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ヴォルティアナ  作者: rimuru the jūto
対ドワーフ戦争編
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16/20

第十六話「伊呂波女王」

応輝は小刀で格子を挽き切ろうとしていた。その肩には、岩がしがみついている。


 岩の両手がわずかに震え、そのせいで応輝は小刀を取り落とした。


「それ、やめてもらえるか?」


「ごめんなさい! 何も考えられなくて!」


「こっちも集中できないんだ。誰か他の奴に抱きついてくれ」


 岩は一歩下がり、片腕を擦った。


 応輝は小刀を拾い上げ、格子の切断を再開する。少しずつ、金属の欠片が床へ落ちていった。


「あんたの父親は、どうしてこんなことをしてる?」


 応輝が訊いた。


「俺は別に頭のいい男じゃないが、戦って死にたがる金持ちなんて、いったい何を考えてるんだ?」


「あのホルダーというものに……父上は飲み込まれてしまったのです」


 岩は自分の頭を叩いた。


「もう、どうして私は何もしなかったの? あのろくでもない異星人どもが嘘を並べたとき、声を上げていれば……」


 応輝が小刀を動かす手を止めた。


「嘘? あの坊主は、あんたの親父をぼろ人形みたいに振り回してるぞ。……あいつらだけが知っていて、俺たちが知らない何かがあるとしたら?」


「どうでもいいです。私はただ、この戦いが全部終わってほしいだけ」


 金属の砕ける音が、二人の注意を引いた。


 ダチーの体が、広間の奥にある壁の下へ横たわっている。


 巌雄は枝を脚代わりにし、蜘蛛のように天井を這っていた。


「余を殺せ、ホルダー! 戯れはもう十分だ!」


 巌雄が天井から落下する。


 ダチーは空中でそれを迎え撃った。


 力を使って蛙のように跳ね上がり、巌雄を広間の端まで弾ませるほど強烈な蹴りを叩き込む。


 王の枝が砕け散った。


 巌雄は再び立ち上がる。


 その目は血走り、笑みは耳の向こうまで裂けるように広がっていた。


「そうだ! それだ!」


 ダチーが巌雄の脚を掴み、ぼろ人形のように何度も床へ叩きつける。


 最後に手首を払うだけで、その体を横へ投げ捨てた。


 王が体勢を立て直すより早く、ダチーはその首を掴み、壁へ押しつけた。


 歯の隙間から、荒い息が漏れる。


「王冠を被った羊だな、あんたは」


 ダチーが低く唸る。


「何様のつもりだ? 手下を寄越して、俺の頭を吹き飛ばさせておいて」


「ならば復讐せよ、小僧! 話はもう十分だ!」


 岩が格子へ駆け寄った。


「やめて! ダチー、お願い!」


「くそっ」


 応輝が事態を悟る。


「あの坊主、完全に野獣になってる。あの時計が何をしたにせよ、見事に効いてるってわけだ」


 ダチーが腕を引いた。


 その場にいた全員が凍りつく。


「死ね、ドワーフ」


 バキッ。


     *


(ダチー? 何してるの? あんたは人を傷つけたりしないでしょ。……ふふ。弟がいじめられるまでは、あのいじめっ子たちにだって指一本触れなかったくせに)


(アヤナ……?)


(本当にやるつもり? この人を殺して、この人と同じものになるの?)


(黙れ、アヤナ! この力は俺のものだ! 閉じ込められるのはもう終わりだ。俺を閉じ込めようとする奴は、全員殺す!)


(でも、それがお母さんの望むこと? お父さんは?)


(黙れって……言ってるだろ!)


