第三十五話「祖父」
ダチーが目を開けると、そこは装甲指揮車の中だった。
藤井を除くS-1部隊の面々と沙織が、その周囲に集まっている。
ナイトは扉の傍らに寄りかかり、傷ついた腕を撫でていた。
「坊やが目を覚ましましたよ」
マラチーがダチーを抱き寄せる。
「兄さん! 無事だったんだね! あの咆哮、本当に肝が冷えたんだから!」
「平気だ」
ダチーは抱き返しながら答えた。
「まったく問題ない……」
ルカが破壊された区画へ目を向ける。
「じゃあ、あの巨大な化け物……あれはお前だったのか。変身できるなんて、一度も言ってなかったよね」
ダチーが自分の手を見つめた。
「年寄りが力を貸してくれたんだ。……まあ、巨大な怪物になるのも、けっこう気持ちよかったけどな」
外では兵士たちが通りを巡回し、生存者を救助しながら瓦礫を退けていた。
数台の車両が、装甲指揮車の両脇を固めている。
マラチーはダチーを支え、車内の座席へ座らせた。
「とにかく、兄さんを失わずに済んでよかったよ」
「ありがとな」
沙織もダチーを抱きしめる。
「ダチーも無事でよかったです! あんな巨大な姿に変わったときは、最悪のことまで覚悟しました……」
「心配するな。俺は平気だ。……ただ、体中が痛い。全身がな。……属性の力さえ感じられないくらいだ」
「俺も初めて狼に変身したときは、そんな感じだったよ」
ルカが説明する。
「肉体の形を変えるのは楽じゃない。でも、そのうち慣れる」
「これから、あれが普通になるわけ?」
光が尋ねる。
「人間の姿でも十分ひどかったのに、今度は顔のない空飛ぶ豚?」
そして素早く顔を背けた。
「別に心配しているわけではないけれど!」
ナイトが装甲指揮車の扉を開ける。
「まあ、坊やも目を覚ましたことですし、私の仕事はこれで終わりです。……都へ向かいなさい。政府が報告を求めるでしょうし、捜査官たちも待っています」
跳び降りようとしたナイトの腕を、灯里が掴んだ。
「待ってください! 藤井将軍はどうなるのです?」
「何とも言えませんね。……襲撃を企てた容疑者二人は、煙の塊以外、何一つ残していない。証拠を残さないことも狙いのうちだったのでしょう。……ですから、藤井の無実を決定づける証拠はありません」
ナイトは車外へ跳び降りた。
「いずれ道は見つかりますよ。……あの虹の娘を使いなさい」
その姿が遠ざかり、扉が閉まる。
灯里は沙織へ向き直り、腰へ両手を当てた。
「さて、沙織様。……説明していただくことが山ほどある」
「わかっています……」
沙織が力なく答える。
光がその前へ踏み出した。
「ちょっと、灯里! この子はよくやったわ! 本当にこのまま届け出るつもり? S-4へ送られたらどうするのよ? それともS-5? まさか……S-6なんてことになったら?」
「登録しなければならない、光。これが正規の手順だ。……さもなければ、未登録の属性者を匿ったとして、我ら全員が処罰される」
沙織が両手の親指を落ち着きなく絡ませた。
「皆さんを危険にさらしたくありません。……それに、戦いが終わってから、ずっと考えていました。……私、軍に入ります」
全員の動きが止まった。
「入るって?」
ダチーが訝しげに尋ねる。
「軍隊暮らしは嫌いだったんじゃないのか? 毎日が陽射しと虹に囲まれた楽園じゃないって、わかってるよな?」
「面白い冗談だね、相棒」
ルカが鼻を鳴らす。
「うん、最高のタイミングだね」
マラチーも目を回しながら付け加えた。
「私から志願すれば……」
沙織が続ける。
「皆さんと同じ部隊を希望できるかもしれません。……皆さんは私の命を救い、母上の命まで助けてくれました。せめて、それくらいはしないと」
そう言って、光へ視線を向ける。
「指揮を執っているのは姫殿下でしょう?」
ルカが灯里へ問いかけた。
「やらせてみる? うまくいかないかもしれないけど」
「属性者がもう一人加われば、役に立つことは確かだ」
灯里が認める。
「それに、お前たち男どもの偏りを均すためにも、女子がもう一人いるのは悪くない」
腕を組む。
「よかろう。やってみよう。……周囲が痺れを切らす前に、すぐアレオラへ向かえ」
マラチーが操縦席へ飛び乗り、エンジンを吹かして急発進した。
衛兵たちが慌てて身を投げ出し、道を空ける。
装甲指揮車はその横を猛烈な勢いで駆け抜け、途中で何度か建物の角へ車体をぶつけた。
「冗談だろう……」
灯里が呻く。
「誰か代わりに操縦してくれ。頼むから!」
「いや、任せてよ! 僕を信じて! 姫殿下、速度を上げて!」
灯里が首を振った。
「絶対に後悔するな、これは……」
装甲指揮車の床へ手を触れる。
車体が先ほどの倍の速さで飛び出し、地面へ長いタイヤ痕を刻んだ。
