第十九話「飛鳥祭」
アスマナ森林の戦いから二日後。
ダチーは寝台に足を投げ出し、映像装置を眺めていた。
そこへルカが飛び込んでくる。髪は乱れ、服もところどころ破れていた。
「今日がその日だよ」
ダチーが欠伸をし、両腕を伸ばす。
「何の日だ? なあ、俺は久しぶりにゆっくりしようとしてるんだが」
「藤井から聞いてない?」
「あの人は俺に何も言わないんだよ」
「祭だよ。飛鳥祭。……ほら、上流貴族のための、上流な催し」
ダチーが寝台の上で寝返りを打つ。
「そりゃ結構だな。光と灯里に、楽しんでこいって伝えといてくれ」
「全員行かなきゃ駄目なんだ。王妃陛下の命令」
ダチーが枕へ顔を埋めた。
「なんでだよ。一分も休ませてくれないのか? 学者どもは針で突いてくるし、見回りの衛兵は勝手に贈り物を持ってくるし……これは一体何なんだ」
小さな立方体を引っ張り出す。
ルカがそれを手に取り、検分した。
「それ、爆弾だよ」
「何だって!?」
「菓子爆弾。投げてみて」
ダチーはしばらく立方体を見つめてから、壁へ投げつけ、両耳を覆った。
立方体が破裂し、包み紙にくるまれた菓子が幾つも床へ散らばる。
ルカが一つ拾い上げた。
「いいね。飛鳥チョコレートトリュフだ」
ダチーがゆっくりと寝台から下り、菓子を一粒拾う。
「これ、腹の中で破裂したりしないよな?」
「しないよ。この箱は何重もの保安検査を通ってる。何重もっていうのは、十八時間ぶっ通しで調べられたって意味ね」
ダチーが包みを剥がし、口へ放り込む。
滑らかなチョコレートの甘さが、不意に舌を満たした。
飲み込むや否や、残りの菓子を漁り始める。
ルカが片眉を上げて見ていた。
「チョコレートが好きなんだね」
ダチーが顔を上げる。口の周りにはチョコレートがついていた。
「そんなにわかりやすいか?」
立ち上がって口元を拭い、さらに幾つもの菓子を懐へ詰め込む。
マラチーが部屋へ入ってきて、ルカとダチーの二人と拳を突き合わせた。
「やあ、二人とも! これからその祭へ行くの? 展示会はある?」
ルカが指を鳴らす。
「祭が違うよ、相棒」
「じゃあ、何の祭なの?」
「金持ちのため。偉い人のため。……数年後に開かれる王家の仮面舞踏会と同じようなものだよ。王家絡みの催しが多すぎて、国民全員が王族なんじゃないかと思えてくるくらい」
ダチーは、灯里が洗面所へ入っていくのに気づいた。
髪をまっすぐに整え、腿まで届く白いドレスと白い冠を身につけている。
その隣には光がいた。よく似た装いだが、こちらのドレスは桃色だった。
「綺麗だな」
「見ないほうがいいよ。自分の目を守って」
灯里が顔を洗い、光が手拭いを渡して拭かせる。
二人は支度を終えると、それぞれの部屋へ戻り、扉を閉めた。
ルカが懐から腕時計を二つ取り出し、兄弟の手首へ留める。
「これを持ってて。使い方は簡単。俺たちを呼びたいときは、操作面を指で払って、呼び出しの押釦を押すだけ」
マラチーが今にも涎を垂らしそうなほど目を輝かせ、腕時計の操作面を次々と払っていく。
そして、小銃の印がついた押釦を押した。
救難信号が表示される。
〈救難信号を送信。S-1部隊へ通知しました〉
ルカとダチーの手首が同時に振動し、大きな表示が浮かび上がった。
〈S-1邸にて救援要請〉
ルカが表示を払って消す。ダチーもその動きを見て、同じように消した。
「命が懸かってない限り、その押釦は押さないで」
「あはは、ごめん」
光の声が廊下に響いた。
「ルカ! その人間たちをどうにかしてくれない!?」
「やってるって!」
ルカが髪を掻き上げる。
「二人も支度しよう。藤井はもう装甲指揮車で待ってる。理由は訊かないで。祭で展示したいんだってさ」
ルカが兄弟を階下へ連れていく。
そこには仕立てのよいスーツと革のローファーが並べられていた。灰色、緑、青の三着。
近くには、それぞれの服と同じ色のシルクハットも置かれている。
ルカが緑の一式を取り、一階の洗面所へ向かった。
マラチーは素早く青を掻っ攫う。
ダチーが手を突き出した。
「待て! 青は俺だ」
「駄目。早い者勝ち! それに、僕のプラズマ砲は青だから」
「けど、青は俺の好きな色なんだよ」
「お気の毒に、親愛なる兄上」
マラチーが触手を使って階段を上っていく。ダチーが捕まえるよりも早く。
兄は諦め、灰色のスーツと帽子を持って自室へ戻り、扉を叩きつけるように閉めた。
衣擦れの音。
よろめく音。
ベルトの金具が鳴る音。
やがてダチーが勢いよく扉を開け、その装いを露わにした。
自分の足元を見下ろし、片足を持ち上げる。
「なんだ、このクソださい服……マラチーめ、見つけたら尻を蹴り飛ばしてやる」
