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第四十一話「器《ホルダー》の意思」

 翌朝。


 ダチーが寝台で目を覚ますと、マラチーはすでに隣の寝台の上で跳ね回っていた。


 兄が起きたことに気づいた瞬間、勢いよくその上へ飛び乗ってくる。


「起きて! 面白そうなことが山ほどあるんだよ! 街を見学したり、機械を借りたり、新しいオタク仲間を作ったり!」


「うう……。なんでそんな朝早くから元気なんだよ」


「ここは僕にとって、夢が叶ったような場所だからだよ。……むしろ、なんで兄さんはまだ寝てたの?」


「森野は今日、ゴブリンを探すって言ってただろ。観光するわけじゃない。……何がそんなに嬉しいのかわからん」


「その二つは両立するんだよ、この原始人め」


「はいはい」


 ダチーは目を擦りながら寝台の端へ腰かけ、床に落ちていた上衣を拾って身につけた。


 兄弟が居間へ向かうと、亜斗夢が長椅子に座り、映像装置を眺めていた。


 その足元では、狼になったルカが丸くなっている。


 亜斗夢は僅かに体を離し、映像の番組を切り替えた。


 マラチーとダチーの姿を目にした途端、低く呻き、二人に気づかなかったふりをする。


 マラチーが元気よく手を振った。


「おはようございます、殿下!」


「そう畏まるな」


 亜斗夢が告げる。


「余は妹とは違う。あれは常に、他者からの承認を欲しがっているからな」


 ルカが人間の姿へ戻った。


「まだ灯里と和解していないんですか、殿下?」


「見下すような口を利くな、平民。……余があの忌まわしい女の惨たらしい死を願っていることは、よく知っているはずだ。……だからこそ、母上に進言して、あの小さな部隊を分断させたのだ」


「本当にあんたがやったのか?」


 ダチーが問い詰める。


「でも、なんで? そのせいで藤井を助け出すのが、遥かに難しくなるんだぞ!」


 亜斗夢が喉を鳴らして笑った。


「それが狙いだ。……余は藤井将軍を高く評価している。だが指揮権を与えられたあの女が、どれほど無様に失敗するのかを見るのが楽しみでな。……あの女の評判が地へ落ちた後で、藤井将軍の解放に全力を注げばよい」


 亜斗夢が立ち上がる。


「あの女が、人間どもを気にかけ始めるとはな。……まったく、今のあの顔を見てやりたいものだ」


 そして値踏みするようにダチーを眺めた。


「まあよい。光栄に思え。貴様は今、王家の長子にして、最も多くの功績を挙げた者の前に立っているのだ」


 ダチーとマラチーが揃って頭を掻いた。


「それは……すごいな?」


 ダチーが答える。


「技術にもお詳しいんですか?」


 マラチーが興味深そうに訊いた。


「もう少し熱意を示すところだぞ。……だが構わん。余と、あの卑しい妹との差を直々に見せてやるまでだ」


 そのとき、部屋の扉が激しく叩かれた。


「おい、坊主ども! 起きろ! 感知器が北西部を移動するゴブリンどもを捉えた! 出発するぞ!」


 亜斗夢が拳の関節を鳴らした。


「早くも、直々に見せてやる機会が来たようだ。……遅れずについてこい、下郎ども」


 亜斗夢は扉を勢いよく開き、そのまま廊下へ出ていった。


 ダチー、マラチー、ルカは、床に置かれていた部隊の軍装を掴み取る。


「あんまり友好的な奴じゃないよな」


 ダチーが評した。


「あの人の妹を見ただろ?」


 ルカが指摘する。


「灯里と張り合い続けるには、それだけ強烈な自負が必要ってことだよ」


 装備を身につけた三人は、亜斗夢を追って部屋を飛び出した。


 廊下には、すでに兵士たちが集められている。


 その突き当たりに修が立っていた。


「聞け、兵士諸君! 諸君の目的は、ゴブリンどもを大工場へ近づけさせないことだ! 展示会へ向けた最終準備が進められている! 監督官は、いかなる遅滞も望んでおられん! 了解したか!」


