第三十八話「黒曜の団」
昇降機の中は静まり返っていた。
ダチー、マラチー、森野の三人は、同行する捜査官とともに待っている。
二十階。
三十階。
五十階。
百階。
そして、ついに最上階――千階へ辿り着いた。
昇降機の扉が格納されていく間、ダチーの両手は小さく震えていた。
マラチーは何も言わずに待っている。
その唇からは、一筋の涎が垂れていた。
千階。
そこに広がっていたのは、巨大な事務室だった。
想像もつかない可能性を秘めた機械が、幾つもの大型のガラスケースへ収められている。
ホバーボードか?
形態可変式の機関銃か?
ダチーには、それが何なのか見当もつかない。
だがマラチーは、即座に最も近い展示ケースへ駆け寄った。
「待って――!」
捜査官が呼び止める。
マラチーはガラスへ激突し、そのまま両腕を回して、中身へ夢中で見入った。
「ジェットパックだ! 本当に存在したんだ!」
ダチーが片手で顔を覆う。
森野は咳払いをした。
「おい、坊主。……勝手に品物を調べ回る前に、監督官の許可を取らんか」
事務室の奥にある扉が開き、大勢の衛兵が進み出てきた。
その中央には、灰色の上着とジーンズを身につけた黒髪の男がいる。
顔にかけたサングラスが両目を隠していた。
だが、その視線が少年たちへ向けられていることは間違いない。
「俺の事務所でパーティーか?」
森野が素早くマラチーを展示ケースから引き離した。
「申し訳ありません、監督官。……孫どもは実に衝動的でしてな。こっちは機械仕掛けや珍しい道具に目がないんです」
監督官が肩をすくめる。
「気にしてませんよ、将軍。……こっちがマラチーで、年上がダチーだな?」
「やっとだ!」
ダチーが安堵の息を吐く。
「見分けられる人がいた!」
監督官はサングラスを外し、淡い色の瞳を露わにした。
「藤田明だ。……もう聞いてるだろうが、俺が技術の長。技術関係の面倒事を全部片づけてる」
「あんたが?」
「異星人と友情の力だけで、この島ができたとでも思ってるのか? 違うね。……いい物を手に入れるには、頭が必要なんだよ」
(技術者より、ヤクザみたいな雰囲気のほうが強いな)
ダチーは思う。
(この男の首に賞金が懸かっていても驚かない)
衛兵たちが引き金へ指をかけたまま見守る中、明はダチーと握手を交わし、続いてマラチーにも手を差し出した。
「よろしくな、小僧ども。……珍しい標本が二つも来た」
明がマラチーの頬をつまむ。
「お前は技術属性だったな? 望んだ発明品を、好きなだけ出せるのか?」
マラチーが首を振る。
「そういう仕組みじゃありません。……どちらかというと、僕自身が発明品みたいなものなんです」
「何だ。それなら、とんでもない金になったんだがな。……まあ、お前はまだ新入りか。博覧会に展示してやってもいいぞ」
明が喉の奥で笑った。
「冗談だ」
その意識がダチーへ移る。
「それから、お前が……器と呼ばれてる奴か。……飛鳥で変身した、あのでかくて不気味な蛙を見たぞ。……あんな真似ができるなら、王妃の『最重要人物』一覧に載って当然だ。……もちろん、俺の次にな」
明が森野へ軽く頷き、森野は敬礼を返した。
「監督官。王妃陛下より発注書を預かっております」
森野が腕時計を操作し、書面を表示させる。
明は一行ずつ目を通したのち、溜息をつき、再びサングラスをかけた。
「まったく、あの女は何でも自分中心にしないと気が済まないのか? ……こっちが忙しいのを知らないらしいな。博覧会を取り仕切らなきゃならんうえに、別の客まで来てる。……要求の多い女だ」
「別の客? 誰です?」
「見たいか? あんたらより数日前に着いた。……仲間が滅茶苦茶をやったから、代わりにダチーへ詫びたいんだとさ。……そいつのおかげで、あんたらが来ることも俺は知ってた」
ダチー、マラチー、森野の三人が、張り詰めた視線を交わす。
「そうか……」
ダチーが答えた。
「この流れ、あんまり好きになれそうにないな。……でも、ここまで入り込めてるなら、俺が考えてる奴じゃないはずだよな?」
一つの考えが頭をよぎった。
あの剣を使う女。
(あいつか?)
