第42話
「実は私…、ネコになるつもりなの…」
美沙が唐突に変身する事を告げると、
「えっ…」早川はそう言って言葉を失った。
長い沈黙の後、
「騙していてごめんなさい。実は夫の隆、私のわがままな願いでネコに変身したの」美沙は話しを続けるが、早川は次々に発せられる理解不能な言葉に見開いた目をさらに大きくして唖然とするだけだった。
「ネコに変身した後もここで一緒に暮らしていたけど11年前、私が罪に問われる事を恐れて夫は家を出て行ったわ」、「それ以来会えなくなり無事でいるのかもわからないけど、もし生きていたら野良の過酷な日々を送っていると思う」美沙は悲しそうに話し、「ネコに変身して夫の隆と再び会うことが出来れば、辛い野良の暮らしを2人で支え合いながら生きることが出来るの」ずっと心の奥に隠していた想いを明かした。
「………………」早川は何も言わずにただ、美沙を見つめている。
「夫が生きていないと分かれば、私はそのまま死ぬつもり…」美沙が無言で凝視される事に耐えきれず、下を向いて呟くと、
「わからない。美沙さんが何故、そんな風に考えるのか…」早川は鋭い目で睨みながら言った。
「そんな考えはわからない、理解できない…」と繰り返し、「夫の隆さんだけでなく、美沙さんまでヘヴンに行かないなんて…。美沙さんがそんな人だとは思ってなかった…」悔しそうに唇を噛む。
美沙がその顔を上げて、
「真実を打ち明けず、長い間騙していて、本当にごめんなさい」そう言って深く頭を下げるが、
「騙していた事なんてどうでもいい、…私は、美沙さんまでヘヴンに行かないというのがわからないんです!」大きな声で怒ったように告げた後、「美沙さんがそんな人だったなんて…」と厳しい表情で呟いた。
早川の性格をよく知る美沙は、
「こうなると思っていたの、トシちゃんを傷つける事になると…。だから話せなかったの…、一番大切な人を裏切りたくなかったから」その目から大粒の涙を流し、「私の事はどう思ってもいい。卑怯だと、臆病だと言われてもイイ、…だから最後の願いだけどうしても聞いて欲しいの。私がネコになる為の引取人になってください、お願いします」そう言いながら美沙は何度も頭を下げた。
「夫のヘヴン行きを受け入れられずネコに変身させたことを謝りたいの。辛く厳しい野良の暮らしをさせてしまった私の罪を償いたいの」と泣きながら言い、「隆が家を出る時…、私もネコになるから迎えに来てと…、そんなわがままな約束をさせてしまったの…」と美沙は訴え続ける。
「どうして! どうしてそんな事が言えるの! 私の父はヘヴンに行ったのに──!!」早川はソファから立ち上がって叫ぶと、そのまま家を出て行ってしまった。
早川が最後に見せた反応は予想を遥かに超える程激しく、これまで築いてきた信頼がガラガラと音を立てながら一気に崩れていく感じがして美沙はどうすれば良いのか分からなかった。
ネコになって再会し、野良の苦境へと隆を導いてしまった罪を今度は自分が犠牲になることで償うという大きな目標があったからこれまで生きて来られたのに、それが出来ないのではもう何も考えられなかった。
隆の願いを果たすべき約束として必死でやり抜いてようやくネコになるその時に辿り着いたのに、ここで変身出来なければ懸命に生きてきた意味がないとまで思った。
美沙はこれまでに経験した事がないくらい心が折れ、そのショックと落胆から呆然とソファに座り、ただ涙を流すことしか出来なかった。
それから3週間、魂を抜かれたようになった美沙はデリバリーにも行かず、自宅に篭っていた。
たった1人、何が悪くてこうなってしまったのかと悩み続けるうちに、由美子や修一と疎遠になった事や隆を野良にさせてしまった事、そして早川に嫌われた事など、良くない出来事の全ては自分に原因があったからだと思えてくる。
