第33話
それから2週間後、応募された80余りのポエムを1つずつ丁寧に読んだ美沙は佳作を3つ、最優秀賞を1つ選び出した。
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『ネコとわたし』
どのネコも
わたしを見ると目を細めるの。
それがネコの挨拶だと言う人がいて、
笑っていると思う人もいる。
だからただ微笑んで、
挨拶を返してあげればいいのに、
わたしはいつも悲しくなってしまうの。
なぜなら、
その細めた目をよく見ると、
溢れそうな涙を溜めているのがわかるから。
それがどれだけ深い悲しみか、
人には決して解り得ないものだと気付かされてしまうから。
わたしはその切なさから、
同じように目を細めて涙を溜める。
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最優秀賞に選ばれた、経理部所属の早川敏江が書いたポエムは美沙の心の内を代弁しているように思え、忘れられないものになっていた。
10日後、受賞者の4人を会長室に呼んで新社長と役員そして特別ゲストの柳瀬と共に表彰式を行い、最優秀賞の早川にそのまま残ってもらった。
柳瀬と美沙が座るソファの向かい側に早川が腰かけると、
「早速だけど僕達がネコ缶配りと呼ぶ、ボランティアのことは知っているよね」柳瀬が話しを切り出す。
「はい、社…長…?」早川が言葉に詰まるのを見た柳瀬は
「僕はもう社長じゃないから、柳瀬と呼んでくれればいいよ」と笑う。
「はい。では、柳瀬さんと呼ばせて頂きます」早川はそう言うと一度頭を下げてから、「私がこの会社を希望したのはネコが大好きだからで、ボランティアのことも入社前から存じておりました。一緒にネコ缶配りをされている会長も良く存じており、作家の斎藤美沙さんは今でも憧れの的です」と2人を前に緊張の面持ちのまま答えた。
その緊張を読み取った美沙が、
「仕事と関係ないボランティアについての話しなので元社長や会長といったことは気にせず、リラックスして聞いてくださいね」気遣ってそう告げると、早川は少し肩の力を抜く。
「実は、早川さんが僕の後釜に座ってくれたらと考えているんだけど…、どうかな? ボランティアだから本当にネコが好きな人にしか頼めないんだ」柳瀬がそう言うや否や、
「是非やらせてください! 機会があったらお手伝いしたいとずっと思っていました!」早川は目を輝かせながら答えた。
早速、その日の夜から3人でやる事になり、柳瀬が美沙を迎えに行くその足で早川も拾う事になった。
早川がドローンに乗り込むとすぐに、
「敏江と名前で呼んでください。業務外なので構いませんよね?」と2人に訊ねる。
「オーケー。じゃあ、僕の事は美沙さんがそう呼ぶから『トモくん』にするとして、その美沙さんは『会長さん』…とでも呼べばイイかな?」柳瀬がふざけながら笑顔を向ける。
「何言ってるのよ、業務外だって言ってるじゃない!」美沙が怒ったフリをすると、
「じゃ美沙さんと呼ばせてもらいます。ね、トモくん!」早川はそう言って会社では見せない笑顔で笑った。
その瞬間、柳瀬と美沙の2人は早川を選んだのが間違いではなかったことを確信した。
会社では決して軽々しく接する事のない早川が、実は状況に合わせて柔軟に態度を切り替えるのだと知って、その気遣いと賢さに感心したのだった。
ネコ缶配りでも2人が想像した通り短い説明で要領を掴み、手際よくこなしながらも丁寧な手捌きでネコ達を怖がらせる事はなかった。
「敏江さんのお陰であっという間に終わったよ、今日はありがとう!」柳瀬が礼を言うと、
「こんなに沢山のネコ達と毎日触れ合っていたなんてずるいですよ。もっと早く声を掛けて欲しかったです」と満足した様子で答えた後、「トモくんは何故、ネコ缶配りをやめちゃうんですか?」早川は不思議そうに訊く。
「僕は行方不明になっている父親を捜しに行かなければならないんだ」柳瀬は隠さずに言い、「敏江さんがいれば心配なく出掛けられる。ネコ達も敏江さんの方がイイみたいだしね」と笑った。
