第39話
3ヶ月後、ポエム集の出版記念イベントが大きな書店で行われ、早川はこれまでに経験したことのない緊張の中、地元のニュースチャンネルから人生初の取材を受けた。
取材が終わり店の中央に置かれたテーブルでサイン会が始まると、早川は本を購入してくれた人の長い列に驚く。
美沙が自分の講演の中で紹介していたお陰で早川のポエム集は出版前から待ち望まれ、イベントには大勢の人が集まっていたのだった。
最後の1人にサインを終え、ようやく疲れた手を休められると思った時、
「私にもサインをお願いします」と本棚の影から1人の女性が現れる。
サングラスを掛けたその女性はストローハットを目深に被り、チェック柄のロングスカートスーツにハイヒールを履いていた。
早川の前にやってきて、
「出版おめでとうございます。ここにサインをお願いします…」と買ったばかりのポエム集を差し出した瞬間、早川は座っていた椅子を蹴とばす勢いで立ち上がった。
テーブル越しの女性に抱きついたまま、
「美沙さん、来てくれたのね! しかもやなせフーズの、あの授賞式の服で…」涙で声を震わせながら言う。
「そう、私の再出発点になった受賞式。あの授賞式がなかったらトモくんやトシちゃんに出会う事もなかったし、今の私もいなかったわ」美沙はきつく抱きしめられながら、「トシちゃん、本当におめでとう!」早川の耳元で最後にそう告げた。
目ざとく美沙を見つけたニュースチャンネルの記者が駆け寄ってきて、
「作家の斎藤美沙さんですね! 次回の作品はいつ頃出版の予定ですか?」とマイクを差し出してくるが、
「今日の主役は私ではなく早川さんです。彼女をどうぞよろしくお願いします」と丁寧に取材を断って人混みの中に姿を消した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
隆が家を出てすでに2年が過ぎていたが、新たな取り締まりについて知るのが怖かった美沙は出来るだけニュースに触れないようにしていた。
やなせフーズの会長になってからは息つく暇もないほど忙しかったが、隆の事を想わない日は1日たりともなかった。
来る日も来る日も今日こそは会えるかも知れないと思い、たとえどんなに疲れていてもデリバリーに出掛けてその姿を探した。
黒ネコを見かけた時は人知れず旅立ってしまった柳瀬の事を思い出し、美沙に内緒で母を捜すあの寂しげな後ろ姿が瞼の裏に蘇った。
その姿が早川に内緒で隆を探す今の自分とピッタリ重なって見え、授賞式で柳瀬と再会したのは運命に導かれたからに違いないと美沙には思えていた。
ある日、デリバリーの最終地点でいつものようにネコ缶を配っていると突然、稲妻が走った時のビィビイーンという音がして、身体中の産毛が逆立つのを感じた。
屈んでいた美沙が驚いて立ち上がろうとした時、再び同じ音が頭上の空気を震わせ、餌を食べていたサビ柄のネコがビクッと大きく身体を反らす。
美沙の目の前にいたサビ柄は顔を上げた姿勢で凍り付き、そのまま横に倒れて身体を痙攣させた後、舌を出して動かなくなってしまった。
少し離れた所にいた早川が初めて聞く音に驚いて振り返ると、呆然と立ち尽くす美沙の上空でライトを消したドローンが音もなくホヴァリングしていた。
急いで美沙の元へ駆け寄った早川は、
「変身動物の…、取り締まり…?」真っ黒く見えるドローンを指差して不安げに告げた。
その言葉で我に返った美沙は空を見上げ、ようやくそれが変身動物の取り締まりだと気付く。
公園の上空は様々なドローンが飛び交うがそれらは皆、赤と緑のライトに加えて白いフラッシュライトを点灯しなければならないと航空法で定められている。
デリバリー用のドローンも同様で常に3色のライト点けているが、取り締まりでは警察の存在を気付かせないようにする目的で全て消灯することがあったのだ。
「これが取り締まりなの?…」美沙は目の前で絶命したサビ柄と上空のドローンを交互に見ながら呟くと突然、怒りに満ちた表情になって叫び出す。
「人間の記憶を奪うだけだった筈なのに──!!、どうして命まで奪うの──!?」
美沙はそれが無人だということを良く解っていたがドローンのマイクとカメラを通じて、いかに残酷なことかを訴えずにはいられなかった。
