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ヴォルティアナ  作者: rimuru the jūto
対ドワーフ戦争編
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17/19

第十七話「記憶の中を歩く」

伊呂波女王が果物鉢から林檎を取り、ダチーへ差し出した。


「どうぞ、貴賓の方。一口いかが?」


「ええと……俺はあんたが誰なのか知らないんだ。これが一体どういう状況なのか、詳しく説明してくれないか」


「あら? 昨夜はよく眠れなかったの? 今日は寝惚けたお顔ね。珈琲を淹れましょうか」


「俺はここを出てもいいのか? 弟と部隊が、今頃は心配で死にそうになってるはずなんだ。何か方法は――」


 女王が息を呑んだ。その目が、子供のように見開かれる。


「ご家族がいらっしゃるの? まあ、貴賓の方! 私、ぜひお会いしなければ!」


 ダチーが身を引いた。


(よし。こいつが正気じゃないか、俺がいるべきじゃない場所にいるかのどっちかだ)


(どっちにしても、突き止めるにはもう少し時間が要るな)


 女王は果物鉢から取ったバナナを食べていた。


 ダチーは立ち上がり、林檎を一口齧ってから、近くの屑籠へ放り込む。


「それで、女王さん。次はどうするんだ?」


「え?」


「いや、俺たちは何をすることになってる? どうしてこの寝台にいたのかも思い出せない。あんたが俺に果物を食わせてる理由もな」


 女王が戸口へ向かう。慎重に一歩進むたび、その後ろには蔓が残された。


「こちらへどうぞ。……あなたとお連れの方々から伺った情報について、お話ししたいのです」


(情報?)


 伊呂波女王はダチーを食堂へ導いた。


 そこには、今より若い姿の一成と岩、そして巌雄が座っていた。


 部屋のあらゆる隅には護衛が配されている。


 ダチーが姿を現した瞬間、全員が顔を上げた。


 一成は腕を組み、睨みつけながらも、意識をこちらへ集中させている。


 岩は顔を背け、落ち着かなげにフォークを弄んでいた。


 巌雄だけは、さして感心した様子もなく座っている。


 妻がその頬に口づけを落としてから、隣の椅子へ腰を下ろした。


 王が食卓の端にある椅子を手で示す。


「ようこそ、貴賓の方」


 巌雄が迎えた。


「貴殿は、ホルダーを捕らえればヴォルティアナを止められると申された。それが何であるのか、詳しくお聞かせ願えるか」


 ダチーの手が、勝手に動いた。


 指を鳴らす。


 その背後に、三つの影のような姿が現れた。輪郭があまりに曖昧で、顔までは判別できない。


 見て取れる限りでは、一人は背の高い女だった。自分とほとんど同じ高さの巨大な槌に、体を預けている。


 もう一人は落ち着きのない男だった。食卓を見つめながら、体を前後に揺らし続けている。


 最後の一人は、ダチーの真後ろに立っていた。腿まで届く髪を持つ男。両手を背へ回し、静かに頷いてみせる。


 ダチーが三人を見回した。


「あんたら、一体誰なんだよ」


 三人の目が、同時にダチーの目と合った。


「ご命令を、我が王」


 中央の男が尋ねる。


 ダチーの声は、自分が理解するより先に口から出た。


「我らが交わした取り引きについて話せ。海の向こうに何が在るのかを伝えよ」


 ダチーは即座に自分の口を覆った。


 中央の男が、食卓の傍らを歩き始める。


ホルダー


 男が宣した。


「この錠前を開く鍵。……幾世紀もの間、我らを縛り続けてきた錠前を開く鍵だ。この特別な宝は、来たる年月のうちに見出されるだろう。二つの属性能力を――劣った頭脳の者どもはそう呼ぶが――操る少年だ」


「属性が二つだと?」


 一成が割って入る。


「偽りだ。同時に二つ以上の属性を持つヴォルティアナ族など、我らは一度も見たことがない」


「その耳で聞いたこともない言葉を、勝手に我が口へ押し込むな」


 風変わりな影が、ダチーの顔へ身を寄せた。


 その息から、焦げた木の匂いが微かに漂ってくる。


「主。本当に、この樹上暮らしどもを後押しするんですかい? こいつら、ろくに拳も振るえませんぜ」


 ダチーは再び、自分の意思とは無関係に口を開いていた。


「我らは交渉に来た」


 ダチーが答える。


「戦いにではない。ホルダーを回収し、それを用いて共通の敵を打ち砕くことを望むのなら、ドワーフを我ら共通の盟友として遇さねばならぬ」


 ダチーは自分の頭を叩いた。


(なんで俺がこんなことを言ってるんだ? こいつら、俺の様子がおかしいことに気づいてすらいないみたいだ! ……けど、女王は気づいた。どうやって? なんでだ?)