「そんなことありませんよ…、早くお父さんが見つかるように祈ってますから、ちゃんと戻って来てくださいね。トモくんが戻るまでネコ缶配りは私に任せてください!」真面目になって言うと何かに気付いたように、「ネコ缶配り…って、なんだか言い辛くないですか?」と遠慮がちに2人を見る。
「確かにそうね。ずっとそう呼んでいたから何の疑問も持たなかったけど…」と美沙が柳瀬を見る。
「そうだな。敏江さん、何か呼びやすい名前を考えてくれないか?」そう言って柳瀬が早川を見ると、すでに何かを考えるようにして、
「…配りだがら、…デリバリー?…。ネコ缶デリバリーじゃ長いので、『デリバリー』ではどうですか?」仕事ができる早川らしく、すぐにその答えが導き出された。
「いいね、デリバリー!」柳瀬が言うと、
「そうね! じゃあ早速、明日からそう呼びましょう」美沙もすぐに同意した。
早川が本気で取り組んでくれる事が分かった柳瀬はこれで思い残す事なくネコへ変身し、父親の捜索に出掛けられると安堵していた。
一方、柳瀬の夢を微塵に打ち砕いてしまう取り締まりが始まる事を伝えねばならない美沙は、その重圧に押しつぶされそうだった。
柳瀬の変身術が近づくと、新たな取り締まりのことを伝えられずにいた美沙は焦り始めた。
修一から得た情報はそれを知らせる事が即ち死の宣告と言って良いほど柳瀬にとって絶望的な内容だが、知らなければすぐに命を落としてしまう危険もあり、美沙はどうすれば良いのか分らずにいた。
隆は外出しないことで無音ドローンからのパルス照射を避けられるが、クロトラや倉庫に集まってくる変身野良ネコ達は外で暮らしているのでそうはいかず、捜索で歩き回る柳瀬達も同様だった。
美沙が暗くなった部屋で明かりも点けずにソファに座り、視線を宙に据えたままずっと悩んでいると見かねた隆が声をかけた。
「何をそんなに悩んでいるんだい?」
目の前に突然現れたように感じた美沙が驚いて目を丸くすると、
「さっきから何度も声を掛けていたんだけど…」隆が困ったように言い、「話してくれよ。僕がその為にいるという事を忘れたの?」と続けた。
いきなり責められたように感じた美沙は、
「どうして? 忘れる訳ないじゃない──!」と大きな声で言うと突然、顔を膝に伏せるようにして泣き始めてしまう。
隆はすぐにソファに飛び乗り、美沙の膝にそっと前足を置いて、
「僕に関係のある事なら、もう何を言われても平気だよ。考え方も大分ネコらしくなって大抵の事では動じなくなったから…」と優しく言った。
その言葉で隆自身も自分と同じことを感じていたのだとわかった美沙は驚きながら顔を上げ、
「隆はすっかりネコになったのね、心の中までも…。それで辛くないの?」と涙を流しながら訊く。
「ネコになりたての頃は感情を失うことが人間だったことを忘れてしまうように思えて不安だった。でも、感情を持ち続けようとすればする程、日々ネコに変わっていく身体に反して気持ちだけが人間のまま取り残され、自分が何だかわからなくなっていった」隆はゆっくり話し、「肉体と精神が食い違いバランスが取れない状態で悶々としていたある日、行動に合わせて心も変わる方が楽だと気付いて感情がなくなる事を受け入れるようになったよ」と初めて本音を打ち明けた。
「ごめんなさい。隆がそんな辛い毎日を過ごしていたのに…、私が忙し過ぎて気付けなかっただけなのね…」美沙はそう言って涙を拭うと、「ネコになってもイイから側にいてと私が頼んだのに、隆の事を何も理解していないわね…」と俯いた。
隆はそんな美沙を見て、
「今は肉体と精神が一致して大分楽になった。人間のように心が動揺した時は涙を流して落ち着くなんてことは出来ないけどそれにも慣れたよ。ネコになりたての頃はそれが一番辛かったけど…」と言ってから背中を舐める格好になると、「こうして背中が掻けず、痒みを我慢するのも辛かったけど…ほらこの通り、もうどこだって舐められる」泣いている美沙を笑わせようと、思わず転がってしまった演技をしてみせる。
その優しさに美沙はまた泣きそうだったが隆の気遣いを無駄にしないよう我慢して、
「ありがとう。私は今でもこうして隆に支えられているのね、安心して全てを話すわ」と弱々しく笑って見せた。
美沙は先日、修一が来た時の事を話し始めたが、隆は少し聞いた所で柳瀬を呼んでくれるように頼んだ。




