第二十二話「バタンゴ」
命令どおり、十三人に増えた衛兵たちはダチーを公園へ連れてきて、卓の一つに座らせた。
通りがかった者たちが腕時計を向け、次々と写真を撮っていく。
ダチーは、池を覆っていた氷がゆっくりと溶けていくのを眺めた。
「なるほど。藤井はここにいたのか」
衛兵たちは、その周囲を取り囲むように立ち並んでいた。
ダチーは苛立たしげに卓を指先で叩き続ける。
数分後、顔を上げた。
「なあ、誰か飯を取ってきてくれないか? 一日中俺につきまとって、何の役にも立たないつもりか?」
見覚えのある衛兵が、同僚二人を指した。
「お前たち! 特別な客人へ食事をお持ちしろ! ジョーンズ殿、何をご所望ですか?」
「さっき飛び出したとき、せっかくのピザを丸ごと捨てちまったからな。もう一枚もらおうか」
衛兵二人が急いで駆けていく。
「ただちに!」
ダチーが指を鳴らした。
「水」
先ほどと同じ衛兵が掌に水の瓶を作り出し、差し出す。
「どうぞ、ジョーンズ殿」
ダチーは瓶を受け取り、水を飲んだ。
「ありがとよ。……そういえば、あんたの名前は何だ、衛兵さん?」
「天守直哉です。まだ新米ですので、あまり期待はしないでください」
「王妃は新米に俺を見張らせてるのか。実に面白いお方だな」
「まあ、貴殿も新米でしょう!」
ダチーは椅子の背にもたれ、悠々と寛いだ。
衛兵たちはその両側に列を成し、誰も近づきすぎないよう目を光らせている。
ダチーの指先がぴくりと動くたび、衛兵たちは一斉に身構えた。
「なあ、直哉。あんたらの王妃は、なぜか俺を生かしておきたいらしい。だったらさ、俺があんたらを助ける理由は何だ?」
直哉が口ごもった。
「その……ええと……逆に、なぜ助けないのですか? 最高の食事、最高の技術、最高の女たち! それに圧倒的な軍事力もあります! まさか、我々よりドワーフを選ぶおつもりではないでしょう?」
ダチーが身を乗り出した。
「どれも魅力的だな。特に女は。けど、俺には故郷にも女がいて、そいつは俺をゴミみたいに扱わない。……だから教えてくれ、直哉。どうしてあんたらは、他の種族をゴミみたいに扱う?」
直哉が目を閉じた。
ほかの衛兵たちも、誰一人として答えない。
ダチーが黙って見つめ続けると、やがて直哉がその視線を受け止めた。
「我々が強いからです。他の者たちは、我々の足元にも及ばない」
「そりゃ大層なことだ。けど、質問には答えてないぞ。……本当の質問にはな」
直哉が武器を握る手に力を込めた。
「本当の理由がお知りになりたいのですか、ジョーンズ殿? 力ですよ。力を握った者が頂点に立てる。……だからです。だから私は、間抜けな一兵卒のままなんです! 選抜試験では、一回戦さえ突破できなかった。……それでも、数秒で水の瓶を作れるというだけで、誰が貴殿の監視役に選ばれたと思います?」
ダチーは両手の指を組み合わせた。
「ふむ。なるほどな。……つまり、戦闘員としては価値なし。間に合わせの世話係ってところか」
「まあ、そういうことです。属性は大金になりますからね。誰もが欲しがりますが、全員に宿るわけではない。……それに、どんな魔法に目覚めるかは完全に運任せです。身体を強化できる者、転移できる者、姿を消せる者もいる。そして中には、ただ……ありふれた物を再構成できるだけの者もいる。……氷嚢はいかがです?」
「もらおう」
ダチーは氷嚢を受け取り、額へ当てた。
そこへ衛兵二人がピザを持って戻ってくる。
ダチーは全員が見ている前で、即座にピザへかぶりついた。
数切れを瞬く間に平らげ、げっぷを一つ漏らす。
「この軍って、どういう仕組みなんだ? 世間で持ち上げられてるほど大したもんじゃないって話も聞く。……俺自身の経験も、まあ、良いとは言えないしな」
