第二十話「地下の踊り手」
ダチー、光、灯里はナイトの後に続き、その周囲を警護隊が歩調を合わせて進んでいた。
ダチーは前を行く三人をなるべく見ないようにしていたが、照りつける日差しに汗をかき始める。
「お水はいかがですか、ダチー殿」
衛兵の一人が手を差し出し、その掌に水の瓶を作り出した。
「うおっ、今の何だよ?」
ダチーが跳び退く。
「私の魔法です。再構成魔法と申します」
「それで……水の瓶を作れるわけか」
「ほかにも多くのものを作れます。ゆえに王妃陛下は、私を貴殿の警護に割り当てられました」
ダチーは瓶を一瞥し、肩をすくめてから受け取り、一口飲んだ。
前を行く三人の女が足を止め、振り返ってこちらを見る。
そして何事もなかったかのように、再び歩き出した。
ダチーは瓶を脇へ放り、そのまま足を進める。
何人もの衛兵が、慌ててそれを受け止めようと駆け寄った。
灯里が腕を組み、わずかに歩調を緩める。
「私も喉が渇いた。まさか、その者を私より優先するつもりではあるまいな」
「直ちにご用意いたします、姫殿下!」
衛兵はもう一本の瓶を作り出し、灯里へ差し出した。
灯里は長く一口飲んでから瓶を握り潰し、通りかかった屑籠へ投げ込む。
大きく体を伸ばした腕が、危うくダチーの顔に当たりかけた。
「どうも、姫殿下。何かご用ですか?」
ダチーが尋ねる。
「思い上がるな」
灯里が鼻を鳴らした。
「今のお前が重要だからといって、私より重要になったわけではない。……それより、あのドワーフどものもとへ逃げ帰ろうなどと考えてはいまいな」
ダチーが両手を上げる。
「俺が? まさか」
「嘘が下手だな。訓練室でお前が話していたことは聞いている」
「まあ、聞かれてたなら仕方ない。……で、これで俺たちは何になるんだ? 親しい腹心同士か?」
「否。私がお前を見張らねばならなくなっただけだ。……父上と母上の帝国は、二千年以上にわたって揺るがずに立ち続けてきた。そして、これからの二千年も揺るがずに立ち続ける。わかったか」
「ああ。……けど、一つ訊いていいか?」
「なんだ」
「俺たちやルカが入る前に、S-1部隊にいた奴を知らないか? ……女の隊員とか」
灯里が息を吐く。
「馬鹿らしい。退役した古参兵を煩わせる手伝いなどせぬ」
「いや、そうじゃなくて、剣を使う女だ。白い髪に、赤い目。……あんたが完全に正気を失ったら、あんな感じになりそうな見た目の」
灯里の足が止まった。
「もう一度言ってみろ。……ついでに教えておいてやるが、我が家に現在、女の跡継ぎはいない。私だけだ」
「姉妹はいない、と。……じゃあ、今のは忘れてくれ」
ダチーが目を閉じる。
灯里はその横顔を値踏みするように見つめ、何事かを低く呟いてから、わずかに距離を詰めた。
ナイトが巨大な会場の前で足を止める。
その周囲には、何十人もの衛兵が集まっていた。
「ナイト閣下」
一人が敬礼する。
「巡回警護中です」
ナイトが告げる。
「通しなさい。時間を取らせないで」
衛兵たちは道を空け、ナイトと三人を中へ通した。
だが一人の衛兵が、ダチーにつけられた十人の警護隊を止める。
「失礼。全員を中へ入れるわけにはまいりません。花形の方々が嫌がられますので」
「しかし、王妃陛下が――!」
「私が見張る」
灯里が割って入った。
「それとも、お前たちは自分が私より強いとでも思っているのか?」
衛兵たちが顔を見合わせる。
小声で話し合った末、揃って首を振った。
灯里がダチーの腕を掴み、強引に引き寄せる。
「よし。ならば私の視界から失せろ」
警護隊は外に残され、その一人が劇場の扉を閉めた。
光が口元を覆う。
「私も自分専用の警護がほしいわ」
「持っているだろう」
灯里が指摘する。