 ダチーが頭を抱えた。


 片方の目が変化し始める。


 元の色へ戻っていく。


 ダチーは足をよろめかせ、その拍子に巌雄を取り落とした。


 王は即座に枝をダチーの首へ巻きつける。


「止まるな! 失敗すれば、腐り果てるまで檻へ閉じ込めてやるぞ!」


 正常に戻りかけた目が、再び暗く染まった。


 ダチーが跳び上がり、巌雄を踏み潰そうとする。


 だがドワーフのほうが速かった。


 巌雄が片腕を振り上げると、三本の樹が地面から噴き上がる。


 そのうちの一本が、ダチーの顔面を真正面から打ち据えた。


「少しばかり圧力が必要なようだな、ホルダー。拳を構えよ」


 三本の樹が崩れ、無数の太い棘へ変わった。


 棘がダチーの首と胸を目がけて飛びかかる。


 ダチーが両手を打ち合わせた。


 棘は一斉に地面へ叩き落とされ、その場へ縫い留められる。


 次に迫ったのは、巌雄の長柄刀だった。


 刃がダチーの首を狙う。


 少年は横へ転がって躱したが、片耳を切り落とされた。


 巌雄は手の中で長柄刀を返し、ダチーの胸へ深い斬撃を刻む。


 胸の肉が裂け、その下にある骨と心臓が露わになった。


 ダチーの体が激しく跳ね、互いに逆の方向へ不自然に捻じ曲がる。


「己を不死身と思い上がるな」


 巌雄が嘲る。


「余には、貴殿より遥かに多くの経験がある。……内なる良心が貴殿を引き留めるのはよい。だが余を超える脅威と戦うには、断固たる決断が必要なのだ!」


 ダチーの胸が半ばまで縫い合わさる。


 その直後、両膝をついた。


「情けない」


 巌雄が鼻を鳴らす。


「もっと期待していたぞ。……家族に会いたくはないのか? ならば、余が拭い去ってやろうか。母親がいるのだったな? 魚のように腹を裂き、その様を貴殿に見せてやる」


 ダチーの胸が、先ほどよりも速く塞がり始めた。


「すぐには殺さぬ。だが人間は脆い。体が壊れるより遥かに早く、心のほうが折れるだろうな」


 ダチーの片目に、暗い光が灯る。


 腕の一振りで、巌雄の上半身を覆う鎧が砕け散った。


 王が言い返そうと口を開く。


 だがダチーはその手から長柄刀を奪い取り、柄で顔面を殴りつけた。


 続けて刃を肩へ突き刺し、それを軸に巌雄の体を勢いよく振り回す。


 そして手を放した。


 岩と応輝には、ただ見つめることしかできない。


 ダチーが巌雄を殴りつける。


 何度も。


 何度も。


 やがてドワーフの鎧は完全に失われ、その体は血まみれになって壁へ寄りかかっていた。


「よい……」


 巌雄が漏らす。


「さあ、王としての座に就け、ホルダー


 ダチーが片手を突き出した。


 巌雄の体が壁へ激突し、全身の傷口が次々と裂け開いていく。


 岩は素早く応輝の小刀を奪い、ダチーの傍へ投げた。


 だが狙いが逸れ、小刀はダチーの足へ突き刺さった。


 ダチーが首を傾ける。


 漆黒の瞳が、真っ直ぐ二人を睨みつけた。


 岩が片手を上げる。


「ダ、ダチー? ごめんなさい。そんなつもりでは――!」


 瞬き一つで十分だった。


 気づいたときには、ダチーが二人の目の前にいた。


 格子を挟んだ、すぐ向こう側に立っている。


「なあ」


 応輝が口を開く。


「あんたは、あいつを散々ぶちのめした。俺たちをここから出せば、みんなで家へ帰れる。これ以上、誰も傷つかずに済むんだ」


 ダチーが二人の顔へ獣のような唸り声を浴びせた。


「……こりゃ駄目だ」


 二人が状況を理解する暇もなかった。


 格子はすでに砕け散っている。


 ダチーが応輝へ飛びかかり、その頭を片手で掴んだ。


 岩がダチーの腕へしがみつく。


「やめて! お願い! 私の話を聞いて!」


 ダチーは肩をぶつけ、岩を地面へ弾き飛ばした。


 倒れた岩の目が、ゆっくりと立ち上がる父の目と合う。


「娘よ」


「父上! あなたがこれを引き起こしたのです! なさったことを元に戻して、ダチーを解き放ってください!」


「まだわからぬのか、娘? 解き放つことなどできぬ! 貴様が目の前に見ているものこそ、最も真なる姿のホルダーだ! これから何を為すか選べるのは、あの者だけなのだ!」


