第三十二話「共に戦う」
城の露台から、王妃は飛鳥区に立ち昇る煙を見つめていた。
国王が外へ出て、その隣に立つ。
「いったい、何が起きている……?」
国王が尋ねた。
王妃は奥歯を噛み締める。
「敵が姿を現しました。……我が愛する飛鳥の只中に。そして、私の大切な小さき人間を奪いに来たのです」
腕を差し出すと、腕時計の上に立体映像が浮かび上がった。
映し出された通りでは、ダチーがヌルスと激しく打ち合っている。
国王が息を呑み、王妃さえも凍りついた。
「な、何なのだ、あれは……?」
王妃は腕時計のボタンを押した。
画面へマイクの印が現れる。
「ヴォルティアナの民よ! 我は汝らの王妃である! 現在、我が国は敵の攻撃を受けている! 敵の狙いは、我らが兵士の一人だ! 出動可能な全部隊は直ちに飛鳥区へ向かい、ジョーンズ殿を守れ!」
戦場から新たな咆哮が響き渡った。
王妃は露台から飛び立とうとする。
「もうよい。私が自ら出向きます」
国王がその腕を掴んだ。
「待て、妃よ! お前まで戦場へ入れば、重傷を負うかもしれん! これが、お前を誘い出すための罠だったらどうする!」
「あの少年は、永遠に繁栄し続ける帝国への鍵かもしれぬのです」
王妃が告げる。
「二度までも失えば、この国は本当に崩れかねません」
腕時計の映像が着信画面へ切り替わった。
王妃が応答する。
「男爵夫人」
鋭く威厳に満ちた声が返ってきた。
「国王陛下のおっしゃるとおりです、王妃陛下。……あの少年が我らにとって最も重要な資産であろうとも、あなた様はこの国の頂点です。あなた様を失えば、どのみち我らは崩壊します」
「ふん。ならば、どうするつもりです?」
「ナイト将軍とS-1部隊が近隣におります。さらに、出動可能な全部隊を直ちに現地へ送ります。……それでも失敗するようであれば、私自らが出向きましょう」
「失敗は許しませんよ、男爵夫人」
「承知いたしました、陛下」
通信が切れた。
国王が妻の肩へ手を置く。
「案ずるな、妃よ。今日、我らは負けぬ」
「ええ。負けません。……あの者が何なのか、今の我らには理解できていない。ですが、今日が終わる頃には理解しているでしょう」
王妃は映像の中のダチーを見つめた。
「そして、あの者は我らの究極の兵となるのです」
飛鳥区から立ち昇る煙は、さらに高くなっていく。
その下では、大勢の住民が悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。
*
ヌルスがダチーの頭を建物の壁へ叩き込み、そのまま壁を突き破らせた。
ダチーは壁を内側から殴り抜く。
その一部を引き剥がすと、巨大な破片でヌルスを殴りつけた。
さらに顔へ肘を叩き込み、強引に間合いを開ける。
「覚えが早いな」
ヌルスが感心したように言った。
「なぜ我らと戦う? ……我らの導きがあれば、一か月もかからず器の力を使いこなせるようになるぞ」
「そりゃご親切にどうも」
ダチーが両手を打ち合わせた。
周囲の重力が一気に増し、ヌルスが片膝をつく。
「無効化」
奇妙な力の波がヌルスの全身を走り、ダチーへ迸った。
次の瞬間、周囲の重力が元へ戻る。
ダチーは腰から刃を抜いた。
「何だ、それは」
ヌルスが嘲る。
「プラズマの刃か? そんな玩具で俺を傷つけるつもりか」
「さあな。試してみよう!」
ダチーがヌルスの胸へ刃を振り抜いた。
だがヌルスは瞬時に後退する。
切り裂かれたのは、空気だけだった。
ヌルスがダチーの腕を掴む。
ダチーの瞳が、徐々に元の色へ戻り始めた。
手足から力が抜けていく。
それでも最後の力を振り絞り、ヌルスの顔へ頭突きを叩き込んだ。
その衝撃で、どうにか拘束から抜け出す。
「器は日を追うごとに強くなる」
ヌルスが評した。
「第二の形態も、実に順調に芽吹いている。……だが残念ながら、力の大きさと技量は別物だ」
ダチーが銃を抜き、光弾を撃ち込む。
ヌルスは、そのすべてを容易く吸収した。
