第二十一話「軍には入るな」
ダチーが下水道の通路から整備室へ降り立つと、虹色の髪の少女は彼を見つめ、口元を覆ったままよろめいた。
「に、人間? こんなところに? どうして? どうやって?」
ダチーが両手を上げた。
「待て、俺はいい人間だ! ……たぶん。だから叫ぶな、いいな? ここに逃げ込んだ奴を追ってきたんだ。何か仕掛けてくるかもしれない」
少女は床を這うように後ずさりし、ダチーも一歩下がった。
それから少女は立ち上がる。
「あなた……見たのね。どこまで見たの? 言いなさい!」
ダチーの髪を掴み、ぐいと手前へ引き寄せた。
「いつからそこにいたの?」
「痛っ! 二分くらいだよ! なんでだ?」
少女は手を放すと、頭を抱えたまま行ったり来たりを始め、ダチーの周りをぐるぐると回った。
ダチーはその姿を目で追う。
「なあ、大丈夫か?」
「まずい……力が露見してしまった! どうすればいいの? 目撃者を残すわけにはいかない!」
少女がぴたりと足を止め、ダチーへ手を突き出した。
「ごめんなさい、侵入者。でも、あなたにはここで死んでもらいます! ――虹光線!」
少女の腕の肌が虹色へと変わり、赤、橙、黄、緑――次々と色を移ろわせながら閃いた。
次の瞬間、太い光線が放たれ、危うくダチーの頭を吹き飛ばしかける。
光線は壁に激突すると、室内を跳ね回り、幾つもの穴を穿った。
そこから水が噴き出し、広間へ流れ込んでくる。
「おい! 本気で俺を殺す気か!」
「そうよ! じっとしていなさい、人間! すぐ済ませてあげる!」
次の一撃が放たれるより早く、ダチーは少女の腕を取り、背中へ捻り上げた。
「やめろ! あんたの力なんかどうでもいいんだよ!」
「放して、侵入者! 母上に、政府にだけは絶対知られるなと言われているの! 私は軍になんか入りたくない! 絶対に嫌!」
ダチーが手を放した。
「何だって? 無理やり部隊に入れられるのか?」
少女は手首をさすった。
「そうよ。王家は、存在を確認した属性者を全員、どこかの部隊へ入れようとしているの。それに、私たちは寿命が長いから、私はこの先ずっと任務をやり続けることになる」
「うわ。……まあ、あんなのが人生じゃないってことくらい、今すぐ断言できる。いいところなんて金と技術だけだ。そりゃ隠れたくもなるな」
少女が指を突きつけた。
「あなた、あの人たちに送り込まれたのね? 人間のスパイ!」
「スパイなら一人知ってるけど、俺はそいつじゃないぞ」
「嘘よ!」
少女はダチーの顔を引っ掻こうと飛びかかるが、ヒールに足を取られた。
ダチーが咄嗟に受け止める。
「落ち着けって、お嬢さん。あんたは好きにすればいい。俺はただ、外套を着た変な男を探してるだけだ。背が高くて、不気味で、いかにもって感じの奴」
少女は地面へ目を落とした。
「そんな人は見ていないわ。ここに来たのは、あなただけ」
そのまま殴りかかったが、拳は空を切った。
ダチーは自分の額を押さえる。
(なんで俺が会う女は、揃いも揃って喧嘩を売ってくるんだ?)