「お前の家にな。忘れたのか? あの過保護な両親を」
「私の事情を言いふらすのはやめて、灯里!」
「文字どおり周知の事実だ」
二人が言い争う間、ダチーは劇場の広大な観客席を見渡していた。
何列もの空席。
中央には巨大な舞台。
その真上では、大きなミラーボールがゆっくりと回転している。
ナイトがその様子に気づき、横へ並んだ。
「夢中にならないことです。ただの退屈な舞踏競技会にすぎません。……出場するつもりでもないのなら、任務を済ませて、さっさと退勤なさい」
「待った。誰でも出場できるのか?」
「重要な人物ならね。あなたは今、それに該当します。……何ですか。まさか踊りたいなどと言うのではないでしょうね、坊や」
「遠慮しとくよ」
ナイトが顔を背けた。
「少なくとも、藤井ほど鬱陶しくはありませんね。あの男なら、全員を無理やり踊らせようとするでしょう。……まったく、病んだ男です」
ダチーがその後を追う。少女たちも追いついてきた。
灯里がダチーの腕を掴む。
鋭い痛みが走るほどの強さだった。
「勝手に離れていいとは言っていない」
「悪い、悪い」
ダチーの目が劇場内を走査し、幾つもの考えが頭の中を駆け巡った。
(今にも誰かが俺へ襲いかかってきそうな気がする。……王妃は、なんで俺をここへ寄越した?)
(まさか、それが狙いなのか……?)
片手で顔を覆う。
(まあいい。俺をかっ攫おうって奴が誰であれ、まずは姿を現して、俺の前に立たないとな)
ナイトが三人を舞台裏へ通した。
そこでは九人の花形――男が五人、女が四人――が化粧を施し、衣装を取り替え、髪を梳き、あるいはただ語り合っていた。
舞台裏の部屋の両端には衛兵が立っていた。
一行が入ると、二人は頷いて出迎える。
花形たちが即座に立ち上がった。
男の一人が灯里へ目を向ける。
「おい、あれは姫殿下か? ナイト総監督、姫殿下をお連れになったのですか?」
花形たちから息を呑む音と、感嘆の囁きが漏れる。
そして恐る恐る、一行のもとへ歩み寄ってきた。
二人の男が灯里の手を取る。
何人もの女が、光の周囲へ集まった。
「光様、まあ! どちらの整髪料をお使いなのか、ぜひ教えてくださらない? その御髪、本当に見事ですわ!」
「光様と姫殿下も、今夜の舞踏にお出になるの?」
「もちろんよ!」
光が胸を張る。
「私ほど特別な者が、あれを逃すとでも思って?」
灯里が顔にかかった髪を払った。
「私も顔くらいは出しておこう。任務で来ているのは承知しているが、民の催しへ姿を見せるのも、姫の務めだからな」
花形たちが歓声を上げる。
「あいつらも花形なのか?」
ダチーが尋ねた。
「訊かないことです」
ナイトが溜息をつく。
「黙って見ていなさい。答えは自ずと形になるでしょう」
それから数分間、交流が続いた。
やがてナイトの疲れ切った声が、騒ぎを断ち切る。
「よろしい、聞きなさい。一日中子守りをして過ごすつもりはありませんので、この子供たちはあなた方に預けます。……出口は衛兵が封鎖していますし、私も近くから見張っています。誰も入れず、誰も出さない。よろしいですね?」
「はい、閣下!」
全員が揃って答えた。
「よろしい。外へ出る許可が必要なら、衛兵へ申し出なさい。……私の記録に犠牲者の名が載ることだけは、何としても避けたいので」
ナイトが部屋を出ていく。
花形の一人がダチーを指した。
「あの方は、どなたです?」
灯里と光が同時に拳を握り込む。
灯里がダチーを前へ引き出した。
「これは……母上の特別な客人だ。置いてくることをお許しにならなかったので、仕方なく連れている」
女の一人が身を屈め、ダチーの顔を覗き込んだ。
「人間ですか? それとも、何かのドワーフ?」
「人間よ」
光が吐く真似をしながら答える。
