第三十話「オシックス」
飛鳥区の至るところで、住民も衛兵も、耳をつんざくような咆哮を聞いた。
あまりの轟音に、誰もがその場へ膝をつく。
ナイトと光は、夜空に浮かぶ巨大な手を見上げていた。
その手が、音を立てて崩れ始めている。
「そんな……」
光が事態を悟る。
「嘘、嘘、嘘……!」
ナイトは何も言わずに光を抱え上げると、巨大な手のある方角へ全速力で駆け出した。
*
母の病室にいた沙織も、その轟音を耳にした。
沙織と健は同時に立ち上がり、窓辺へ向かう。
「あれは何ですか?」
沙織が尋ねた。
「始まったのだ」
健が答える。
「敵が、ダチーを奪いに来た」
沙織の目が大きく見開かれた。
*
ルカ、灯里、マラチーが計器盤へ向かって這い進んでいる最中、あの咆哮が車内にまで響き渡った。
三人は即座に動きを止める。
「あれは兄さんだ!」
マラチーが息を呑んだ。
「今すぐここから出ないと!」
灯里は全身の力を振り絞って立ち上がった。
鎖を引きずりながら計器盤へ近づき、その表面へ肘を叩きつける。
〈手動解除。合言葉を入力してください〉
ルカが咳払いをした。
「藤井は最高!」
〈手動解除を承認しました〉
*
ダチーが地面へ降り立った。
その数歩先へ、つい先ほどまで応輝と名乗っていた男が着地する。
男の体からは、巨大な骨が新たな手足のように生えていた。
「ほう」
男が感心したように声を漏らす。
「今回は、前よりうまく制御できているようだな。……だが、まだ怒りに呑まれすぎている。戦う必要はない。俺たちは話し合える」
「なら話せよ。……残り少ない最期の時間でな」
男は自分自身を指差した。
剥き出しになった歯は、肌と同じく漆黒に染まっている。
「今の俺の名は、オシックス。応輝は死んだ。ヴォルティアナの連中が、俺の家族を殺したあの日にな。……お前の前にいるこれは何かって? この星を救うためなら何だってする、壊れた抜け殻だ」
「オシックス……」
次の瞬間、ダチーの拳がオシックスの顎を吹き飛ばした。
だがオシックスは笑った。
失われた顎が、その場で瞬く間に再生していく。
ダチーの動きが止まった。
「属性者――!」
オシックスが地面へ拳を叩きつけた。
通り一帯から、骨の棘が波のように噴き上がる。
ダチーは棘から棘へ飛び移り、次々と蹴り倒した。
倒れた棘同士が衝突し、砕け散っていく。
ダチーは自分の片腕を掴み、荒い息を吐いた。
(俺の体に、何が起きてる?)
(いや、今はいい。……まず、この裏切り者を片付ける!)
ダチーが再び咆哮を上げた。
その圧力に、オシックスさえ一歩後ずさる。
「死ね、このくそ野郎――!」
オシックスがダチーへ突進した。
片腕を覆うように、巨大な骨の籠手が形成される。
その拳がダチーの腹を抉り取り、最寄りの建物まで吹き飛ばした。
「もう、耄碌したドワーフの王を相手にしてるんじゃねえぞ! 逃げたいなら、自分の力で勝ち取れ!」
ダチーが激突した建物が大きく揺れた。
数秒後――
ダチーは、その建物を片手で持ち上げていた。
建物そのものを、オシックスへ投げつける。
オシックスが片腕を鋭く振り抜いた。
建物が真っ二つに断たれる。
ダチーは銃を抜き、オシックスへ連射を浴びせた。
光弾が肉を次々と削ぎ取っていく。
照準を心臓へ合わせると、オシックスは胸元へ骨の胸当てを形成した。
「その武器は、あとあと厄介になりそうだな。……先に剥ぎ取っておくか」
二本の巨大な骨の手が現れ、ダチーの腰へ伸びる。
ダチーは銃を刃へ変形させ、二本の手を斬り払った。
続けざまに、その刃をオシックスの首へ投げつける。
オシックスは二本の指だけで受け止めた。
直後、ダチーの放った一撃がその頭を吹き飛ばす。
頭部が消失した瞬間、ダチーは狙いを胸元へ移し、胸当てへ光弾を撃ち込み始めた。
だが――
吹き飛ばしたはずの頭が、わずか数秒で再生した。
「どうやって――?」
オシックスは片腕で光弾を防いだ。
防ぎ切れなかった光が、その体へいくつもの穴を穿つ。
しかし、その傷さえ即座に塞がっていった。
「俺は何年も、この力を使い続けてきたんだよ、坊主。……お前はまだ、一週間も自分の力を使ってないだろ」
「ああ。それで十分だ。一週間もかけずに、あんたを叩きのめしてやるよ」
オシックスが首を鳴らす。
「なら、証明してみろ」
ダチーが再び銃撃を浴びせた。
オシックスは頭の先から爪先までを骨の鎧で覆い、全身から棘を生やしたまま突進してくる。
ダチーは宙返りでその頭上を越え、背中へ光弾を撃ち込んだ。
