第二十四話「己の敵は誰か」
藤井、灯里、光、ダチーは、大理石の花と金色の垂れ幕で飾られた二階建ての料理店の外で待っていた。
行列は少なくとも三区画先まで続き、S-1部隊はその最後尾にいる。
光が何度も足を踏み替えながら、不満を漏らした。
「もう! これ、一晩中待つつもり? 足が焼けそうなんだけど!」
「心配するな」
灯里が請け合った。
「我ら全員の重要度を合わせれば、ここにいる者ども全員を上回る。少し待っていろ」
灯里は人々を押し分け、列の先頭まで進んだ。
そこでは一人の衛兵が、名簿を見ながら確認済みの名前に印をつけている。
「おい。私たちはもう五分も並んでいる。どういうことだ?」
衛兵は手にしていた記録板を取り落とした。
「ひ、姫殿下?」
「そうだ。お前の姫だ。あと一秒でも待たせるなら、私からの苦情をたっぷり聞かせてやろう。……そして、ほかに誰が一緒だと思う? 光様、藤井将軍、そして母上の『特別な資産』だ」
灯里は両手を腰へ当てた。
「それで? どうする?」
衛兵が慌てて背筋を伸ばす。
「お、お入りください、姫殿下! お待たせして、誠に申し訳ございません!」
「そうでなくてはな」
灯里がほかの者たちのもとへ戻った。
「行くぞ。席を確保した」
藤井がその頭を撫でる。
「だからお前をそばに置いてるんだ、お嬢ちゃん」
「え? それはどういう意味ですか!」
藤井は何も答えなかった。
灯里は顔を赤くし、悔しそうに地団駄を踏む。
やがて一行は料理店の中へ入った。
着飾った客たちが、すでに次々と席へ案内されている。
入口からでも二階を見渡すことができた。
ダチーは、静と沙織が見知らぬ男とともにボックス席へ座っているのを見つけた。
沙織はこちらに気づいた瞬間、手を振ってダチーを呼ぶ。
ダチーが人混みから離れると、衛兵たちも後を追おうと動いた。
光と灯里も振り返る。
だが、藤井が片手を上げた。
「よい。行かせろ」
「しかし、将軍!」
「あいつは、さっきからあの娘のことを気にしている。……何があるのか知りたい」
藤井が、二階の席の真下にあるボックス席を指した。
「そこだ。真下なら、あちらの会話も……聞こえてくるだろう。近接規則も満たせるはずだ。五人は扉を見張れ」
衛兵のうち五人が離れ、入口の扉の前へ立った。
残る八人は、直哉を含めて藤井の近くに留まる。
ダチーが沙織の隣へ腰を下ろした。
「ええと、どうも」
「こんばんは!」
沙織が答えた。
「本当に戻ってきてくれたのね!」
「ああ……まあな……」
静が温かな笑みを向ける。
「あなたが来てくれて、私たちはとても嬉しいのよ。……あなたのような、その……珍しい存在と一緒に過ごせる機会は、そう多くないもの」
ダチーは入口へ視線を向けた。
衛兵たちは扉の前に立ち、こちらを見ないふりをしている。
(ついてこなかった。……藤井が何か企んでるな)
ダチーは目を閉じた。
(なら、あまり余計なことは話せないか)
静の隣に座っていた男が、身を乗り出してきた。
「属性を宿した人間か。実に珍しい光景だ。……君と弟が、この国中を騒がせたのだろう?」
「選抜試験とかいうので顔がニュースに出たからな。まあ、そういうことになる」
男が手を差し出す。
「中村健だ。よろしく」
ダチーもその手を握った。
「こっちこそ」
健が声を落とす。
「では、娘の秘密も知っているわけだね?」
「何の秘密だ?」
健が入口のほうへ目を向けた。
「あの子の踊り方だよ。虹のように優雅で、きらめいている」
ダチーが咳払いをする。
「ああ。沙織は……すごい踊り手だよ」
「なぜ秘密を守ることにしたのか、訊いてもいいかな。……密告すれば、上層部からの評価を大きく上げられたはずだ」
ダチーは沙織を一瞥した。
「俺には関係ないからだよ。……あいつらにとっちゃ、俺は金の卵を産むガチョウかもしれない。でも俺は、人を売って得しようとするような奴じゃない。……俺の実体験から言わせてもらえば、戦うのも、捕まるのも、首を失うのも楽しくない。本当に、全然楽しくないんだ」
「では、どうやって耐えている?」
「弟が一緒だからだ。あいつは技術オタクだから、俺よりずっとうまくやってる。……俺が正気を保ててる理由なんて、給料が出ることと、女が美人なことくらいだな」
健が飲み物を一口啜った。
「君と沙織は、私が思っていた以上に似ているらしい。……娘には友人を持つことを許していない。危険が大きすぎるからだ。だからあの子は、その孤独に耐えるために踊っている」
「一人も駄目なのか?」
