第三十一話「無効《ヌルス》」
光の姿を目にした瞬間、オシックスの指がぴくりと動いた。
だが、すぐさまその手を背後へ隠す。
ナイトが一歩前へ出た。
「将軍殿か」
オシックスが口元を歪める。
「お会いできて光栄だな?」
「何者です、化け物」
オシックスは両手の爪を擦り合わせた。
「俺は、ここから遥か遠く離れた地より来た。深い霧に隠され、何世紀もの間、外界から隔絶されてきた土地だ。……祈るんだな。決してその地を見つけぬように。足を踏み入れれば、奴らはお前を真っ二つに裂いて串刺しにするぞ」
「正直、探すつもりはありませんでしたよ。……あなたのほうが、私の縄張りへ踏み込んだ。もはや言葉は不要です」
「同感だ」
ナイトは背後の子供たちを一瞥した。
「よく聞きなさい。私は、あなた方の母親役をするために来たのではありません。死ぬなら、それまでです。攻撃するなら自己責任で」
先に飛びかかったのはオシックスだった。
ナイトは身を翻して攻撃を躱し、建物の窓枠を掴む。
蜘蛛のように壁面を駆け抜け、窓枠を蹴って宙返りすると、すれ違いざまにオシックスの胸を斬り裂いた。
肋骨が露出するほど深く。
(くそっ)
オシックスが悟る。
(この女……強い。しかも、あの娘まで連れてきやがった。集中しろ。でなければ負ける! あいつにまで正体を明かさせるわけにはいかん。俺はもう、自分の手札を切ったんだ!)
ナイトが舞い込むように接近し、剥き出しになった胸へ二本の扇を投げ放った。
オシックスの両目が一度だけ光る。
地面から無数の骨柱がせり上がり、壁となって扇を遮った。
しかし、ナイトは一切速度を落とさない。
骨柱の壁をバターでも切るかのように斬り抜け、その勢いのままオシックスの首を一閃した。
頭部が宙を舞う。
オシックスは即座に新たな頭を生やし始めた。
だが、ナイトは再生が終わるより早くその胴体を斬り開き、扇の刃を心臓へ突き立てる。
オシックスの全身が大きく跳ねた。
再生途中だった頭部も、その状態のまま停止する。
「くそっ! 離れろ、この女が!」
通り一帯から骨の棘が噴き上がり、地面が大きく崩落した。
何人もの住民が瓦礫の中へ閉じ込められ、衛兵たちの体が棘に貫かれる。
ナイトがそちらへ目を向けた。
その一瞬を突き、オシックスがナイトの首を掴む。
力任せに投げ飛ばされたナイトは、幾つもの建物を越え、遠方の摩天楼へ激突した。
「ようやくだ。……忌々しい女め!」
オシックスが子供たちへ意識を戻す。
「遊びは終わりだ。これ以上、無駄にする時間はない」
オシックスの全身へ走る亀裂が、さらに深くなっていく。
耳は尖り、漆黒の歯が鋭く伸びた。
体から大量の影が噴き上がる。
その影の中で輝く紫色の線が、胸元へ文字を焼き刻んだ。
〈序列――第十四位〉
「何だ、それ……?」
ダチーが尋ねる。
「序列? ……あんた、いったい何者なんだ?」
オシックスが咆哮した。
不気味なほどダチーのものに似た叫びが、大地そのものを揺るがす。
その口から巨大な骨の手が飛び出し、ダチーの体を鷲掴みにした。
「ダチー!」
沙織が息を呑み、骨の腕へ虹色の光線を放つ。
「私の友達を下ろしなさい!」
別の骨の手が横から飛来し、裏拳のように沙織を殴り飛ばした。
光が、その手へ触れる。
桃色の力が一気に迸った。
骨の手は瞬時に塵へ変わり、オシックスの口が内側から破裂する。
「よくも私の家を好き勝手に荒らしてくれたわね! 自分が誰を相手にしているのかわかっているの? 貴族の領地を破壊して、ただで済むと思っているの!」
「うわ……」
ダチーが思わず漏らした。
オシックスが体勢を立て直す。
吹き飛んだ顎と舌が、音を立てながら再生していった。
「よし。桃色の髪の娘を殺す。虹の娘を片付ける。そしてダチーを捕らえる。……悪くない順番だ」
オシックスが一気に距離を詰め、光の心臓を爪で刺し貫いた。
だが、光は倒れない。
驚愕するオシックスを真っ直ぐ睨み返し、その胸へ片手で触れた。
「どうやって――?」
「私は自分の臓器を複製できるのよ、この間抜け! ……言ったでしょう。ここへ来たのが間違いだったって! 何もかも台なしよ! 全部、あなたのせいなんだから!」
桃色の衝撃波が炸裂した。
オシックスの全身が激しく跳ね、体内の骨が次々とへし折れていく。
光が拳を握り締めた瞬間、オシックスは地面へ崩れ落ちた。
「さあ、再生してごらんなさい。あなたの体内へウイルスを入れたわ。……しばらくは、それを治すだけで精いっぱいのはずよ。今よ、ダチー! 殴りなさい!」
ダチーの拳が、オシックスの顎へ迫る。
だが、拳が完全に届くより早く――
オシックスの骨の刃が、ダチーと光、二人の首を同時に刎ね飛ばした。
オシックスの口から、大量の血が溢れ出す。
その足元が大きくふらついた。
(再生が遅れてる。……もっと早く片付けないと! あの女、心臓が一つじゃないのか? ……なら、体そのものを細切れにすればいい!)