「なあ。俺は反対側から出ていく。ここで見たことは全部忘れる。それでどうだ? 俺だって、今まさに追われてる身なんだ」
少女が顔を上げた。
「え? どうして? 誰が人間を追いかけるの?」
「まあ、あの王妃に『最優先対象』の札を貼られてからな。どこへ行っても、衛兵の大群が俺の一挙一動についてくるんだ」
「待って……あなたなの? 王妃陛下がS-1部隊に回収を命じた、あの人間?」
少女はダチーのドレッドヘアを一房引っ張り、口を開けさせ、片目を指でつついた。
「肌の色も一致……髪も似ている……本当にあなたなのね!」
「そりゃよかった。俺は有名人ってわけだ」
少女の頬が赤く染まった。
「あなたも属性者じゃない! どうして言わなかったの?」
「いや……」
少女はダチーの片腕を掴み、持ち上げた。
「でも、背が高いこと以外は、特に変わったところもないわね。……私に教えてくれない?」
「何をだよ」
「属性の正しい使い方! 基礎は全部、自分で見つけるしかなかったの。ほら、その……事情があって……」
「お嬢さん、俺はあんたの名前すら知らないんだが!」
少女は不満げに息を吐いた。
「沙織よ。中村沙織」
「そうか。……どっかで見た顔だと思った。あんたの母親って、ドワーフが襲ってきたとき、ピザ屋にいた優しそうな人か?」
「どうしてそれを知ってるの?」
「そりゃ、俺もそこにいたからだよ」
沙織が顔を背けた。
「母上は今夜踊るの。私にも一緒に出てほしいって。……もし力が暴走したら、区中の人たちの前でばれてしまう。それが少し心配で」
「それで、出ないつもりなのか?」
「出たいわよ! ただ、危ないってだけ!」
ダチーは顎を撫でながら頷いた。
「ふむ。緊張してるのか。誰にだってあることだ。あんたくらいの小さな女の子なら普通だろうけど、まあ、悪いことにはならないと思うぞ」
「言っておきますが、私は十四歳です! 四歳ではありません!」
「似たようなもんだろ」
遠くから足音が聞こえてきた。
「散開しろ! どこかにいるはずだ! 通路を残らず洗え! ここで取り逃がせば、全員が王妃陛下に申し開きすることになるぞ!」
ダチーは顔をしかめた。
「まずい。行かないと」
辺りを見回す。
来た通路と反対側に、もう一本の通路があった。
沙織が一歩前へ出る。
「待って! 私はどうなるの?」
「ええと……母親は? どこにいる?」
「地上で買い物をしてるけど。どうして?」
「なら、しっかり掴まる準備をしとけ!」
ダチーは沙織を抱え上げ、通路へ駆け出した。
ちょうどそのとき、衛兵たちが広間へ踏み込んでくる。
小銃を構え、懐中電灯の光で室内を探っていった。
衛兵の一人が即席の舞台に気づき、足で蹴る。
「なんだこりゃ。地下の稽古場か何かか?」
「花形の誰かが、こっそり踊るのに使ってるんだろ。まあ、責めはしないが、俺たちの仕事じゃない。あの小僧を捜せ! それと忘れるな、指一本触れるな!」
衛兵たちはもう一本の通路に気づき、一斉に駆け込んだ。
沙織を背負ったダチーは通路を全速力で駆け抜け、やがて梯子のかかった通気口へ辿り着く。
梯子の桟を掴み、二人分の体重を引き上げた。
通気口の蓋を蹴り飛ばし、外へ躍り出る。
衛兵たちが梯子の下へ追いついた、まさにその瞬間だった。
*
一方その頃、マラチーとルカは藤井の後ろを歩いていた。
二人がいるのは、門と柵に囲われた広大な公園だった。
花々と幾つもの池、卓があちこちに並んでいる。
貴族たちは席に腰を下ろし、茶を啜りながら語り合っていた。
藤井が両腕を伸ばす。
「新鮮な空気はいいものだろう?」
「ええ、そりゃもう。今日は暑いですけどね」
ルカが答えた。
「僕たちは何をするんですか、将軍?」
マラチーが尋ねる。
「ここに座って、全部を見張る。誰も企んだり、策を巡らせたり、許可なく他の区へ抜け出そうとしたりしていないか、確かめるんだ」
藤井はマラチーへ片目をつぶってみせた。
