第十五話「時を統べる者」
藤井将軍を追う装甲指揮車が、建物の一列を丸ごと踏み潰していく。
ルカが身を乗り出し、片手を握り締めた。
装甲指揮車がその動きに応じる。速度が倍に跳ね上がり、車輪から煙が立ち始めた。
マラチーが計器盤のボタンを幾つか押すと、車体の速度が落ち始める。
「今、何した?」
ルカが訊く。
「較正と安定装置のボタンを押した。姫が何をしたのかはわからないけど、これ、速すぎるよ!」
マラチーは自分の側にある表示を確認した。
「それに、ドワーフたちはもう振り切ってる。あの大柄でごつい奴もね」
ダチーは、光が灯里の体を支えているのを見つめていた。
姫は前屈みになり、何度も咳き込んでいる。
ダチーは口を開きかけたが、結局は首を振り、計器盤へ視線を戻した。
光が灯里の額から汗を拭う。
「ルカ、もう少し速く走れないの?」
光が命じる。
「どこかのお婆さんみたいな運転だわ!」
返事はない。
「ねえ! 聞こえてる?」
「よく聞こえてるよ」
計器盤の向こうを藤井の氷が飛び過ぎていく。将軍との距離は縮まっていた。
ダチーが溜息をつき、壁に背を預ける。
「で、将軍を拾ったら、あとはここからずらかるだけか? 戦争はもう終わり?」
「まあ……」
ルカが答える。
「少なくとも今はね。王妃が言ってたんだ。お前が最優先だって。だから俺たちは、お前を取り戻した」
「最優先……?」
マラチーが兄へ微笑みかけた。普段よりも、ずっと大きな笑顔だった。
「そう! あの人たちが兄さんを何に使いたがってても関係ない。兄さんが無事なら、僕たちの勝ちだ!」
「うえっ、人間同士の会話」
光が呻く。
「無視しろ」
灯里が命じた。
「この任務は間もなく終わる。将軍はあちらの通りだ。装甲指揮車を止めろ、ルカ」
ルカが従う。
藤井と鋼牙は、通りの中央にいた。
周囲にはドワーフたちが横たわっている。体を震わせ、肌は青ざめ、手足を失った者もいた。
鋼牙は大剣に寄りかかり、辛うじて立っていた。全身に開いた数十もの傷口から、絶え間なく血が流れている。
「あのデカいドワーフを倒したのか? 一人で?」
灯里が歯を食い縛り、ダチーの真正面へ立った。
「我らの将軍を侮るな。あの方が率いる部隊の戦績には、一つの汚点もない。あの方こそ、我らの力を体現する存在だ。……お前が何者であろうと、あの方には遠く及ばぬ」
「俺はただ質問しただけだろ……」
少女二人がダチーから離れていく。
ダチーも自分のいた隅へ引き下がった。
装甲指揮車は、藤井から数歩ほどの場所で停止した。
ルカが警笛のボタンを押す。
「将軍! ダチーを確保しました! いつでも出発できます!」
藤井は鋼牙の胸へ深い斬撃を浴びせ、その体を後方へ滑らせた。そして勢いよく振り返る。
「よくやった、諸君! ここは俺が片づける。全部隊を撤収させる準備を――」
装甲指揮車が後方へ滑った。
二本の太い枝。
灰のように黒いそれが車体へ絡みつき、藤井から引き離していく。
藤井が見つめる中、鋼牙が笑い始めた。
「はっ。これで貴様らも終わりだ。……言わなかったか? 器の力は、初めから我らドワーフのために存在したのだ! 好きなだけ我らを殺せ! 何の意味もない!」
藤井が空を斬り、装甲指揮車に絡みついた枝を切り落とす。
「俺がここにいる限り、そうはならん」