やがて、柳瀬やクロトラと会えないのはすでに取り締まりで記憶を消されてしまったからだと思うようになり、それまでも自分のせいだと信じるようになっていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
隆は11年振りに変身ネコ達がいる倉庫へ戻って来た。
美沙が疑われないようにとの意味もあるが、それより会いに行かないでいる自信がなかった隆はずっと地方を放浪していたのだった。
ヘヴンへ行くよう美沙を説得出来なかった隆は、再会という果たせるかどうか分からない約束を抱えながら野良の過酷な暮らしをなんとか生き抜いてきた。
そしてその約束の日、つまり美沙が50歳になる日まであと数日となった今日、その最期を見届ける為にここへ帰ってきたのだ。
以前なら倉庫の周りには寝転んで毛づくろいするネコが4、5匹いたが、今は1匹も見当たらず、そこにあるのは静けさだけだ。
隆が周囲を警戒しながら近づいていくと、錆びて茶色くなったドアが少しだけ開いた昔と変わらない光景がそこにあった。
記憶の中と同じ景色を見て安心した隆はドアに向かって歩き出す。
『隆…、お前か?』と突然クロトラの声が頭に響く。
その声の主を探しながら外階段の踊り場に目をやると、大分歳を取って痩せた、クロトラ柄のネコがこちらを見下ろしていた。
(クロトラさん? …無事だったんですね)隆が嬉しそうに答えると、
『お前が戻って来る予感がして、ここで待っていた…』再びクロトラが語り掛け、その目を細める。
隆は再び会えた嬉しさから、大分逞しくなった身体で一気に階段を駆け上がった。
クロトラはあっという間に踊り場までやって来た隆に驚きもせず、
『変身ネコの多くは電磁パルスを受けて本物のネコに戻り…、お陰でここも大分静かになった…』すぐに語り掛けてくる。
自分が見てきたのとは全く違うと思った隆は鼻にシワを寄せながら、
「他の場所では次々に死んで行きましたが…」不可解な面持ちで応え、「ここでは死んでしまった変身ネコはいないと? 何事もなく動物に戻ったというんですか?」矢継ぎ早に訊ねる。
クロトラは少しの間黙っていたが、
『…他でも同じか、…ここでも沢山死んだ』と静かに答え、『死ねば辛い生活から解放されると、自らパルスを受けに行く奴までいた…』と寂しそうに語った。
「じゃあ、何故?」隆が不思議そうにすると、
『死んだのは皆、隆が助けたネコ達だ…、お前をがっかりさせたくなかった…』クロトラは静かに答える。
隆はその言葉で自分がすっかり忘れていた取り締まりの男との一件を思い出す。
どうやって生き延びてきたのか気になり、
「クロトラさんはパルスを…」と隆は訊ねるがそれを言い終える前に、
『俺はお前を守る為に生きなければならない…、だから超能力を使って逃げていたのだ…』そう告げ、『お前と…、美沙を守る為にな…』とゆっくりした口調で語った。
「…僕と美沙を?」
その予想外の答えに驚いてクロトラを見詰める隆に
『もし美沙が変身してネコになってしまったら、お前と再会するまでドローンから守ってやらねば…』そう語ると一息ついて、『それが…、倉庫のネコ達を守る為に取り締まりと闘ってくれた、隆への恩返しだと考えている』と語った。
ネコの時間と心で生きているからか、それが遥か遠い過去の出来事に感じられ、人間のように昔の恩を返そうとするクロトラが不思議に思えた。
「じゃあ、美沙は今でも変身を考えているんですね?」隆が訊ねると、
『ああ、そうだ。隆がここからいなくなったのは、美沙に再会を諦めさせる為だと分かっていた。だから、お前が死ぬところを見たと嘘をつき、変身はやめるよう説得に行くつもりだったが…、この老いぼれた身体では…』クロトラはそこまで語ると1度大きく息を吐いてから、『隆がまだどこかで生きているのは分かっていた…そして今頃、美沙を心配して戻ってくる事もな…』と隆を見て目を細めた。