「こんなのは!…、人のする事じゃない──!!」
「人間が!…、人がどれだけの動物を絶滅させてきたか知っているのに──!!」
「ここは人の為だけにある世界じゃない──!!」
「人間と同じように!…、野良の動物にだって生きる権利があるのよ────!!」
美沙が声を限りに叫び続けるとドローンは音もなく飛び去った。
隆が置かれている状況を目の当たりにした途端、心の中で絶望的な感情が爆発し、それが合法的な取り締まりと分かっていても美沙は冷静でいられなかった。
一方、公園に変身ネコがいたことも、美沙がドローンに向けて泣き叫ぶことも全く想像していなかった早川は、あまりのショックに言葉を失っていた。
「どうしてなの? どうして…」美沙は息絶えたサビ柄の前に立ち尽くし、涙を流しながら同じ言葉を繰り返していた。
やがて、遠くから公園の清掃ロボットがやって来て、亡骸を回収しようとアームを伸ばし始める。
それを見て我に返った美沙は大きな声で、
「やめて!!」と叫ぶと急いでアーム跳ねのけ、サビ柄を抱き上げた。
ロボットはあらぬ方向に伸びきってしまったアームをゆっくり畳むと、何事もなかったように来た道を戻っていく。
美沙は腕の中のまだ温かいサビ柄をそっと撫で、何も言わずにドローンからシャベルを取り出すと公園の小高い場所へ行き、地面に穴を掘ってそっと寝かせる。
亡骸の隣にネコ缶を1つ置いて土を被せ、長い間サビ柄の為に祈っていた。
早川も黙ったまま隣に並んで祈り、美沙が立ち上がると一緒に立ち上がって、
「美沙さん…、大丈夫?」と遠慮がちに訊くと
「ごめんなさい、取り乱してしまって…」そう言ったきり黙り込んでしまった。
早川はドローンの中で呆然とする美沙を黙って家まで送り届けた。
無言でドローンから降り、玄関のドアを閉めた美沙はそのまま膝を突いて、
「どうして? ネコに戻すだけって話じゃないの? 殺さなきゃならないの?…」と恐怖に震えながら泣き崩れる。
「………た、…かし……」と、泣きながら声を絞り出し、涙で濡れた床に怒りと悲しみの両方をぶつけていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日の事が頭から離れない美沙はその後2日間、夢遊病者のように何を話し掛けてもうわの空で小さな音にすら怯え、デリバリーの時もずっと頭上ばかり気にしていた。
自宅に戻ってからも心配事が次々と頭に浮かんで眠れず、ベッドで暗い天井を見詰めていた美沙は書斎で音がするのを聞いた。
いつでも戻れるようにと、書斎の窓は隆がいた時のように少し開いていたから、
「たかし…? たかしなの?」美沙が小さな声で呼びながら向かうとデスクの上に黒い影があった。
「たかし…」そう囁いた美沙の頭に声が響く。
『クロトラだ…』
「!………」その聞き覚えのある声に、驚いた美沙は何も言えなかったが、
『あまり心配するな…、倉庫のネコ達も柳瀬親子も取り締まりの残酷さなど気にはしない。たとえ殺されるとわかっていたとしてもだ…』クロトラは静かに語りかけてくる。
「クロトラさん…」美沙が小さく呟く。
『野良になってから一度も会っておらず今どこにいるのか知らないが、隆も我々と同じ気持でいる筈だ。ネコの心で生きている我々にとって死はあくまで自然なことでしかなく、記憶を失って元来のネコに戻るのと大きな違いはないのだ』少しの間を置き、『だから気にするな、くよくよしていると隆が悲しむぞ…』
語り終えると同時にクロトラの黒い影はスッと消えた。
(クロトラさん…生きていたのね)頭の中でそう呟いた美沙はクロトラが無事なら隆も倉庫のネコも大丈夫な気がして、ようやく自分を取り戻すことが出来たのだった。
次の日、美沙はいつも通りの元気な声でデリバリーに集まってくるネコ達へ話し掛けていた。
そして、変身ネコ達がいる倉庫までやって来ると、
(クロトラさん、私を見守ってくれてありがとう)何処かにいるクロトラに心の中で礼を言った。
「良かった、美沙さんが元気になって」胸を撫でながらそう言う早川に
「ごめんね、トシちゃん。でも、もう大丈夫!」美沙は笑顔で言って、
「さあ、次行くわよ──!」と足早にドローンへと歩き出す。
「あ、待って!」早川も笑いながら美沙に続いた。