「七つの部隊があります」
直哉が答えた。
「七人の将軍。そして、その上に司令官がいます」
「司令官? 王妃のことか?」
「いいえ。正式な肩書は軍務統括官。通称は『司令官』です。……重大な事態が起きた際、その処理を一手に担う方です。藤井将軍と互角に渡り合えると言う者さえいます」
「ずいぶん感じの良さそうな人だな。また、敵に回しちゃいけない女か?」
「とんでもない! あの方は『男爵夫人』と呼ばれています。……あの方の監督下で失敗すれば、王妃陛下は、その者をあの方の好きにさせるのです」
ダチーがピザをもう一切れ食べた。
「で、その人は俺に何をする? 上の許可もなしに、俺へ手を出せるとは思えないけどな」
「さて、どうでしょう。……役に立つ者ほど、あの方は目をかける傾向があります。ですが、貴殿はそれを望まないほうがよろしいかと」
「なんでだ?」
「良い結末にはなりません、ジョーンズ殿」
「その言葉は信じておくよ。……で、その将軍たちと司令官のほかにも、役職はあるのか?」
「副将軍がいます。どの部隊にも一人ずつ」
「ふうん。なら、うちのはルカだな」
衛兵たちが一斉に笑った。
「あ?」
直哉が首を振る。
「違います」
「灯里か?」
「ご本人はそう思っているでしょうね。それだけは確実です」
「くそ、まさか俺じゃないだろうな? 副将軍になれなんて話は一度も来てないぞ! ……それとも、席が空いてるのか?」
「いいえ。空席でもありませんし、断じて貴殿でもありません。……いずれわかりますよ、ダチー殿。S-1の副将軍が貴殿の噂を耳にすれば、彼女は飛んで戻ってくるでしょうね」
ダチーが身を震わせた。
「今ので食欲が失せたんだが」
衛兵たちの視線が一斉に動く。
髪も顔も衣装も水浸しになった光が、ずかずかと公園へ入ってきた。
「では、お覚悟を。ここからもっと酷くなりますよ」
「ダチー!」
衛兵たちが道を空ける。
光はダチーの首を両手で掴み、何度も前後に揺さぶった。
ダチーが激しく咳き込む。
「痛い……光……頼むから……」
「自分が何をしたかわかっているの? あなたを追いかけさせられたせいで、私は公園まで走る羽目になったの。……そこで何が起きたと思う? 転んだのよ!」
光が自分の衣装を引っ張ってみせる。
「あとは想像がつくでしょう!」
「悪かったよ……けど、それがどうして俺のせいなんだ?」
「ああ、もう!」
光が片手を持ち上げる。
その手が桃色に輝き始めた。
ダチーは即座に両腕を突き出す。
「待った、待った! 毒はやめてくれ!」
直哉はその光景を眺めながら、口元に浮かぶ笑みを抑えきれずにいた。
「あの、お二人は、もしかして……そういうご関係で?」
光の瞳が桃色に輝き、直哉を捉えた。
直哉は尻餅をつき、慌てて後ずさる。
何人かの衛兵が、光とダチーの間に割って入った。
「恐縮ですが、光様。ジョーンズ殿へ近づきすぎるのはお控えください」
「そっちこそ、私に触らないでくれる? 私が誰だか忘れたの?」
光の瞳が桃色に瞬く。
「い、いえ」
光が踵を返した。
「立ちなさい。藤井将軍と灯里に合流するわ。二人は劇場のそばで待ってる」
ダチーはわざと時間をかけて体を伸ばした。
「仰せのままに、我が愛しの光よ。……衣装のことは本当に悪かった。新しいのを買ってやるよ」
「誰があんたなんかに――」
光は言いかけて、頭を振った。
「いいから来なさい、この馬鹿!」
ダチーと衛兵たちは、光に続いて公園を出た。
野次馬たちの囁き声を背に、幾つもの露店を通り過ぎていく。
光がダチーへ目を向けた。
「ルカと、もう一人の人間を見なかった?」
「あいつにも名前があるんだけどな」
「はいはい。それで、見たの? 見てないの?」
「いや。迷子にでもなったんだろ」