マラチーがその場に崩れ落ちる。
ルカが慌てて引き起こした。
「あの、将軍?」
藤井は歩み寄り、マラチーの背を叩いた。
「俺は将軍だぞ、坊主。俺に隠し事をするのは、素手で火を握るようなもんだ。……火傷するのはお前で、俺じゃない」
「うう……」
マラチーが息を吐いた。
「あなたを出し抜くのは骨が折れそうです」
「そうだろうな。だが、出し抜こうとしてくれたことは光栄に思うぞ」
「じゃあ、この調査をしようとしてるってわかってたなら、どうして兄さんを別行動にさせたんですか? どうして僕たちをこんなふうに分けたんです?」
藤井は二人の肩を抱き、顔を寄せた。
「俺もお前たちと同じものを求めてるからだ。真相をな。……将軍として、そして、かの名高き藤井剣士として、俺は大勢の目を引かずにここから出られん。だが、親鼠が檻から抜け出せないなら――」
「子鼠なら抜け出せる?」
「飲み込みが早いな、坊主」
「待って」
ルカが割り込んだ。
「俺には話が見えないんだけど」
藤井がマラチーへ頷く。
「指揮車を使え。終わったら戻せ」
「使わなくていいんですか?」
「しばらくはな。それに、あれを門前から動かさないと、ナイトが俺を訴える口実を見つけてくる」
「わかりました! ありがとうございます、将軍!」
「いや、礼は言うな。何をしているか誰かにばれたら、責任を取るのはお前たちだぞ! ははっ! 訊かれても、俺は何も知らん」
「いつものやつだ」
ルカが呻いた。
藤井が両手を打ち合わせる。
「さあ、急げ、小僧ども。俺が皆の目を逸らしておいてやる」
二人が去ると、藤井は刀を呼び出し、池へ切っ先を差し入れた。
たちまち水面が凍りつく。
「おい、皆の者! アイススケートをやったことのある者は?」
貴族のほとんどが顔を向け、好奇心をそそられた数人が近づいてきた。
小さな男の子が恐る恐る氷へ片足を乗せる。
その途端、足を滑らせ、尻餅をついた。
母親が急いで抱き上げる。
ほかの者たちも次々と氷の上へ乗り、滑りながら体勢を整えていった。
藤井は席からその様子を眺める。
「ふっ。毎度うまくいくな」
そこへ、王族らしい装いの若い男が近づいてきた。
頭には冠を戴き、仕立てのよい白いスーツに身を包んでいる。
背後には剛平を従えていた。
「将軍」
藤井の刀が、溶けるように消えた。
「これは亜斗夢殿下ではありませんか! おお、ご立派になられましたな、若君! 今日はどうされました?」
亜斗夢が襟を整える。
「直属の将軍が、訓練から早めに戻れと言い張ってな。兄妹の張り合いに、あまり巻き込まれてほしくないそうだ」
「なるほど。森野の様子はいかがです?」
「間もなく戻る。西山と高本が、相当手こずらせているらしい。……森野の孫二人を預かったと聞いたが。そのうち一人が今や、母上の……特別な資産だとか?」
「そのとおりです! もっとも、妹君はあまりお気に召しておられぬようですがね」
「気に召すはずがない。人間だぞ。しかも妹は、身分至上主義の権化だ。……私に言わせれば、あの二人は哀れで不快なだけだがな」
藤井が立ち上がった。
「はは。来月の展示会にはお出になりますか?」
「無論だ。森野将軍も中田将軍も、何があろうと欠席はしないだろう」
亜斗夢が立ち去ろうと振り返る。
「お会いできてよかった、将軍。では、私はこれで――」
その言葉が終わる前に、灯里が駆け込んできた。
汗だくで、ヒールもどこかへ失くしたらしく裸足だった。
「将軍!」
灯里が息を切らしながら叫ぶ。
「見失いました!」
藤井が片肘に頬を預けた。
「誰を見失った?」
「ダチーに決まっているでしょう! あの馬鹿、突然跳んでいったんです! 本当にいきなりで、それに――!」
そこで亜斗夢に気づいた。
「兄上」
「妹よ。装い方を忘れたか。靴はどうした?」
灯里は手を振ってあしらう。
