第二十九話「ここにいる」
マラチーは目を開けた。
装甲指揮車の中で、マラチーと灯里、ルカは鎖につながれていた。
身を起こそうとしたが、銀色の鎖が体を縛り、動きを阻んでいる。
「何、これ?」
「タングステンだ」
灯里が答えた。
マラチーは小さく悲鳴を上げ、勢いよく振り向く。
灯里は奥歯を噛み締め、指を苛立たしげに震わせながら座っていた。
「姫殿下!」
「まんまと嵌められた。……何かがおかしいとは思っていたのに、ただの馬鹿が馬鹿をやっているだけだと決めつけた。……大した指揮官だな、私は」
ルカがゆっくりと頭を上げる。
「匂いまで同じだった。だから疑わなかった。……藤井のときと同じだ。もっと警戒しないと」
「反省はあとだよ」
マラチーが割り込む。
「どうやってここから出るの? 装甲指揮車の機能は使えるよね?」
灯里が計器盤へ向き直った。
「装甲指揮車、起動しろ!」
〈拒否。藤井剣士により施錠されています〉
「くそっ……」
灯里は状況を悟った。
「操作権限を奪われた。起動できなければ、我らはこの中に閉じ込められたままだ。その間にも、敵はダチーへ手を出せる」
「光はまだ外にいる」
ルカが指摘する。
「敵はあの子を恐れてる。……自分の見栄に足をすくわれさえしなければ、まだ望みはあるかも」
「なんで光を恐れてるの?」
マラチーが尋ねる。
「そもそも、なんで光だけ残されたのかもわからない。……僕たちと一緒に閉じ込めれば、兄さんは味方を一人も失うことになるのに」
「光の治癒属性は応用範囲が広いうえ、発現する力も持ち主によって異なる」
灯里が答える。
「我らには、その限界を決めつけることができん。知っているのは本人だけだ。……それに、あの娘を見ただろう。たとえ命が懸かっていようと、自分の弱点など口にする性格ではない」
「連中は、光が計画の脅威になり得ると思ったのかな。……何を企んでいるのかは知らないけど」
「あり得るな。あの偽物が光に残っていろと告げた瞬間、その目には恐れが浮かんでいた。……理由は何であれ、連中は光を刺激する危険を冒したくないのだ」
「なら、しばらくはダチーも無事かもしれない」
ルカが言った。
「行こう、二人とも。計器盤まで這っていければ、この封鎖を解除できるかも」
ルカが左へ体をずらし、鎖でつながれた灯里とマラチーを引きずっていく。
マラチーの顔が床へぶつかり、灯里はルカの背中へ激突した。
「ルカ、少しは速度を落とせ!」
「ここから出たいの、出たくないの、姫殿下?」
「出たいに決まっている! だが少しは加減を覚えろ!」
三人は暗い車内を少しずつ進んでいった。
途中で何度も座席へぶつかりながら、計器盤との距離を縮めていく。
*
その頃、ナイトはダチーと光の首筋へ扇の刃を突きつけていた。
見物人が何人か足を止め、声を潜めて噂を交わし始める。
しかし、ナイトがそちらへ顔を向けた途端、全員が慌てて立ち去った。
「ええと、将軍」
ダチーが咳払いをする。
「俺たちは、この宴を思いっきり楽しんでるところなんだ! ほら、光まで連れてきてる!」
光を引き寄せる。
光はぎこちない笑みを浮かべた。
「じゃーん……?」
ナイトが鼻を鳴らす。
「お芝居は結構です。お二人が影響を受けていないことくらい、わかっています」
扇を閉じ、腰の鞘へ収めた。
「それは幸いです。……何しろ、この区の人間は全員、完全に正気を失っていますから」
ダチーと光が同時に力を抜き、安堵の息を吐いた。
そこで、自分がダチーとどれほど近くに立っていたのか気づいた光が、慌てて飛び退く。
ダチーは片手を振って受け流した。
「どうしてこんなことになったんだ?」
ダチーが尋ねる。
「見当もつきません」
ナイトが答える。
