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第35話

 美沙はしばらくの間、下を向いたまま何も言わずに心の中を整理していた。


 やがて決心したように顔を上げると、

「じゃあ、私も50歳になったらネコに変身するわ。デリバリーで最後に訪れる、あの公園に行くから迎えに来てね!」涙で濡れた目で隆を見詰めながら告げる。


 隆は野良になった後の現実を想像しながら、

「無音ドローンからはたぶん逃げ切れないだろう。僕が一度でも電磁パルスを受ければ、美沙との約束は思い出せなくなってしまう…」そう言おうとしたが、

「パルスを受けてしまうとは限らないでしょ──!」と美沙が途中で割り込み、「逃げ切れるかも知れないじゃない───!!」と大きな声で激しく抵抗する。


 これまでに見せたことのないその(かたく)なな態度に、隆は今説得するのは無理と(あきら)めて別の話をすることにした。


「実際に僕がここを出るのは数ヶ月先だろうけど、その前に修一と由美子に全てを打ち明けようと思うんだ」隆が告げると、

「修一と由美子に?」美沙が驚いたように訊く。


「僕が出ていった後、美沙の心の()(どころ)はあの2人になると思う。だから、隠し事がないようにしておきたいんだ。全てを明かすことで美沙が危険になるかも知れないが…、僕は…2人を信じている…」隆はそんな危険を犯して良いのかと自問自答(じもんじとう)しながら話した。


 美沙はそんな気持ちを(さっ)してか、

「そうね。警察に通報されたって、2人を(だま)したままでいるよりイイわ」と隆の迷いを吹き飛ばすように笑顔で応える。


 それを聞いて安心した隆は

「修一と由美子が僕達の事を理解してくれれば、パルスから逃れる方法を教えてくれるかも知れない。取り締まりの開発に関わった2人の情報ならクロトラさんや倉庫のネコ達、そして柳瀬さん親子も確実に救うことが出来る筈だ」と2人に打ち明けることにもう1つ別の意味があることを伝えて話を終えた。


   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「じゃあ、チビちゃん行ってくるわね!」


 2日後、美沙はそう言うと自分で作った翻訳機用ベルトを2つ(かばん)の中に入れ、柳瀬を引き取りに出掛けた。


 書斎の窓から美沙の後ろ姿を追いかけていた隆は、50メートル程離れた場所にある民家の(へい)の上に、こちらを向いて座っているクロトラを見つける。


『とうとう柳瀬も変身してしまったか…』残念そうなクロトラの声が頭の中で響いた。


(ええ。しばらくの間は母親の白ネコさんと倉庫で暮らし、ネコの身体に慣れたらすぐに父親の捜索に出ると言ってました)隆が声に出さずに答えると、

『話があってここに来た…』クロトラが静かに語り掛けてくる。


 話しがあるとは一体どんな事だろうかと考えていると、クロトラは既に書斎のデスクの上にいた。


『俺に超能力があるのはすでに知っているだろうが、その事についてだ…』そう前置(まえお)きをすると静かに語り始める。


『俺は人間の時から超能力を持っていたが、変身した直後からその能力がさらに強くなったと感じていた。最初は何故だか分からなかったが、自分が徐々に持ち始めた感覚でその理由(わけ)を理解したのだ』クロトラはそう語ると隆の目をじっと見詰めて、『それは、変身術によって元々ネコに(そな)わっている特殊な能力を(あわ)せ持つようになったからだったのだ』


『その能力を言葉で表せば野生を生き抜く為の直感(ちょっかん)、ネコ同士がコミュニケーションに使うテレパシーのようなものとしか言えないがそれらは非常に()()まされ、洗練(せんれん)されたものであらゆる問題に対応できるのだ』と落ち着いた声でゆっくり続けた。


 クロトラはその特殊な能力を使えば無音ドローンの飛来(ひらい)察知(さっち)することも可能で、倉庫に暮らす変身ネコ達をパルスの危険から守ってやれると言いながらも、そんな事をする気は一切ないと語った。

