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第二十三話「合図」

応輝が屋根から跳び降りると、群衆は武器を下ろした。


 マラチーの触手が、背中へ引っ込んでいく。


「応輝?」


「よお、ダチーの弟」


「ええと、マラチーです」


「ああ、そうだったな。……おい、この子供らから離れてやってくれないか?」


 人間の一人が、草刈り用の鎌をルカへ突きつけた。


「応輝、そいつはヴォルティアナ族だぞ! なぜ庇う!」


「勘だ」


 群衆が野次と怒号を上げ始め、マラチーは耳を覆わざるを得なくなった。


 ルカが大型のごみ箱の陰へ跳び込む。


 応輝は苛立たしげに足を踏み鳴らした。


「おい! 離れろと言っただろう! ……忘れるなよ。俺の諜報の稼ぎで、このボロ街は何とか回ってるんだ。金を引き揚げさせるな」


 人間たちが動きを止めた。


 ルカが元の姿へ戻る。


 そのほとんどが敵意むき出しの目でルカを睨み、そちらへ唾を吐いてから、最低限の場所だけ空けるように後ろへ下がった。


 中には、ルカの足元へ熊手を投げつける者までいた。


「本当に嫌われてるんだね」


 マラチーが呟いた。


「ルカ、この人たちに何かしたわけじゃないよね?」


「したよ」


 ルカが訂正する。


「自分の国に仕え続ける道を選んだ」


「間違っちゃいない」


 応輝が認めた。


「ここじゃお前は、俺たちを毎日ここへ閉じ込めてる連中と同じ顔をしてるようなもんだ。……それで、俺に何の用だ?」


「祭のことです」


 マラチーが説明する。


「兄さんが今そこにいるんですが、ひどく付きまとわれていて。……後援者たちについての情報と、兄さんの中にある『器《ホルダー》』の力が何なのか。それを知りたいんです」


「ああ。俺を百科事典代わりにしに来たのか。……悪いが、その件では力になれそうにない」


「アスマナ森林へ潜入していたんですよね? 何か知っているはずです! 力が発動する条件とか、後援者たちの居場所につながる痕跡とか!」


「無理だな、坊主」


 ルカが片手で顔を覆った。


「ここまで来たのに。無駄足か」


 応輝がわずかに首を振る。


「いや。……俺と一緒に潜入してた奴が、もう一人いる。そいつは俺よりずっと深く、連中の組織へ食い込んでた。今頃は祭にいるはずだ」


 マラチーが顔を上げた。


「それって、腹心みたいな人ですか?」


「そういうことだ。ただ、一つ問題がある。人間のスパイである俺を、祭の中へ入れてはくれない。……だから、お前ら二人が人生最高の作り話をでっち上げるか、変装を用意するかだ」