「あなた方が屋敷へ戻り、藤井が監獄へ送られたあと、何人かが打ち上げを開こうと私へ話しかけてきました。……当然、『冗談ではない』と突っぱねましたよ。ところが、その者たちに触れられた瞬間、電撃のような痺れが走った。……次に気づいたときには、街角の駄菓子屋よろしく、子供たちへ菓子を配っていたわけです」
光が首を傾げる。
「その間に何が起きたのか、覚えていらっしゃらないのですか、ナイト様?」
「ええ。意識が戻った頃には、誰も彼もすでに……妙な状態になっていました。まるで、数時間前に何が起きたのか、誰一人覚えてもいなければ、気にも留めていないようです」
ナイトは夜空を見上げた。
「敵は我々を道具のように操っている。それなのに、我々は敵について何一つ知らない。……いつものことですね」
「けど、あんたは抜け出せた」
ダチーが言った。
「効果に時間制限があるんじゃないか? それか、みんなを正気に戻せる何かの条件があるとか」
ナイトは少し考え込んだ。
「あるかもしれません。……ですが、私は最初に影響を受けた者の一人です。時間切れを待つつもりなら、もう手遅れでしょう。……そして、敵も自分たちに残された時間が少ないと理解しているのなら――事態はさらに悪化しかねません」
風船の帽子を頭から取り、投げ捨てる。
「もっとも、お二人は私の長話を聞くために来たわけではないのでしょう」
「ああ」
ダチーが頷いた。
「みんなを正気に戻す方法と、残りの仲間を見つける方法が必要だ」
「では、状況は私が考えていた以上に悪い、と。……なるほど」
ナイトが劇場の方角を示す。
「私に触れた者たちは、あちらから来ました。……行きましょう。手掛かりがあるとすれば、異変の始まった場所です」
二人が瞬きをする間に、ナイトはすでにその場から消えていた。
壁から壁へ飛び移り、あっという間に姿が見えなくなる。
「速いな……あの人も属性持ちなのか?」
「いいえ。あれが、属性に頼らない純粋な将軍の実力よ」
「じゃあ森野は? どれくらい強いんだ? ……七十九歳の男が、あそこまで速いわけないだろ」
光が首を振る。
「いいえ。森野将軍はもっと速いわ。……あの人こそ、私が敬意を払うに値する人間よ」
そこで光の声が尻すぼみになった。
ダチーが息を吐く。
「祖父さん、相当名を上げてるんだな。……杖なしで歩いてる姿を最後に見てから、もう二年近くになるのか」
光が我に返り、ダチーの両肩を掴んだ。
「祖父さん?」
「ああ? 言ってなかったか? 母さんの父親だ。だから、まあ、俺の祖父さんだよ」
「なぜ言わなかったの! 肌の色以外、あなたたち全然似ていないじゃない! ……いえ、目は同じね。でも、それにしたって!」
「長い話なんだよ。もう行かないか?」
「わかったわよ! でも、この話が終わったと思わないでね!」
光の抗議を聞き流し、ダチーはその体を抱え上げた。
自分も建物から建物へ飛び移り、ナイトのあとを追う。
劇場へ近づくと、光はダチーの腕から飛び降りた。
ナイトが劇場の脇で待っており、光はそちらへ駆け寄っていく。
ダチーもあとに続こうとした、そのときだった。
何者かに腕を掴まれ、路地裏へ引きずり込まれる。
ダチーは振り返りざまに後ずさった。
だが、その顔を見た瞬間、体から力を抜く。
「応輝?」
応輝が露店の前掛けを外した。
「そうだ。さっきは芝居をして悪かったな。……徹底して役になりきらないと、周りに怪しまれるからな」
「あんたも影響を受けてなかったのか?」
「ああ。斥候を檻に閉じ込めることなんて、誰にもできんさ。……それより聞け。お前の仲間がどこにいるのか、正確な居場所を突き止めた」
「完璧だ! どこだ?」
応輝は路地の奥へ進み、下水道の蓋を持ち上げた。