「説教はやめてください。少なくとも私は、大人の仕事をしているのです。……兄上こそ、S-3部隊のお遊びに戻られては? ついていけなかったから、将軍に帰されたのでしょう」
亜斗夢のこめかみに青筋が浮かぶ。
「貴様――!」
だが、深く息を吸い、乱れた髪を撫でつけた。
「……まあいい。少なくとも、私が相手にしている人間は敬意に値する者だ。技も訓練もない新参の人間一人に逃げられたのだろう。恥を知れ」
「消えてください、兄上。兄上より、あの人間のほうがまだましです」
亜斗夢の片手が硝子へ変わった。
しかし、すぐに懐へ隠す。
「また後で会おう、妹よ」
「会いません」
剛平が灯里へ短く一礼し、亜斗夢とともに立ち去った。
藤井が額の汗を拭う。
「ふう。お二人が散らす火花だけで、焼肉屋が一軒開けそうですな! まだ許す気にはなれませんか?」
灯里が拳を握り込んだ。
「永久に許しません。……アズールの一件で、あの人がしたことを思えば」
「まあ、俺が口を挟むことでもないな。……行くぞ。あの坊主を追いかけて、ついでにお前の靴も取り戻そう」
藤井は灯里の腕を掴むと、そのまま駆け出した。
*
その数区画先では、ダチーと沙織が路地の屑籠の陰に身を潜めていた。
ダチーは一度、二度と通りを覗き、ようやく沙織へ手招きする。
「もう大丈夫なはずだ。人混みに紛れろ」
「で、でも、私を置いていくの?」
「置いていくってわけじゃない。ただ、俺はさっき、位の高い連中を何人も怒らせた。俺といる時間が長いほど、あんたまで危なくなる。……母親を見つけろ。あいつらの頭が冷えたら、踊りの会場でまた落ち合おう」
沙織を通りへ押し出そうとした、そのとき。
菫色の髪と瞳を持つ背の高い女が、路地へ入ってきた。
「そこにいたのね、沙織! あちこち捜し回ったのよ! 力の稽古をしたいなら、地下でしなさいと言ったでしょう!」
そしてダチーを見ると、凍りついた。
「まあ……一体、これは?」
ダチーの喉が鳴る。
「ええと……どうも」
沙織が母の隣へ並んだ。
「ダチー、こちらが私の母上、静様です! 母上、この人がダチー。王妃陛下がお話しになっていた、特別な人間の属性者です。あの衛兵たちから逃げるのを助けてくれました」
静はしばらくダチーを見つめてから、手を差し出した。
「ありがとう、ダチー。あなたはS-1の一員なのね?」
「そんなところです」
「まあ、素敵。今の時代に、あの人たちの軍で務めるのがどんなものか、私には想像もつかないわ。あれほどの危険と責任、それに休む暇もない日々。……地獄でしょうね」
「それ、経験から言ってます?」
静が空を仰いだ。
「言わないほうがいいこともあるのよ。……ねえ、お仲間も連れてこられないかしら。踊り仲間たちが、もうすぐ昼食に出るの。あなたにも来てほしいのだけれど」
ダチーが頭を掻く。
「いや、ありがたい話なんですけど……」
そのとき、通気口から衛兵たちが次々と飛び出し、一斉にダチーへ銃口を向けた。
さらに別の一隊が、路地の入口を塞ぐ。
周囲の人々の視線が、三人へ集まった。
「……今は無理そうです」
見覚えのある衛兵が一歩進み出る。
ダチーもすぐに気づいた。
「ああ、水の瓶の人か」
「ジョーンズ殿」
男が答える。
「貴殿の逃走の企ては、上層部に混乱を引き起こしました。今後は常時、最低八名の衛兵を六十センチ以内に置いていただきます。……従っていただけない場合、王妃陛下は貴殿の特権をお取り消しになります」
「断ったらどうなる?」
「王妃陛下が直々にお越しになります」
ダチーは身を震わせた。
衛兵たちはダチーを取り囲み、そのまま連れていく。
沙織と静だけが、路地に残された。
通り過ぎざま、衛兵の何人かは静へ会釈をしていった。
やがてダチーも衛兵たちも、路地の向こうへ姿を消す。
「どうしてあの子、あれほど厳重に守られているのかしらね」
静は不思議そうに呟いた。
「ほらね、沙織」
静が娘の両肩に手を置く。
「あなたは決して、軍に入ってはいけないのよ」