「変装なら何とかなる」


 ルカが答えた。


「ただ、応輝には装甲指揮車の中に隠れてもらう必要がある。もうすぐ行列が通るからな」


 応輝が口の端を上げた。


「その装甲指揮車を、お前らの山車にするってわけか。完璧だな。……現場を見渡せるなら、それで十分だ」


 マラチーが装甲指揮車の側面を叩いた。


「これはもっといろいろできますよ! 乗ってください!」


 ルカとマラチーが車内へ登る。


 応輝も乗降用のタラップを上り始めた。


 そこへ、応輝と同じ色の肌をした人間の少年が、その足を掴んだ。


「待って……俺たちのこと、忘れたりしないよな、応輝の兄ちゃん?」


 応輝は長い間足を止め、少年の目を見つめ返した。


 やがて、口を開く。


「忘れるわけないだろ。俺と仲間たちの計画がうまくいけば、いずれ全部片がつく。……何しろ、王妃がご執心のあの坊主だって人間なんだぞ。信じられるか?」


「本当に?」


「ああ。それに森野もいる。……ここはもうすぐ、お前の牢獄じゃなくなる」


 応輝は少年の髪をくしゃりと撫で、装甲指揮車へ乗り込んだ。


 車両が門へ向けて走り出す。


 人間たちは手を振って見送った。


 だが何人かは、なおも刺すような視線を車両へ向けていた。


 応輝は車内を見回して目を見張り、壁をつついたり、あちこちを触ったりする。


「俺たちみたいな諜報員には、こんな豪華な代物は支給されないぞ! これ、いくらするんだ?」


「五百億枚から二千億枚ってところ」


 ルカが答えた。


「ドワーフ戦のあとで、さらに改良もされた」


「すげえな……」


「僕も同じことを言いました!」


 マラチーが笑った。


「さあ、ぶっ飛ばすよ!」


 操縦球へ拳を突き入れる。


 エンジンが唸りを上げ、車体を門の向こうへ押し出した。


 装甲指揮車は一気に加速し、橋の上を駆け抜けていく。


    *


 祭の人出は、倍に膨れ上がっていた。


 住民たちが歩道を埋め尽くし、その前を幾つもの山車が通り過ぎていく。


 軍用車両を模したもの。


 小銃の形をしたもの。


 さらには、王家の玉座をかたどったものまである。


 踊り手たちが山車の後方で舞い、ほかの者たちは騒ぎ立てる群衆へ菓子爆弾を投げ込んでいた。


 最後尾には、円形の優勝杯をかたどった山車。


 その頂にダチー、藤井、灯里、光が座り、衛兵たちが幕のように四人を取り囲んでいる。


「なあ、少しだけ退いてくれないか?」


 藤井が頼んだ。


「お前たちに塞がれて、下にいる俺たちのファンがよく見えん」


 衛兵たちは、四人の姿が下から見える程度に道を空けた。


 ダチーが群衆を見下ろす。


 その中に、沙織と静の姿があった。


(へえ。……あの子、今何を考えてるんだろうな)


 灯里が肘で小突いてくる。


「おい。なぜ呆けている。まさか、飛び降りるつもりではないだろうな?」


「この状況で飛び降りると本気で思ってるのか、お嬢さん?」


 灯里が鼻を鳴らした。


「知らん。……とにかく、これ以上問題を増やすな。忌々しい人間め」


 ダチーが灯里の頬を指でつついた。


「今のは拗ねてるのか? おやおや、ずいぶん可愛い赤ん坊になってきたな」


 灯里がその指を掴み、強く握り締める。


「わかった、わかった! 悪かった! 降参だ!」


 ようやく手が放された。


 藤井は笑いを堪えていた。


 大音量の音楽とともに、行列はさらに進んでいく。


 山車が速度を上げ、角を曲がった。


 そこでダチーは、装甲指揮車が猛スピードで戻ってくるのを見つけた。


(よし! 応輝を連れてこられたんだな。これで話を進められる。……でも、この山車から飛び降りるのはやめとくか。ここは我慢して乗っておこう)