「ならば、どうしてこんなことをしたのですか? 私たちは全員殺されます!」


「否! 余は全てを制御下に置いていた。それを貴様が台無しにしたのだ!」


 ダチーが首を巡らせ、巌雄をじっと観察した。


 次の瞬間、応輝を放り出し、王へ向かって突進する。


 時が止まったかのようだった。


 ダチーの拳が、巌雄の心臓へ迫る。


 その腕を、二本の金属製の触手が寸前で押し留めた。


「うわっ! これ、どういう状況? 兄さん?」


 全員が天井を見上げる。


 マラチーがそこからぶら下がっていた。


 一本の触手を縄のように天井へ引っかけ、残る触手をダチーへ食いつかせている。


「あの人の心臓を抉り出そうとしてたよね、兄さん!」


 マラチーが声を上げる。


「それ、完全にやりすぎじゃない?」


 ダチーの目がマラチーを追い、その少年が抜けてきた天井の小さな穴も捉えた。


 穴の向こうでは、氷と力の弾が飛び交っている。


 遠くからは、狼の遠吠えが響いていた。


「弟……」


 岩は父を掴み、応輝と一緒に広間の隅まで引きずっていった。


 ダチーから可能な限り離れた場所へ。


「あなた……あなたが、あの人の弟なんですね!」


 マラチーが数歩先の床へ着地する。


「僕のこと、知ってるんですか?」


 巌雄が血を吐くように咳き込んだ。


「当然であろう、愚か者め。我らはホルダーの私生活について、ほぼ全てを把握している。……我らを、何の備えもない阿呆とでも思っていたか?」


「思ってませんけど? まあいいや! とにかく何が起きてるのか教えてください! どうして兄さんの目があんなふうになってるんですか?」


 岩が父の頬を平手で打った。


「私の父上が大馬鹿だからです!」


「余に手を上げるな、娘! 余をホルダーへ差し出せ!」


「嫌です!」


 岩の縋るような瞳が、マラチーへ向けられる。


「お願い、マラチー! あの人を正気に戻してください! 本当に誰かを殺してしまう前に!」


 ダチーが片腕を空中で払った。


 広間の隅に集まった三人が、重圧によって床へ押し伏せられる。


「静かにしろ!」


 マラチーが兄の腕を強く引き、その力の制御を断ち切った。


「もういいって! 何してるんだよ、兄さん!」


 ダチーの歯から唾液が滴り始める。


 その視線がマラチーへ戻った。


「友達のところにいればよかったんだ」


 ダチーが腕を引く。


 マラチーの体が兄のもとへ引き寄せられ、そのまま壁へ蹴り込まれた。


 マラチーが床へ転がり落ちる。


 ダチーが襲いかかると、触手を使って安全な場所まで素早く身を引いた。


 マラチーは触手で体を壁へ固定し、ダチーの全身を注意深く観察する。


「よし。呼吸は普段より速い。目と口には明らかな変異。声は海の底みたいに低い。……これは何かの突然変異? ホルダーに関係してる?」


 顎を撫で、目を細める。


「たぶん。……よし、直すぞ!」


 ダチーが両拳を打ち合わせた。


 圧力の波がマラチーを壁へ押しつける。


 マラチーの触手の一本がプラズマ砲へ変形し、火を噴いた。


 光線がダチーの額を掠める。


「ごめん、今のは!」


 圧力が消えた。


 マラチーは四本の触手全てをダチーの体へ巻きつけ、そのまま空中へ持ち上げる。


「落ち着いて! 思い出してよ! 僕だよ! 兄さんをここから出すために来たんだ!」


 ダチーが返したのは、吐息と唸りの入り交じった音だけだった。


「まずい。怒りが急上昇してる! みんな、伏せて!」


 触手が弾けるように引き千切られ、広間の重力が低下した。


 全員の体が、泡のように浮かび上がる。


 マラチーは二本の触手を床へ突き刺し、己の体を支えた。


 ダチーは眉根を寄せたまま、その正面に浮いている。


 別の触手がダチーを引き寄せ、マラチーはその顔面へ拳を叩き込んだ。


「聞こえてる? 目を覚まして!」


 ダチーは、ほとんど身じろぎもしない。


 マラチーが拳を構える。


 ジャブ。


 全力の大振り。


 右フック。


 左アッパー。


 ダチーはその全てを、片腕だけで払い落とした。


 反撃しようと動いた瞬間、マラチーがプラズマ砲でその顔面を撃ち抜く。


 ダチーの顔の半分が吹き飛んだ。


「うわっ、出力過剰! またごめん!」