オシックスの背中が半ばまで裂ける。
その隙を逃さず、ダチーは刃を振り下ろし、傷口をさらに深く斬り開いた。
だが、刃が奥まで届くより早く――
「――噴出!」
オシックスの背中から、無数の骨の棘が噴き出した。
棘はあまりにも巨大で、周囲の建物を何棟も貫き、そのまま飾り物のように宙へ吊り上げる。
そのうちの一本が、ダチーの胴体を貫いた。
心臓を、わずかに外して。
「戦いが望みか?」
オシックスが尋ねる。
「なら、望みどおりにしてやる。さあ――」
新たな棘が次々と上方へ射出され、ダチーの首を目がけて迫る。
「――戦え!」
ダチーは自らの体を棘から引き抜いた。
地上へ落下するダチーを、無数の棘が追尾する。
ダチーは銃を抜くと、素早く照準を切り替え、迫る棘を空中で次々と撃ち落としていった。
だが、その真下ではすでにオシックスが待ち構えていた。
落ちてきたダチーの腹へ拳を叩き込み、その体を脇へ投げ飛ばす。
そこへ衛兵たちが駆けつけてきた。
「何だ、あの化け物は!」
「まるで悪鬼だ!」
「ジョーンズ殿がいるぞ! お守りしろ! あの化け物に連れ去らせるな!」
ダチーは息を呑み、勢いよく振り向いた。
「何やってんだ! 逃げろ、この馬鹿ども!」
衛兵たちが一斉に武器を放つ。
だが、オシックスの両腕が二本の骨の刃へ変形した。
一閃。
衛兵たちの体が、まとめて両断される。
オシックスの顔に、笑みが浮かんだ。
「ああ。……一度やってみたかったんだ」
ダチーの拳が、その顎へ迫る。
オシックスは片手で拳を掴み、ダチーの腕を逆方向へ折り曲げた。
ダチーはオシックスの顔面を蹴りつけると、その体を掴み、格闘技の投げ技のように地面へ叩きつける。
直後、巨大な骨の手が周囲の建物を掴んだ。
建物が二人の頭上へ引き倒され、大量の瓦礫が降り注ぐ。
ダチーが瓦礫の中から這い出したとき、オシックスの姿はすでに消えていた。
「じきに連中が来る」
声とともに、オシックスが近くの建物の屋上へ姿を現した。
「場所を移す時間だな、坊主」
二本の骨の手を使い、建物の向こう側へ自らの体を跳ね飛ばす。
ダチーは腰を低く落とすと、地面を蹴り砕き、そのあとを追って空高く跳び上がった。
その体を、二本の骨の手が挟み込むように捕らえる。
「なんてな」
オシックスが嘲笑した。
「お前はあまりにも衝動的すぎる。敵の縄張りで、考えもせずに追いかける馬鹿がどこにいる?」
さらに二本の手が加わり、ダチーの体を押さえ込んだ。
だがダチーが内側から蹴り破り、四本の手がまとめて砕け散る。
なおも別の手がダチーを拘束しようと伸びてきた。
ダチーはそれらを振り払い、その勢いで区の反対側まで投げ飛ばしていく。
一本の巨大な手が、オシックスをダチーの正面へ運んできた。
「俺たちの側へ来い、坊主」
オシックスが持ちかける。
「そうすれば、余計な戦いの大半を省ける。……何しろ、俺の上役にまで出てこられたくはないだろう?」
「何だ、脅しか? あんたの狙いなら、もう十分わかった。この情けない男の残骸が。あんたの話なんか聞く気はない!」
「好きにしろ。……なら、小技を一つ見せてやろうか。きっと楽しめるぞ」
オシックスの全身へ、再び骨の鎧が形成されていく。
両腕の籠手からは、巨大な尖った爪が伸びた。
「骨・武装型」
ダチーの動きが止まった。
その一瞬で、オシックスが爪を振り抜く。
ダチーの胸へ、深い裂傷が刻まれた。
その傷は、またしても心臓をわずかに外れている。
「今のは、お前の力を消耗させるための一撃だ。安心しろ。殺しはしない。……気を失うまで叩きのめして、詳しい話はそのあとだ」
ダチーは、立っていた建物の屋根を強く踏みつけた。
その瞳が、さらに深い闇へ沈んでいく。
屋根から金属片が浮かび上がり、ダチーの手の中へ収まった。
ダチーは円盤のように、それをオシックスへ投げ放つ。
オシックスは、ダチーの目でも追えないほどの速さで金属片を細切れにした。
ダチーが次の攻撃へ移ろうとした、そのとき――
腕時計が震え、仲間たちからの着信が次々と表示された。
「お友達が心配しているようだな」
オシックスが嘲る。
「出てやったらどうだ?」
ダチーは×印を押し、すべての着信を切った。
オシックスが片眉を上げる。
その瞬間、銃声が響いた。
光弾がオシックスの片腕を吹き飛ばす。
「その忌々しい銃が!」
ダチーがさらに光弾を撃ち込む。
オシックスも骨の棘を射出し、応戦した。
二人は同時に空へ跳び上がり――
激突しながら地上へ落下した。
ドォンッ!
