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黎明魔界のティータイム〜最強の僕は、のんびりお茶を飲んでいたい〜  作者: 七割カカオ
第九章 水の都の魔王

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第35話 仮面の下の真実

水の都『アクア・ポリス』を震わせた未曾有の轟音が、ゆっくりと、しかし確実に静寂の中へと溶けていく。


サタンが放った渾身の奥義『孤月無双』。そして、それを受け止め、相殺するためにエルムが発した調整された剣気が真っ向から衝突した結果、都を重苦しく覆っていた濃密な霧と蒸気は、一瞬にして四方へと吹き飛ばされた。 雲一つない蒼天から降り注ぐ陽光が、宙に舞う無数の水滴に反射する。それは運河の水面を鏡として幾重にも重なり合い、水の都のいたるところに虹の架け橋を描き出していた。


「……はぁ、……はぁ、……っ」


魔王サタンは、愛剣の柄を杖代わりに石畳へ突き、辛うじてその場に踏みとどまっていた。全身の魔力を使い果たし、指先一つ動かすのにも激痛が走る。その視線の先。爆心地に立つエルムは、背後の漆黒の翼を静かに光の粒子へと変えて霧散させ、鮮烈だった紅い瞳を、いつもの穏やかで澄んだ黒へと戻していた。激突の熱波に晒されたはずの彼の着衣は、袖がわずかに焦げている程度で、その立ち姿には一点の揺らぎもない。


「魔王サタン閣下……これで、少しは落ち着いて話ができますか?」


エルムの、どこまでも凪いだ湖のような声が響いた。だが、サタンはそれに応えることができない。その視線は、先ほどの激突の衝撃波に煽られ、バルコニーから無残に石畳へと突き落とされた「マルコシアス」の残骸へと釘付けになっていた。


叩きつけられたその体からは、血の一滴も流れていなかった。無惨にひしゃげた頭部の内側からは、鈍い銀色の輝きを放つ金属製の歯車や魔導回路が露出し、その隙間からは油のようにドロリとした、どす黒い魔力液が漏れ出している。


「……人形? そんな、馬鹿なことが。マルコシアスが……」


サタンの声が、子供のように震えた。  これまで自分が抱いてきた正義感も、信頼する臣下の命を奪われたという激しい怒りも、その前提となる「事実」が、目の前でガラクタとなって崩壊していく。


「そうよ。それは精巧に作られた『負の感情を増幅させる人形ゴーレム』。あんたの純粋な正義感を利用して、エルちゃんを世界の敵に仕立て上げ、二人を殺し合いに追い込むための、最悪に悪趣味な罠よ」


上空から、凛とした威厳に満ちた声が降りてきた。第七魔王アスモデウスーーミレイユが、紫色の魔導陣を足場に、空を歩くようにして優雅に降臨する。だが、その右手に乱暴に掴まれている「荷物」が、場の緊迫した空気を一気におかしなものへと変えた。


「……ミ、ミレイユ様! せめて着地の許可を……ああっ、お茶が、せっかくの限定茶葉がこぼれまする……!」


ミレイユに襟首を掴まれ、宙ぶらりんの状態でぶら下げられていたのは、見間違えようのない本物のマルコシアスだった。しかも彼は、大切そうに一杯のティーカップを握りしめている。


「あら、マルコちゃん。そのお茶、まだ持ってらしたの? 器用なことね」


ミレイユがパッと手を放すと、マルコシアスは空中で見事に体制を立て直し、着地と同時に素早く姿勢を正した。そしてサタンの前で深々と膝を突く。


「サタン様……ご心配をおかけしました。私は北方のスノー・グレイスにて、エルム殿に教わった淹れ方を復習しつつ、テ・セレストから届いたばかりの限定茶葉を嗜んでいただけであります……。不肖マルコシアス、ご覧の通り、怪我一つなく健勝にございますぞ!」


サタンは、石畳に転がる動かぬガラクタの人形と、目の前の本物の重臣を交互に見つめ、数秒間、完全に思考がフリーズした。


† † † † †


「……つまり。私は、誰かもわからぬ者の浅薄な策に溺れ、マルコシアスを殺されたと思い込み……あろうことか、この地を救ってくれたエルム殿に対し、独りよがりな正義で刃を向けたと。……そういうことか」


サタンの肩が、がくりと力なく落ちる。魔王としての威厳は姿を隠し、その背中には隠しきれない自己嫌悪と羞恥が重く漂っていた。都を沈めかねない攻撃を放っておいて、すべては「勘違い」だったのだ。


「サタン閣下。これを見れば、きっと僕を信じていただけます」


エルムが懐から、壊れないよう大切に包まれていた「それ」をそっと取り出した。 雪のように白く、月の光を透かすほどに薄く、玲瓏な輝きを放つ一対の茶器。

それを見た瞬間、サタンの体が目に見えて激しく震えた。


「……それは? 師の……ゼノ様の魔力を感じる……。ゼノ様の作品……? なぜ、貴殿がそれを持っている」


「霧の谷で、ゼノさんに頼まれたんです。『もしあの子に会ったら、これで一緒にお茶を飲んであげてくれ。ワシの代わりに、な』って。……あの子、というのは、サタンさんのことですよね?」


