第40話
美沙と早川は平穏な日々を過ごし、あっという間に3年が過ぎていた。
デリバリーでネコが殺されるのを目撃した美沙はその後、自分の講演やメディアを通じてドローンによる取り締まりが危険なことを訴え続けた。
すると、野生動物を守る為のデリバリーを利用し、簡単に動物を殺してしまう卑劣なやり方に批判が集まり始め1年後、取り締まりは中止に追いやられる。
その後、取り締まりへの批判は変身動物を匿う者も死刑に処すという法律にも向けられ、新法は施行を前にして議論をやり直すことになった。
そうして先月、ようやく再開に漕ぎ着けた取り締まりは以前よりパルス照射の精度が高く、動物が死んでしまう事はないとされていた。
動物が殺されなくなったのは良いが精度の向上はつまり隆の脳に埋め込まれたマイコンを確実に破壊出来るようになったという事でもあり、美沙は素直に喜べなかった。
デリバリーに集まるネコが少しずつ減っているのは取り締まりの精度が上がったからかも知れないが、実際は記憶を消されて他の場所へ行ったのか、それとも殺されてしまったのかを知る術はないのだ。
美沙は動物が死ぬ事はないという警察の言葉を信じていなかったが、毎月発表される取り締まりの達成数は正しいと思っていて、旅立ったまま戻らない柳瀬達や書斎で会ったきりのクロトラがその中に入っていてもおかしくないと心配していた。
そして最も気掛かりな隆は家を出たまま1度も姿を見せておらず、生きているのかどうかというより、どこにいるのかすら分からなかった。
そして、美沙は隆が置かれている状況について考える。
もしも取り締まりが警察が言う通りの精度なら、確実に人間の記憶は消されてしまうが隆は生き続ける。
逆に取り締まりが以前と同じなら、記憶というより隆の存在自体が消されてしまうかも知れないのだ。
『ネコの心で生きれば、記憶を失うのも死ぬのも同じ』と、あの時クロトラは慰めようとして語ったのだろうが、その言葉で変身野良ネコの生活がどれほど無慈悲なものかを悟った美沙は隆にとって楽なのはどちらだろうかと思った。
そして、再会の為に過酷な日々を耐え、危険な取り締まりを生き延びなければならないと解っていたら、隆が家を出る時に変身して再会するなどと言えただろうかと自分に問い続けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
いつものデリバリーの帰り、美沙の自宅に到着すると
「相談したい事があるんですが…」早川が暗い表情で切り出した。
美沙はその雰囲気で重大な事だと察し、すぐに自宅へ招き入れる。
「2ヶ月後に父親が50歳になるんです」ソファに座った早川が下を向いて静かに口を開く。
美沙はどう返事したら良いか迷いながら、
「…もう、その時が…」と呟くと、
「ご主人はいつだったんですか?」早川が訊いてきた。
「…8年になるわね」美沙が静かに答えると、
「分かっていた筈なのに…、どう受け止めたら良いのか…」そう言うと、「済みません。皆が当り前のように通る道のことを相談するなんて…情けないですね」と早川が席を立とうとする。
「私もあなたと同じよ、大変だったわ…」引き留めるように美沙が言うと、
「美沙さんでも大変だったんですね…」早川は再び腰を下ろし、「じゃ、ヘヴンに行って欲しくないと思ってもイイんですね?」と美沙を見詰める。
早川の考えている事が変身術の事かも知れないと頭をよぎり、次に訊かれるであろう質問にどう答えるべきか迷った美沙は答えることが出来なかった。
すると、
「変身術をどう思います?」早川らしい真っすぐな質問を投げ掛けてきたが「そんなの違法だからダメですよね?」と自分で否定するので美沙は益々どう返事をしたら良いか分からなくなった。
そんな心の中を見透かされるのが怖かった美沙は短い沈黙の後、
「…トシちゃんはどう思うの?」訊かれた事には答えずに問い掛けると、
「詳しく知らないので何とも…。それがどんなものか美沙さんなら知っているかと思って…。それで相談してみようと…」早川は歯切れ悪く答える。
美沙はその返答を聞いてどれだけ悩んでいるのか理解したが、そんな早川に対して自分はどう応えるべきかを決められずにいた。
再び黙り込んでしまった美沙が何も知らないと思ったのか、
「講演などで様々な業界の人に会う美沙さんなら、何処かで耳にした事があるかもと思ったんですが…」そう言って大きく肩を落とした。
がっかりする早川を見てようやく覚悟を決めた美沙が
「そうね。普通の人よりは詳しいかも知れないわ」そう返すと、
「じゃあ、教えてくれませんか? 現実を理解すれば父はヘヴンへ行った方が良いと思えるかも知れないんです」いつも論理的に考える、早川らしい言葉が返ってきた。
美沙は自分と同じ悩みを抱える早川を絶対に後悔させたくなかったが、変身術について詳しく話せば変身ネコの皆を危険に晒してしまうかも知れないと思って悩んだ。
しかし、隆に対して抱き続ける罪悪感と同じものを早川が持ってしまったらと考えて出来るだけ詳しく話ことにする。
物や場所が特定できないように注意しながら自分が経験した事を全て伝えた美沙だったが、その内容は講演で出会った人から聞いたものだとしておいた。
また、隆から聞いた変身した者にしか分からないことについては、ネコ缶配りで出会ったクロトラという超能力を持つネコから聞いた事にし、そのネコにはずっと会っていないのでもう生きていないだろうと話した。
早川は話の一語一句を記憶に刻むようにしながら時々相槌を打つだけで美沙の顔をじっと見つめ、真剣な面持ちで最後まで姿勢を崩さずに聞いていた。
「やっぱり美沙さんに相談して良かった」ようやく椅子に背をあずけた早川はそう言うと、「美沙さんがどれだけ真剣に全てのネコ達と向き合って来たかという事まで分かった気がします」と感心する。
「この話しが役に立てば良いけど…」美沙が不安げに告げると、
「家族の皆で話し合ってみます!」早川は明るく答えた。
こんな話を他言されては困ると思った美沙が不安な顔になると、
「あくまで家族の間だけにして、もちろん美沙さんから聞いた事は誰にも言いません」事の重大さは十分理解しているのだという感じで声をひそめて言った。
それから1ヶ月位経った頃、時間に余裕が出来た美沙がデスクの上に散らかったままの書類を整理しているとそこへ早川がやってきた。
「会長。今夜、デリバリーの前にお宅へお邪魔してもよろしいですか?」と訊いてくる。
早川が会社で畏まるのは普段通りだが、デリバリーで毎日来るのに都合を訊くのは大事な用があるからだと知っている美沙はすぐに了承し、いつもより1時間早く待ち合わせる事にした。
きっちり1時間前に美沙の元へやって来た早川は、リビングのソファに腰掛けるとすぐに話し始める。
「美沙さんのお陰で家族も私も受け入れられるようになり、父はヘヴンに行く事になりました。ありがとうございます」そう話すと立ち上がり、姿勢を正して深々と頭を下げた。
「皆が受け入れられるようになって良かったわね」美沙が言うと、
「家族は何も知らずに変身術を望んでいたんですが、現実を知ると悩み始めてしまいました。でも、実際の決め手はその話を聞かれた父に怒られてしまった事です。そうやって怒った父を見て家族も私も目が覚めました。父はずっと真っ直ぐに生きてきたんだと気付いたんです」さっぱりした表情で早川が話した。
「お父様は立派な方ね」そう美沙が言うと、
「はい、来月のその日までは笑って過ごそうと皆で話し合って決めました。もうこれ以上、悩みません」早川は晴れ晴れとした顔で微笑んだ。