光が自室から出てきた。
ダチーを見た瞬間、わずかに足を止める。口が半ば開いていた。
ダチーがその反応に気づく。
「なんだよ」
光が瞬き、首を振った。
「なんでもない。……こっちを、こっちを見ないで!」
光はその横を急ぎ足で抜け、階段を駆け下りていった。
入れ替わりに、マラチーが自室から出てくる。青いスーツと帽子を身につけていた。
帽子の縁を摘み、ダチーへ優雅に一礼してみせる。
「どうやら我々は、この場に相応しい装いとなったようですな、親愛なる兄上」
ダチーがその帽子を叩き落とした。
「おい! せめて最後まで冗談を続ける努力をしろよ!」
狼の姿になったルカが、二人の横を通り過ぎる。
その尾は出口を指していた。
兄弟は顔を見合わせ、その後に続いて外へ出る。
装甲指揮車が通りに停まっていた。エンジンを空吹かしし、いつでも出発できる状態だ。
少年たちは昇降橋を上り、車室へ入る。
中には少女たちが座っていた。
灯里は二人の姿を見ると、目を細めて身を乗り出し――すぐに背もたれへ戻って脚を組んだ。
藤井は操縦席にいた。淡い青色のスーツに、サングラスをかけている。
「ようこそ、我が乗員諸君! 少々忙しい一週間だったことは承知している。だが心配するな! 今こそ肩の力を抜き、仲間同士で楽しいひとときを過ごすときだ!」
少女たちは吐く真似をし、ルカは肩をすくめ、マラチーは不安げに笑い、ダチーは欠伸をした。
藤井が咳払いをする。
「よし、では……祭へ向かうぞ!」
装甲指揮車が発進し、低く唸りながら道を下っていく。
住民たちは手を叩き、写真を撮った。
遠くでは色とりどりの照明が瞬き、紙吹雪と風船が空へ舞い上がっている。
灯里が脚を解き、航法席へ歩み寄った。
「祭は夕方まで始まらない予定だったはずです。何があったのですか?」
「王妃陛下が、開始を前倒ししたいと望まれた」
藤井が答える。
「ドワーフの襲撃があったばかりだ。催しを夜間に限って開くのは得策ではない。……こうすれば、残りの軍も集結させ、会場周辺へ配置できる」
そして灯里へ片目をつぶってみせた。
「心配するな。踊りは夜のままだ。静と沙織が舞台でやり合うところを見たいのだろう?」
灯里が目を回した。
「私はただ、敵を心配する必要はないと申しているだけです。我らなら対処できるとわかっている」
そしてダチーへ視線を投げる。
「それに、あの者どもが望んだものは、すでに取り戻しました」
藤井が操縦の手を緩めた。
車両が速度を落とし、祭の門へ近づいていく。
「それは警戒を弱める理由ではない。むしろ、より強める理由になる。……この祭には何十万人もの人間が集まる、灯里。そして我々は今、その最重要標的を連れてきている」
装甲指揮車が門の前で停まり、藤井が手を離して動力を落とした。
席から立ち上がり、車室の扉を開ける。
そして砲弾のように飛び降り、門の正面へ着地した。
そこには衛兵の一団が待ち構えていた。小銃を構えたまま。
だが藤井の姿を認めた途端、その構えを解く。
「将軍!」
一人が迎えた。
「ここへお越しになるとは珍しい。どういう風の吹き回しです? お子でも生まれましたか?」
藤井が首を振った。
「王妃陛下が、小僧どもを連れてこいと仰せでな。初任務を終えた褒美としては相応しかろう。……おい、お前たち!」
藤井が振り返った。
「降りてこい!」
一人ずつ、隊員たちが車室から降りてくる。
最初にダチー。
二番目にマラチー。
三番目にルカ。
少女たちが最後だった。
ダチーは二人を受け止めようと手を差し出したが、どちらもそれを無視した。
その両脇へ降り立ち、踵が硬い音を立てる。
「まあ、俺に受け止められるくらいなら足を折るほうがましってんなら、ご自由にどうぞ」
ダチーが鼻を鳴らす。
マラチーがその肩を叩いた。
「あの人たち、僕たちのことが嫌いなんだよ、親愛なる兄上」
「好きになれとは言ってない」
部隊が藤井の背後に並ぶ。
衛兵たちは一礼し、手持ちの遠隔装置で門を開け、一行を中へ通した。
ダチーが周囲を見回す。
露店が至るところに並んでいた。
立体映像の垂れ幕には、祭の催しが次々と映し出されている。巨大な舞台で行われる踊りも、その一つだった。
そして着飾った貴族が、何百人、何千人と通りを行き交っている。
S-1が会場へ入って間もなく、一行は瞬く間に人混みへ飲み込まれた。
「藤井将軍! 娘の腕輪に署名をお願いします!」
「姫殿下! 写真を撮らせていただけますか!」
「あれは光様? まあ、なんて可愛らしい!」
ダチーは人混みを掻き分け、そこから抜け出そうとする。