マラチー以外の全員が車内の座席へ投げ出され、沙織はダチーの隣へ着地する。
「任務って、いつもこんな感じなんですか?」
沙織が尋ねた。
「たぶんな。俺もまだ二回しか出てないから、はっきりとは言えないけど。……ただ、支給される銃と携行用の刃物が最高なのは確かだ。藤井からの給料は、まだ待たされてるけどな」
「あ、私はお金なら要りませんよ」
沙織が懐から大量の硬貨を取り出す。
灯里と光が揃って息を呑むほどの量だった。
「ほら。母上の姓を持っているだけで、私は価値のある人間として扱われるんです」
「女ってのは、みんな甘やかされてんだな」
ダチーが小さく漏らす。
「今、何て言った?」
少女たちが一斉に詰め寄った。
ダチーがルカを指差す。
「俺は何も言ってねえ! こいつが言ったんだ!」
「そうだね。俺とお前、声も話し方もまったく同じだもんね。……都合の悪いことは、何でもルカのせいにすればいいよ」
マラチーが街路を進みながら含み笑いを漏らす。
「ああ、これこそ僕の好きな友情だね」
光がマラチーを睨みつけた。
「ごほん。これは友情ではないわ。……同じ部隊だから、仕方なくあなたたちに付き合っているだけ。それだけよ。部隊の務めとしてね」
灯里が座席へ背を預ける。
その顔に、わずかな笑みが浮かんだ。
ダチーが目を向けると、灯里はすぐさま真顔へ戻る。
そんな騒がしい道中は、なおも続いた。
*
都へ到着すると、装甲指揮車は城近くにある裁判所の一つへ乗りつけ、今度は完璧に停車した。
燕尾服姿の捜査官が四人、外で待っている。
少年たちが車外へ降りた瞬間、捜査官たちは一行を扉の向こうへ案内した。
そのうちの一人が、写真を数枚撮影する。
裁判所の中には、傷を負った貴族たちの長い列ができていた。
一人ずつ事情を説明したのち、担架で運び出されていく。
女性の受付係が順番に対応しており、S-1の姿を見つけると、手を振って呼び寄せた。
「S-1! こちらへ! 法官が皆様の報告をお求めです!」
「法官?」
ダチーが繰り返す。
「それって、王妃の呼び名か何かじゃないのか?」
「違うよ」
ルカが答える。
「男爵夫人が軍務の長で、米村が保安の長なのと同じように、法官は政府の長なんだ。……退屈な仕事を全部やってる。法の執行、規則の維持、それから上層部を批判から守ること」
ルカが指を鳴らし、沙織を指差した。
「属性者の扱いも担当してる。……無力な姫君を襲う人間は別だけどね」
灯里がルカの腕を掴み、背中へ捻り上げる。
「痛っ! わかった! 落ち着いて! 悪かったよ!」
灯里が手を放すと、ルカは痛む腕を撫でた。
ダチーは両手を懐へ入れ、後ろを振り返らないようにしながら、受付係の待つ演台へ近づいていく。
「こんにちは」
受付係が一行を迎えた。
「今回の状況について、ご説明いただけますか、ジョーンズ殿?」
「何て言えばいいかな。人間一人と、その衛兵の相棒が俺を裏切って、誘拐しようとした。ついでに大勢を殺して、沙織の母親を傷つけて、藤井を牢屋送りにした」
「まあ、実に率直ね」
光が評する。
「兄さんは昔から、ああなんですよ」
マラチーが告げる。
「見ればわかるわ」
受付係が咳払いをした。
「姫殿下、この証言が正しいと確認していただけますか。『はい』か『いいえ』でお答えください」
灯里が頷く。
「ずいぶん粗野な言い方ではあるが、事実だ。我らは襲撃者を退け、あの者たちは自ら命を絶った。……ヴォルティアナは無事だ。だが、犠牲者を無視することはできん」
受付係は立体映像の操作面へ記録を残し、続いて沙織へ意識を向けた。
「そして、こちらの方は……中村沙織様ですね」
「告白があります」
沙織が宣言する。
片手を掲げると、その掌の中に小さな虹が形成された。
受付係の動きが止まる。
「虹属性……」
「はい。ずっと前から持っていました。でも、軍には入りたくなかったんです。……けれど今は、母上が傷ついて、もう私の踊りを手伝えません」
沙織が拳を握り、空へ突き上げた。
「こんなことをした連中全員に、きっちり報いを受けさせたいんです! だから、どうか私をS-1部隊へ入れてください!」
その場にいた全員が沙織へ顔を向け、受付係までもが言葉を失った。
やがて平静を取り戻すと、演台を降りる。
「こちらへご同行ください。……検査と血液分析を行う必要があります。その結果をもとに、法官がどの部隊への適性をお認めになるか、判断することになります」
受付係は沙織を奥の部屋へ連れていった。
「あの子、その……体を切り開かれたりしないよな?」
ダチーが心配そうに尋ねる。
「お前の想像しているような意味ではない」
灯里が説明する。