打ち上げ会場にいた全員が、その場で動きを止めた。
直後、ダチーが壁を突き破って飛び込み、露店へ激突する。
闇に沈んでいた両目が、元の色へ戻っていった。
「痛え……。あれだけやって、結局返り討ちかよ……」
目の前に、直哉が立っていた。
呆然とダチーを見下ろしている。
「ダチー? 何が起きてるんだ? ……俺、どうやってここへ来た?」
ダチーはすぐさま立ち上がった。
「あんたら、逃げろ! 今すぐだ! 外に、頭の狂った属性者の化け物がいる! 信じてくれ。あいつは本気で人を殺す!」
その言葉に応じるかのように、二つの通りを隔てていた建物が巨大な手によって引き裂かれた。
瓦礫の向こうから、オシックスが歩み出てくる。
その背後には、何十本もの骨の手が蠢いていた。
「出てきたぞ! みんな逃げろ!」
直哉がダチーの腕を掴む。
「俺たちも行くぞ! 急げ!」
二人が一メートルも進まないうちに、オシックスが飛びかかってきた。
二本の骨の手が、二人の体を押さえ込む。
ダチーは拘束から抜け出すと、直哉を捕らえていた手を破壊した。
「行け! 全員に警告しろ! 呼べるだけの援軍を連れてこい!」
「あんたはどうするんだ!」
「俺は反対側へ逃げる!」
ダチーが爆発的な加速で、オシックスの横を駆け抜けた。
残された直哉とオシックスが、張り詰めた視線を交わす。
次の瞬間、オシックスは骨の手を使い、ダチーを追って飛び去った。
周囲の建物が土台から引き剥がされ、石ころのように次々と投げつけられる。
ダチーは飛来する二棟の建物の間を跳び抜けた。
建物の中からは、住民たちが悲鳴を上げて逃げ出している。
しかしオシックスは、わずか数秒でそれらすべてを破壊した。
「勘弁してくれよ……」
ダチーが漏らす。
骨の付属肢が横から迫り、ダチーの脇腹を打ち据えた。
だがダチーは、その骨を両手で掴む。
力任せに引き寄せ、飛んできたオシックスの側頭部へ拳を叩き込んだ。
オシックスの体が、屋根の上を後方へ滑っていく。
ダチーは次の建物の列を飛び越え、そこでようやく一瞬だけ足を止めた。
息を整えながら片膝をつく。
(策を考えないと)
ダチーは状況を整理した。
(岩雄のときみたいに、殴り続けて屈服させるだけじゃ駄目だ。……あの再生を止められれば、捕らえられるかもしれない)
そこで、自分の両手が震えていることに気づく。
(まずい。力を使いすぎてる! このままじゃ長くはもたない!)