沙織の放った虹色の光線が、オシックスの片腕を引き千切った。
今度は、失われた腕が生えてこない。
オシックスは激しく咳き込むと、残った手を大きく振るった。
その体から、十二体もの骸骨が次々と飛び出す。
そのうち五体が光へ襲いかかった。
しかし、骸骨たちは光へ触れた瞬間、まとめて塵と化した。
ダチーは自分へ群がる三体を下から殴り上げ、まとめて空中へ吹き飛ばす。
沙織も虹色の光線を連射し、残る骸骨たちを粉々に引き裂いた。
「二人とも、あいつの心臓を攻撃できるか?」
ダチーが尋ねる。
「あの再生を止められれば、俺があいつを気絶させられる!」
「やってみます!」
沙織が答えた。
「ふん」
光が鼻を鳴らす。
「仕方ないわね」
オシックスの腕が、ようやく再生した。
今度は、その腕全体が分厚い骨の鎧に覆われている。
オシックスは一言も発さず、巨大な骨柱を二本形成した。
三人を押し潰すように、左右から柱が倒れ込んでくる。
ダチーが素早く動き、両腕で二本の柱を受け止めた。
その隙に、オシックスが一本の骨の棘を投げ放つ。
棘がダチーの膝を貫き、その体を地面へ縫い留めた。
光が勢いよく駆け出し、オシックスの顔へ触れようと手を伸ばす。
だが、オシックスは光の脇腹を蹴りつけ、続けざまにその片目を爪で刺し貫いた。
沙織が虹色の一撃でオシックスを押し戻す。
同時にダチーが二本の柱を持ち上げ、オシックスへ投げつけた。
オシックスは数秒とかけずに、それらを細切れにする。
最後に一本の骨の手を伸ばし、ダチーを掴み取ろうとした。
だがダチーは、ただ一発の拳でそれを粉砕した。
光が背後から、ダチーの背中へ触れる。
「うわっ、今何をした?」
「一時的な強化よ! いいから行きなさい!」
ダチーは即座に踏み込み、強化された拳をオシックスの胸へ叩き込んだ。
その一撃が、胸の奥にある心臓を破裂させる。
オシックスが両膝をつき、肩で荒い息をした。
「戦いは終わりだ」
ダチーが告げる。
「あんたには、俺たちと一緒に来てもらう」
オシックスが喉を鳴らして笑った。
「はっ。もう少し学習していると思ったがな、坊主。……俺のそばにいた時間で、それくらいは理解したはずだろう?」
「何が言いたい?」
光が片手を差し出した。
「ダチー、その男から離れなさい!」
「あの娘の力には限りがある。お前も同じだ。……そして、あの将軍。速さは大したものだが、傷を負えば死ぬ。……有益な情報をありがとうよ」
オシックスの喉から、先ほどを上回る咆哮が噴き出した。
衝撃だけで、周囲の建物が次々と砕け散る。
沙織と光は耳を覆い、ダチーは回転する視界に耐え切れず、地面へ崩れ落ちた。
そして――
オシックスの肉体が、再生を始める。
「どうやって? 心臓は潰したぞ! 動けなくなるはずだ!」
ダチーの目が、不意に見開かれた。
「あんた、誰かの助けを借りてるな。……骨属性だけで、これだけのことができるわけがない。そうだろ?」
オシックスが指を鳴らす。
「ご名答だ、坊主。……自分の手札を縛って戦う趣味はなくてな」
完全に再生した体で、ゆっくりと立ち上がる。
「だが、そちらの戦力が想定以上だった以上、俺も心臓を危険に晒し――同志まで表へ出すしかない」
ダチーが構えを取った。
そのとき、オシックスの背後に立つ者へ気づく。
直哉だった。
その手には銃が握られている。
「直哉? なんでここにいる? 援軍を連れてきたのか?」
「まあな」
直哉が答える。
「厳密には、援軍だ。……つまり、俺がここにいる。そして、あんたを助けに来た」
ダチーがオシックスを指差した。
