↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/61

第二十八話「宴」

「ダチー? 起きてる?」


 ダチーは目を開けた。


 夏の日差しの温もりが、顔へ降り注いでいる。


 周囲を見回すと、そこは公園だった。自分は長椅子に腰かけており、その隣にはアヤナがいる。


「やっと起きた、寝坊助」


 アヤナがからかうように言った。


「昨日の夜、遅くまで起きてたの?」


「ああ」


 ダチーが気怠げに答える。


「母さんがまた発作を起こしてな。平気だって言い張ってたけど、病院まで送っていった」


 アヤナは地面へ視線を落とした。


「それは大変だったね。……キアさん、あれ以来ずっと調子が良くないもんね。三人とも生き延びたこと自体、奇跡みたいなものだし」


 ダチーは両手を膝に置いた。


「ただ、親父が何をしてたのか気になるんだ。頭に靄がかかったみたいで、あの人に言われたことをほとんど思い出せない」


 アヤナが眉を上げる。


「え?」


「なんでもない。……そろそろ海を渡る支度を始めないとな。祖父さん、俺たちを迎えに来ることまで忘れそうだ。あのぼけた頭じゃな」


 アヤナは笑ったが、ダチーの表情は晴れなかった。


「最近は、傷だらけだったり骨を折ってたりして帰ってくるんだ。あの人が何の『仕事』をしてるにせよ、俺は気に入らない」


 アヤナが立ち上がる。


「まあ、だから正式な許可がないと国境を越えられないんでしょ。アスマナにどんな危険があるのかもわかってないし、向こうから戻ってくるのは森野さんだけだもの」


 アヤナはダチーの手を取った。


「よかったら、私も一緒に行こうか?」


「お前の母さんが許すのか?」


「許すわけないでしょ! あの過保護っぷり、知ってるくせに」


「お前まで面倒に巻き込みたくない。その案は無しだな。……でも、ちゃんと帰ってくるよ。そんなに長く向こうにいるつもりはない」


 アヤナが含み笑いを浮かべる。


「何? 私に会うためだけに帰ってくるの?」


「それの何が悪いんだ? なら、母さんのために帰るってことにしてもいいんだぞ――」


 アヤナの拳が腕に飛んできた。


「痛っ! なんでだよ!」


「そんなの嘘でしょ! 自分でもわかってるくせに!」


 ダチーは殴られた腕をさすった。


「わかったよ。じゃあ、お前と母さんのために帰ってくる。それでいいか?」


 アヤナが頷く。


「うん。そっちのほうがいい」


 そこへマラチーが駆けてきて、二人の前で足を止めた。


「兄さん! 森野が僕たちを迎えに渡し船を寄越してくれた! あと一時間で出るから、急がないと!」


 ダチーが立ち上がる。


 だが、アヤナが二人の腕を掴んだ。


「待って、二人とも! 別れの挨拶もせずに行く気じゃないでしょうね?」


 そのまま二人を抱き寄せる。


「二人の馬鹿がいなくなると、寂しくなるよ」


「僕たちも寂しくなるよ!」


 マラチーが答えた。


「ああ」


 ダチーも頷く。


「俺たちのこと、忘れるなよ」


 アヤナは目元の涙を拭った。


「向こうに着いたら、絶対に連絡しなさいよ。しなかったら、私が乗り込んで二人ともぶちのめすから」


 ダチーとマラチーが同時に身を震わせる。


 アヤナはおどけて、二人の頬を指で突いた。


「さあ、行って。待ってるから」


 マラチーは最後にもう一度アヤナを抱き締めると、先に歩き出した。


 ダチーはその場に残り、最後にもう一度、アヤナを見つめる。


「じゃあな」


「うん、じゃあね。……私――」


 アヤナは首を振った。


「なんでもない。無事に着いたら連絡して」


 そしてダチーは、弟のあとを追った。


    *


 ダチーは寝台から転げ落ちた。


 よろめいた拍子に箪笥へぶつかり、後頭部を強打する。


 ぐるぐると回る視界の中で、ようやく自分の部屋にいることへ気づいた。


(ああ……夢か。ってことは、俺はエストリウムにいない。藤井は本当に捕まってて、みんなは階下で取り乱してるってわけだ)