その隙にダチーが懐へ入り込み、刃でヌルスの片腕を斬り落とす。
返す刃で、その目も斬り裂いた。
ヌルスが感心したように手を叩く。
「賢いな」
ダチーがその背後へ着地した。
「なんでだ? なんで、こんなことをする? 何が手に入るんだ? 言っただろ。俺はあんたらの側にはつかない!」
ダチーは刃を構え直す。
「ここの連中が善人じゃないとしても、あんたが全員を操ってたのは、この目で見てきた!」
「人形遣いには、人形が必要だ」
「なら、その人形遣いには一発痛い目も必要みたいだな。……当ててやろうか。あんたも大量虐殺がしたいのか?」
「否、否、否! 我らはそれを駆除と呼ぶ。鼠は処理せねばならん。当然だろう?」
ヌルスが両腕を広げた。
「そして、今こそ絶好の機会だ。藤井もいない。男爵夫人もいない。あの哀れな王妃も、その夫もこの場にはいない。……あの畜生どもには、報いを受けさせねばならん」
ヌルスの全身から放たれる力が急激に膨れ上がる。
ダチーが素早く後退した。
「あいつら全員が、報いを受けるべきなんだよ!」
ヌルスの掌から、巨大な無効の奔流が放たれた。
ダチーは吹き飛ばされ、大型ごみ箱の裏へ叩き込まれる。
起き上がろうとしたとき、両手足が体を支えられなくなっていることに気づいた。
「立とうとするな。お前の両脚を無効化した。……話の続きをしようではないか」
ヌルスがゆっくりと近づいてくる。
「何しろ、戦えば戦うほど、互いに理解し合うことが難しくなる」
「なら話せよ。ヴォルティアナがあんたと仲間に何をして、大量殺人者へ変えたんだ?」
ダチーが睨み上げる。
「オシックスからは、奴らに故郷を滅ぼされたと聞いた。だから、あんたも同じことをやり返しに来たのか?」
「そのとおりだ。目には目を、というやつだ。……なぜ奴らに生きる資格がある、ダチー? なぜ、この大陸の善良な人々へさらなる惨禍を撒き散らすことを許す?」
ヌルスの声に熱がこもっていく。
「我らには共通の敵がいる! それが見えていないのは、お前ただ一人だ!」
「あんたら、本当に大量虐殺が好きなんだな。……何もしてない子供はどうなる? 罪のない年寄りは? 俺の祖父さんは、ここで働いてる! あの人も死ぬべきだってのか?」
「ふむ。今度はお前が、俺の口へ勝手に言葉を押し込んでいるな」
ヌルスが目を細める。
「……だが、ヴォルティアナと関わる者は、誰であろうと滅ぼされねばならん」
「なら答えは決まりだ。死んでも御免だね。……今日はここまでにするか? それとも、まだその妄想を垂れ流したいか?」
ヌルスがダチーの体を空へ投げ上げた。
上昇する中、ダチーは両脚へ感覚が戻り始めたことに気づく。
両脚を抱え込み、砲弾のように体を丸めた。
灰色の光が全身を包む。
そのまま急降下し、道路全体が跳ね上がるほどの勢いで地面へ激突した。
煙が晴れたとき、ダチーはヌルスの胸へ大振りの拳を次々と叩き込んでいた。
だがヌルスは、そのすべてを片手だけで払い落とす。
最後に掌を押し当て、ダチーを後方へ吹き飛ばした。
「来い。オシックスが、ほかの者どもを抑えているはずだ。……その間に、ここから逃げる」
ヌルスは力の抜けたダチーを抱え上げ、そのまま走り出した。
ダチーは抵抗しようとするが、両手足がまるで動かない。
「最高だな。また誘拐かよ! あんた、時間を無駄にしてるだけだぞ!」
「そうかもしれん。だが、ヴォルティアナにお前を利用させない。それだけでも、俺にとっては十分すぎる成果だ」
ヌルスはダチーを抱えたまま、通りを駆け抜けていく。
その前方へ衛兵隊が現れ、ヌルスの胸へ一斉に照準を合わせた。
「撃て!」
無数の光弾が放たれる。
ヌルスはそのすべてを吸収し、即座に撃ち返した。
返された攻撃が衛兵たちの鎧を紙のように貫く。
ヌルスは一度も足を止めず、その場を突破していった。
さらに多くの衛兵が、背後から追いすがる。
「逃がすな! 器を抱えているぞ!」
