に……うわ、としか言えない」
「信じられない話なのはわかってるよ!」
マラチーが身を乗り出した。
「でも、本当なんだ! 今はこの国の技術中枢にいるんだよ! 故郷では夢に見ることさえできないような、驚くべき発明品で満ちてる!」
「信じているわ」
キアが静かに答える。
「二人ともね。……お祖父ちゃんが、あなたたちを大切にしてくれているといいのだけれど。……ほかに送り出せる場所があればよかったのにと、それだけは今でも思っているわ」
ダチーが深く息を吐いた。
「母さん、聞いてくれ。技術は格好いいし、飯もうまい。女も綺麗だ。……でも正直、ここにあとどれくらいいられるかはわからない」
ダチーの表情が曇る。
「この国そのものが、歩き回る爆弾みたいなんだよ。こいつらは、いつ破裂してもおかしくない。……重要な存在として扱われるのも悪くないけど、それで俺や母さんたち、それに人間全体まで危険に晒されるなら……俺は家に帰りたい」
キアが息子の目を真っ直ぐに見つめた。
「わかっているわ、ダチー。……それと、これだけは覚えておいて。あなたは、いつ帰ってきてもいいのよ」
「ありがとう、母さん」
アヤナが不意に横へ目を向けた。
「あっ、まずい。そろそろ切らないと。キアさんの担当医が来たみたい」
四人は互いに手を振り、別れを告げた。
立体映像が消え、通信が終了する。
すると扉が開き、ルカが部屋へ入ってきた。
「言いたくはないんだけどさ……少し羨ましいよ」
「え?」
マラチーが首を傾げる。
「どうして?」
「お前たちには、血の繋がった家族がいる。……俺は独りだ。今の俺に家族と呼べるのは、狼たちだけだからね」
「じゃあ、姓はどこから来たの? そもそも、名前は?」
マラチーが訊く。
「いつかの時点では、父親か母親がいたはずだよね」
「いた……はずだ。でも、思い出せない。……俺の名前は、育ててくれた狼たちからもらったんだ。群れの長が名前を与えてくれるまでは、ただ『猟犬』と呼ばれていた」
ダチーは、改めてルカを眺めた。
「今さらだけど、ヴォルティア族も人間と同じように、まるで違う人生を送るんだな。……だったら、自分たちも人間と大して変わらないって気づけばいいのに」
亜斗夢が部屋へ踏み込んできた。
「それは、余への挑発か?」
「いや? ただの現実的な観察だよ。……あんたらだって、そこまで鈍いわけじゃないだろ!」
「落ち着け。余は気にしておらん。……余の高貴な名は、すでにあの無礼な小娘と、その女だけの徒党によって汚されている。……好きなだけ貴族をこき下ろすがいい。何も変わらん」
亜斗夢の顔に、愉快そうな笑みが浮かんだ。
「それより、あの女が将軍として失敗したとき、どのような顔をするのか楽しみでな。……あれだけの力を得たせいで、頭までおかしくなったのだろう」
そのとき、部屋の扉が叩かれた。
少年たちが確認に向かうと、扉の向こうには中田が立っていた。
「子供たち」
「将軍」
亜斗夢が応じる。
中田はマラチーを指差した。
「監督官が、この者と話をしたいと仰っています。私と共に来なさい」
ダチーが頭を掻いた。
「ええと……俺は駄目なのか?」
「ええ。あなたは、我ら全員が監視できるこの施設にいるのが最も安全です。……必要になれば、監督官のほうから呼び出されます。それまでは、ここに留まりなさい」
中田はマラチーを連れ、廊下を歩いていく。
ダチーは扉の前に立ち、二人の背中を見送った。
「厳しい人だな」
「規則どおりにしか動かない人だね」
ルカが評した。
「女は皆、あのようなものだ」
亜斗夢が鼻を鳴らす。
「強く、折り目正しく、そして気取っている。……こちらが何を言っても聞き入れんくせに、自分たちは何もかも知っているような顔をする」
その瞬間、中田が振り返った。
少年たちは一斉に部屋の中へ引っ込む。
亜斗夢は扉を閉め、念入りに錠まで掛けた。
ダチーが覗き穴から廊下の様子を窺う。