 立ち上がって装備を掴み、部屋を出て階下へ向かう。


 光が居間を落ち着きなく行ったり来たりしていた。


 ダチーの姿を捉えた瞬間、その頬へ平手を振るう。


 ダチーは屈んで躱した。


「なんだよ! おい、お嬢さん! 気でも狂ったのか!」


「狂ったのはあなたでしょう!」


 光が声を尖らせた。


「他のみんなはどこ? それに、よくも『この任務に光は連れていけない』なんて言ってくれたわね!」


 ダチーは額を掻いた。


「は? 俺は寝てたぞ」


「面白い冗談ね。外へ飛び出して、全員に自分を追いかけさせて、私に恥をかかせたうえ、みんなをあなたのくだらない偵察任務へ引きずり込んでおいて? ええ、たっぷり苦しんでもらうわ!」


 光の手が桃色に輝き始め、ダチーが慌てて両腕を上げる。


「待て! 本気で言ってるんだ! 俺はずっと自分の部屋にいた!」


「それを信じろというの?」


 ダチーは少し黙った。


「まあ、信じなくてもいい。……けど、チーズやトマトのアレルギーにされるのは御免だから、せめて話だけは聞いてくれ」


「え? 私にそれができること、忘れているのかと思ったけれど」


「なんで忘れるんだよ」


 光が一歩下がった。


「待って。……やっぱりおかしいわ。数時間前のあなたは、妙に決然としていて、『優雅』な喋り方までしていた。それが今は、私の知っている皮肉屋の馬鹿に戻っている。……話が合わないわ。まさか夢遊病だったわけでもないでしょう?」


 ダチーは手で顔を覆った。


「ああ、最高だな」


「何一つ辻褄が合わない。……最初は藤井、次はあなた? まるで、この部隊のみんなが次々と別人に変わっているみたい……」


 光の目が大きく見開かれた。


 すぐさまダチーの腕を掴む。


「行くわよ! 今すぐ!」


 ダチーが一言を発する暇もなく、光は彼を扉の外へ引っ張っていった。


 外へ踏み出した瞬間、二人は同時に足を止める。


「なんだ、これ……」


 周囲一帯が、巨大な路上宴会へ変貌していた。


 貴族たちが踊り、衛兵たちが巡回し、通りには無数の露店が並んでいる。


 山車が道を横切り、街角では踊り手の一団が舞っていた。


「何なんだ、これは」


 ダチーが尋ねる。


「私にも……わからない。みんな、ついさっき暗殺未遂があったことを忘れたの? 劇場では遺体まで見つかったのよ?」


 直哉が近づいてきた。


 その背後には何十人もの衛兵がおり、全員が麦酒の瓶を手にしている。


「よう、お二人さん。一杯どうです?」


「直哉?」


 ダチーはその顔を見分けた。


「何が起きてるんだ? それに、どう見ても酒を飲める歳じゃないのに、なんでそんな瓶を持ってる?」


 直哉は陽気に体を揺らした。


「まあ、落ち着いてくださいよ。みんなのために打ち上げを開いてくれたんです。藤井にやられたまま、落ち込んでなんかいられませんからね。……王妃陛下も直々にお許しくださったんですよ」


