第25話
隆は柳瀬と会話をしながら、一般的な人の言葉はほとんど理解できると確信してホッとしていた。
変身術の説明で一般人が話す言葉については、テレビやラジオのような機器を通じて聞くものは全て理解出来るとされていた。
脳に埋め込まれたマイコンが電子機器でスピーカーから電気的に発せられる言葉を解析しやすいというのがその理由だが、実際にテレビを通じて聞いた会話はどんなに早口でも雑音混じりでも理解出来ないものはなかった。
一方生の言葉については、声の特徴が一人ひとり違っていて同じものがなく、マイコンにパターン化して入力しておくことが不可能な為、どこまで聞き取れるか分からないとされていたのだ。
生の言葉は修一と由美子が話すことで分からないものはなかったが、昔から良く知る間柄ではそれを基準に問題なしとは言い難く、一般人の言葉として理解出来たと思えるのは変身して引き取られる際に聞いた短い会話だけだった。
隆は捜索に出掛けた時に他人の言葉を理解出来た方が便利だと考えていて、初対面の柳瀬と複雑な内容の会話をしながら自分の理解力を確認していたのだ。
今後の捜索について深夜まで打ち合わせた柳瀬は、
「隆さんがいれば心強い限りです。よろしくお願いします!」そう言って深々と頭を下げ、晴れ晴れした表情でドローンに乗って帰っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「これでイイかしら?」
次の日、首輪に似せて作った翻訳機用のベルトを隆の首に巻き、もう一方に付けた細いベルトをお腹の毛に隠れるように留めた美沙が着け心地を確認する。
「これなら思いっきり走っても外れる心配はなさそうだ」隆はリビングを1周してから、「翻訳機もこうすれば見られずに済む」とお腹側にある翻訳機を前足で隠してみせた。
「本当に気をつけてね、絶対に危険な所へは行っちゃダメよ!」と不安そうな顔で見送る美沙に
「この窓は少し開けておいて、いつ戻るか分からないからね」そう言い残すと隆は元気よく外に飛び出した。
「早く帰ってきてね…」小さく手を振って見送る美沙にウインクした隆は、とりあえず道路に出て走ってみる事にした。
最初はお腹の翻訳機が少し重く感じたがしっかり留めてくれたお陰で左右に振られることもなく、すぐに着けている事を忘れた。
外へ出たのは初めてだったが隆に不安はなく、先ずは美沙から聞いていた工場跡の公園、つまりネコ缶配りの最終地点へ行ってみる事にした。
思いっきり走れる開放感と何が起こるのかという期待感に包まれながらのんびり歩いていると、照りつける太陽で熱くなった背中を冷ますように風が撫でていく。
やがて身体が温まってくると全身がバネになったように感じ、空も飛べそうなくらい位のエネルギーに満たされてくる。
隆は初めて体験する人間とは違う身体の感覚に驚きながら目的地まで走ってみることにする。
路地や住宅の間を休まずに走り続けてみたが息が上がる事もなく20分程で公園に到着し、予想の半分しか掛からない事がわかった。
ネコ本来のスピードとスタミナを実感した隆はこれなら簡単に捕まる事はないと自信が持て、リハビリを工夫してくれた美沙に心から感謝した。
公園の入口から変身ネコがいそうな場所を探して見回すと、遠くに高層マンションの工事現場があるのを見つけた。
早速そこまで行き、自分が入れる隙間を探しながら仮設の塀に沿って歩き始める。
隆は歩きながらネコに出会った場合のシミュレーションをしてみる。
自宅で考えた通り先ず翻訳機を通じて人間の言葉で話し掛けてみて、反応があればそれを変身ネコと判断し何もない場合は本物のネコとする事にした。
この方法だと言葉に反応しない変身ネコには気付けないことになるが、話し掛けても応じない状況で何か情報を貰えるとは思えないので、それで良いことにしておく。
そうして首尾よく変身ネコに出会えても相手が翻訳機を持っているとは限らないので、全く会話が成り立たない状況になることも想定しておく必要があった。
隆は首を縦に振ればイエス、横ならノーとして訊ねることに答えてもらい、その回答を繋ぎ合わせることで情報を得ようと考えていたが、その方法で複雑な内容まで理解できるのか分からなかった。
仮設の塀沿いにしばらく歩いているとネコが1匹だけ通れそうな隙間を見つけ、隆が覗いてみるとそこは建設を中断した工事現場だった。