 伊呂波女王が口を開いた。


ホルダーの価値について、もう少しお聞かせいただけますか。二つの属性というのは大変強力に聞こえますが、私たちの敵は複数の属性を持っています。……十三、ですね」


「それは我らにとって問題ではない」


 ダチーが誇らしげに答えた。


「だが、よい着眼だ、女王よ。正面から直接戦えば、我らは皆滅びる。ゆえに、得体の知れぬもののために死ねなどと、貴殿らへ求めるつもりはない」


 ダチーが手を差し伸べる。


 虚無にも似た物質が、その手を包み込んだ。


 それを撃ち放つと、緑色の門が形を成した。


 その向こうに映ったのは、巨大な橙色の、顔を持たない存在だった。


 六本の脚。四枚の翼。その体は山々をも見下ろしている。


 そして、ヴォルティアナと不気味なほどよく似た国が現れた。


 その存在が国境を引き裂いていくのを、ドワーフたちは驚愕とともに見つめた。


 巨大な橙色の刃が形を成し、城へ突き立てられる。その過程で、いくつもの区画が破壊された。


 白い光が反撃する。


 門は即座に途切れた。


「これが、過去だ」


 ダチーが告げる。


「では次に、未来を見せよう」


 門が別の光景へ切り替わった。


 同じ存在が戦場を歩いている。その傍らにはドワーフたちが並び、画の外にいる襲撃者へ向けて武器を放っていた。


 遠くで白い閃光が弾ける。


 悲鳴と怒号が響き渡った。


「ヴォルティアナはどこだ」


 巌雄が尋ねる。


「滅びた」


 ダチーが答える。


「これは、あの者どもの最後の抵抗だ」


 指を鳴らし、門を消す。


 配下の者たちが、再びダチーの背後へ戻っていく。


 ダチーは、王と女王が声を潜めて何かを話し合うのを見ていた。


(今のは、本当に未来なのか? 過去も? 俺は今、何をした? あれは何なんだ? ……それに、本当に全員を殺し尽くすのか?)


(いや、はったりかもしれない。……けど、全員が完全に信じ切ってる)


 鋼牙が部屋へ入ってきた。ダチーは危うく跳び上がりかける。


「陛下、いかがなさいますか。客人方をお送りいたしましょうか」


 巌雄が首を振った。


「この者たちの言葉を検討する。ヴォルティアナは我らを短い綱に繋いでいる。今のままでは、あの者どもに抗えぬ。必要なのはただ――」


 プラズマの一撃が鳴り響き、護衛の一人の胸を貫いた。


 残った護衛が即座に食卓の周囲へ集まる。ダチーの配下も同じように動いた。


「来たぞ!」


 ヴォルティアナ族の兵が窓を突き破って飛び込み、護衛へ武器を放つ。


 ほかの数人は刃を抜いた。


 護衛たちが迎え撃つために駆け出す。


 その間に鋼牙が、王家とダチーの一団を部屋の外へ導いていった。


「こちらへ! 行かねばなりません! ここは私が食い止めます!」


 ヴォルティアナ族の一人が巌雄へ飛びかかる。


 鋼牙がそれを打ち払った。


「何が起きているのですか!」


 岩が声を上げる。


「あの者たちがここにいるはずがありません! この森へ来ることすら滅多にないのに、まして軍勢を率いてくるなど!」


「時は尽きた」


 ダチーが漏らす。


ホルダーを最優先せねばならぬ。今、この時に」


 一同が廊下を駆け抜ける。


 だが角を曲がった先では、襲撃隊が待ち構えていた。


 背後からも別の部隊が迫ってくる。


 ダチーの掌が光を帯びた。


「これ以上、ここに留まることはかなわぬようだ。……では回収の折にまた会おう、親愛なる同志たちよ。貴殿らが代々の王へ施すものと同じ儀式を、ホルダーに施せ。あの者を王に据え、領土を守らせるのだ。すべてが済めば、あの者は我らと共に、この世界をよりよいものへ変えるために働くだろう」


「待たれよ――!」


 巌雄が呼びかけた。


 ダチーと配下の者たちが、門の中へ飛び込む。


 だがダチーだけが、外へ弾き返された。


 ドワーフたちはもう、こちらへ声をかけようとしない。その横を走り抜け、次の廊下へ消えていった。


(もう俺が見えないのか? ……まあ、関係ない。追わないと!)