「それで、王妃があんたらを酔わせたのか?」


「いいえ。酔ったのは自分たちの意思です」


 ダチーは溜息をついた。


「なあ、俺の弟と、ほかのS-1部隊員を見なかったか? 沙織は? ナイトは? 誰でもいい」


 直哉が首を振る。


「いいえ。どこか別の場所にいるんじゃないですか? ……それで、宴には加わるんですか?」


 直哉が光を指差す。


「もう綺麗な御婦人も連れていらっしゃることですし」


 光の顔が赤くなり、その瞳が輝き始めた。


「それ以上、余計なことを考えるのはやめなさい!」


 ダチーは肩をすくめる。


「そりゃ楽しそうな話だな。人が死んだばかりだって事実を無視すれば。……踊って騒いだところで、何も解決しないだろ!」


 衛兵たちが一斉に踊り始めた。


 光は驚いて跳び退き、咄嗟にダチーへしがみつく。


 自分が何をしているのかに気づくと、すぐさま手を放し、危うく転びかけた。


 直哉がダチーの肩へ腕を回す。


「あなたは特別招待客でしょう? 一緒に楽しみましょうよ!」


 衛兵たちが笑いながら、ダチーを車寄せの先へ連れていこうとする。


 光が衛兵の間を押し分け、ダチーを掴んだ。


「駄目、駄目、駄目! あなたたち、絶対に正気を失っているわ!」


 直哉がうんざりしたように呻く。


「もう。恋人くらいちゃんと抑えてくださいよ、ダチー。せっかくの宴が台なしだ」


「私はこの人の恋人なんか――」


 ダチーが指を鳴らした。


「任せとけ、相棒。この上流階級らしい雰囲気には、どうにも抗えなくてな!」


「そんな……」


 光が息を呑む。


「あなたまで!」


 ダチーは衛兵たちへ手を振った。


「先に行っててくれ。何か食い物を取ったら合流するよ、我が友たちよ」


 衛兵たちは一人ずつダチーと拳を合わせ、その場を去っていった。


 光が呆れたように両手を上げる。


 ダチーは彼女へ向き直った。


「あまりにも簡単だったな。まったく」


「変わってないの? 何かに乗っ取られたり、頭をおかしくされたりもしてない?」


「ああ。俺から離れてもらうために、仲間になったふりをしただけだ。……とにかく、何一つ辻褄が合わないなら、この辺りを調べてみよう。俺たちも宴に馴染んだふりをすれば、誰かが何か口を滑らせるかもしれない」


