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黎明魔界のティータイム〜最強の僕は、のんびりお茶を飲んでいたい〜  作者: 七割カカオ
第九章 水の都の魔王

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第33話 届かぬ願い

水の都アクア・ポリス。白石造りの建物が陽光を反射し、無数の運河が銀の糸のように街を縫うその光景は、大陸で最も美しい「調和の象徴」と謳われている。


だが、その平穏の中心部、魔王の執務室『水鏡の間』に流れる空気は、平穏とは程遠いほど重く、冷え切っていた。


「……伝説の第一賢者、エターナ・ルミナス。琥珀の森の引き篭もりが、千年の時を経てついに動いたか」


玉座に深く腰掛けた魔王サタンは、目の前に浮かぶ魔導ホログラムの情報を、一文字も漏らさぬよう凝視していた。 報告書の山。それは、ここ数ヶ月で大陸を騒がせている謎のSランクパーティー『BEE』の足跡を、魔王軍の情報網が総力を挙げて整理したものだった。


「管理局の極秘資料を握る外交管理官ベルをテ・セレストに所属させた上で陣営に引き込み、さらにはあのヴァレリウスが心酔しているという……。独立組織『テ・セレスト』の経済力と情報網までが、この男……エルムの傘下に入ったか」


サタンは、指先で肘掛けを規則正しく叩く。その音は、まるで処刑のカウントダウンのように部屋に響いた。


サタンの分析は、客観的かつ冷静だった。これまでの旅路で、エルムたちが成し遂げた「功績」の数々。ラピス・ポートの浄化、スノー・グレイスの和平、テルマーレの象徴的精霊の救済。サタンは、届いた報告書の中にある「彼はお茶を通じて人々の心を解きほぐし、暴力ではなく対話で解決を導く人格者である」という記述を、何度も読み返していた。


そして、密かにエルムに期待していた。祈りに近い、切なる願いである。 自分たちがどれほど魔法や権力で街を管理しようとも、人々の心の底にある澱みまでは消せない。だが、このエルムという青年は、平和的な方法で次々と成し遂げているという。


サタンは、彼らが、ある画集を持ち歩き、各地でその景色を再現して回っているという噂を聞くたび、胸の奥に懐かしい痛みを感じていた。


(もし彼が、本当に世界に光をもたらす救世主であるならば……私は喜んで、この玉座を譲ってもいいのだか)


だが、その期待が膨らめば膨らむほど、王としての理性が警鐘を鳴らす。 サタンは、今の自分たちが立っている「平和」という名の氷がいかに薄いかを知っている。そして、それを踏み抜くための「質量」を、エルム一行が既に備えてしまっていることも。


メルシナの守護龍、古龍グラキエス・レックスを『契約』という形で従え、ブリザード・ドラゴンのシロハを眷属いう形で従えた。

さらにヴァレリウスが、テ・セレストの次代を担う人材として育てていた天才、バスティアンまでもが膝を突いた。それだけではない。管理局の特級魔導師を指先一つで無力化する第一賢者が、常に彼の隣にいるのだ。


サタンは、思わず自身の額に手を当てた。 指先が触れた肌は、いつの間にか冷たい汗に濡れていた。


(これは、一つの組織が持っていい力ではない。もし、万が一にでも、このエルムという男が『悪意』を持ったなら? あるいは、気まぐれにその力を振るったなら?)