(あり得る。……過去に俺を見ていたなら、今頃は俺の状況を掴んでいてもおかしくない。……でも『仲間』? あの娘たちのことを言ってるのか?)
明が踵を返し、奥の部屋へ入っていく。
ほかの者たちも、その後へ続いた。
奥にあったのは、巨大な会議室だった。
壁の至るところに設置されたホワイトボード。
中央に置かれた大きな円卓。
奥には投影機。
床には幾つもの小瓶が散らばり、壊れた金属片や回路が転がっている。
そして、円卓の上座に座っていたのは――
――闇のように黒い瞳、紫色の髪、そしてひび割れた黒い肌を持つ女。
見覚えのある二人組と、まったく同じ特徴だった。
「何だよ、こいつ!」
ダチーが声を上げ、後方へ跳びながら両拳を構える。
マラチーも即座に、砲口を女へ向けた。
「あれ、オシックス? 女になったの?」
女が呻く。
「藤田様。……こちらへお連れになる前に、状況を説明してくださるものと思っておりましたが」
「説明したさ。ここに客が待ってるとは伝えた。……それで今、こうして奥へ連れてきた」
「男という生き物は……実に無知ですこと」
明が円卓の片側へ腰を下ろし、ほかの者たちへ手を向ける。
「座れ、諸君。……この女が来てから、ちょうど交渉の最中だったんだ」
「この女と交渉してたのか?」
ダチーが問い返す。
「なあ、確かに見た目はいい。……けど、飛鳥を襲った後援者どもとそっくりだ。史上最大の偶然か、この女自身が後援者か、どっちかだぞ!」
「たぶん後者だね」
マラチーが付け加える。
「そのとおりです」
女が認めた。
「我が名はアルテルナ。あなた方が『後援者』と呼ぶ者たちの中で、第十一位に位置する者。……ですが、私は別の呼称を好みます。……『黒曜の団』と」
「へえ。その名前、自分で考えたのか? 教団に集まった悪鬼の群れってところか?」
「いいえ。我が主がお与えになった名です。……そして我らは『悪鬼』ではありません」
明が椅子へ深く身を預ける。
「この女は、自分たちが本当は何者なのか、どこに住んでるのかは一切話さない。……だが、それ以外のことは驚くほどよく喋る」
「何でだ?」
ダチーが尋ねる。
「この女は何が欲しい?」
「あなたに決まっています」
アルテルナが答えた。
「それこそが、私がここへ来た目的のすべて。……現状、戦闘に意味はありません。……ゆえに監督官は、私の島への立ち入りをお認めくださいました」
森野がアルテルナの姿を注意深く観察する。
「技術の長ともあろう者が、見返りもなしにそこまでの危険を冒すとは思えん。……この女は何を差し出しとる、藤田殿?」
「島の防衛だ」
明が告げる。
「あの鬱陶しいゴブリンどもを知ってるか? まあ、知るわけないか。奴らが梅子へ忍び込み、もう何か月も俺の発明品を盗み続けてる。……この女は、奴らを炙り出して潰すために来た。……その見返りとして、ダチーへ一時的に接触できる」
「最悪の取引だな」
ダチーが言う。
「どうせ最後には、この女が怒って戦いたがるだけだ。……それに俺は、女と戦うのが嫌いなんだよ」
「そうならないことを願います」
アルテルナが答える。
「……ですが、もしそうなったなら、あなた方には一切手加減をしていただきたくありません」
部屋が静まり返った。
だが明は、両脚を円卓へ乗せ、腕を組んだだけだった。
「あんたが相手にしてるのは、社会の長の一人だぞ、お嬢さん。……戦いを始めれば、その場で仕留められる」
「では、そのお言葉を信じることにいたします。……ダチー、二人きりで少しお話ししてもよろしいでしょうか?」
「ええと……」