「人々は王家に忠実だ。それも、義務感だけではない。……あの子が通常の魔法を超える力の兆しを少しでも見せれば、即座に選抜試験へ送られる」
「うわ……」
ダチーが顔をしかめた。
「あなた、子供たちの前でそんな話をするのはやめて」
静が割って入る。
「沙織にようやく初めての友達ができたのよ。喜ぶべきことでしょう?」
沙織が水面を指先でつついた。
「もう、これ以上隠れていたくありません、母上。楽しくないんです。……それに今度は、踊るための新しい隠れ場所も探さなければいけない」
「沙織……」
「この子の言うとおりだよ、静」
健が同意した。
「秘密は永遠には守れない。それに、もう従軍が義務づけられる年齢だ。……あれほどの能力を持っているなら、なおさらだ」
ダチーは水を一口飲み、そこに映った自分の顔を見つめた。
「一つ、案がある」
三人の意識が、一斉にダチーへ向いた。
「沙織がS-1に入るのはどうだ? ……問題は多いけど、隊員の大半はまともだ。将軍は変人だし、たぶん一度や二度はあんたを利用する。俺の知らない企みも抱えてる。でも、残酷な奴じゃない。ルカは信用できるし、弟は礼儀正しい。……あの女二人だって、まあ悪くない。それに、あんたは重要人物の娘だ。それで見る目が変わるかもしれない」
沙織が両手を組み合わせた。
「その人たちは……友好的なの?」
「大半はな」
「でも、それでも……任務がある。死ぬまでずっと、死地へ飛び込むような生活は嫌。……それに、あの人たちにはあなたがいる! それなら、私たちまで危険になるんじゃない?」
ダチーは答えようと口を開き――すぐに閉じた。
(俺は何を考えてる? これは仕組まれたのか? 藤井は、この展開を望んでたのか?)
(……いや。あいつだって全知じゃない。この子には助けが必要だ)
ダチーが再び口を開く。
「断言はできない。……ただ、いつか偽るのをやめたいと思ったなら、自分の条件で入るべきだ。それだけは言える」
健が両手を打ち合わせた。
「もっともな助言だ。……それに、この子が守られるのは良いことだと私も思う。母親も私も、一日中見ていることはできないのだから」
男の給仕が近づいてきた。
「いらっしゃいませ、皆様。ご注文を承ります」
四人へ品書きが配られる。
ダチーは自分の品書きへ目を通した。
「何が書いてあるのか、さっぱりわからん。……いつもの手軽なもんはないのか? ハンバーガー、ピザ、パスタとか」
沙織が品目の一つを指した。
灰色のソースと銀色の肉が添えられた、パスタ料理らしい。
「それならあるわ。私たちは『女王の終幕』と呼んでいるの」
「ふうん。あの人、名前を使われた飲み物もあるのか?」
「『女王の一服』?」
「なんで訊いたんだろうな」
その真下では、藤井が一言も聞き漏らすまいと耳を澄ませていた。
その表情は微動だにしない。
灯里と光が、頭上の床板を見上げる。
「あの人たち、何を話しているの?」
光が尋ねた。
「秘密? 私も秘密を知りたい! それに、どうしてダチーが静様と娘さんに隠れて親しくしてるのよ! こんなの不公平だわ!」
「あいつは私たちに何かを隠している」
灯里が指摘した。
「将軍はご存じだったのですか?」
「あの娘……」
藤井が低く呟く。
「まさか、あれが……?」
藤井が両手を卓へ置いた。
「目的以上の収穫があった。……注文するぞ。暗くなりすぎる前にな」
給仕がやってきて、一行も食事を注文した。
両方の卓へ、十分もしないうちに料理が届く。
ダチーは即座に自分の料理へ食らいついた。
沙織は寿司を一口食べ、静と健は烏賊入りのラーメンを食べている。
卓は長い間、静かなままだった。
やがてダチーが料理を食べ終える。
「今夜、沙織を踊らせても大丈夫なのか?」
全員が凍りついた。
「悪い。変な意味じゃない。……ただ、人前に出すのが本当に危険なら、何千人もいる舞台へ立つことで、力が暴発したりしないのか?」
「いえ……あなたの言うとおりよ」
静が認めた。
「でも、この子は生まれてからずっと隔離されてきた。そして、この子がずっと目標にしてきたのは、私を超えることだったの。……せめて公平な機会くらいは与えられるべきだと思うのよ」
健が椅子の背にもたれた。
「様子を見るしかない。何か起きても、私の魔法――反転魔法なら、あらゆる悪影響を元に戻せるはずだ」
ダチーが立ち上がった。
「そろそろ部隊に戻らないと。……みんな、ありがとうな」
「気にしないで。勘定はこちらが持つわ」
ダチーが立ち去ろうとしたとき、健がその腕を掴んだ。
「だが……君はまだ迷っている。どちら側につくか決められていないのだろう?」