光が腕を組んだ。
「男って、本当に一秒たりとも責任ある行動ができないのね。……まあいいわ。新しいのはいつでも手に入るもの」
「何だ、腕時計の中に男の名簿でも入れてるのか――」
「それ以上、一言も喋らないで!」
一行は歩き続け、やがて劇場へ辿り着いた。
そこでは灯里と藤井が待っていた。
灯里は巨大な氷塊の中に閉じ込められている。
光が即座に駆け寄った。
「灯里! 将軍、これは何なんですか!」
「悪いな。放っておけば、そこの新人に会った瞬間襲いかかっていた。頭を冷やしてもらう必要があってな」
「なんで女ばっかり凍らせるんだよ」
ダチーが声を上げた。
「なあ、いい加減にしろって!」
その手が氷へ触れた瞬間、氷塊が一気に消え失せた。
灯里が飛びかかり、ダチーを地面へ組み伏せる。
藤井が指を鳴らした。
「それが理由だ」
衛兵たちは総出で灯里をダチーから引き剥がし、少年の前に壁を作った。
灯里は藤井と光に押さえ込まれる。
「お前……お前……! 今度あんな真似をしたら、誓って私は……!」
言い終える前に、藤井がその口を手で覆った。
「ともかく、姫の言うとおりだ、坊主。もう勝手に走るな」
「一度だけだろ」
「その理由を説明する気は?」
「何かが見えた気がした。それだけだよ」
灯里はなおも煮えたぎり、その手は白く輝いていた。
「ああ、そうか。何かが『見えた』から、私や皆に恥をかかせたというのだな。……それで、何が見えた? オークか? ドワーフか? ぜひ教えてもらおう!」
「さあな。見間違いだったんだろ」
灯里が再び突進し、衛兵たちは全員がかりで押し止める羽目になった。
どうにか落ち着くと、灯里はダチーを引き寄せた。
その声は、眼差しに劣らず剣呑だった。
「私たちに、この埋め合わせをしてもらう。わかったな?」
「嫌ってほどわかったよ」
藤井が空を見上げる。
空は橙色に染まり始めていた。
「ふむ。そろそろ行列の時間だな。……あの小僧ども、俺の指揮車をどこへやった? まあいい。即興で何とかするか」
灯里と光は最後にもう一度ダチーを睨みつけ、それから距離を取った。
ダチーはただ舌を鳴らす。
「見ただろ、直哉。……こういうところが、あんたらを助けるのが人生最悪の決断になる理由だよ」
直哉が肩をすくめた。
「そうかもしれませんし、違うかもしれません。……力を持っているのは貴殿ですよ、ジョーンズ殿」
ダチーが笑みを浮かべた。
「ああ、いいこと言うな、我が愛しの衛兵さん」
ダチーが藤井に続き、衛兵たちもその後を追った。
*
ほかの者たちが行列の支度をする間、マラチーとルカは装甲指揮車で飛鳥の街路を走っていた。
操縦席に座るマラチーは、口元から涎を垂らしている。
「何をしてるかわかってるんだよね?」
ルカが尋ねた。
マラチーはくすくすと笑い、拳を前へ突き出す。
装甲指揮車が一気に加速し、区画を矢のように駆け抜けた。
住民たちの脇を猛然と通過していく。
やがて飛鳥の街路の先に、巨大な門が現れた。
〈ショノラ区へ進入します〉
門では衛兵たちが待ち構えていた。
だが、ルカが拡声器を使って声を張り上げる。
「S-1の公務だ! その……緊急のやつ!」
「森隊員か?」
衛兵の一人が尋ねた。
「藤井将軍はどこだ?」
「祭に残ってる。緊急時に備えて装備一式を取ってこいって言われたんだ。……通してくれる? それとも、将軍を待たせるつもり?」
衛兵たちは渋々道を空けた。
マラチーは装甲指揮車をショノラ区へ走らせる。
その途中、巨大な闘技場の横を通り過ぎた。
「ああ」
ルカが声を漏らす。
「選抜試験の闘技場だ」
「懐かしいね」
マラチーが答えた。
「悪い意味で」
装甲指揮車は闘技場の横を猛然と通り過ぎ、下で働く労働者たちの目を引いていく。