「愚か者め! 何故、我らが貴様らをここへ誘い込んだと思う? ヴォルティアナが大切なS-1を失い、我らが器を手中に収めれば、貴様らの国を拭い去るなど児戯に等しい!」
藤井が装甲指揮車へ向かって駆け出した。
*
車内では、全員が壁に掴まり、激しく揺れる車体の中で体を支えていた。
「また攻撃されているのか!」
灯里が問いただす。
「今、確かめる!」
ルカが叫ぶ。
航法画面に黒い点が映っていた。
それは見る間に大きくなり――装甲指揮車へ激突した。
車輪が空転し、車体が大きく横滑りする。
側面の扉が強引に捻じ開けられた。
一本の枝がダチーの首を掴み、そのまま車外へ引きずり出す。
灯里、ルカ、マラチーが座席から立ち上がり、一斉に襲撃者へ飛びかかった。
「兄さん! 掴まって!」
マラチーが叫ぶ。
だが三人が届くより先に、枝はダチーを運び去っていた。
藤井が建物の壁を駆け上がり、その勢いのまま宙へ跳ぶ。
しかし刃は枝を捉え損ね、ダチーは城の方角へ引かれていった。
ヴォルティアナ族の兵士たちが枝へ銃撃を浴びせる。
だが、まるで効かない。
藤井は装甲指揮車の傍らへ着地すると、間を置かず車内へ飛び込んだ。
装甲指揮車が唸りを上げて息を吹き返し、ダチーを追って走り出す。
鋼牙は、何人もの同胞の亡骸の傍らに座り込んだまま笑っていた。
「そうだ……」
鋼牙が告げる。
「王が御自ら動かれたぞ」
その数秒後、城の基部から轟音が噴き上がった。
ドォンッ!
*
ダチーは天井を突き破って落下し、石造りの台へ両足から着地した。
足元へ目を落とす。
台の表面は、無数の彫刻で埋め尽くされていた。
最初の彫刻には、玉座に座る背の低いドワーフの王が刻まれている。その前には、王より背の高い人型の姿が跪いていた。
王の両手には、円い時計のような物が握られている。
次の彫刻では、その物が空へ昇り、人型の姿がさらに大きく成長していた。
そして最後の彫刻。
王が床に倒れ、その代わりに人型の姿が冠を戴いていた。
ダチーは一つずつ目で追ったが、見入っている時間はなかった。
四本の枝が天井を引き裂く。
開いた穴から、漆黒の木の鎧をまとい、兜で顔を覆った人影が降りてきた。
王。
「巌雄王?」
ダチーが呼びかける。
巌雄は優雅に、広間の反対側へ着地した。
「時が来たようだ」
「時? 何のだよ」
「貴殿が抵抗することは予期していた。……だがヴォルティアナは、余が以前見たときよりも、さらに強くなっているようだ。あの技術も、戦闘能力も……大いに発展している」
「なあ、なんなんだよ、これ。どうして俺はここにいる?」
巌雄が両腕を広げ、二人の足元を示した。
「明らかではないか。貴殿が新たな王となるのだ。……余の命を奪えば、貴殿は玉座の責務に縛られる。我が娘の行く末も、貴殿の手に委ねられる」
「正気か? 俺は誰も殺さない!」
巌雄の轟く笑い声が、ダチーの体を震わせた。
王の背後で枝が絡み合い、巨大な樹を形成する。
その巨体が、広間の光をことごとく遮った。
「今の『貴殿』は殺さぬかもしれぬ。だが、真の貴殿は殺す。……その脆弱な道徳を捨てよ。王となれば、家族を訪ねることもできる。守ることもできる。その力を用い、ヴォルティアナの残虐から解き放たれた世界を築くのだ!」
「だから、もう言っただろ! そんなのは上手くいかない! 人が死ぬんだぞ。それで問題が永久に解決しなかったら、どうする?」