 下にいるヴォルティアナ族が、声を合わせて叫び始めた。


「ヘイヘイ! 飛鳥スカ! ヘイヘイ! 飛鳥スカ!」


 橙色の空が次第に暗くなる中、山車が次の通りへ入っていく。


 光は自分の髪をいじり始めた。


 灯里は腕を組んだまま座り、隙あらばダチーへ目を向けている。


 藤井が直哉を肘で小突いた。


「なあ、坊主。水をもう少し作れるか?」


 直哉は不満げに唸りながら手を差し出し、掌に水の瓶を作り出した。


 それを藤井へ渡す。


 将軍は一切躊躇することなく、一息に飲み干した。


 さらに次の通りへ入ったところで、藤井が座席の下へ手を伸ばし、箱を一つ引き出した。


「菓子爆弾か?」


 ダチーが尋ねる。


「そのとおり! 民に愛を示さねばならんだろう? 俺たちの給金を払ってくれてるのは、あの者たちだ」


「で、俺の給金はどこだ?」


「坊主、お前の懐には硬貨の袋がいくつも入っているだろう。どこから湧いたと思ってる? 虹のたもとからか?」


「……なるほどな」


 藤井が一人ずつに菓子爆弾を配った。


 全員がそれを群衆へ投げ込む。


 子供や若者たちが菓子を拾おうと駆け回り、大人の何人かも、こっそり数粒を懐へ入れていった。


 ダチーは箱からさらに幾つか掬い上げ、投げる。


 目を輝かせた子供たちが笑いながら、菓子を奪い合っていた。


 その瞬間、ダチーの脳裏に光景が閃いた。


 自分と――アヤナ。


 ダチーが頭を押さえる。


 ほかの者たちが動きを止めた。


「大丈夫か、坊主?」


 藤井が尋ねる。


「ああ。悪い。ちょっと頭が痛んだだけだ。……高すぎる場所にいるせいだろ」


「無理するな。あと一周したら降りる。……どのみち、こんな退屈な古ぼけた山車より、装甲指揮車のほうがいい」


 光の顔に笑みが浮かんだ。


「では、貴族の方々と一緒に食事をしませんか? もうすぐ晩餐が始まりますし、ほとんどの貴族が来るんですよ!」


「私も行きたい」


 灯里も同意した。


 ダチーは何も答えず、歩道で遊ぶ子供たちを見つめていた。


 手には二つの菓子爆弾を握っている。


 そのうち一つを、子供たちの中へ落とした。


 やがて山車が、最初の通りへ戻ってくる。


 沙織と静は、まだそこにいた。


 ダチーが最後の菓子爆弾を二人の足元へ投げる。


 菓子爆弾が破裂し、沙織が菓子まみれになった。


 沙織が勢いよく顔を上げる。


 だがダチーの姿を見つけると、その眼差しが和らいだ。


 ダチーが手を振る。


 沙織も振り返し、静も同じように手を振った。


 山車が停まると、灯里がダチーの腕を肘で小突いた。


「今、誰に手を振った?」


「マラチーだ」


 灯里が身を乗り出し、下を確かめる。


 だが、沙織と静はすでにいなかった。


 ほかの住民たちも散り始めている。


「見当たらんぞ」


「そりゃそうだ。もう行ったよ。ほかの連中と同じにな」


 藤井が階段を指した。


「降りるぞ、皆の者。ナイトに状況を報告して、問題がないか確認する」


 一同が階段を下り、衛兵たちがその両側を固めた。


 ナイトは露店のそばに立ち、炭酸の泡が弾ける飲み物を啜っている。


「あれは葡萄酒か?」


 ダチーが訝しげに見た。


「酒を飲むには、ちょっと若く見えるけどな」


「炭酸よ、馬鹿」


 光が訂正する。


「私たちの文化に首を突っ込むなら、せめて理解しようと努めなさい」


「悪かったな。上に檸檬が浮いて、底に菓子が沈んでる炭酸なんて、俺は飲んだことがない」


「無教養ね」


 ナイトが藤井の姿を捉えた。


 その静かな顔が、刺すような睨みへ変わる。


「これはこれは」


 藤井がナイトの肩へ腕を回した。


「万事順調だ! 資産も確保した。日暮れまで祭も無事に監督した。……あと何をすれば笑ってくれる?」


「私は一分たりとも休めないのですね」


 藤井の顔が真剣になった。


「危険の兆候は? 詳しく調べる時間も余裕もなかった」


 ナイトが首を振る。


「ありません。隅々まで確認しました。……王妃陛下が神経質になっているだけかもしれません。その『敵』とやらが、そこまでダチーを欲しがっているのなら、国家行事を襲うなど趣味が悪すぎます」