「ああ」
「一つ、助言をしよう。……世界の敵が誰かを考えるな。君自身の敵が誰なのかを考えろ。それを定めれば、選択はずっと明確になる。君を阻もうとする者に立ち向かえ」
「でも、それなら……あんたらも敵に入るんじゃないのか?」
健が指の関節を鳴らした。
「私は、どちらを選べとは言っていない。……だが、よく見て、時を待つんだ。時として戦いの行方を決めるのは、何が自分を生かしてくれるかだ。何が『正義』かではない」
「わかった。覚えておくよ」
沙織が手を振って見送る中、ダチーは階下へ向かった。
階段を下りた途端、衛兵たちが即座に群がってくる。
「どうしてあの子に、あんなことを言ったの?」
静が不思議そうに尋ねた。
「あの子には覚悟が必要だからだ。……忠誠の先を決めるのを引き延ばすほど、あの子自身が危険に晒される」
その真下では、藤井たちも食事を終え、ダチーと合流していた。
「話していたのは静様だったな」
灯里が詰め寄る。
「どうして私たちに黙っていた?」
「え? どうでもいいと思ってた。……今回は内密に話したかったんだろ。責められるか?」
「責めるわよ! 相手があなただから!」
光が叫んだ。
藤井が店内を見渡す。
「行くぞ。踊りは間もなく始まる。それを完璧に成功させるのが我々の仕事だ。……小僧どもを回収したら移動する。わかったな?」
「はい、将軍」
三人が揃って答えた。
扉から外へ出るとき、一つの考えがダチーの頭をよぎる。
(あいつら、どうしてるかな……)
*
ルカとマラチーは、応輝についていくのに苦労していた。
応輝は人の間を滑り抜け、肩で押し分け、身を捻りながら、消えた符号が示した方向へ進んでいく。
「待ってください!」
応輝は写真を撮っていた一団へ突っ込み、小声で悪態を浴びせられた。
「待ってる時間はない。速く動けば、それだけ早く標的へ追いつける。……スパイは一箇所に長く留まらない」
ルカが二人を人混みの脇へ引き寄せた。
「なら、俺が手を貸すよ」
ルカの体が膨れ上がり、鎧もそれに合わせて形を変えていく。
緑と白の毛が肌から噴き出した。
瞬きを一度する間に、そこには巨大なゴリラが立っていた。
「な、何だそりゃ!?」
応輝が息を呑む。
マラチーがルカの体を指でつつき始めた。
「すごい!」
「何がすごいだ! ただのデカいゴリラじゃねえか!」
ルカが片腕でマラチーと応輝を抱え上げ、もう一方の腕で最も近い建物を登った。
唸り声を上げながら、応輝へ顎をしゃくる。
「ん? 俺に訊いてるのか? あっちだ。北へ進み続けてくれ、ゴリラ殿」
ルカが駆け出した。
建物から建物へ跳び移り、何人かの貴族がその姿を捉える。
マラチーは両腕を広げて歓声を上げ、応輝は落ちまいと必死にしがみついていた。
途中、応輝が建物の壁へ叩きつけられ、危うく滑り落ちかける。
だが、マラチーが触手を伸ばして引き上げた。
さらに幾つもの建物を跳び渡った末、三人は大きなサウナ施設のそばへ降り立った。
劇場は、そこから数区画先にある。
応輝が手を上げた。
「ここだ」
近くにある路地を指す。
「あの符号は、あそこから来た」
ルカが元の姿へ戻り、三人は路地へ入っていった。
通り過ぎる住民たちが三人へ視線を向け、手を振っていく。
路地は、大型のごみ箱が一つ置かれている以外、何もなかった。
応輝が素早くごみ箱の中を確かめ、戻ってくる。
壁を手探りし、床を調べ、角の向こうを覗き込んだ。
だが、何も見つからない。
「ふむ。思ったとおり、あいつは手練れだな。……ルカ。その鼻で、残り香を追えるか?」
ルカが狼へ姿を変えた。
鼻先を床すれすれに這わせ、尾を振りながら進んでいく。
やがて、その鼻が路地の奥にある壁へ押し当てられた。
ルカが前足で壁を掻き始める。
「見つけたの?」
マラチーが尋ねた。
応輝は拳の関節で壁を叩き、マラチーへ手招きした。
「なあ、ここを殴ってみてくれ。軽くな。騒ぎを起こしたくない」
マラチーの腕が金属へ変わり、壁を殴りつける。
壁にひびが入り、その下から黒い緩衝材が姿を現した。
「やはりな。内部が空洞だと気づかせないための緩衝材。偽の壁を隠すため、表面には本物の煉瓦。……教本どおりのスパイの手口だ。間違いない。あいつだ」
応輝が口の端を上げた。
「行くぞ、小僧ども」
マラチーが壁を引き裂き、体を滑り込ませられる程度の穴を開けた。
ルカが先に飛び込み、応輝がその後へ続く。
マラチーは大型のごみ箱を壁の前まで引きずり、穴を隠した。
それから、自分も穴の中へ飛び込んだ。