「弟に、妙な真似をしないでほしいんだけどな」
「しないよ」
ルカが答える。
「あの人たちの歴史でも指折りに有用な人材が、二人同時に目の前へ現れたんだ。……その片方、あるいは両方を敵に回すなんて、完全に間抜けな判断だからね」
ダチーは自分の寝室へ戻った。
そこで、自分の寝台へ腰かけているアルテルナを見つける。
即座に飛び退き、背中から扉へ激突した。
「なんだこれ――!?」
アルテルナは何も言わず、ただダチーを見つめていた。
脚を組み、穏やかな――ほとんど優しいとさえ言える笑みを浮かべている。
扉の向こうから、ルカが軽く叩いた。
「そっち、大丈夫?」
「あ、ああ! もちろん!」
「そう。ならいいけど」
足音が遠ざかっていった。
ダチーは胸へ手を当て、荒い呼吸を整えながら、声を潜めて問い詰める。
「あんた、いったい何なんだよ。なんで何度も俺の部屋へ勝手に現れる? どうやってるんだ?」
アルテルナは興味のなさそうな眼差しを返した。
「あなたを手に入れることが、私の務めです。……私が手をこまねき、あなたが去っていくのを黙って眺めているとでも思いましたか?」
「この連中が持ってる技術を見ただろ? 本土の連中だけでも、森を丸ごと平らにできるほどの力があるんだぞ」
「私には、何の意味もありません」
「そうかい、結構。……それで、なんのためにここへ来た?」
アルテルナが隣の空いた場所を軽く叩いた。
「話をするために決まっているでしょう。……私はこれまで、頼み事をして、遠回しに脅し、あなたを……居心地の悪い気分にさせてきました」
微かに首を傾げる。
「たまには、穏やかに話をするのもよいと思いませんか? ……答えられる範囲であれば、どのような質問にもお答えします」
「へえ? それが終わったら、俺を放っておいてくれるのか?」
「いいえ」
ダチーは躊躇い、部屋の中を見回した。
アルテルナは急かすこともなく、その場へ座ったまま低く鼻歌を奏でている。
やがてダチーが折れ、その隣へ腰を下ろした。
アルテルナは窓の外へ目を向ける。
「ふむ。今日はよい天気ですこと」
「回りくどいのはやめてくれ。話をしに来たんだろ?」
「失礼な方。……女性をそのように扱うものですか?」
「なあ、あんたの仲間は俺を攫おうとして、かなり凄惨な殺しまでやったんだぞ。……そんなあんたを疑うのは、賢い判断だと思うけどな」
「もっともです」
「誰があんたをここへ寄越した? それと、なんのために?」
アルテルナは再び鼻歌を漏らした。
「我が主です」
「なんだ? 恐れられてる犯罪組織の頭目か何かか――」
「それは、本当に重要なことですか?」
「重要だね」
「我らの中で、最も優れた御方です」
アルテルナの声には、ほとんど敬虔と呼べるほどの響きが宿っていた。
「定命の者たちの中に立つ神。……いつの日か、我らの土地を蝕む災厄から、我らを救ってくださる御方です」
「それで、その災厄っていうのはヴォルティア族なんだろ?」
アルテルナが肩をすくめる。
「それは御本人にお訊きになることですね。……お会いする機会があれば、ですが。……その日が、そう遠くないことを願っています」
「遠慮しておくよ。……次の質問だ」
ダチーはアルテルナへ向き直った。
「あんたの力はなんだ? ゴブリンがどこにいるのか知ってたし、誰にも感知されずに動き回れるみたいだ。……偶然ここへ送り込まれたわけじゃないだろ。何ができる?」
アルテルナは周囲へ目を配り、声を落とした。
「そうですね……物理法則は、私には適用されない。今は、それだけ申し上げておきましょう」
その笑みが僅かに深まる。
「あなたが今見ているものは、確かに私自身なのかもしれません。……あるいは、そうではないのかもしれない」
「そもそも、どうしてあんたが属性を持ってる? 俺と弟を除けば、属性を持てるのはヴォルティア族だけだと思ってたんだけどな」
「あなたは、すでに御自身で問いへ答えておりますよ」