「早く、あいつの頭を撃ってくれ! 目を潰せれば、その間に封じ込める方法を考えられる!」
直哉が銃を掲げる。
「仰せのままに、ジョーンズ殿」
直哉が銃口を上げた瞬間、ダチーの動きが止まった。
(待て。この力は何だ? さっきまで、こんな気配はなかった。……どうしてオシックスより強い? 直哉は基礎魔法しか使えない、ただの衛兵だ。こんな力を持ってるはずが――)
ダチーは咄嗟に身を翻し、光と沙織を掴んだ。
「伏せろ!」
直哉が二人へ銃弾の雨を浴びせる。
ダチーは少女たちへ組みつくように飛びかかり、自分の体を盾にした。
光弾が手足と背中を貫き、いくつもの穴を穿つ。
「ほう。大したものだ」
直哉が感心したように言う。
「あんたの言うとおりだった。この坊主は勘が鋭い」
光と沙織が、傷ついたダチーを両側から引き起こした。
「直哉……?」
光が目を見張る。
「この裏切り者! こんなことをして、王妃陛下があなたをどうなさるかわかっているの!」
「何一つ、できやしないさ」
オシックスが直哉へ触れる。
暗い力が、直哉の全身へ流れ込んだ。
その両目が、一度だけ白く閃く。
「感謝する、相棒」
「まだ感謝するには早い。……お前は十代の子供三人と、S-7部隊の将軍一人に足止めされた。主も精鋭たちも、それを喜びはしないぞ」
直哉がダチーへ向き直る。
「ああ、それと――ダチー」
ダチーの体が強張った。
「親切にしてくれて、ありがとうな。……今度は、俺が礼を返す番だ!」
直哉の全身から、暗黒の雷光が炸裂した。
周囲の建物が、衝撃に耐え切れず一斉に崩落する。
直哉の肌が、オシックスと同じ漆黒へ染まっていった。
体はオシックスを上回るほど巨大化し、その周囲へ黒い外套が形作られていく。
胸元には、新たな文字が浮かび上がった。
〈序列――第十三位〉
「あの日誌は、あんたのものだったんだな」
ダチーが吐き捨てる。
「ずっと潜入して、裏でこの計画を動かしてたのは、あんただ!」
直哉が頷いた。
「もう直哉と呼ぶ必要はない。……ヴォルティアナ族を演じるのにも飽きた。俺には無効のほうが、よほど似合っている」
ヌルスとオシックスが視線を交わす。
「では、そろそろ器を頂くとするか」
「そうしよう」
二人が歩調を揃え、ダチーへ向かって歩き始める。
だが、光がその前へ立ちはだかった。
ヌルスが苛立たしげに唸る。
「あの娘には対処したと言わなかったか!」
「置いてきたんだ! あいつが勝手にあとを追ってきた。……執着心を見誤った」
「構わん。この女も殺す」
沙織が虹色の光線を放ち、二人の接近を阻んだ。
だが、ヌルスが片手を差し出す。
「無効化」
黒い門が出現し、沙織の光線を丸ごと飲み込んだ。
直後、門から暗黒の力が撃ち返される。
ダチーが沙織を引き寄せ、間一髪で攻撃を躱した。
その瞬間、光がヌルスの顔へ触れる。
ヌルスの全身が激しく跳ね、異様な方向へ捻れ始めた。
しかしヌルスが自らの胸へ掌を当てると、その作用は唐突に消滅する。
「厄介な力だ」
光が指を鳴らした。
ヌルスの腹部が、内側から裂け開く。
唇から血を流しながらも、ヌルスは構わず前進した。
再び自分の体へ触れ、傷をもたらした作用を消し去る。
そして、光の胸を掌で押した。
少女の全身が激しく痙攣し始める。
「これで、しばらくは動けまい。……オシックス、この女と虹の娘を始末しろ。俺は器を回収する」
ダチーが光を抱え上げた。
だが、直後に片脚を掴まれる。
そのまま力任せに振り回され、数区画も先へ投げ飛ばされた。
沙織と光が同時に手を伸ばす。
「ダチー!」
オシックスが即座に骨の棘を伸ばし、二人の体をまとめて刺し貫いた。