「地下だ。あそこへ連中を隠した奴は、自分の仕事をよくわかっている」
ダチーがナイトたちを呼ぼうとした。
だが、応輝が片手を上げる。
「待て。やめておけ」
「なんでだ?」
「敵が下にいる。……連中はヴォルティアナ族の気配を感知できる。あの二人を連れていけば、お前の仲間へ辿り着くずっと前に見つかるぞ」
「確かなのか?」
「すでに下見は済ませた。俺を信じろ」
応輝が下水道へ飛び込む。
ダチーはわずかに躊躇し、二人の方を振り返った。
ナイトと光は、すでに路地へ近づき始めている。
ダチーも応輝のあとを追い、下水道へ飛び込んだ。
頭上の蓋を閉める。
下水道の中は、夜空にも劣らぬほど暗かった。
ダチーが水溜まりへ着地すると、応輝が指を唇へ当てる。
「しっ。……できる限り音を立てるな」
「わかった。悪い」
二人は暗い通路を歩いていった。
応輝は、その間ずっと黙り込んでいる。
ダチーは、応輝がしきりに懐へ手を入れ、時折背後を振り返っていることに気づいた。
「大丈夫か?」
「絶好調だ」
「一つ訊かせてくれ。あのノートパソコンはどうした? まさか失くしたわけじゃないよな?」
「いや。劇場へ戻して隠した。座席の一つの下だ。……敵に利用されないよう、そのことは誰にも言わなかった」
「そうか……」
二人はさらに奥へ進む。
通路を曲がるたび、どこかで水滴の落ちる音が響いた。
「訊く機会がなかったんだが」
応輝が口を開く。
「アスマナに来て、どれくらいになる?」
「一か月も経ってないな。……なんでだ?」
「ただの好奇心だ」
「ヴォルティアナ族とドワーフのほかにも、勢力はいるのか? もちろん、あの妙な後援者たちは別として」
「ああ。ゴブリン、オーク、魔物。それに、お前や俺のような人間もいる。……そのすべてがヴォルティアナ族の血を欲しがってる。理由なんて想像もつかんだろ?」
「いや、わかるよ。……けど、本当に五対一みたいな状況なのか? ヴォルティアナ族は、いったいどれほど酷い罪を犯したんだ?」
「考え得る限り最悪だ。……大陸の残りすべてを敵に回すには、それ相応のことをやらないとな。大量虐殺、資源の独占、監禁、拷問。挙げればきりがない」
「それでも誰も……話し合えないのか? 何かしらの合意に至ることはできないのか? ……永遠に戦い続けるしかないのか?」
「自分の家族を殺した暴君と、話し合いたがる者はいない」
ダチーは応輝をじっと見た。
「あんた、歴史の教科書をなぞってるようには聞こえないな」
応輝が首を振る。
「教科書の話じゃない。……ヴォルティアナは俺の故郷を消し去り、俺を孤児にした。あいつらの下で働く以外に道はないんだ。ほかに行ける場所がないからな」
「そうか。……それは悪かったな」
応輝が肘でダチーを小突く。
「気にするな。お前も似たようなものだろ?」
「まあ、そうだな。祖父さんがここに住んでる。弟もこの場所を気に入ってるみたいだし、住人の中にも悪くない奴はいる。……ここを出たところで追われるだけだ。だから、俺に残された道は、この国を変えることしかない」
応輝が喉を鳴らして笑った。
「国一つの文化を変えるだと? 正気じゃないな、坊主」
「岩にそう約束したんだよ」
「そうか。岩に、か」
ダチーは横目で応輝を見て、わずかに目を細めた。
通路の終わりが見え始める。
「それほどヴォルティアナが憎まれてるなら、なんで俺まで巻き込む必要がある? あの国を焼き払えばいいだろ」
「できないからだ。……お前も、あの国の強さを見ただろう。王妃、司令官、そしてS-1部隊の将軍。この三人がいるだけで、神にも等しい力がなければ、あの呪われた国を消し去ることはできない。……そのうえ、技術力、軍事力、お前と弟を除いて十人の属性者までいる。あの虹の娘を加えれば十一人だ。かつては十三人もいた。とんでもない話だろう?」