「どうしてだ? あんたは人間じゃないだろ」
「人間は、この星に存在する種族の中で最も弱い。……一方、ヴォルティア族は例外なく、強力な魔力を持っています」
アルテルナが静かに説明する。
「ゆえに、属性が真っ先にあの者たちへ結びつくのは自然なこと。……ですが、それは属性の起源がヴォルティア族にあるという証明にはなりません。ほかの種族が属性を持ち得ないという意味にもならない」
「なんだって……?」
アルテルナが大きく体を伸ばした。
「ほかに何かありますか? ……あなたの質問は退屈です」
「わかったよ。違う質問がほしいんだな?」
ダチーが眉をひそめる。
「あんたは、どれくらい強い? ……本気で俺と戦って勝てると思ってるのか? しかも、この島にこれだけの戦力が集まってる状況で」
「もちろんです」
アルテルナが身を寄せ、ダチーの耳元へ囁いた。
「力を失ったただの人間では、私の前に立つことすらできません」
ダチーの目が大きく見開かれた。
「あ、あんた……知ってるのか?」
「当然、知っています。知ることも私の務めですから。……属性者であれば、仲間と自らの身が危険に晒された場面で、力を隠したりはしません」
「くそっ。あんたを騙すなんて無理だと、最初から気づくべきだったな」
ダチーが声を潜める。
「誰にも言うなよ? でなければ、俺たちの小さな協力関係はそこで終わりだ」
「夢にも思いませんとも。……ところで、珈琲でも飲みに行きませんか?」
「見つかるだろ」
「いいえ。見つかりません」
アルテルナが立ち上がり、ダチーへ手を差し伸べた。
「ただ私についてきて、信じてください」
ダチーが目を細める。
(ふむ。罠かもしれない。……けど、俺がいつでも取り引きを打ち切れることは、向こうもわかってる)
(俺が協力しなければ、この女の計画は頓挫する。……それに、あの妙な力について、もう少し情報を掴めるかもしれない)
ダチーも立ち上がった。
「わかった」
その誘いを受け入れる。
「その珈琲とやらに、付き合ってやるよ」
*
中田とマラチーが監督官の本部へ到着すると、そこにはすでに数百人もの衛兵が待機していた。
全員が完全武装している。
二人が通り過ぎるたび、衛兵たちは短く頷いた。
中田はマラチーを昇降機へ案内し、上昇する間、その傍らへ立っていた。
「あなたの力についてですが」
中田が話を切り出す。
「兄君と同じ時期に発現したのですね?」
マラチーが頷いた。
「ふむ」
中田が思案する。
「実に興味深い。……この土地について、あなたはどう思いますか?」
マラチーが顎を指で叩いた。
「うーん? かなり格好いいと思います。……進んだ機械も、鎧も、武器も、全部最高です!」
だが、少しだけ表情を曇らせる。
「唯一の難点は、一部の人たちがとても不愉快なことです。……特に、兄さんに対して」
中田は、その言葉を吟味するように黙り込んだ。
「あなたの祖父君も、当初は同じように感じておられました」
「そうなんですか?」
「はい。ですが、やがてこの土地を愛するようになった」
中田がマラチーへ視線を向ける。
「よく聞きなさい、マラチー。今は過酷な土地に思えるかもしれません。……ですが時が経てば、あなたもこの地を愛するようになる。そして人々もまた、あなたを愛するようになります」
「そうなるといいです。だって、ここで大きく成長できる機会は、簡単に投げ捨てられるものじゃありませんから!」
「ええ」
中田が静かに答えた。
「ええ。決して、捨てられるものではありません」
昇降機が止まり、扉が左右へ開く。
その先には、無数の搬送帯が張り巡らされた巨大な実験施設が広がっていた。
機械の腕が搬送帯の上で金属を溶接し、次々と形を整えていく。
ヴォルティア族の作業員たちは加工された金属を受け取り、隣の搬送帯へ移していた。
あらゆる壁際に衛兵が配置されている。
頭上には巨大な機械の骨組みが何体も吊り下げられ、工場の中央には明本人が立っていた。