ヌルスが速度を上げた。
建物が弾丸のような速さで左右へ流れていく。
衛兵たちは、巻き上がった砂埃の中へ瞬く間に置き去りにされた。
その腕の中で、ダチーの体がぴくりと動く。
ヌルスが反応するより早く、ダチーはその側頭部へ拳を叩き込んだ。
拘束から抜け出し、地面へ飛び降りる。
「無駄な足掻きだ。避けられぬ運命に抗うとは」
ダチーとヌルスが、正面から睨み合った。
「今夜、望みを叶えられない奴が一人いるってことだな」
ダチーが言う。
「そうだ」
ヌルスが頷いた。
「それが人生というものだ。我らは、それを受け入れて進む」
「なら、拳で決めようぜ。この器が何なのかは知らないが、欲しいんだろ? だったら、力ずくで奪ってみろ」
「異論はない。……言っただろう。戦いの悦びは、その最中にこそある!」
二人が同時に地面を蹴り、互いへ突進した。
その瞬間――
凄まじい力の奔流が周囲の建物を引き裂き、ヌルスを横から吹き飛ばした。
ヌルスの下半身が、跡形もなく千切れ飛ぶ。
だが消失したのと同時に、腰から新たな両脚が生え始めた。
ヌルスは再生したばかりの足で、完璧に着地する。
ヌルスとダチーが同時に、攻撃の飛んできた方角へ振り向いた。
「姫殿下?」
ダチーが目を見開く。
そこには、片手を突き出したままの灯里が立っていた。
「ようやくだな」
灯里が低く言う。
「貴様ら、ついにその醜い面を晒したか。……よい。ならば私自ら、この手で沈めてやる」
ヌルスが、取るに足らないとでも言うように手を振った。
「見てみろ。取るに足らぬ姫君が、畜生の母親そっくりになろうとしている」
「今、何と言った?」
灯里の表情が一変する。
「母上の名をその汚い口にするな、害虫が! 跡形もなく殲滅してやる!」
灯里が地面を踏み鳴らした。
建物ほどもある巨大な力の塊が、地面から噴き上がる。
ヌルスさえ、その圧倒的な規模を見上げずにはいられなかった。
「おい、まさか――」
巨大な一撃が、ヌルスの頭上から落下した。
轟音とともに地面が陥没する。
あとに残ったのは、ヌルスの骸骨と、激しく脈打つ心臓だけだった。
灯里は即座に、剥き出しになった心臓へ次の一撃を放つ。
だがヌルスは一瞬で全身を再形成し、その攻撃を吸収した。
「目覚めの合図をありがとうございます、姫殿下。……危うく、まだ器だけを相手にしている気分でいるところでした」
ヌルスが口元を歪める。
「これでもう、手加減する必要はない」
四本の指を立て、銃口のように灯里へ向ける。
その指先から、暗い力の弾が四発放たれた。
灯里が地面へ触れる。
白い力の盾が周囲へ形成され、最初の三発を受け止めた。
しかし最後の一発が、盾を粉々に打ち砕く。
「くそっ……」
灯里が呻いた。
「あの一撃にも耐えたのが心臓だけなら、そこが核だと気づくべきだった」
「生き延びることには、誇りを持っていてね、姫殿下。……だが、あなたはそう長く生きられん」
灯里が力の弾を放つ。
ヌルスも同時に攻撃を放ち、二つの力が正面から激突した。
その隙を突き、灯里はダチーを掴んで建物の屋上へ跳び上がる。
ヌルスが地上から二人を見上げた。
「大丈夫か?」
灯里が尋ねる。
「へえ、今になって訊くのか。ありがとうございます、姫殿下! おかげさまで絶好調ですとも!」
「その態度を続けるなら、今すぐ置いていってもよいのだぞ」
「え? そんなこと言ってないだろ!」
ヌルスが屋上の二人へ手を差し出した。
「降りてきてもらえるか? 獲物を追い回すのは好かん」
灯里のこめかみに青筋が浮かんだ。
それでも自分を落ち着かせ、隣のダチーへ目を向ける。
「ところで、ここへ来る途中で光たちを見た。……あれは自分から言わんだろうが、お前を心配していたぞ」
そして、ダチーが驚いたことに――
灯里は彼へ微笑みかけた。
「光を守ってくれたこと、礼を言う」
「なんだって――?」
ダチーの瞳が元の色へ戻った。
(今、笑ったのか?)
