第5話 偽りの黄昏
グランカレ村の中心に、周囲の自然とは不釣り合いな威容を誇って聳え立つ石造りの「迎賓館」。 かつては村の長が質素な茶会を開き、村人たちが一年の収穫を祝って歌い踊るための、木の温もりに満ちた平穏な場所であった。
しかし、領主ガストンと魔法管理局の手によって、その姿は一変していた。外壁は冷徹な魔導強化石で補強され、室内には異様に明るい人工の魔導照明が、昼夜を問わず降り注いでいる。
「気持ち悪いね…。建物全体を、感覚を鈍らせるための『幻惑の香』で満たしている。招待客を心地よいまどろみに落とし込み、思考を奪う。品性のかけらもないやり方だ」
館の外壁、警備の死角となる影で、エターナが吐き捨てた。
今、その閉ざされた重厚な空間では、領主ガストンと管理局が主催する『夜明けの新作披露式典』が、厳重な警備のもとで執り行われていた。各地から厳選された、わずか百名の有力者や大富豪たち。
彼らは一様に、高価な魔導シルクの正装に身を包み、優雅な音楽と幻惑を誘う香の煙に巻かれながら、これから提供されるという「伝説の新作」を待ちわびていた。自分たちが『支配の罠』に足を踏み入れていることなど露ほども疑わず。
だが、そんな熱狂の渦中で、一人だけ不愉快そうに眉根を寄せている男がいた。
北方の鉱山都市を治める実力者、アルンソン男爵である。彼は無類の茶好きとして知られ、本物の『テ・セレスト』の上顧客でもあった。
(……おかしい。テ・セレストの名を冠した新作発表会だというのに、本部の役員が一人も出席していない。ヴァレリウス公爵の代理はおろか、公認のマスターさえ一人も見当たらない。管理局の役人がこれほど幅を利かせているのも、ブランドの道理に反する)
アルンソンは、近くを通りかかった給仕に鋭い視線を向けた。
(あの管理官の少女…動きに一切の無駄がないが、なぜあんなに絶望に満ちた瞳をしているのだ。ガストン、貴様、一体何を企んでいる……)
その少女、ベルは、自身も給仕のトレイを持ちながら、不慣れなスタッフたちに、止まることなく的確な指示を飛ばし続けていた。
管理局のブラックな環境で、あらゆる実務を押し付けられてきた彼女にとって、百名の動静を整理することなど、日常の延長に過ぎなかった。
しかし、その指示を飛ばすベルの指先は、微かに震えていた。
(……何をしているの、私。私は、あのお二人にお茶を淹れていただいた。あの清らかな、森の雨上がりのような香りを、もう知っているのに)
ステージの上では、領主ガストンが完璧な紳士の笑みを浮かべ、クリスタル・デキャンタを掲げた。
「皆様。長らくお待たせいたしました。我らが管理局の英知は、この地に眠る奇跡の茶葉を、さらなる高みへと昇華させました。これこそが、皆様の魔力を真に覚醒させ、世界を統べる王としての資質を開花させる『黄昏』でございます!」
黄金色の液体が、クリスタル・カップへと注がれていく。だが、その液体から漂うのは、エターナたちが味わった『夜明け』の清冽な森の香りではない。それは、母樹の寿命を無理やり前借りし、管理局が開発した精神を弛緩させる魔薬を限界まで濃縮した、魂を縛り付けるための、ドロリとした黄金の毒であった。
招待客たちが、うっとりとした表情でそのカップに手を伸ばそうとする。
「おお……この輝き、まさに黄金。これを飲めば、私は……」
ある大富豪が、恍惚としてカップを唇に寄せた。その瞬間、ベルの中で、長年蓄積されていた「従順」という名の鎖が、音を立てて弾け飛んだ。
彼女は、手に持っていた最高級の銀トレイを、思い切り床に放り出した。
ガシャーン!!
鋭い金属音が、館内の偽りの優雅さを切り裂く。
彼女は、驚愕に染まる招待客たちの間を、風のように駆け抜けた。その表情には、自分でも信じられないほどの激情と、それ以上に深い戸惑いが混ざり合っていた。彼女はステージのど真ん中、ガストンの目の前へと飛び出し、震える声を振り絞った。
「皆様、どうか手を止め、お聞きください…! そのお茶は、『テ・セレスト』のものではありません! 管理局が皆様を操り人形にするために用意した、恐ろしい毒なんです!」
式典の熱狂が、一瞬で凍りついた。ベルは、怪訝な顔をする有力者たちを見渡し、さらに言葉を重ねた。
「よく見てください! 今日、この会場に『テ・セレスト』本部の人間が一人でもいますか? 本職のマスターが、一人でもこのお茶を認めに立ち会っていますか? ……いないはずです! なぜなら、これはあの格式高い組織の名を騙った詐欺行為だからです!」
アルンソン男爵が、ハッとしてカップをテーブルに戻した。周囲の有力者たちにも、さざ波のように動揺が広がっていく。
「この、薄汚いネズミがぁっ!」
ガストンの笑顔が、冷酷な剥製のように凍りついた。彼は背後の護衛に短く合図を送る。
「管理局の栄光に泥を塗り、あまつさえ賓客を惑わすとは、万死に値する。兵士たち、この娘を今すぐ処分しろ!」
ガストンの命令と共に、ベルの頭上に、空間そのものを切り裂くような死の魔法が振りかざされた。
(やっと言えた…私にできることはやったよね…)
ベルは反射的に目を閉じ、そして、自らの運命を受け入れた——。