マラチーの姿を見つけた瞬間、その目が輝く。
「おお! 来たか! よく来たな、小僧!」
「どうも! 僕の助けが必要だと聞きました!」
明が頷く。
「展示会で、新しい発明品をいくつか試すことになってる。……王妃の発注を果たしながら、同時に売り上げまで取れる絶好の機会だ」
「なるほど、わかりました! それじゃあ僕は、これまでに作られた発明品を調整するんですか?」
「違う」
明が即座に訂正した。
「お前自身の装備を、一式作るんだ」
マラチーが息を呑む。
「えっ? 僕が?」
「そうだ。必要な資源は、すべてこちらで用意する。……俺たちには設備も知識もある。だが、お前は自分自身が生きた機械だ」
明が笑みを浮かべる。
「とんでもない装備を作れる奴がいるとすれば、それは技術属性者本人だろう?」
明が閉ざされた奥の扉を指差した。
「向こうに俺の助手がいる。質問や要望には、全部あいつが応じる。……それと、兄貴まで開発へ引き込めれば、なおいい。重力と、飛鳥で見せた正体不明のあれを組み合わせれば、とんでもないものが作れるぞ」
マラチーは目を輝かせ、奥の実験室へ駆けていった。
その背中を見送った明が、中田のもとへ歩み寄る。
「あの小僧、ここへ残る気はありそうか?」
「間違いなく」
中田が答える。
「ですが、兄のほうは別です」
「時間をかけろ。誰だって、いずれヴォルティアを好きになる。とりわけ梅子まで味方につければな」
明が楽しげに両手を広げた。
「そのうえ、あいつらにはここに家族までいる! 一族総出で商売を回せるぞ!」
中田が呆れたように息を吐く。
「それと、例の女だが」
明が思い出したように言う。
「今のところ、様子はどうだ?」
「裏切りの兆候は、まだありません」
中田が答える。
「ですが、いずれ裏切るものと私は見ています」
「なら、あの女は薄氷の上を歩いてるわけだ。……様子を確かめてこい。あの女と我らの大切な客人が、今この瞬間にも一戦交えていないかをな」
二人が話している間に、マラチーは奥の実験室へ入っていた。
そこでは若いヴォルティア族の女が、巨大な金属製の作業台を磨きながら待っていた。
その部屋は先ほどの工場区画よりもさらに広い。
いくつもの作業台が並び、その周囲には様々な金属部品が置かれていた。
マラチーの姿を見つけると、女が笑顔で手を振る。
「こんにちは! マラチー・ジョーンズさんですね! 私は川崎百合と申します。……滞在中、あなたの助手を務めさせていただきます」
「おお! じゃあ、僕がここの社長みたいなものですか?」
百合の動きが止まった。
「うーん……まあ、そのようなものですね。……監督官は、あなたに研究開発を任せたいと考えておられます。私は、あなたの構想を現実にするためにいます」
「なるほど。それで、何が使えるんですか?」
百合が手にしていた操作板の釦を押す。
複数の作業台が床下へ格納され、代わりに巨大な容器が現れた。
その中には、ナノテク素材、金属、回路、そして用途もわからない様々な部品が詰め込まれている。
「必要なものは、何でも」
百合が答えた。
「展示会は二日後です。……それまでに、発明品を最低一つ作れますか?」
「うーん、できると思います。……小さな機械や小型の時計なら、今までにも弄って作ったことがあります。でも、それは家の裏庭での話でした」
マラチーが周囲の設備を見渡す。
「皆さんと一緒なら、それをもう一段先へ進められるはずです!」
マラチーの背中から、複数の金属製の触手が噴き出した。
触手が次々と部品を掴み、巨大な作業台の上へ整然と並べていく。
百合は完全に呆然とし、その光景を見つめていた。
「素晴らしい……!」
マラチーが作業台へ歩み寄ると、その表面が淡い青色の光を放ち始めた。
立体映像式の走査装置が部品を読み取り、その一つ一つを光の輪郭で浮かび上がらせていく。
「ああ、これは最高のものが作れそうだ!」