「あるいは、そう思わせたいのかもしれん。……最初に飛鳥を襲うとは、我々も思っていなかった。だが、実際に襲われた」


 灯里がうんざりしたように目を細めた。


「奴らが何を企もうと関係ありません、将軍。今度相手にするのは、能なしの新人三人ではない。私たちという大物です。噛みつけば、こちらも噛み返します」


「そのとおりだ。だが、俺たちの想像以上の何かが、裏にあるはずだ。……直接攻撃してくるとは考えにくい。だからこそ、あらゆる角度から調べる必要がある」


 藤井が光へ向き直った。


「そうだな。晩餐は実に良い考えだと思うぞ、光。……ナイト、一緒に来るか?」


「遠慮します。誰かが見張っていなければなりませんので」


「好きにしろ。……それで、晩餐はどこでやるんだ、光?」


「もちろん、最高級の料理店です、将軍! 『女王の復讐』!」


 藤井がその名を聞いた瞬間、動きを止めた。


 ダチーはそれに気づいたが、何も言わなかった。


 藤井が三人の肩へ腕を回す。


「では、動くぞ。マラチーとルカには、居場所を知らせておこう」


    *


 ほかの者たちが料理店へ向かう一方、マラチー、ルカ、応輝は装甲指揮車に乗って祭の区画へ戻ってきた。


 ルカが衛兵たちを言いくるめ、検問を通過する。


 区内へ入ると、応輝は外の景色を眺め、見事な邸宅や商店に目を奪われた。


 マラチーは、道にいる子供たちを避けるよう注意深く指揮車を走らせている。


「ここが金持ちの住む場所か。……なるほどな。生まれ方一つで、人生はここまで変わるわけだ」


「まったくだよ」


 ルカが呻いた。


 通りを見回す。


 住民たちは皆、どこかへ立ち去ろうとしていた。


 地面には菓子と紙吹雪が散らばっている。


「行列、見逃したな」


 マラチーが広い駐車場へ装甲指揮車を停めた。


 ルカが後部車室から箱を二つ掴み出す。


「家に寄って装備を積んでおいて正解だった。……第二の作戦に移るぞ」


 応輝は、ルカが部隊装備を身につける様子を眺めた。


「それ、かえって目立たないか?」


 マラチーも自分の装備を身につけた。


「そのままなら目立ったでしょうね。でも、予備を一着持ってきたんです! 僕たちに紛れて、頭巾を目深に被っていてください! そうすれば、歩いてもう一人のスパイを捜せます!」


 マラチーが箱を蹴って寄越し、応輝が拾い上げた。


 箱が応輝の体を走査する。


〈エラー。非構成員を検知〉


「認証を上書き」


 ルカが命じた。


〈合言葉を入力してください〉


「藤井は最高」


〈上書きを開始します〉


「何も言わないでおくぞ」


 応輝が呟いた。


 箱が開き、ほかの二人と似た造りの簡素な装備が現れる。


 応輝が触れると、力の迸りとともに装備がその肌へ密着した。


「たまげたな。お前ら、本当に何でも持ってるんだな。……だが、玩具に慣れて鈍るなよ。本当の戦争は、洒落た銃を持ってる奴が勝つほど単純じゃない」


 ルカが装甲指揮車の扉を開けた。


 三人が外へ飛び降り、頭巾を顔まで引き下ろす。


 若者の一団が、何も気づかず三人の横を通り過ぎていった。


 三人はその後を追い、人の流れへ紛れ込む。


「そのスパイはどこにいるんですか?」


 マラチーが囁いた。


「向こうから都合よく現れてくれるわけじゃない。探すしかない。通りを一本ずつ、必要なら家を一軒ずつな」


「何か、捜す範囲を絞る方法があるはずだよ」


 ルカが指摘した。


「ある。……ヴォルティアナ族は諜報員に識別符号を与える。この籠手から発信できる」


 応輝が籠手を叩き、操作画面を呼び出した。


 振動を示すような記号を押し込み、声を発する。


「856――792――B1」


 符号が立体映像として表示され、その光が空へ駆け上がった。


 住民のほとんどは、気づきもしない。


 だが――


 別の符号が返ってきた。


「へえ」


 応輝が声を漏らす。


「妙だな。……あいつ、俺たちを待ってたらしい」


「それって、良いことですか? 悪いことですか?」


 マラチーが不安げに尋ねた。


「さあな。確かめるしかない」


 そして、遥か遠く――


 薄暗い路地の中。


 頭巾を被った人影が、殺された衛兵の遺体を見下ろすように立っていた。


 やがて、その人影は路地の闇へ溶けるように消えていった。

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