 ダチーは廊下を駆け抜け、階段を下りていく王家の者たちに追いついた。


 そのまま後を追う。


 暗がりを抜けた先で、そこが明らかに見覚えのある場所だと気づいた。


 儀式の広間。


「ここなら安全だ」


 巌雄が言う。


 伊呂波女王が、その両肩を掴んで揺さぶった。


「どこが安全なのですか! 上では民が屠られているのですよ! 何かしなければ! 嘆願でも、戦いでも、何でも!」


「妃よ、できぬのだ! 鋼牙と兵たちが対処する! 今の我らには、あの者どもの軍勢と戦うだけの力がない!」


 岩が二人の間へ踏み出した。


「母上、父上! 民が私たちを必要としています!」


「そうだ! 見殺しにはできない!」


 一成も同意する。


 伊呂波が家族から身を離した。


「私は上へ戻ります。あなたたちはここに残りなさい。……私はこの王家に生まれた者です。民を見捨てることなどできません」


「妃よ、やめよ!」


 その足が、不意に止まった。


 ダチーは何を見つめているのか確かめようと振り向く。


 そして、それを捉えた。


 S-1の軍装をまとった、ヴォルティアナ族の少女。


 赤い瞳。後ろで一つに束ねられた白い髪。


 腰には刃を吊り、その眼差しは、その場にいる全員を震え上がらせるほど鋭い。


(灯里?)


(待て。あれは灯里じゃない!)


 伊呂波女王が即座に振り返った。


「全員、逃げなさい! 通路を使って!」


 少女が動く。


 速い。


 速すぎる。


 伊呂波の胸元を斬り裂き、その首を掠めた。女王は蔓を使い、後方へ身を引く。


「ふざけんな」


 少女が鼻を鳴らす。


「今ので首が飛ぶはずだったんだけど」


 女王が蔓で砲を形作り、棘だらけの茂みを襲撃者へ撃ち放った。


 同時にもう一方の手で蔓を球状に編み、家族をその中へ閉じ込め、そのまま奥へ押しやる。


「行きなさい! 今すぐ!」


「母上、やめてください!」


 一成が叫ぶ。


「やめて、お願い!」


 岩が続ける。


「妃よ、これをしてはならぬ!」


 巌雄が訴えた。


 ダチーが二人の間へ踏み込む。


 だが襲撃者はその周囲を掠め抜け、回転しながら放った斬撃で砲を真っ二つに断ち切った。


 伊呂波が蔓の巨兵を形作り、その操縦席へ座る。


 巨兵の拳が、襲撃者の立つ地面を叩き潰そうと振り下ろされた。


 だが少女は、その腕を一本削ぎ落とした。


(動き方が……将軍と同じだ!)


 ダチーは察した。


(けど、もっと攻撃的で、もっと荒々しい! ……いや。ここが過去なら、この人を助けられるかもしれない!)