ダチーは通りの中央へ激突した。
頭上では、何台もの車が飛び交っている。
その背後へ、ヌルスが姿を現した。
ダチーはすぐさま銃を抜き、銃口を向ける。
「下がれ! 本気で撃つぞ!」
「なぜ戦う?」
ヌルスが尋ねた。
「どうせ無意味だ。……互いに好きなだけ殴り合えばいい。だが、それで為すべきことが変わるわけではない。お前は我らに加わらねばならん、ダチー・ジョーンズ。……己の自由な意志によってな」
「だったら、なんでこんな真似をする? 大量殺人? 俺だけじゃなく、周りの全員まで襲う? これが、あんたらなりの仲間の誘い方なのか?」
「我らは少々……切羽詰まっている、とでも言っておこうか」
「ああ、それは見ればわかるよ。……でも遠慮しとく。あんたらは二人とも同じくらい頭が狂ってる。それに、俺にはあんたらと関わってる家族なんていない」
ヌルスが声を上げて笑い始めた。
「そうか。……ならば、あとは武器に語らせるしかないな。そして、お前が故郷へ戻ったあとで、この話の続きをしよう」
ダチーが銃撃を浴びせる。
ヌルスは黒い門を展開し、そのすべてを吸収した。
周囲の住民たちも、ようやく戦いへ気づき始める。
「あれは誰だ? ……いや、何なんだ?」
「わからん! だが、王妃陛下の特別招待客と戦っているぞ!」
「そんなことはどうでもいい! とにかく逃げろ!」
見物人たちが一斉に走り出した。
だが、ヌルスが暗黒の力を放つ。
攻撃を受けた住民たちは、彫像のようにその場で凍りついた。
「あの人たちに何をした?」
「感情を無効化した。意志そのものもな。……これで完璧だ。全員が、俺の望む形へ整えられた」
ヌルスがもう一度、暗黒の力を放つ。
住民たちは一斉に力を失い、地面へ倒れ込んだ。
「そして今度は、肉体の機能を無効化した。……俺が持つのは無効属性。触れたものの働きを消し、無用のものへ変える力だ」
「じゃあ、直哉の魔法はどうやって偽ってた?」
「オシックスの力を借りた。……あの男が、この肉体の本来の持ち主を殺した。そして俺が、その姿と力を掌握できるようにした。もっとも、それは随分と昔の話だ。……俺は長い間、この国の人間とヴォルティアナ族、その双方に紛れて暮らしてきた。あの偏見には、反吐が出る」
「そうかもな。けど、あんたのやってることで、それが良くなるわけじゃないぞ」
「ほう? 血には血を、だ。奴らは我らの血を流した。ならば我らも、奴らの血を流す」
ヌルスの両掌で、暗黒の力が激しく弾ける。
「――報復を、味わわせてやろう」
次の瞬間、ヌルスがダチーの眼前へ出現した。
ダチーが拳を振り抜く。
だが、そこにヌルスの姿はもうない。
気づいたときには、ダチーの体は建物の縁から吊り下げられていた。
強烈な衝撃が、何度も全身を駆け巡る。
「目覚めろ、器。……今の俺に見えているものは、お前が秘めた真の可能性の抜け殻にすぎん。目覚めてみろ。そして、力を手にするということが何なのか、俺に見せろ!」
ダチーが、ヌルスの足元にある屋根へ拳を叩き込んだ。
屋根が崩壊し、二人は絡み合ったまま、螺旋を描いて地上へ落下していく。
ヌルスが身を起こしたとき、その変化に気づいた。
ダチーの片目だけが漆黒へ染まり、もう片方には元の色が残っている。
口から出た声には、獣のような唸りと、明瞭な言葉が重なっていた。
「あんたの遊びには乗らない」
ダチーが告げる。
「あんたらは俺に、敵を選べと言ったよな。……どうやら、選んだみたいだ」
ヌルスが両腕を広げる。
「それは何よりだ。……ならば、何ができるかを見せてみろ!」