エルムが、これまでの旅路で感じていた、確信にも近い予想を投げかける。その言葉は、サタンの胸の奥に、長い間蓋をしていた罪悪感を鋭く(えぐ)り出した。


(……ゼノ様。貴方は、私を許してくださっていたのですか? それとも、こんな私を憐れんで……)


サタンは、自身の宝剣をゆっくりと鞘に納めた。そして、震える手を、自分の顔を覆い続けてきた冷徹な仮面へと伸ばす。


「……ゼノ様の話を、そしてあの方の想いを受け取るのに、この偽りの顔のままでは、あまりにも不義理。私は、……貴殿に、本当のことを話さねばなりません」


サタンの声が、魔王としての響きを失い、一人の、心細さを隠しきれない少女のものへと変わっていく。


「私は、勇猛な魔王などではない。……師匠の言いつけも守れず、勝手に飛び出した不肖(ふしょう)の弟子……ただのサフィアという名のエルフに過ぎません」


パキ、という、氷が割れるような小さな音が静寂に響いた。第三魔王サタンとしてこの地を統治するようになってから、一度として外されることのなかった水の都の最高禁忌が、石畳の上に力なく転がり落ちる。


そこから現れたのは、淡いピンク色を帯びた赤髪をなびかせた、吸い込まれるほどに美しいエルフの少女だった。


「――っ!? う、嘘だろ……」


背後で見守っていたバスティアンが、言葉を失ってのけぞった。恐るべき破壊の権化、冷徹無比な水の魔王の正体は、誰の目にも可憐で、どこか儚げな美しさを(たた)えた、赤髪のエルフの少女……サフィアだった。


だが、驚愕の時間はそこで終わらなかった。仮面を外した瞬間、サフィアの肌が、髪の色と同じくらい鮮やかな朱色に染まっていく。


「あ……う、……あ、あのっ」


彼女は、魔王の時とは正反対の、怯えた小動物のような動きを見せ始めた。仮面という「外界とのフィルター」を失った彼女にとって、他人の視線に晒されるという現状は、死にも勝る苦行だったのだ。サフィアは、視線を激しく左右に泳がせ、指先をもじもじと絡ませ、ついには耐えきれなくなったのか、目の前に立つエルムの背後に隠れるようにして、その場で小さくうずくまってしまった。


彼女は極度のあがり症とコミュ障を患っていた……。


「おい、ちょっと待て。あの魔王閣下、急にどうしちまったんだ?」


バスティアンが、あまりの変貌ぶりに戦慄しながら呟く。


「なるほど……。あの仮面は、彼女にとっての防壁(シェルター)だったわけだ。外界との接触を遮断しないと正気でいられないタイプかな。ちょっと気持ちはわかる……。」


約1000年、図書館に引き篭もっていたエターナが、どこか親近感を感じたのか、サフィアの状況を冷静に分析してみせる。


「サフィアさん、とお呼びしていいのかな。ちょうど良い機会ですから、お茶を入れましょう。この器があれば、きっとお互いの心が伝わりますから」


エルムは慈しむような微笑みを浮かべながら、白磁の器に、黄金色に透き通った茶を注いだ。すると、器が淡い銀色の光を放ち始めた。その輝きと共に、サフィアの心、そして場にいた者たちの意識に、穏やかで深みのある懐かしい声が優しく響き渡った。


『サフィア……お前は昔から不器用なやつだったが、お前が淹れる茶はいつも澄んでいた。……ワシの頑固さを許してくれ。また、お前と茶を飲みたかった。これを飲んで、仲直りとしようじゃないか』


それは、偏屈で誇り高き師、ゼノがこの器に吹き込んだ、愛弟子への精一杯の謝罪と愛情の言葉だった。器を通じて、師の温かな指の感触さえも伝わってくる。サフィアの大きな瞳から、心の奥底に閉じ込めていた想いが溢れ出した。真珠のような涙がいくつも零れ落ち、石畳を濡らしていく。


† † † † †


それから数十分後。激闘で半壊した城門前の広場には、殺伐とした空気など最初からなかったかのように、芳醇で穏やかなお茶の香りが漂っていた。


「マジかよ。俺たちは、さっきまであの美少女と全力で殺し合おうとしてたのか……。」


バスティアンは、頭を抱えながらも、その手はプロの職人として正確に動いていた。エルムが持ってきた『水鏡の琥珀糖』をメインに据え、即興で果実を飴細工で包み、宝石のように美しいスイーツの盛り合わせを完成させていく。


エルムが丁寧に淹れた、霧の谷の茶。そして、真っ赤な顔で俯いたまま、震える手で琥珀糖を口に運び、あまりの美味しさと懐かしさに小さく肩を震わせるサフィア。


激闘の直後に行われた、世界一気まずく、そして世界一温かいお茶会。美しき水の都にかかった虹の下で、心音の白磁の効果により、あがり症とコミュ障を一時的に克服したサフィアの口から、今まで語られることのなかった言葉が紡がれていく。


その片隅でマルコシアスは、今度こそ誰にも邪魔されることなくお茶を一口啜り、深く、深く安堵の溜息を吐くのだった。

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