「はっ!」


 兵士たちが一斉に答えた。


「全員を五人ずつの組へ分ける」


 修が続ける。


「そのほうが、より広い範囲を捜索できる。……誰一人として、自分の組から離れるな。直ちに動くぞ」


 修が昇降機へ入り、最初の五人がそれに続いた。


 兵士たちが次々と組に分かれていき、やがて亜斗夢、ダチー、マラチー、ルカ、そして森野だけが廊下に残された。


「これで、俺たちの組も決まったな」


 ダチーが言った。


「まあ、お前ら坊主どもは、一秒たりとも目を離せんからな」


 森野が答える。


「来い。……それと、誰も英雄になろうとするなよ」


 一同が昇降機へ乗り込む。


 その内部には、これから始まる任務にも劣らない緊張感が漂っていた。


 ほかの兵士たちと共に一階へ到着し、ダチーたちは宿泊施設を出る。


 外では修が、各組へ次々と指示を飛ばしていた。


「甲組は左へ。乙組と丙組は右側を担当しろ。丁組と戊組は後方だ」


 修の視線がダチーたちの上で止まる。


「ふむ。そうだな。……器《ホルダー》とその一行は、防壁付近の前方区域へ配置する」


 アルテルナが人混みを優雅に縫って進み、ダチーの隣へ立った。


「では、私は? どちらへ配置されるのでしょう」


「貴様は丁組と共に後方だ。……そして、ダチーとの許可なき接触など、考えることすら許さん」


「実に残念なこと」


 アルテルナが嘆くように息を吐いた。


「本気の戦いに臨むこの方を、間近で拝見するのを楽しみにしておりましたのに」


「それは別の機会にしろ。……全員、動け!」


 修の号令を受け、各組がそれぞれの担当区域へ散っていく。


 ダチーたちの組も森野の後を追った。


 しかし森野は、若い隊員たちとの間に瞬く間に大きな差をつけていく。


 その体は霞のように動き、足は一度たりとも止まらなかった。


 ダチーが息を整えるため、思わず足を止める。


「まったく! もう八十近いんだぞ! 今までどんな鍛え方をしてきたんだよ!」


 マラチーは触手を使って建物の間を振り進み、ルカは狼へ変身して森野を追う。


 亜斗夢がダチーの隣を走りながら、その顔へ目を向けた。


「飛鳥で見たときよりも遅いな」


「ああ、まあ……体がまだ、あの戦いに追いつこうとしてるんだろ」


「ふん。……貴様は随分と母上に重視されるようになった。近頃では、実の子供たちよりも貴様へ執着しておられる。……なぜであろうな」


「俺だって知りたいよ。……あんたの母親が美人なのは認めるけどな、四六時中まとわりつかれるのは本当に疲れるんだ」


「実に子供じみた返答だ。……妹とほとんど同じ物言いではないか」


「それで、あんたが灯里を憎んでるのは……なんでなんだ?」


 亜斗夢は長い間、答えなかった。


 二人がほかの隊員たちへ追いついても、森野は遥か先を走り続け、一度も振り返らない。


「我らの家族は、昔からこれほど少なかったわけではない。……かつて、もう一人妹がいた」


 亜斗夢がようやく口を開く。


「灯里はその妹と極めて親しく、余もまた同じであった。……だが、ある事件が起こり、あの子は命を落とした」


「なんだって……。じゃあ灯里は、あんたが殺したと思ってるのか?」


「当然だ。……その疑いだけで、あの女は余の人生を地獄へ変えた。あからさまな噂を撒き、余を害虫のように扱い、あげくには母上を説き伏せ、余から王籍を剥奪させかけた」


 亜斗夢が歯を食いしばる。


「あの女は止めねばならん。……余の知る限りでは、あの女こそが妹を殺した可能性もあるのだからな」


「どっちもやってない可能性を、考えたことはあるのか? ……そもそも、遺体は見つかったのか?」


 亜斗夢が拳を強く握り込んだ。


「あった。……血に塗れ、酷く損壊していた。あの傷では、生き延びられるはずがない。……その後、残されたものは波に攫われていった」


「名前は?」


「アズール」


 ダチーの足が止まりかけた。


 頭の中を、一瞬の記憶が駆け抜ける。


 潮の香り。


 人魚の絵。


 青緑色の髪。


(アズール……?)