 だから、修一と由美子から聞き出そうとしている電磁パルス対策も必要ないと告げ、美沙に危険が及ぶので変身ネコだと告白するのはやめるよう忠告する。


『俺の超能力と隆が聞き出した対策を使えば倉庫のネコ達を完全に守ってやれるだろう。だが俺はそんな余計な事はしない…』


『これまで野良になった変身ネコの辛く悲しい日々は寿命が尽きるまで続いたが、これからは電磁パルスが終わらせてくれるのだ。人間だった時の記憶を消されて本来のネコに戻れるなら、それは変身ネコ達にとって救い以外の何ものでもない』


『俺は手出しをしない方が良いのだ…』と語った。



 クロトラの思いもよらぬ言葉に、自分が恵まれた環境で暮らしているが故に同じ変身ネコでありながら皆のことを全く理解できていなかったと隆は初めて気付いた。

 それぞれの変身ネコが抱える事情を(さっ)しもせず、ただ守ることだけしか頭になかった自分が情けなくてクロトラの顔を直視出来なくなった。


 下を向く隆を見たクロトラはその目を細めて、

『良いんだ。隆のひたむきな優しさだと倉庫の皆も良く解っている…』と(なぐさ)めるように言った後、今度は美沙の変身について語り出した。


『それより隆、美沙に変身を(あきら)めさせなければ悲劇(ひげき)が始まってしまうぞ。たとえ2人が再会出来ても変身野良ネコに幸せな暮らしなどないのだ』とクロトラは(きび)しい表情で告げる。


『野良になればいつ取り締まりに()ってもおかしくない。隆が記憶を消されてしまったら、それを知る(すべ)のない美沙は絶対に(かな)わぬ再会の為に変身してしまうのだ…』


『そして取り締まりに(おび)えながら生きるのがどんなに過酷(かこく)でも、本来のネコに戻れる電磁パルスに救いを求めたりはしない。いつかお前に会えると思っている限りは…』と辛そうな声を響かせた。


『毎日、腹を空かしたまま取り締まりから逃げ回り、(こお)るような寒さの中で1人で眠ることになってしまうのだ。助けてくれる者はどこにもいない変身野良ネコの悲惨(ひさん)過酷(かこく)な日々を生きながら、2度と会えないお前を死ぬまで捜し続けることになってしまうぞ』


 クロトラは少しの間何も語らずにいたが

『それは隆も同じだ…』と悲しそうな表情で告げ、『美沙が変身を(あきら)めなければ、再会するその時まで人間の記憶を持ち続けねばならない。つまり、隆も電磁パルスに救いを求める事は出来ないのだ…どんなに生きるのが辛くても…だ』とクロトラは静かな声で話し終えた。



 クロトラの話で自分が置かれようとしている状況がどれ程過酷であるかを実感した隆は、返す言葉が見つからなかった。


『野良になったら倉庫へ来い。俺が守ってやる…』クロトラは何も言わない隆を温かい目で見詰めながら告げた。


(ありがとう、その時はお願いします)隆が頭の中で礼を言うと、

『ああ、待っている…』その声を最後にクロトラは姿を消した。




「ただいま、チビちゃん」


 夕方、美沙が帰ってくるとそのまま書斎に来て、引き取りの様子を話し始めた。


「トモくん、綺麗(きれい)な黒ネコになっていたわ。倉庫でお母さんにも翻訳機用のベルトを着けてあげたら(すご)く喜んでくれたの。私トモくんが心配でしばらく様子を見ていたんだけど、普通に歩いたり走ったりしていたから病院でちゃんとリハビリが出来たみたいよ」全てが終わって気が抜けたのか、ため息混じりで話して、「捜索への旅立ちもきっと早いわ…」と残念そうに告げる。


 それを聞いた隆は柳瀬達の旅立ちが先ほどクロトラから教えられた悲惨で過酷な暮らしの始まりに思えて心が痛んだ。


しかし、そんなことを美沙に話せる筈もなく、

「僕も野良ネコになったらあの倉庫に行こうかな。クロトラさんへの挨拶(あいさつ)()ねて柳瀬さん達が旅立つ前に様子を見にいってみるよ!」と心の痛みに気付かれぬよう、笑顔で言った。


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