「ふん。自分だけは賢いと思っているのね。……私だって、それくらい思いついたわよ!」


 ダチーは聞き流し、周囲へ目を走らせた。


「とにかく、何か食うにはちょうどいい頃合いだ。……ついでに、うまい噂話も拾えるかもしれないしな」


 光は息を吐き、ダチーの隣へ並んだ。


 二人は寿司の露店へ向かう。


 店主はダチーの姿を認めた途端、満面の笑みを浮かべた。


「これは特別招待客様! お目にかかれて光栄です! そちらの御婦人はお連れ様で?」


「まあ、そんなところだよ、相棒」


 光がダチーの脇腹へ肘を入れた。


「痛っ!」


 店主が声を上げて笑う。


「ずいぶん気の強い御婦人ですな」


 光の瞳が鋭く閃いた。


「余計な詮索はやめてくださる?」


 店主は両手を上げ、鼻を鳴らした。


「承知しました。若いお二人の仲へ割って入るつもりなどございませんよ。……それで、何をお出ししましょう?」


 光は腕を組み、顔を背けた。


「私はこんなもの、いらないわ」


「じゃあ、何が食べたいんだ?」


 ダチーが尋ねる。


「もっと高価なものよ。私の身分に釣り合わないものは口にしないの」


「そうかよ。なら、この硬貨を持って、好きなものを好きなだけ買ってこい。終わったら、ここで落ち合おう」


 ダチーが懐から大きな硬貨袋を取り出して渡すと、光の体が震え始めた。


「私一人で……行けというの? こんな不気味な連中ばかりの中を? 私まであれと同じものに変えられたら、どうするのよ」


「あれって何だよ! 俺たちだって、何が起きてるのかわかってないだろ!」


「だからこそ怖いのでしょう!」


 ダチーは深く息を吸った。


「わかったよ。……あんたは綺麗だから、俺もついていってやる」


 光がダチーの脛を蹴った。


「痛っ! 今度は何だよ!」


「そういうことを声に出さないで!」


「いいから歩け、お嬢さん!」


 やがて二人は松阪牛の露店へ辿り着いた。


 光がダチーの腕を引く。


「ここ! 私はこれがいいわ!」


「俺の硬貨がほとんど吹き飛ぶ値段じゃねえか。……まあ、あんたならそうなるよな」


「払うのはあなたでしょう? 私は貴族なのだから」


 ダチーは硬貨袋の中身を露店の台へぶちまけた。


「ほら、これで全部だ。足りるか?」


 露店に立っている人物を見て、ダチーの目が見開かれた。


 光も気づき、咄嗟にダチーの背後へ隠れる。


「多すぎるくらいだ」


 応輝が答えた。


「ラーメンもつけるか?」


 ダチーは応輝と光を交互に見た。


「あんた……今度は露店の店主になったのか? っていうか、なれたのか? 何なんだよ、この宴は? なんであんたが露店をやってるんだ?」


 応輝は何度か瞬きをした。


「なあ、特別招待客。俺はただ自分の仕事をして、宴の客に旨いものを出してるだけだ。……あんたは賓客だからな。あんたと、そのお連れの御婦人には、牛肉を無料で振る舞ってやる」


 応輝が硬貨をダチーへ投げ返した。


 光が露店の台へ両手を叩きつける。


「あのノートパソコン! どこにあるの? あれをどうしたの!」


「何のことだ?」


「へえ。とぼけるつもりなのね?」


 二人の押し問答がしばらく続いたところで、ダチーが咳払いをした。


「とりあえず、牛肉をもらえないか?」


「すぐに用意する」


 応輝は料理を整え、盆に載せて二人へ差し出した。


 だが光は、自分の分を近くの路地へ放り投げる。


「私は遠慮するわ。人間が作ったものを、私の胃へ入れるつもりはないもの」


 ダチーは構わず、自分の肉へ食らいついた。


「うちの軍装を着たほかの連中を見なかったか?」


 応輝が首を振る。


「別の軍装を着た女なら見たぞ。いやはや、恐ろしい女だったな」


 光とダチーが顔を見合わせた。


「ナイトだ!」


 応輝が通りの先を指差す。


「あっちへ行けば見つかるはずだ。……今夜はあの女が音楽を流すらしい。特別招待客も参加させて、舞踏競技をやるんだとさ」


 ダチーは残りの肉を一気に掻き込み、盆を応輝へ返した。


「わかった。ありがとよ」


 そのまま歩き出し、光が慌ててあとを追う。


 ダチーが通りに流れる音楽へ合わせて頭を揺らす一方、光は必死に周囲を見回しながら、その両肩に掴まっていた。


「ダチー、私、本当にこれが嫌なのだけれど」


 光がとうとう認めた。


「だって、誰にこんなことができるの? 魔法だけで、これほど大勢の人間へ同時に影響を及ぼすなんて不可能よ! ……よほど強力な貴族でもない限り」


「属性ならどうだ?」


 ダチーが言った。


「可能性はあるわ。でも、あなたと弟を除けば、属性を持っているのは私たちだけよ。……それに、こんなことができる属性なんて聞いたこともない」


「重力についても、あんたらは同じことを思ってただろ」


「……とにかく、ナイトを見つけて真相を突き止めましょう」


 住民たちは二人の周囲に列を作り、腰を振りながら拍子に合わせて踊っている。


 手を叩く者もいれば、見知らぬ貴族たちが次々とダチーへ握手を求めてくる。


 この頃には、光はほとんどダチーの背中にしがみついていた。


 周囲から伸びてくる無数の手を避けようと、必死に身をよじっている。


 角を曲がったところで、二人はナイトを見つけた。


 壁に背を預け、通りかかる子供たちへ菓子を配っている。


 その頭には、風船で作られた帽子が載っていた。


 二人は唐突に足を止め、呆然と立ち尽くす。


 最後の子供へ菓子爆弾を渡し終えると、ナイトの視線がダチーと光へ向けられた。


「これはこれは」


 ナイトが呟く。


「どうやらお二人は、この宴を楽しんでいないようですね」


 次の瞬間には、ナイトの両手から扇が抜き放たれていた。


 二本の扇が、それぞれダチーと光の首筋へ突きつけられる。


「説明しなさい」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。