(どうして、その名前に聞き覚えがあるんだ? ……いや、そんなはずはない。……また力が俺の頭を弄んでるんだろう)


(忌々しい力め。いつも間の悪いときにおかしくなりやがる)


 亜斗夢がダチーの動揺に気づいた。


「どうした?」


「なんでもない。……少し息が上がってきただけだ」


「情けない。ついてこい、人間」


 亜斗夢がさらに速度を上げ、ダチーを砂埃の中へ置き去りにした。


 その直後、ダチーの軍装が淡く輝き始める。


 体が軽くなり、一気に走る速度が上がった。


「おお! これ、身体能力を強化できるのか? なんで誰も教えてくれなかったんだよ!」


 さらに先を振り進んでいたマラチーが、振り返って叫ぶ。


「兄さんが訊かなかったからだよ!」


「だからなんだ!」


 一行は、ようやく割り当てられた区域へ辿り着いた。


 森野が唐突に足を止め、片手を上げる。


「静かだな。……身を隠しとるか、ここを通る機会を窺っとるかのどちらかだ」


「妙ですね。梅子の技術でも、確実には感知できないなんて」


 マラチーが周囲を見回した。


「ゴブリンは、感知そのものを受けつけないんですか?」


「あの透明化能力のせいで、捕捉が恐ろしく難しい。……とりわけ、強い個体はな。熱の痕跡もほとんど役に立たん。体温が外気とほぼ変わらず、隠密能力も完璧に近い」


 森野が目を細める。


「まるで、儂らを苦しめるためだけに、ここへ送り込まれたような連中だ」


(アルテルナ……)


 ダチーは心の中で、その名を呟いた。


(あの女が、こいつらをここへ導いたんじゃないだろうな)


 森野が片手を斧へ置いたまま告げる。


「ここに留まり、一帯を調べる。……儂は屋根を担当する。お前らは通りを調べろ」


 言い終えたときには、森野はすでに建物の壁を駆け上がっていた。


 そのまま一気に登り切り、屋根の上へ飛び移る。


「行っちまった」


「第三位の将軍か」


 亜斗夢が感嘆したように見上げる。


「それも、人間でありながら。……実に見事だ」


「S部隊の番号って、将軍の強さ順なんだろ?」


 ダチーが訊く。


「つまり、八十歳近い俺の祖父さんが、あんたらの精鋭将軍のうち四人より強いってことか?」


「まさに、そういう意味だ」


「そりゃすごいな」


 そのとき、近くで何かが動く音がした。


 一行が即座にそちらへ向き直り、一斉に銃を構える。


 黒髪の少女が、路地の奥から姿を現した。


「あら。亜斗夢、あなたとその手下たちは、私を撃つつもりなの?」


 亜斗夢が銃口を下ろした。


「ああ。西山か」


 ルカがダチーとマラチーの肩を掴み、後ろへ引っ張る。


「逃げる時間だ」


 西山は亜斗夢の真正面まで歩み寄り、片手を腰へ当てた。


「私を無視したままでいられると思っているの? 今すぐその場へ縫い留めないだけ、有難く思いなさい」


「その話は、とうに済んだはずだ。……貴様はいまだに我が妹と結託している。それを余は容認できん」


「まあ、自分の妹を殺しておいて――」


「余は殺していない!」


「殺したのよ!」


 二人が言い争う間に、ダチー、マラチー、ルカは大きなごみ箱の陰へ隠れていた。


 ダチーが頭だけを出し、二人の様子を覗き込む。


「なんで、あの人から隠れてるんだ? 光をもっと気取らせたみたいな見た目じゃないか」


「あれは西山木村様だよ」


 ルカが小声で説明する。


「麻痺属性を持ってる。……その名前どおり、触れた相手を動けなくする。絶対に怒らせたくない人だ」


 亜斗夢の声が通りへ響いた。


「失せろ。……そして貴様のくだらぬ女の徒党もだ。貴様も、光も、灯里も、鶫も、揃って余の前から消えろ。……人間どもと、あの平民のほうが、まだ共にいて心地よい。――この点だけは、妹の言うことが正しかったな」