そのとき、柔らかな声が聞こえた。
「ダチー?」
ダチーが顔を上げる。
沙織が目の前に立ち、その肩へ手を置いていた。
「ダチー? 大丈夫ですか?」
「沙織? なんでここにいるんだ?」
「ごめんなさい! あなたを責めるべきではありませんでした! 何も知らなかったんです! 本当に! ただ、怒っていて……母上を失うのが怖くて!」
「沙織、あんたは逃げないと――!」
ダチーの腹を、オシックスの爪が魚を捌くかのように抉り貫いた。
オシックスは、そのままダチーの体を空中へ持ち上げる。
沙織が悲鳴を上げた。
「ダチー!」
「失せろ、小娘」
オシックスが命じる。
「器は俺と来る。……だが、死体をもう一つ増やすことくらい、いつでもできる。お前の母親にしたようにな」
オシックスが指を鳴らした。
全身の骨が、不気味な音を立てて組み変わっていく。
やがて、その姿は藤井と寸分違わぬものへ変貌した。
ダチーと沙織が、言葉を失って見つめる。
「どうした?」
藤井の声を完璧に再現し、オシックスが言った。
「この母にして、この娘あり――というやつか?」
「あんた……あんた……!」
沙織が両拳を強く握り締めた。
その瞳が、虹色の光を放ち始める。
「その人を下ろしなさい! 殺してやる!」
ダチーが爪から自らの体を引き抜いた。
まさにその瞬間――
巨大な虹色の光線が、オシックスの半身を消し飛ばした。
顔面と右半身が吹き飛び、残された胸から心臓が剥き出しになる。
「沙織……」
ダチーが思わず漏らす。
だが、沙織が心臓へ追撃を放つより早く、オシックスの肉体は元どおりに再生した。
「代わりに、お前を刺しておくべきだったかもな! ……まあいい。その過ちは今から正せる」
オシックスの体が、さらに大きく変貌する。
背丈も筋肉も増し、両腕の爪が一層長く鋭く伸びていった。
ダチーは沙織を抱え上げ、後方へ跳ぶ。
「沙織、病院へ戻れ!」
「嫌です! 母上を殺しかけた時点で、これは私の問題にもなりました! 今は、私のたった一人の友達まで殺そうとしている! ……私は軍人ではないかもしれません。それでも、戦うことはできます!」
沙織はダチーの腕を振りほどいた。
周囲の建物を反射しながら軌道を変える虹色の光線を、オシックスへ放つ。
オシックスは複数の骨の手を展開し、迫る光線を別方向へ弾き飛ばした。
「こりゃ可愛らしいな。仲良く二人で一組ってか? だが、ここは逢い引きする場所じゃねえぞ、恋人ども」
ダチーが両手を打ち合わせた。
強烈な衝撃波が発生し、オシックスを後方へ押し戻す。
だが、その背後から骨の棘が生え出した。
「沙織、後ろだ!」
棘が沙織の背中を刺し貫き、その背骨を引き裂いた。
力を失った沙織の体を、ダチーが間一髪で受け止める。
「実に残念だ」
オシックスが笑った。
しかし次の瞬間、沙織の体が音を立てて元どおりに修復される。
沙織は叫び声とともに、無数の虹色の光線を放った。
光線が夜空を縦横無尽に走り、オシックスへ殺到する。
オシックスは咄嗟に身を投げ出し、攻撃を躱した。
片手を振るう。
すると、オシックスの体から骸骨の人型が次々と現れた。
そのどれもが、二メートルを優に超えている。
手には、肉も石もまとめて両断できそうな、分厚い骨の大剣が握られていた。
「まだ武器を隠してたのかよ」
ダチーが溜息をつく。
「次は何だ? 骨の竜でも作るのか?」
オシックスが喉を鳴らして笑った。
沙織は舞踏手のように回転しながら、虹色の光弾を正確に撃ち放つ。
一度の掃射で、複数の骸骨の首がまとめて吹き飛んだ。
だが、別の一体が骨の剣を投げつけ、沙織の攻撃を遮る。
ダチーは近くの大型ごみ箱を持ち上げ、骸骨の第一波へ投げ落とした。
骸骨たちが、その下敷きとなって押し潰される。
「子供が二人だけでは、俺を倒すには足りんぞ」
オシックスが言い放つ。
「まして、自分の力さえ理解していない子供ではな」
「なら、その二人に援軍がいて幸いでしたね!」
風のような速さで、二本の扇がオシックスの両目を抉り取った。
だが、失われた両目は一秒と経たずに再生する。
視界を取り戻したオシックスの前で、ナイトと光がダチーたちに並んで立っていた。
「なるほど。宴の邪魔者どもか」
ナイトは二本の扇を構え、目を細める。
「では、あなたが敵というわけですか」
二体の骸骨が、ナイトを掴もうと左右から襲いかかった。
ナイトは扇を一閃させ、その二体を野菜でも刻むように細切れにする。
「私に言わせれば、ずいぶん醜い姿ですね」