「ただの簡単な検査だ。……お前たち人間が『健康診断』と呼ぶようなものだな」
「いや、俺、健康診断なんて七年も受けてないから、それじゃわからないんだけど」
灯里が出口へ向かう。
「行くぞ。法官が姿を現す前に、ここを出る。……あの女が来たら、永久に家へ帰れなくなる。あの大袈裟な芝居に付き合わされるからな」
残った一行が灯里に続き、裁判所を出た。
捜査官たちの頷きを受け、装甲指揮車へ戻って走り出す。
何十台もの軍用車両が後方へ続く中、装甲指揮車は家路を辿っていった。
ダチーが顔を撫でる。
「本気で、どこへでもついてくるつもりか? 俺、何もしてないだろ!」
「お前は、我が国でも屈指の防備を誇る区画のど真ん中で、途方もなく巨大な怪物へ変身した。別の属性者を消し飛ばし、そのうえ母上がお前を監視させている理由にまで口を挟んだのだぞ」
灯里が指摘する。
「それ、本気で言っているのか?」
「いや。あいつらに失せてほしいから言ってるんだよ」
ルカが狼へ変身し、座席の上へどさりと寝そべった。
光がその姿から身を引く。
マラチーが運転を続ける中、一つの疑問を口にした。
「そういえば、ヌルスとオシックスが誰のために働いていたのかも、本当は何者だったのかも、まだわかってないよね」
「そのとおりだ」
灯里が同意する。
「今日のところは敵を退けた。だが、必ず戻ってくる。……我らがあれほどのことを知った今なら、なおさらだ」
航法席へ腰を下ろす。
「だが、まずは将軍を取り戻さなければならない。……藤井は我らに何かを隠している。私にはわかる」
灯里が計器盤のボタンを押した。
「B房棟へ案内しろ」
頭上に地図が現れ、マラチーはそこに示された経路を辿っていった。
*
B房棟。
米村と護衛の一団がすぐ後ろを歩く中、一行は角を曲がり、監獄の最奥にある房棟へ到着した。
「ほら、ここだ」
米村が告げる。
「貴様らが死ぬほど会いたがっていた男だ」
確かに、藤井は房の中に座っていた。
金属の球を宙へ投げ上げては、片手で受け止めている。
灯里が格子を叩くと、その手が止まった。
「藤井将軍!」
藤井が身を起こす。
「おやおや? 我が可愛い部隊と、恐ろしい監獄長様ではないか! どうした、ひよっこども?」
「あの二人を倒しました」
ルカが告げる。
「俺たちの中に紛れ込んでいた敵を」
「よし! お前たちならやれると思っていた。……俺が鉄格子の中に閉じ込められているのが、残念でならんな。そうでなければ、盛大なピザの宴を開いてやったのに」
「でも、あんたは何もやってないんだろ?」
ダチーが尋ねる。
「それでも出してもらえないのか? 応輝――いや、オシックスが、あんたに罪を着せたんだぞ!」
米村が襟元を整えた。
「貴様らの語った詳細と現状が、何者かによる藤井の身分偽装を示しているのは確かだ。……だが、釈放の手続きはそう単純ではない」
「でも、あんたは保安の長だろ? 出してやればいいだけじゃないのか?」
「できなくはない。だが、それでは法官との間に余計な面倒が生じる。……ここでは手順を重んじるのでな。血の裁きで己を証明しなければならなかった貴様ら兄弟とは違い、藤井将軍には、より正式なやり方で忠誠を証明してもらう。――法官の面前でな」
光と灯里とルカが、同時に息を呑んだ。
「何だよ?」
ダチーが吐き出す。
「あの女と藤井、何か因縁でもあるのか?」
「あるとも」
米村が認める。
「ああ」
藤井が喉の奥で笑った。
「あの女は俺を憎んでいる。俺もあの女を憎んでいる。……だが、まあいい。お前たちが必要な証拠をすべて見つければ、あの女も俺の無実を否定できん」
灯里は藤井と部隊の仲間たちを交互に見たあと、力強く頷いた。
「必ず成し遂げるとお約束します、将軍。……我らがあなたを解放します」
「よし。……その間、お前が将軍だ。S-1を台無しにする予定など、入ってはいないだろうな、姫殿下?」
「まったく入っておりません、将軍」
そのとき、数人の衛兵が部屋へ駆け込んできた。
米村へ頭を下げ、兄弟のほうへ手を向ける。
「監獄長! あの方です! 森野将軍と部隊が帰還されました!」
全員が息を呑んだ。
「どこにいる?」
ダチーが尋ねる。
「外です! お孫様たちをお待ちです!」
藤井が少年たちへ親指を立てた。
「行ってこい。……気づいた頃には、俺もここを出ている。そうしたら、また元どおりだぞ、ダチー」
ダチーは藤井へ一瞥を投げ、マラチーとともに部屋を出た。
衛兵たちが二人を外へ案内する。
そこには、部隊の軍装をまとった、年老いた黒人の男が待っていた。
ふわりと広がる灰色の髪をしている。
「おうおう」
男が声を上げた。
「久しぶりだな、坊主ども」