 西山のこめかみに血管が浮き上がった。


「今、なんと言ったの?」


 前触れもなく、その手が亜斗夢の顔へ触れる。


 亜斗夢の体が大きく跳ね、全身が硬直し、そのまま地面へ倒れ込んだ。


 西山は倒れた王子を跨ぎ、ごみ箱へ近づいてくる。


 ルカが即座に変身を始めた。


「各自で逃げろ!」


 巨大なゴリラへ変わり、建物の壁を登っていく。


 マラチーも両腿へ推進器を形成し、自らの体を空へ打ち上げた。


「来て、兄さん!」


「待て! 俺は使えないって知ってるだろ――!」


 二人は、もう遥か上まで逃げている。


「――力が」


 西山がごみ箱を蹴り飛ばし、その陰に取り残されたダチーを露わにした。


「あら。あなただけなのね。……ほかの小汚いお友達は、どこへ逃げたの?」


「まず第一に、あいつらは小汚くない。……第二に、あんたは可愛すぎて、そんな汚い言葉遣いは似合わないぞ。だから、もう一度最初からやり直さないか?」


「不快な人間ね」


 西山が手を伸ばし、ダチーの額へ指先を押し当てた。


 しかし、ダチーはその場に立ったままだった。


 全身に痺れるような感覚が走り、一度だけ体が震える。


 妙なくすぐったさに、思わず笑い声が漏れた。


 西山が戸惑いながら手を引く。


 そしてもう一度、今度は先ほどよりも強く、ダチーの側頭部へ指を押しつけた。


 何も起きない。


「ええと……それ、やめてくれないか? くすぐったいんだけど」


「なぜ効かないの……? どうして、まだ立っていられるの?」


「俺に訊かれても、見当もつかない」


 西山が低く唸り、今度は両手でダチーの顔を掴んだ。


 それでも、何も起きなかった。


 その瞬間、ダチーの片腕が勝手に動く。


 裏拳が西山の頬を打ち抜いた。


 地面へ倒れた亜斗夢だけでなく、上から見ていたマラチーとルカまで息を呑む。


「今、兄さん……」


「やったね」


 西山が立ち上がる一方で、ダチーは呆然と自分の手を見つめていた。


「なんだ、今のは! うわ、まずい! 悪い! 本当に悪かった! 俺は女を殴るような奴じゃない! 今のは完全に事故で――!」


 そのとき、一つの思念が頭の中へ響いた。


(たとえお前の肉体から力が尽きようとも、器《ホルダー》の意思まで、あの者には操れぬ)


「玄三……?」


 西山の目つきが凍りつく。


 ダチーの喉が鳴った。


「ああ、まずい」


 五秒後。


 ダチーは建物の壁へ叩き込まれ、背中を押さえて悶えていた。


「痛い、痛い、痛い! なんでだ! 何のために!」


 西山がダチーの首へ片足を乗せる。


 その瞳は銀色の光を放っていた。


「よくも私に触れたわね、このちっぽけな定命者が。……あなたは死んだのよ。聞こえた? 死んだ――」


 その言葉が途中で途切れた。


 西山とダチーが同時に頭上を見上げる。


 そこには、十数体ものゴブリンが浮かんでいた。


 直後、梅子全域へ警報が鳴り響き始める。


〈警告。警告。ゴブリンによる大規模襲撃を検知〉


 最も近い二棟の建物から無数の銃器が展開され、そのうち数体を一瞬で引き裂いた。


 だが、さらに多くのゴブリンが飛来し、倒れた個体の位置を埋めていく。


 空中を複雑に飛び回り、建物からの銃火を躱していた。


 先日遭遇したゴブリンが、ダチーを指差す。


「器《ホルダー》……」


 一体のゴブリンが西山へ酸を吐きつけ、女はその場から跳び退かざるを得なかった。


 次の瞬間、ゴブリンの群れが一斉にダチーへ押し寄せる。


 その周囲を旋回し、逃げ道を塞ぐように次々と降り立った。


「ええと……あんたら、仲よく雑談する気はないってことでいいんだよな?」


「あるとも……」


 最初のゴブリンが答える。


「貴様を連れ帰った後にな」


 その背後から、巨大なゴブリンが姿を現した。


 ほかの個体の優に二倍はある巨体だった。


「我らが執行者に挨拶するがいい。……岳斬だ」


 岳斬が首を鳴らす。


 そして次の瞬間、ダチーへ躍りかかった。

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