「耐え難いほどにね。……でも、王家がお連れせよと仰るなら、そうするしかないでしょう」
ダチーが欠伸をし、背を向けた。
「もういい。こんなの付き合ってられない。俺は出る」
扉へ向かう。
衛兵と少女たちが、同時に手を伸ばした。
「待て――!」
ダチーが足を止める。
「なんだよ。俺はここにいたくない。だから出る。それだけだろ」
灯里の拳が震えた。
だがすぐに表情を整え、両手を腰へ当てる。
「そこまで言うのならな。どうせ静様もまだ来ていない」
「ふん」
光が唇を尖らせた。
「出るのなら、食べ物がほしいわ。お腹が空いたもの」
男の一人が、もう一人の耳元へ身を寄せる。
「これは、俺の見間違いか? 今の人間が……場を仕切ったのか?」
「相当な人間なのだろう。そもそも、本当に人間なのか? 俺の知る灯里姫殿下と光様が、あんな下等な者を連れ回すはずがない」
「王冠には秘密がつきものだ」
三人が部屋を出ていく。
衛兵たちは、その一挙一動をじっと見つめていた。
扉から外へ出た瞬間、待機していた衛兵たちが一斉に武器を向けてくる。
「止まれ!」
灯里が鋭く睨みつけた。
「ほう? 自分の姫を撃ち殺すつもりか。武器を下げろ。今すぐに」
全員が即座に従った。
何人かは両手を組み合わせ、膝をつく。
「申し訳ありません、姫殿下! どうかお許しを!」
「許しがほしいか。ならば、静様がどこにおられるのか述べよ」
一人が通りの先にある露店を指した。
「あの辺りかと。御子息のために、食事をお求めになると仰っていました」
露店の列はあまりにも混雑しており、ダチーには最前列より先が見えなかった。
ピザ。
ステーキ。
寿司。
ラーメン。
料理が次々と供され、客が入れ替わり続けている。
光が懐を探った。
空だった。
「切らしているわ。補充するのを忘れていた」
灯里も自分の懐を確かめる。
何も入っていない。
「私もだ。……面倒だな。遠隔預払機まで行き、蓄えから引き出さねばならん」
ダチーが懐から、硬貨の詰まった大きな袋を取り出した。
「俺が払う。とにかく、この劇場から離れよう。衛兵どもが俺の首筋を嗅ぎ回り始める前にな」
少女二人が同時に口元を覆う。
「今度は何だよ?」
「な、なんでそんなに持っているの?」
光が問い詰めた。
「ああ。俺がもらい続けてる『贈り物』の一部だよ。……せめて菓子くらい、見張られずに食わせてほしいもんだ」
灯里がその前へ立ちはだかる。
「我らが食事をするのに、お前の金が必要だと思っているのか? 何だ、我らは救いを待つか弱い姫君か?」
「なあ、お嬢さん。要るか要らないかだけ答えてくれ」
「『姫殿下』だ」
灯里が訂正する。
「……まあよい。銀行へ行く手間が省ける」
光が落ち着かなげに足を動かした。
「まあ、いいけれど。でも、これで妙な勘違いをしないでよね!」
「はいはい」
ダチーが露店へ向かい、少女たちもその後ろを歩く。
近づきすぎないよう、できる限り距離を取りながら。
何人もの客を掻き分け、懐石料理を供する店の前で足を止めた。
光も足を止める。
「ここ! これ! これがいいわ!」
灯里が肩をすくめた。
「私もだ」
ダチーが品書きへ目を落とす。
「これ、いくらするんだ?」
少女たちが得意げな笑みを浮かべる。
「おそらく、袋二つ分だな」
灯里が指摘する。
「だから、何かを証明しようとしているのなら、それは――」
ダチーはもう一方の懐から、さらに大きな二つ目の袋を取り出し、少女たちへ差し出した。
「ほら。そっちの倍は入ってるはずだ。好きにしてくれ」
少女二人の顔が赤くなり、言葉を詰まらせる。
光が袋を奪い取り、ダチーを押し返した。
だが、ダチーの体はほとんど動かない。
「ともかく、俺は真後ろの店でピザを買ってくる。……終わったら教えてくれ」