だが遠くへ行く前に、十人の衛兵が周囲を取り囲んだ。全員が銃へ手を掛けている。
「なんだよ、あんたら。何の用だ?」
「我々は、貴殿に割り当てられた警護部隊です、ジョーンズ殿」
一人が答える。
「王妃陛下は、貴殿を我々の視界から外すことをお許しになりません」
「俺には部隊があるんだが」
「陛下は、後悔するより安全を選ばれます」
「だろうな。……せめて、ここへ来た甲斐くらい作らせてくれないか。陛下の連絡先を教えてくれ」
「残念ながら、それは叶いません」
「くそ」
やがて人混みが散り、藤井たちは再び前へ進み始めた。
警護部隊はダチーと歩調を合わせ、その一挙一動に付き従ってくる。
「過剰にもほどがあるな」
ダチーがマラチーへ囁いた。
「責められないよ。この人たちがどういう人たちか、知ってるでしょ。本当に国を滅ぼせるような相手なら、逃がすくらいなら死ぬほうを選ぶよ」
「ああ、そうだな。……それより、話したことを忘れるなよ。この祭に縛りつけられるなら、せめて情報は集めないと」
「うん。でも、何について? これは祝宴だよ。潜入任務じゃない」
「あの後援者たちだ。何者で、何を望んでいるのか確かめないといけない。……話す気がありそうな相手は、一人だけだ」
「誰?」
「応輝」
「あの人間の偵察? でも、あの戦いのあとに姿を消したよ」
「かもな。けど、偵察ってのはそういうものだ。この国の外に帰る家でもない限り、いずれ自分の根のある場所へ戻る」
「バタンゴだね。……でも、あの衛兵たちがついてきたら、バタンゴには近づけないよ」
「あいつらが追ってるのは俺だ。お前じゃない。機会を見つけて、ルカを連れてバタンゴへ向かえ。応輝を探してみろ。……できるなら、祖父さんも探してくれ」
「ええと……やってみる。でも、後援者たちが敵だって確かなの?」
「確かじゃない。だから情報が要るんだ。どちらかの側を選ぶなら、事実を全部知っておかないといけない」
「わかった」
一行は歩き続ける。
やがて藤井が、背の高い若い女の前で足を止めた。
灰色の髪と瞳。
灰色の差し色が入った軍装。
腰には、二本の扇が吊られている。
藤井を見た瞬間、その無表情が渋面へ変わった。
「よお! ナイト圭じゃないか!」
藤井が声を張る。
「ようやく、自分の家と呼んでいる巣穴から出てきたのか? 閉じ込められた猫は走れんぞ!」
ナイトが扇を一本抜き、藤井の首へ突きつけた。
「その手の冗談は好みません、将軍」
「まあ待て。からかっただけだ。殺すなよ」
藤井が扇から身を退ける。
「お前たち、知らん者のために紹介しておこう。こちらはS-7将軍、ナイト圭。猫のように獰猛で、鼠のように静かだ」
ナイトが扇を収めた。
「およしなさい。あなたのお仲間なら存じています。……名高き姫殿下。それから、あなたが私のもとから奪っていった光様」
光の顔が赤くなる。
「申し訳ありません、閣下」
ナイトが続ける。
「どこへ行くにも引き連れている小さな飼い狼……そして、人間たち」
兄弟と正面から向き合う。
「二人もいる。属性を操る人間が。……そのうえ、あの矮小なドワーフどもが、この者一人を攫うためだけに襲撃してきたと、あなたは主張している」
少女たちの顎が引き締まった。
だがナイトは、二人の反応など意にも介さない。
「実に厄介なことです。おかげで私は、この馬鹿げた祭を総監督として取り仕切る羽目になりました」
「王妃陛下がお前を責任者にされたのか?」
藤井が尋ねる。
「今、そう申し上げました」
「いや、暗に示しただけだ。示唆と明言は同じではない」
「死んだ藤井と、生きた藤井も同じではありません。……このまま当たり前のことを言い続けるおつもりですか? それとも、なぜ私の邪魔をしているのかお話しになりますか?」
藤井が自分の一行を見回した。
「王妃陛下は、この場所の警護を望んでおられる。分かれて動けば、より広い範囲を守れる。敵は俺がダチーと一緒にいると予想するだろう。……ナイト、こいつと娘たちを預かってもらえるか? 俺は残りの二人を連れていく」
「御意のままに、偉大なるS-1将軍殿」
「感謝する、相棒!」
藤井がマラチーとルカへ手招きする。
マラチーが振り返り、心得たというようにダチーへ頷いてみせた。
ダチーも短く頷き返す。
「我々は何をするのですか、総監督殿」
灯里が尋ねる。
「祭の花形たちを見守り、今夜の踊りへ向けた支度を整えさせます」
ナイトが答える。
「あの方々は大きな価値を持つゆえ、手厚く守られねばなりません」
そして三人を指した。
「あなた方全員と同じように」
ナイトが歩き出す。
「参りましょう。静様と、ほかの方々にお会いする時間です」