明がサングラスを傾け、ダチーを見た。
「心配するな。言ったとおり、この街の建物には、一棟につき百門以上のレーザー照準付き銃器が仕込まれてる。……一つでも妙な動きをすれば死ぬ」
「儂はこの女を信用せん」
森野が告げる。
「これほどの技術があろうと、ダチーを攫おうとせん保証がどこにある? ……それに、王妃はこれを反逆と見なさんのか?」
「うん。あの人は、こういうことで怒るタイプに見えるね」
マラチーが同意する。
「見なすかもしれん」
明が認めた。
「だが、あの女は条項に署名した。梅子を王国の一部とせず、本土向けの技術を自由に開発できる独立権を認める条項にな。……つまり、俺には梅子を好きに運営する権限がある。俺が介入の口実を与えない限り、あの女に口を出す権利はない」
「なぜ、そんなものを認めた?」
「王家に首根っこを押さえられていないほうが、俺はよく働けるからだ。あの女も、それを知ってる。……だが、決めるのはダチーだ。お前はどうしたい?」
「まあ、うちの将軍が牢屋に入れられてるからな。……この女が何か証言してくれるなら、助けになる」
「いい考えだ、小僧」
森野が深く息を吸った。
「そうだな。目的を二つ果たせるわけか。……よし、坊主。だが、くれぐれも気をつけろよ」
ダチーが立ち上がると、マラチーがその腕を掴んだ。
「何かあったら、遠慮しないで叫んでね!」
「ああ。……たぶん、その頃にはもう叩きのめされてるけどな」
「最高だね……」
ダチーとアルテルナは、事務室に続く露台へ出た。
そこからは、街全体を見渡すことができる。
アルテルナが手すりへ身を預け、その紫色の髪が風に揺れていた。
ダチーは隣に立ち、その一挙一動を見張る。
「それほど強く見つめる必要はありません」
アルテルナが告げる。
「申し上げたとおり、私はあなたと戦うために来たのではありません」
「でも、いつ気が変わってもおかしくない」
「もちろんです。それが人生というもの。……私の目的を説明しても、あなたを説得できないのなら、力を用いるほかありません。……ですが、ヌルスやオシックスと違い、私にはヴォルティアナ族を、ただ楽しむためだけに虐殺する個人的な理由はありません。……あなたを手に入れるために必要なら、そうしますが」
「そんなことをしたら、あんた自身の目的を潰すだけだ。それは互いにわかってるだろ」
「残念ながら。……だからこそ、戦いは最後の手段なのです。……殴り合うだけで、あなたの同意が得られるとは思えませんから」
「へえ。頭は切れるんだな」
「私は自らを……精確な者だと思っております」
「精確だか何だか知らないけどな。……そもそも、ヌルスとオシックスは何だったんだ? 何であんな混乱を起こした? あんたらは何もかも謎のままなのに、俺には、あんたらの故郷へ飛び込んで暴れ回れって期待してるのか?」
「あの二人は新参者でした」
アルテルナが説明する。
「両者とも、ヴォルティアナ帝国の行いによって、心の奥深くまで傷つけられていた。……あの者たちの行いについては、心よりお詫びいたします」
「まあ、本心には聞こえる。……裏で俺を脅してる奴に出せる範囲の本心としてはな。……だから、回りくどい話はやめよう。俺は藤井を牢屋から出すために、あんたの助けが必要だ」
「その件ですが」
アルテルナが切り出す。
「あなたが私のために一つ働き、私もあなたのために一つ働く。……何しろ、ヴォルティアナの現状は私にとって都合がいい。十分に魅力的な取引を提示されない限り、なぜ私がそれを変えたいと思うでしょう?」