灯里がその腕を掴んだ。
「待て。誰が離れていいと言った?」
「俺が言った。文字どおり一メートル先だろ、お嬢さん。そんなに大事なら、ずっと目を離さずにいればいい」
灯里が唸り、やがて手を放した。
「逃げられると思うな。衛兵の誰かに見られれば――」
「連れ戻される、だろ。おまけに姫殿下にも追い回される」
「よろしい。そこにいろ」
灯里と光が列へ並ぶ。
二人が見ている前で、ダチーは硬貨を何枚か店の台へ置いた。
だが店主はその硬貨を返し、ダチーへ笑みを見せて、耳元へ何かを囁く。
少女たちは聞き取ろうと耳を澄ませた。
だが、一言も捉えられない。
店主が手を拭って仕事に取りかかり、料理を窯へ入れた。
周囲の貴族たちが振り返り、ダチーを指し示し始める。
何人かが灯里と光へ声をかけに来た。
「姫殿下、光様。あの人間は、お二人のお連れなのですよね?」
その言葉を聞いた途端、少女二人の体が強張った。
「あれは我らの抱える厄介事だ」
灯里が訂正する。
「そうよ」
光も同意した。
「無事に保たなければならないの。私の体中にある、あらゆる感情に逆らってね」
ダチーは体を探るように伸びてくる手を押しのけ、ようやくピザを受け取った。
そのとき、遠くに黒い外套をまとった人影を捉える。
人混みの中へ紛れ込もうとしていた。
(あれは……?)
ダチーの目が見開かれる。
(あいつは……!)
人影がこちらを振り返った。
頭巾の奥で、両目が白く光っている。
ダチーがそれを理解するよりも早く、人影は背を向けて歩き去った。
ダチーはピザを放り捨て、力を使って幾つもの露店の列を跳び越える。
そのまま謎の男を追って走り出した。
灯里が即座に気づく。
光も同じだった。
「冗談じゃないわよ!」
光が声を上げる。
「文句はあとだ! 衛兵、追え!」
衛兵たちが人混みを押し分け、貴族たちを脇へ退けながらダチーを追う。
光と灯里も同時に駆け出した。
だがダチーのほうが速い。
やがて人混みを抜け出し、滑るように足を止めた。
あらゆる方向へ目を走らせ、人影を探す。
衛兵たちが、その周囲へ集まり始める。
ダチーは路地の突き当たりに、黒い外套の姿を見つけた。
人影は通気口を開け、その中へ身を落とそうとしている。
「待て! 逃げんじゃねえ!」
ダチーが路地へ駆け込み、その後を追って通気口から飛び降りた。
直後、背後で通気口の蓋を引き閉じる。
*
ダチーが着地したのは、下水道の中だった。
驚くほど清潔だった。
壁は白金で造られ、巨大な換気装置が絶えず空気を濾過している。
青いLED照明が、下水道全体を照らしていた。
ダチーは奥へ歩いていく。
突き当たりに見える光を目指して。
「おーい? 不気味なおっさん?」
返ってきたのは、鼻歌だった。
旋律のある、どこか悲しげな調べ。
ダチーは慎重に歩を進め、できる限り足音を抑えた。
下水道の突き当たりへ到達すると、そこには巨大な整備室が広がっていた。
塵一つなく、至るところが花で飾られている。
中央には金属製の台があった。
その上で、虹色の髪、虹色の瞳、虹色のドレスを持つ少女が踊っていた。
舞踏手を思わせる、しなやかな動き。
少女は自らの動きに合わせて鼻歌を紡ぎ、その体を人間離れした角度へ捻っていく。
捻りを加えた宙返りに入ろうとして――
少女は台から落ち、首を折った。
ダチーが身を引く。
「なっ――? 今、こいつ――?」
だが。
――少女が起き上がった。
骨の鳴る音とともに、折れた首が元の位置へ戻っていく。
具合を確かめるように、頭を左右へ揺らした。
ダチーは目を離せなかった。
「この子……属性者なのか?」
少女が再び台へ戻ろうとする。
だが、その目がダチーの姿を捉えた。
そして――
悲鳴を上げた。