「あんた、沙織のことまで知ってたのか?」
「当然だ。属性については徹底的に調べた。……虹の魔法だと? けっ、笑わせる」
通路の先から差し込む光が、次第に強くなっていく。
(やっぱり、今のこいつ……何かおかしい)
ダチーは考えた。
(ただ鬱憤を吐き出してるだけか? ……いや、何もかも終わらせるか、何かとんでもないことをやらかす直前みたいな気配だ)
応輝は、それきり一言も発しなかった。
通路の先にある広間へ辿り着いたとき、ダチーはようやく気づいた。
そこは、沙織と初めて出会った場所だった。
「ん? ここか? なんでみんながここにいるんだ?」
「最も探そうと思わない場所だからだ」
応輝が答える。
「友達が理不尽にお前を憎んでいる今、わざわざここへ戻る理由はないだろう」
「あいつには時間が必要なだけだ」
ダチーが言った。
「まあ、頭へ光線を撃ち込まれるのだけは、もう勘弁してほしいけどな」
応輝が中央の舞台を示す。
「あそこだ。下りていけ。……そうすれば、敵の方から姿を現す」
ダチーの片手が灰色に輝き始める。
その手を背中へ隠した。
「へえ、そうかよ。敵はこの下にいるのか?」
「当然だ。……連中はいつだって近くにいたんだよ、ダチー。目を向けさえすればわかる。……ほら、俺が先に行く」
応輝が舞台へ飛び降りる。
ダチーは目を細め、その一挙一動へ意識を集中させた。
(操られているか、敵に取り込まれているかだ。……やっぱり何かがおかしい。いったい誰のために動いてる?)
応輝は舞台の上で辛抱強く待っていた。
両手を懐へ入れたまま、微動だにしない。
ダチーも通路から飛び出し、応輝から数歩離れた場所へ着地する。
空気そのものが静止したかのようだった。
張り詰めた圧力が、徐々に膨れ上がっていく。
「応輝」
ダチーが低く呼びかける。
「みんなはどこだ? ……敵はどこにいる? あんた、俺に嘘をついてたのか?」
応輝は首を振り、天井を見上げた。
「いや。嘘はついてない。……それから、お前が気にしているようだから先に言っておく。俺は何かに操られているわけじゃない。偽物でもない。何者の影響も受けていない」
「何だと? そんなわけあるか。……今のあんたは、あんたらしくない!」
応輝が何度か瞬きをした。
まるで、たった今何かに気づいたかのように。
「俺らしく? ああ、その話か。……俺は俺だよ、ダチー。それは、お前も俺も知っているはずだ」
「はいはい。じゃあ、あんたが本当にあんたなら、敵はどこだ? ……曖昧な話はやめて、今すぐ答えろ!」
応輝がようやくダチーへ視線を向けた。
沈黙。
一秒。
二秒。
そして、三十秒。
その末に――
応輝は自分自身を指差した。
「ここにいる」
白い閃光が迸り、その両目が輝き始める。
巨大な骨の手が伸び、ダチーの体を鷲掴みにした。
そのまま天井を突き破り、地上へ飛び出していく。
*
飛鳥区の至る所から、誰もがそれを目撃した。
ダチーを握り込んだ巨大な手が、夜空へ高々と昇っていく。
ダチーが力を爆発させた。
二本の指を砕いて拘束から抜け出し、その親指の上へよじ登る。
巨大な掌の中から、応輝が姿を現した。
「あんた……!」
ダチーが吐き捨てる。
「何なんだ、これは。……あんたは何者だ?」
「すべてを仕組んだ者だ」
応輝の肌が変貌していく。
黒く染まり、ひび割れていく。
両目は空洞のように虚ろになり、その瞳孔だけが骨のような白へ染まった。
それに呼応するように、ダチーの瞳も闇に沈んでいく。
「そうかよ。……なら、死ね!」
ダチーは拳の一撃で、巨大な骨の手を丸ごと粉砕した。