 ダチーがマラチーへ組みつき、二人は重い音を立てて床へ落下した。


 片手でマラチーを押さえつけたまま、ダチーが拳を何度も振り下ろす。


 マラチーの両腕が金属へ変わり、降り注ぐ打撃を防いだ。


 その片腕がダチーの首を掴み、勢いよく投げ飛ばす。


 広間の隅から、緑色の光が差した。


 兄弟が同時にそちらへ目を向ける。


 岩が広間の中央に立っていた。


 その周囲に蔓が芽吹き、円を形作っている。


「何をしている、娘!」


 巌雄が問い詰める。


「父上の過ちを正すのです! マラチー、あの人をその場へ留めておけますか?」


 マラチーが汗を流しながら立ち上がった。


「あ、はい、ドワーフさん!」


「……その、岩です」


 少女が訂正する。


「あ、そうでした」


 ダチーが地面から石の塊を引き剥がし、砕けた破片を二人へ投げつけた。


 マラチーがプラズマの一撃で全て蒸発させる。


 両腿に小型の推進器を形成し、勢いよく前方へ飛び出した。


 そのままダチーの側頭部へ拳を叩き込む。


 岩も続いて蔓を伸ばし、ダチーの体へ巻きつけた。


 柔らかな光が、その全身を包み込む。


「癒しの蔓よ、どうかダチーの魂を元に戻して! この人を連れ戻して!」


 巌雄が片手を伸ばした。


「やめよ! やめるのだ、岩! これは命令である!」


 応輝が巌雄を地面へ押さえつける。


「黙ってろ、あんたは」


 ダチーが自らの頭蓋を掴み、全員が耳を覆うほどの咆哮を上げた。


 片手を払って蔓を切断し、岩へ突進して、その体を掴み上げる。


 マラチーが触手でダチーの足を掬った。


 だがダチーは脚を振り抜き、マラチーを振り払う。


 岩の蔓が再び両腕へ絡みつき、ダチーの体を柔らかな光で照らした。


「聞いて、ダチー! 父上の望みを叶えさせないで! その力を握っているのはあなたです! 私でも、父上でも、ヴォルティアナでもない! あなたなのです!」


 マラチーが兄の背へ飛び乗る。


「頼むよ、兄さん! 僕のことを覚えてる? 母さんは? アヤナは? ここに囚われたままじゃ、二人には会えないんだよ!」


 ダチーは慣れきった動作のように裏拳を放ち、マラチーを払い落とした。


 続いて頭を勢いよく跳ね上げる。


 岩の体が、重力によって天井へ縫い留められた。


 巌雄の顔に笑みが戻る。


ホルダーを止められる者などいない。貴様らの足掻きは無駄だ。……余の命を奪わせよ。さすれば貴様ら全員、自らの足でここを去れる! 自由になれるのだ!」


 その言葉が、ダチーの動きを止めた。


 その体が激しく震え始める。


(自由?)


(そうだ……自由だ)


 ダチーが崩れ落ち、両腕で辛うじて体を支える。


(違う。こんなものは……自由じゃない!)


 重力が増した。


 さらに一段、跳ね上がる。


 空気が濃く重くなり、息をすることすらほとんど不可能になった。


 岩が自らの喉を掴む。


 巌雄も同じように喉を押さえた。


 マラチーの両腕だけは自由に動いた。


 兄へ指を向け、一本の触手を伸ばす。


 次の瞬間――


 ダチーは自らの頭を殴り飛ばした。


「兄さん!」


     *


 ダチーは目を覚まし、再生した頭へ手を当てた。


 自分の寝台へ視線を落とす。


 傍らの小卓には、果物を盛った鉢が置かれていた。


 窓から差し込む夏の日差しが、目を眩ませる。


 ダチーは紐を引き、カーテンを下ろした。


(どうやってここへ戻った? さっきまで、王や岩と一緒にあの広間にいたはずだろ?)


 扉が音を立てて開いた。


 一人のドワーフの女が部屋へ入ってくる。


 岩より背が高く、同じように美しい顔立ちをしていた。


「ごきげんよう、貴賓のお方! お越しいただけて、本当に嬉しいわ。珈琲はいかが? お茶は? 他に何かご入用のものはあるかしら?」


 ダチーが寝台から身を起こした。


「すみません。あなたは岩さんですか?」


 女はダチーを上から下まで眺め――涙を流すほど激しく笑い出した。


「あら。よく間違われるのよ。……私よ。覚えていないの?」


 女が指を鳴らす。


 その髪が、見る間に長く伸びていった。


「伊呂波女王よ」

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