頭上を飛び交う車は、危ういところで指揮車を避けていった。
やがて、辺りに並ぶ質素な建物が途切れ始める。
次の門が視界へ入った。
壊れかけ、至るところにひびが走っている。
その向こうには、本土との間を隔てる広大な湖が広がっていた。
装甲指揮車が門前へ近づくと、走査装置が現れ、車体越しに少年たちを走査する。
装置の拡声器から、年老いた声が響いた。
「あ? 誰か入ろうとしとるのか?」
「祖父さん?」
マラチーが問い返す。
拡声器の向こうで、声の主が咳き込んだ。
「儂の耳がおかしくなったのか? マラチーか? お前……ここまで来たのか? しかも乗っとるのは、S-1の装甲指揮車か?」
「祖父さんの声が聞けてよかった! 中にいるの?」
「儂は……戻る途中だ。説明してもらうことが山ほどあるぞ、小僧。……兄はどこだ?」
「長い話なんだ。通してくれる? その、任務中で……」
しわがれた唸り声が拡声器から響く。
低い轟音とともに、地面が揺れ始めた。
「……よし。だが本気で言っとるぞ、小僧。どうしてお前が、軍でも屈指の危険兵器に乗っとるのか、儂はきっちり聞かねばならん!」
「必ず話すよ、祖父さん! またすぐ会おう!」
森野が返事をするより早く、マラチーは開いた門を抜けて走り出した。
水面から橋がせり上がってくる。
装甲指揮車の重量にも耐えられるほど、頑丈な橋だった。
その先には、城壁に囲まれた街がある。
遠くからでも、立ち上る煙と、ひびの入ったオフィスビルがはっきりと見えた。
ルカがよく見ようと身を乗り出す。
「前より酷くなってる。うわ……将軍、一週間もここを離れられないんだな」
「祖父さんが将軍だなんて、いまだに信じられないよ」
マラチーが付け加えた。
「僕はずっと、杖をついて歩いてる姿しか見たことがなかったから」
「斧を持ったところを見てみろよ」
装甲指揮車がバタンゴの門を抜け、荒れ果てた街路へ入っていった。
ぼろ布同然の服をまとった人間の労働者たちが、通りの掃除に励んでいる。
店の中で品物を売っている者も多かった。
装甲指揮車が街へ入った瞬間、一人残らず顔をそちらへ向けた。
誰もが驚きに口を大きく開けている。
マラチーが操縦球から拳を抜くと、装甲指揮車は自動的に停車した。
車室が車輪の上へゆっくりと沈み、固定される。
マラチーとルカが外へ降り立った。
何人もの人間がマラチーへ群がってくる。
「おい、マラチーだ!」
「兄貴はどこだ?」
「俺たちを解放しに来たのか? その戦車、でかいな!」
「それはまだ途中なんだ、みんな!」
マラチーが割って入った。
「外で大変なことが起きてる。それで、みんなを守るために、どうしても必要な人がいるんだ!」
人間たちがルカの存在に気づいた。
即座に後ずさり、その目に浮かんでいた驚きが怒りへ変わる。
「ヴォルティアナ族だ!」
「マラチー! なんでそんなものを連れてきた!」
「殺せ! 早く!」
マラチーが両手を上げた。
「違う! 待って! ルカはいいヴォルティアナ族なんだ!」
「『いい』ヴォルティアナ族なんかいるものか!」
「これはまずいな」
ルカが呟いた。
「マラチー、俺は消えたほうがよさそうだ」
ルカが狼へ姿を変える。
だが、人間たちは素早くその周囲を取り囲んだ。
「狼を殺せ! 狼を殺せ!」
マラチーは触手を伸ばし、群衆を近づけまいとする。
しかし、人々は触手の間を掻い潜り、ルカへ迫っていった。
「やめてよ、みんな! 僕は誰も傷つけたくない!」
返事はなかった。
そのとき、厳しい声が人混みを断ち切った。
「おい!」
全員が振り返る。
「小僧の言うとおりだ。やめろ」
屋根の上に立っていたのは、ほかでもないあの男。
――応輝。
「さて……探していたのは、この俺か?」