 ダチーは空へ跳び、少女の刃が伊呂波の首へ届く直前に、その体へ組みついた。


 自分の両腕を見下ろす。


「効いたのか?」


 少女が動きを止め、こちらへ意識を向けた。


「あんた? あんたは……」


 その刃が持ち上がる。


 だが伊呂波が蔓で遮り、少女をダチーから引き離した。


「ごめんなさいね、ダチー」


 女王が言った。


 ダチーが凍りつく。


「でも、あなたにこれを変えさせるわけにはいかないの」


 二本の蔓が天井へ伸び、そのすべてを引き落とした。


 そして家族とダチーを、開いた穴の向こうへ投げ放つ。


 次の瞬間、少女の斬撃が女王の首を断ち切った。


     *


 ダチーが目を開けたとき、そこは街の通りだった。


 城の下に大きく開いた穴へ向かい、身を引きずっていく。


 穴の中を見下ろす。


 そこには伊呂波女王の壊れた体があり、襲撃者と――藤井が、その傍らに立っていた。


「またやりすぎだ」


 藤井が息を吐く。


「本気で自制を覚えろ。さもなくば、また追放処分にするぞ」


 少女が鼻を鳴らした。


「する気もないくせに。前の部下は、みんな死んだか引退したかでしょう。今さら誰を脅してるつもりなのか、私にはさっぱりですね、将軍」


「まだルカがいる」


「新人でしょ。入ったばかりの新顔」


「関係ない。お前にも新人の頃はあった」


 少女が刃を鞘へ収めた。


「どうでもいいです。……次に誰かを殺す必要が出たら、呼んでください」


 立ち去る前に、少女が短く足を止めた。


「そうだ。妙なものを見ました。属性が作用していたのかもしれません」


「なぜそう思う」


「少年です。人間の少年。ドレッドヘアの。……私に攻撃を当てて、そのまま消えました」


 藤井が顎を撫でる。


「妙だな。実に妙だ」


 少女は目にも留まらぬ速さで去り、藤井も同じようにその場を離れた。


 ちょうど入れ違いに、王家の者たちが広間へ駆け込んでくる。


 岩が即座に母の体を抱き起こした。


「母上? 母上! 聞こえますか?」


 一成も駆け寄る。


 数歩離れた場所には、沈痛な面持ちの巌雄が立っていた。


「母上! 何か仰ってください! 母上は、この程度で倒れるような方ではないでしょう!」


 伊呂波が、ほんの短いあいだ目を開けた。


「ごめん……なさい……子供たち……民を……守れなかった……」


「母上! お願い、息をして! それだけでいいから!」


「そのようなことを仰らないでください!」


 巌雄が歩み寄り、その頭を抱きかかえた。


「妃よ」


 伊呂波がその顔を見上げる。


「あなた……ホルダーを見つけて……あの子は……あの者たちとは……違う……あの子なら……救える……私たち全員を……」


 もう一言を発しようとして――そのまま力なく崩れ落ちた。


 ダチーは何も言えないまま、それを見ていた。


 岩が、通りにまで届くほどの声を上げて泣いた。


 一成は地面を殴りつける。


 巌雄は、石のような顔で立ち尽くしていた。


「父上」


 岩が嗚咽の合間から言う。


「わからないのですか? 後援者たち――あの下郎どもが、暴君をここへ連れてきたのです! なぜあの男とその手下を、私たちの家へ入れたのですか! これこそ、あの男の狙いだったのでしょう! 私たちに、あの男の戦争を戦わせることが!」


 巌雄が拳を握り込み、妻の体を見つめた。


「あの者の勝ちだ」


「え……?」


「止めねばならぬ。あの者どもを、残らず。屠り、拭い去り、絶滅へ追いやる」


 巌雄が踵を返す。


 だが、その足が何かを踏んだ。


 屈み込み、それを拾い上げる。


 首飾りに繋がれた時計だった。


 そこに結びつけられた紙片には、こう記されていた。


『今後のご協力を楽しみにしております、巌雄王』


 巌雄が吠え、地面へ崩れ落ちた。


     *


 ダチーは通りに立ち尽くしていた。


 目を逸らそうとすらしていない。


 伊呂波がその隣に現れ、肩へ手を置いた。


「ようやくお会いできて嬉しいわ、ダチー」


「あんた、最初から知ってたのか」


「もちろん。私はもう生きていないもの。……ただの記憶よ。自分自身の記憶の中を歩いているだけの」


「だったら、なんで俺を止めた」


「止めなければ、あなたは真実を見ることができなかったから。……もう起きてしまったことは変えられないの。ただ、それをありのままに見る必要があるだけ」


「けど、俺はあいつに組みつけた」


「そうよ。あなたも今、この記憶の一部なの、ダチー。……そして未来をどうするかは、これからのあなた次第」


「つまり、何が言いたいんだ」


 その瞳が一度、閃いた。


「この物語がどう終わるのかを、あなたに決めてほしいの。……私の家族と民が敗れれば、ほかの者たちがあなたを求めてやってくる。あなたを利用するために。私は、あの者たちの遊戯の犠牲になった」


 女王が一歩下がる。


 その姿が、徐々に薄れ始めた。


「同じことがあなたに起こらないよう、祈っています、ダチー。……どうか、正しい選択を」


 その姿が消える。


 同時に、ダチーを取り巻く世界が崩れ始めた。

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