「あの者たちが貴殿に告げたとおりだ。力とは、すなわち偏見だ。誰も貴殿を打ち破れぬのなら、誰も襲おうとはせぬ。……あの者どものやり方を見習えばよい」
「つまり、暴君になれってことか。完璧だな。今度はヴォルティアナの代わりに、俺とドワーフが全員から憎まれるわけだ」
「必要な取引だ」
「もう一度言う。断る」
「断る? まことか?」
巌雄が指を鳴らした。
天井から檻が落ちてくる。
その中には、応輝と岩が囚われていた。
ダチーの目が見開かれる。
「なんだよ、それ! 自分の娘まで? それに無実の人間まで巻き込むのか?」
「何故、いつも俺なんだ……」
応輝が呻いた。
岩が檻の格子を掴む。
「ダチー!」
切迫した声を上げた。
「父上が何をしようとしていても、加わらないで! あなたまで壊れてしまう!」
「黙れ、娘」
巌雄が低く吐き捨て、再びダチーへ意識を戻した。
「器。捕縛では貴殿を折れぬことが証明された。戦闘もまた、その決意を砕きはせぬ」
「で、今度は何だ? また脅すのか?」
「まったく違う。この二人は、新たな王の誕生を見届けるためにいる。……貴殿が余を打ち倒せば、この者たちの行く末は貴殿が選ぶこととなる」
ダチーが大股で前へ踏み出した。
「もう話は十分だ。俺は降りる。全員を解放しろ。これ以上、無理やり話を押し通すな!」
王が取り出したのは――
――一つの時計。
「チク、タク……。後援者たちよ、この贈り物に感謝する」
時計から緑色の力が迸り、ダチーの胸を打った。
ダチーの体が床の上で激しく痙攣する。
岩と応輝は、檻の中からその姿を見つめていた。
岩が口元を覆う。
「父上、やめて!」
巌雄は一言も発しなかった。
ただ、ダチーが頭を押さえながら、ゆっくりと身を起こす様子を見ている。
「混乱しているか? これは、時を統べる者からの贈り物だ。……この力に、貴殿の記憶と精神を穿たせよ。そして、内に潜むものを引きずり出させるのだ」
時計がもう一度、時を刻む。
二度目の一撃がダチーを床の上で滑らせ――
すべてが暗闇に沈んだ。
*
「え? これ、何?」
「ついてこい、ダチー。お前に渡す大切なものがある」
「大切なもの? 何だよ」
「人と呼べるかどうかも怪しい連中が、俺の死を望んでいる。この力を無駄にはできない。……受け取れ。使いこなせ。時が来るまで持っていろ。お前と弟の二人でだ」
「え? 何かのごっこ遊びでもしてるの、父さん?」
「……父さん?」
「父さん、それは一体なんだ――?」
静寂。
力の迸り。
金属の鳴る音。
「今、俺はお前に何を見せた。答えろ、息子よ」
「ん? なんで俺たち、書斎にいるんだ?」
「……」
再び、沈黙が流れる。
「来い。台所へ戻ろう。母さんの夕食に遅れたら、ひどく怒られる」
さらなる記憶が閃いた。
手を振る別れ。
船での旅路。
何マイルも、何マイルも続く水。
木々と砂に満ちた、遥か彼方の岸辺。
上陸。
驚異的な技術都市の巨大な門。
広大な闘技場。
目が眩むほど輝く、白い肌の少女。
そして――
あとは、怒りだけ。
「さあ、答えよ。何が欲しい、器? 貴殿が真に望むものは何だ? 鎖はもうない! ここなら、ヴォルティアナも貴殿を見つけられぬ。貴殿が真に欲するものは何だ? 貴殿の敵は誰だ?」
(俺が欲しいもの……?)
(俺が……欲しい?)
(俺は……)
(……このドワーフを殺したい!)
ドォンッ!