「でも、器は俺が望んだようにしか使えないんだろ? だったら、俺の利益は、あんたの利益にもなるんじゃないか?」
アルテルナが黙り込み、目を閉じた。
「そうだろ。……じゃあ、俺が今ここで断ったらどうなる? あんたは俺を殺して、別の器を探すしかない。単純な話だ」
「単純ではありません。それは選択肢に入りません。……器が別の人間へ渡れば、追跡はほぼ不可能になる。……それに、人間は実に……多彩な性格を持ちます。次に現れる者次第では、大惨事になりかねません」
「じゃあ、答えは決まってるな」
「ふむ。……見積もっていたより、鋭い方ですね。……協力いたします。ですが、あなたにはまだ一つ、私へ借りを返していただきます」
「わかった。何だ?」
「あなたは器です。ですから、多少の……事故を起こしたところで、彼らはあなたを殺しはしない。……我が主は、梅子の技術に大変な関心をお持ちです。……発明品を一つ、私のために持ち出していただけるなら、あなたが必要とする情報をすべてお伝えします」
(くそ。この女、うまいな)
ダチーは思う。
(俺が敵を助けさせる代わりに、俺にも敵を助けさせる。……ほかに選択肢はないよな? ……戦おうにも、俺の力は消えたまま。楽々と叩きのめされる)
ダチーが眼下に広がる街路を見渡した。
「わかった。博覧会でやる。……ただし、渡すのは一つだけだ」
「それで十分です。……そして、あなたに与えられる時間は五分だけ。……その間に何を記録するにせよ、慎重になさることをお勧めします」
「取引成立か?」
アルテルナが差し出された手を握り返す。
「成立です。……中へ戻りましょう。私には、果たさなければならない別の取引があります」
二人が事務室へ戻ると、衛兵たちが即座に銃口をアルテルナへ向けた。
アルテルナは身じろぎ一つしない。
「戻ったぞ」
ダチーが告げる。
「この女は俺を捕まえようとはしなかった。……あんたらに見えてたかは知らないけどな」
「心配しとったんだ」
森野が認める。
「儂が自分で外へ出ようとしていたところだぞ」
「大丈夫だと言っただろ」
明が繰り返す。
「少しは肩の力を抜け、将軍」
そして椅子から立ち上がった。
「さて、そっちが片づいたなら、次はもっと差し迫った問題だ。――ゴブリンども。……技術博覧会は今週開かれる。……始まった途端に襲ってくると見て、まず間違いない」
ホワイトボードの一つに、梅子の地図が表示された。
明が指し棒を掴み、地図を叩く。
「博覧会の会場は大工場だ。……梅子の住民のほぼ全員に加え、本土からもヴォルティアナ族が集まる。……百万人を超える規模になる。……中にある発明品を一つでも奴らに奪われれば、虐殺になりかねん」
アルテルナは、その説明を聞きながら低く鼻歌を歌っていた。
「何を提案しとる?」
森野が尋ねる。
「ここにいる、俺が雇った用心棒と組んでほしい、将軍。……王妃の発注を果たすには、まず侵入者どもを片づける必要がある。……つまり、奴らを残らず始末するか島から追い払うまで、あんたらにはここへ滞在してもらう」
「おお、じゃあ博覧会へ無料で入れるってこと?」
マラチーが声を弾ませる。
「僕の緻密な頭じゃ、この興奮を処理しきれそうにないよ!」
「ほかにどうやって賊を片づけるつもりだ? 忍者みたいに影から動くか?」
ダチーが片手を上げる。
「待った。俺たちはアルテルナと組むのか? その……肩を並べて?」
アルテルナがダチーへ視線を投げた。
怒りでも、驚きでもない。
純粋な氷のような眼差しだった。
明が頷く。
「今この瞬間から、この女がお前らの相棒だ」