いくつもある1階の住戸の1つを通ってホールのようなところに出ると、地下に続く吹き抜けに壊れかけた仮設の階段があるのを見つける。
地上から下を覗いても最初は真っ暗で何があるのか分らなかったが目を凝らすと瞳孔が大きく開き、全体が明るく見えるようになった。
そこには工事に使う脚立1台とバケツが2つ落ちているだけでネコの姿はなかったが、危険はなさそうなので覗いてみることにする。
壊れそうな階段を慎重に下りていくとすぐに隠れていた部分が見えるようになり、そちらへ目を向けるとトラ柄とサビ柄のネコが床に伏せていた。
階段の中程まで下りた所でサビ柄のネコがこちらを見て目を細めネコ同士の挨拶をしてきたが、探しているのは変身ネコで元々人間なので隆は人のマナーで行く事にする。
「こんにちは。お邪魔します」翻訳機を通して遠慮がちに言う。
何の反応も見せないのでその2匹は本物のネコのようだが、こちらを警戒しているのかも知れないと思ってもう1度、
「白ネコを捜しているんですが…」と今度は少し大きな声で言ってみる。
2匹共こちらに顔を向けたが細めた目を開けたり閉じたりしているだけなので本物のネコだと確信し、他を当たることにして地上へ戻ろうと階段を登り始めた時、吹き抜けの上から突然トラ柄のネコが顔を出した。
隆がギョッ!として立ち止まるとそのネコも驚いてすぐに頭を引っ込める。
そこから地上まで警戒しながらゆっくり階段を登っていくとその姿は既になく、5階まである建物の何処を探してもトラ柄どころか他のネコにすら出会わなかった。
また夜にでも来てみようと思いながら仮設の塀の隙間から出ると今度は草むらを歩いている黒ネコに出くわす。
こちらを見て立ち止まるので、
「あの〜、白ネコを捜しているんですが…」とりあえず訊いてみた。
すると突然、
「二゛ャオ゛──! 二゛ャギャオ───!!」その黒猫は大きな声で叫びながら背中の毛を逆立て、太くした尻尾を左右に振って怒り出す。
こうなる事を全く想像していなかった隆が驚くと黒猫と同じように全身の毛が逆立ち、尻尾は見たこともない程太くなった。
ネコの世界ではそれが臨戦態勢と受け取られるのか、黒猫の怒りはさらに増して今にも飛び掛かってきそうな構えでいる。
ネコの喧嘩なら何度も見たことはあるが自分がやるのは初めてで、どうしたら良いか分からない隆はとりあえず逃げることにして踵を返した。
そのまま全速力で200メートル位走って振り返ると、黒ネコの姿はもう何処にもなかった。
深呼吸で荒い息を整えながら見回すと左手に公園の清掃ロボットの待機小屋があるのが見え、その前の芝生では5匹のネコが毛繕いをしたりゴロゴロしたりしている。
黒猫の教訓から先ずは相手の反応を確かめようと思い、恐る恐る近づいて様子を伺うが誰もこちらには興味を示そうとしない。
敵意も感じられないのでさらに近づき、
「あの、ネコを捜しているんですけど…」と遠慮がちに声をかけてみるがどのネコも無反応だ。
あまり刺激しないよう翻訳機の音量を絞っているからだと思った隆はハチワレ柄のネコすぐ側まで行き、
「あのぉ〜」再び声を掛けるとすぐに反応して起き上がった。
「ニャー」と親しげに近づいてくるので
「ネコを捜しているん…」変身ネコだと思って訊ねるとハチワレ柄は隆に身体を擦り寄せ、目の前でゴロンと寝転んで左右に身体を捻り始める。
(あー、これは本物のネコだ)心の中でそう呟いて諦めると今度は上の方から、
「カアァー、カアァー」とかなり大きな鳴き声がする。
顔を上げると大きなカラスが1羽、待機小屋の屋根の上からこちらを見ていた。
隆はもしかしたら変身カラスかも知れないと思い話し掛けようとしたが、口を開きかけた所でようやく大きな間違いに気付く。
屋根の上にいるカラスへ届くような声を出せば、自分は変身ネコだと高らかに宣言するようなものだった。
辺りに人影がなかったお陰でことなきを得たが、話し掛けようとすること自体も他人に見られれば疑われてしまう危険な行為だった。
初めての外出で気持ちが浮ついたまま手掛かりを探し回ったが、どの場所も自分からは見えないところに人がいたかも知れないのだ。
いくら目立たないとはいえ、お腹に翻訳機を抱えた状態であちこち歩き回ってしまったことを思い返すと冷や汗が一気に吹き出してくる。
冷静になった隆は取り締まりを恐れる変身ネコが誰かに聞かれてしまうような場所で呼び掛けに応える筈がないと悟り、人目のない所で聞き込みをする為に公園を後にした。