(俺、ついにこいつまで落としたのか? うわ……たとえこの男に連れ去られても、もう俺の勝ちだな!)
灯里が怪訝そうな顔を向ける。
その直後、ヌルスの拳がダチーの頭を吹き飛ばした。
「何と言った、小僧。……来いと言ったのだ」
灯里は一瞬だけ身を竦ませた。
だが即座に、頭を失ったダチーの体を引き寄せる。
同時にヌルスへ拳を叩き込み、屋根から殴り落とした。
ダチーの頭が、ゆっくりと再生していく。
「今のは……礼儀に……欠けるだろ!」
ヌルスが地上から拳を突き上げた。
その一撃で、建物全体が崩落する。
だが、瓦礫の向こうに二人の姿を再び捉えたとき、灯里はダチーの背中に乗っていた。
「貴様ら、何の遊びをしている?」
「ああ、それな」
ダチーも今さら気づく。
「これは何なんだ?」
「お前には、遠距離から攻撃する手段が一つもないだろう、間抜け」
灯里が言い聞かせる。
「だが互いに離れれば、お前はまた頭を吹き飛ばされる。……だから、お前が私の脚となれ。私が火力を担う」
「これって、もしかして俺を口説こうとして――」
「走れ、馬鹿者!」
ダチーが咄嗟に横へ跳んだ。
直後、ヌルスの拳が二人の立っていた地面を粉砕する。
灯里は両手を合わせ、その間に光の球体を形成した。
球体から無数の力の弾が高速で連射される。
ヌルスは、そのほとんどを吸収した。
しかし一発だけが肩へ命中し、そこを大きく吹き飛ばす。
ダチーが一気に距離を詰め、ヌルスのうなじへ拳を叩き込んだ。
首が折れ、頭が真横へ垂れ下がる。
「うわっ! それ、さっさと直せよ!」
ヌルスは、垂れ下がった頭だけをダチーへ向けた。
首が音を立てて元へ戻る。
その瞬間を狙い、灯里がヌルスの頭へ光弾を撃ち込んだ。
ヌルスの両腕が前方へ伸び、ダチーを抱き潰すように捕らえる。
だが、力をまとった灯里の蹴りが即座にその腕を弾き飛ばした。
「私の隊員から、その汚い手を離せ!」
「へえ、今度は隊員扱いか?」
「走れ、間抜け!」
ダチーが次の建物の屋上へ跳び移る。
その背中から、灯里がさらに無数の力の弾を放った。
ヌルスは建物そのものを土台から持ち上げ、二人へ投げつける。
だが二人は、その直前に屋上から飛び降りていた。
遠く離れた場所から、住民たちが戦いを見守っている。
ダチーと灯里が、再びヌルスへ激突した。
建物が次々と引き裂かれ、通りが地震のように揺れる。
幼い子供たちの悲鳴が、遥か遠くまで響き渡った。
その悲鳴に、ヌルスの不気味な笑い声が重なる。
ダチーと灯里は集合住宅の窓を突き破って飛び出し、ヌルスの真正面へ着地した。
灯里がダチーの背中で身を屈め、その耳元へ囁く。
「あの心臓だ。……心臓を潰せぬ限り、どれだけ傷を与えても意味がない」
「ああ、わかった」
ヌルスが上衣を引き裂き、隆起した筋肉を露わにした。
「まだ終わりではないぞ。……俺は器を連れていかねばならん。そして、あなたの死は世界の利益となる、姫殿下!」
「もう遅いです」
次の瞬間、ヌルスの両腕が斬り落とされた。
ヌルスは即座に残った肘を持ち上げ、胸を守る。
ナイトが灯里とダチーの隣へ降り立った。
「お二人とも、なかなかの腕ですね」
ナイトが認める。
「特にあなたです、ダチー。……あの屑二人を相手に、ここまで持ち堪えるとは。称賛せざるを得ません。私があなたの歳だった頃より、よほど優秀ですよ」
「……どうも?」
「将軍か」
ヌルスが呟く。
「ナイト・ケイ。お相手いたします。……あなたが、ここにいる敵の本当の頭領といったところですか?」
ヌルスが頷いた。
「では、本物の死を教えて差し上げましょう」
同時に、二人は互いへ躍りかかった。