広間が凄まじい力で揺れた。
岩と応輝を閉じ込めた檻が地面へ落下し、部屋の隅近くまで転がっていく。
圧力はあまりにも強く、二人の体を床へ押しつけ、身動きすら封じていた。
「何が起きてる?」
応輝が訊く。
岩はダチーを見つめていた。
その瞳は、今や漆黒に染まっている。
歯までもが黒い。
髪は逆立ち、頬から頬まで裂けるような笑みが浮かんでいた。
「そんな……! 駄目、駄目、駄目!」
応輝がどうにか頭を持ち上げようとする。
「あの力……! ただ物を殴っているんじゃない。この部屋の重力そのものが変わってる! ……そうか、それが正体か!」
巌雄が口の端を吊り上げた。
「重力か。……興味深い土台だ」
次の瞬間、ダチーは巌雄の立っていた地面を殴りつけた。
だが王のほうが速い。
一本の枝で己の体を引き、攻撃範囲から逃れていた。
ダチーの声が、低い唸りとなって漏れる。
巌雄の姿を見てすらいない。
「吠えかかる樹を間違えたな、ちっぽけなドワーフ」
「そうか? 余が大人しく殺されると思ったか? 血が欲しいのなら、奪い取るがよい!」
ダチーが空を殴った。
その拳が生んだ重力が、巌雄を広間の壁へ叩き込む。
巌雄が拳を握り締めた。
先ほど形成した樹がさらに巨大に成長し、無数の枝が蛇のようにダチーへ襲いかかる。
「曲がれ」
ダチーが片腕を払った。
巨大な樹が、小枝のように折れ砕けた。
巌雄の手の中に、双刃の長柄刀が形作られる。
王の笑みは、ダチーのものよりさらに大きかった。
「そうだ! そうだとも! ついに、雌雄を決する戦いだ!」
岩が檻の格子を引いた。
「やめて、父上! こんなことは許しません!」
格子の隙間から指を突き出す。
だが生み出せたのは、ほんの小さな蔓一本だけだった。
応輝が小刀を取り出し、格子を切断しようと刃を動かす。
「くそっ。全然切れない!」
「それ、どこで手に入れたんですか?」
「あんたらの民は、器でない者にはあまり注意を払わないからな」
「私たちを出せますか?」
「やってみる!」
ダチーが二人の背後にある壁へ吹き飛ばされた。
だが床へ落ちるより先に体勢を立て直し、その壁を蹴って跳び返す。
巌雄が長柄刀を回転させ、その平らな部分でダチーの腹を打ち据えた。
ダチーは武器へ体を巻きつけるようにして、巌雄の顔を蹴り抜く。
鎧の一片が弾け飛ぶほどの一撃だった。
「よい! だが、まだ足りぬ!」
巌雄は裏拳でダチーを弾き飛ばし、距離を取る。
「死にたいのか」
ダチーが唸った。
「嫌なら諦めろ!」
巌雄は笑い声で応じた。
広間の壁を割るほど巨大な樹を形成する。
王が指を弾く。
巨木がダチーの頭上へ倒れ込んだ。
ダチーは両腕でそれを受け止め、持ち上げる。
顔には汗が流れ、全身の血管が浮き上がっていた。
横合いから枝が飛来し、その胸へ深い裂傷を刻む。
巌雄の嘲る声が耳に響いた。
「おや、これが公平な戦いだとでも思っていたか? ……それは失礼した」
ダチーが巨木を押し上げ、地面を踏み鳴らした。
樹の落下方向が反転し、今度は巌雄へ迫る。
王は枝の繭を形成し、その中へ身を隠した。
繭の隙間から、巌雄は器が片膝をつく姿を見つめていた。
灰色の光がダチーの全身を包み込んでいる。
次の瞬間、ダチーが弾けるように飛び出した。
弾丸さながらに、広間の壁から壁へ跳ね回る。
だが巌雄は動かなかった。
「情けない。余が求めたのは王だ! 貴殿には失望したぞ!」
ダチーの拳が、巌雄の頭部の左側へ迫る。
巌雄は肘を突き出して迎え撃った。
衝突で生じた衝撃波が、岩と応輝の檻をさらに後方へ吹き飛ばす。
同時に、巌雄の鎧がさらに削り取られた。
ダチーは反対の拳を振るい、巌雄の脇腹を打ち砕く。
王の体が、ほんのわずかによろめいた。
「上出来だ」
無数の枝が二人の間へ伸び、分厚い壁を形作る。
ダチーは即座に拳を叩き込み、それを粉々に破壊した。
巌雄は足元に樹を生み出し、その成長する幹に乗って空中へ運ばれていく。
伸び続ける枝が、周囲の壁のあらゆる方角へ繋がった。
「儀式を完遂するには、血が流れねばならぬ。流せ、ダチー・ジョーンズ。余の血を流せ」