脳内でシミュレーションが加速する。 エターナの知略で都の結界を無力化され、古龍のブレスで運河が蒸発し、テ・セレストの財力で物流を止められる。そして、その中心で微笑むエルムが、何よりも「底が知れない」。


「……防げない。アクア・ポリス全軍、いや、魔王軍が総力を挙げたとしても、この一行を止める術がない」


自身の背筋を、かつてないほどの戦慄が走り抜けた。魔王として君臨して数百年。これほどまでの「リスク」を前にして、冷や汗を流したのは初めてだった。


(会って話したい……その期待は今も私の中にある。だが、それ以上に……怖いのだ。この男が、私の、私たちの世界を終わらせる『終焉の鍵』に見えて仕方がない)


サタンがその重圧に耐えかね、震える手で愛剣の柄を握りしめた、その時だった。重厚な大扉が、防護結界を強引に引き裂くような衝撃音と共に吹き飛んだ。


「……サ、サタン……様……逃げ……て……」


「マルコシアス!?」


サタンは玉座から跳ねるように立ち上がった。 そこにいたのは、自分の右腕としてスノー・グレイスの統治を任せていた忠臣、マルコシアスの無惨な姿だった。


かつてどんな強敵を前にしても揺らがなかった魔導装甲は粉々に打ち砕かれ、その隙間からは黒い瘴気が絶え間なく溢れ出している。何より、彼の誇り高き瞳は焦点が合わず、不気味な呪詛の紋章が脈打つように浮き出ていた。


「マルコシアス! 一体誰に……何があったのだ!」


「……奴ら、です。……エルム一行は、救世主などではない。奴らは……犯罪組織『牙』を裏で操り、各地で事件を自作自演していました。……人々を絶望の淵に突き落とし、最後に現れて『救う』ことで、盲目的な崇拝の対象となっているのです……」


マルコシアスは血を吐き出しながら、震える手で一つの魔導記憶石を床に転がした。


「すべては奴が仕組んだ策略……。……これを見て……ください。これが、あの男の……本当の……」

マルコシアスがその場に力尽き、倒れ伏す。同時に、記憶石からホログラムが投影された。


そこには、激しい戦火に包まれるスノー・グレイスの惨状が映し出されていた。 管理局の兵士たちがリザードマンの群れに無残に屠られ、その背後で、冷酷に微笑みながら刀に手をかけるエルムの姿があった。 映像の中のエルムは、いつもの穏やかな雰囲気とは似ても似つかない、禍々しい紅い瞳を輝かせている。


「…………っ!!」


サタンの周囲が一気に凍り付き、『水鏡の間』を流れていた運河の支流が、主の激昂に呼応して巨大な氷の龍へと変貌し、咆哮を上げながら逆巻く。


(信じようとした自分が馬鹿だったのか……)


かつて恩師ゼノと喧嘩別れをし、独りでこの地を守り抜いてきたサタンにとって、「信じたものに裏切られる」ことは、何よりも深くその魂を(えぐ)る。 先ほどまで感じていた「勝機が薄い」という恐れは、今、マルコシアスの惨状と映像の衝撃によって、苛烈なまでの殺意へと完全に上書きされた。


「……よくも……私の大切なものたちを……略奪者エルム……」


サタンの魔力が爆発し、アクア・ポリス全土に激しい地震のような振動が走った。都を流れる運河の水が一斉に逆流し、空は見る間に不気味な黒雲に覆われ、激しい雷鳴が轟き始める。


† † † † †


その時、宮殿の正門前。 何も知らないエルムは、街の菓子屋で買ったばかりの『アクア・ポリス名物・水鏡の琥珀糖』の包みを大切そうに抱えていた。


「あ、雨が降ってきたね。ベル、このお菓子、湿気に弱いって言ってたから急がないと」


「ふふ、エルムさん。そんなに焦らなくても大丈夫ですよ。サタン様が喜んでくれるといいですね」


ベルが優しく微笑み、エターナは「サタンか……この街の設計思想について色々聞いてみたいな。」と、杖の先で地面を叩きながら歩を進める。


一行が城門を潜った瞬間。 彼らを迎えたのは、歓迎の言葉ではなく、都中の水を龍の顎に変えた、魔王サタンの全力の先制攻撃だった。


「——死を以て、その罪を償え! 略奪者よ!!」


都全体を揺るがすサタンの叫びと共に、運命の激突が、今、幕を開ける。

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