第21話
美沙は柳瀬が何を言っているのか全く理解出来なかった。
柳瀬は少し首をかしげながら、
「男が低い声で…『本当の目的はわかっている』と話し掛けてきたんだ…」不思議そうな口ぶりで話し、「そして、『決して俺を捕まえる事はできない』とも言っていた。でも、翻訳機を通してじゃないんだ」そう言うと翻訳機とイヤホンを持つ両手を美沙の目の前に差し出す。
「じゃあ、どうやって?…」美沙がそう言いかけた時、
「黙って!」柳瀬が短く言い、左手の人差指を唇に当てた。
『…俺は正体を明かしたりはしない』と再び男の声。
「だれ?」柳瀬は周囲を見回す。
『目の前にいるネコのどれかだ…』先程と同じ声が響いた。
男の声が自分の頭の中で響いていることに気付いた柳瀬は美沙の方へ振り返ってみる。
すると美沙が驚いた表情で目を見開き、両手を耳に当てながら頭を縦に何度も振るので、自分と同じ声を聞いたのだとすぐに判った。
『お前達に…俺を見つけられる筈はない』と再び男の声。
声の主が何か誤解していると感じた柳瀬は、
「違う、僕は母を捜しているだけです!」辺りを見回しながら言ったが
『俺は鳴き声で話したりはせず、こうして頭の中に直接言葉を届けられるのだ。翻訳機で捕まえようとしても無駄だ』柳瀬の言った事には全く耳を貸さず、怒りに満ちた声を2人の頭の中に響かせる。
「本当なの! お母さんは変身術の実験の為に誘拐されてしまったの!」口をついて出た美沙の言葉に、目の前で食べていた一匹のネコがその顔をゆっくり上げた。
その黒トラ柄のネコをじっと見詰める2人に、
『誘拐された…おまえの母の名は?』今度は静かな声を響かせる。
「柳瀬貴子と言います」柳瀬がすぐに答えると、
『ヤナセ…』黒トラ柄は短く呟いて黙った。
『そんな名前を…昔、聞いたことがあるが…』しばらくすると、黒トラ柄のネコが先ほどの怒りとは反対に優しさを漂わせ始める。
『思い出したらまたここで会おう…』その声が頭の中に響いた途端、黒トラ柄は2人の間を疾風のごとく駆け抜け、闇の中に姿を消した。
あまりの俊敏さに、柳瀬と美沙は声を響かせたのと同じ魔法を使って姿を消したのだと思っていた。
「声の主はあの黒トラ柄のネコに違いない…」消えた場所を見つめたままの柳瀬が言うと、
「私もそう思うわ…」同じ所を見ていた美沙も大きく頷く。
黒トラ柄との出会いはついに母親の手掛かりを掴めるという期待と、それがいつ会えるかわからない得体の知れないネコに託された不安みたいなものを柳瀬と美沙に抱かせた。
そんな複雑な心境の中でネコ缶配りを終えた2人は無言で帰路に着いた。
美沙はベッドで横になると今夜、黒トラ柄のネコが怒りに満ちて言った『翻訳機で捕まえる事はできない』という言葉を思い出す。
そして一体誰に対して怒っていたのか、黒トラを捕まえようとしているのは誰なのか、柳瀬の母親を本当に知っているのだろうかと、次々に湧いてくる疑問のわかる筈のない答えを探し続けた。
その後も毎日ネコ缶配りを続けて1週間経ったが、黒トラ柄のネコに再び会う事はなかった。
美沙はネコ缶配りに向かうドローンの中で、1週間ずっと疑問に思っていた事を柳瀬に投げかける。
「黒トラ柄のネコは一体、誰に対して怒っていたのかしら?」
それを聞いた柳瀬は腕を組み、しばらく何かを考えてから、
「思い当たる節がない…という訳でもない…」と遠回しに言った後、「ネコ缶配りは近い将来、違法行為になるかも知れないんだ」複雑な表情で話し始めた。
10日程前、警察を名乗る男からの電話を受けた柳瀬は変身ネコに餌を与えることが違法になると告げられ、続ければ罪に問われると忠告されたのだった。
法律が改正される前だから名前は明かせないと言うその電話を単なるいたずらとして片付けたかったが、それが本当なら母親捜しに支障をきたすと思い、真相を調べてみる事にした。
先ずは直接警察に問い合わせてみたが、変身ネコに餌を与えるのが違法かどうかは裁判所が判断することだと言い張り、将来的に法律が変わるかについても決めるのは政治家だと繰り返すだけだった。
その歯切れの悪い受け答えの裏に何かあると思った柳瀬が知り合いの政治家に訊ねてみると、変身術の取り締まりを強化する為の法案が提出される事になっていた。
法案は変身動物を助ける行為も罰することが目的でもし、可決されればネコ缶配りが違法行為になってしまうようだった。
すでに変身動物は死刑に処すという厳しい法律はあったが逮捕すること自体難しい状況では無いに等しく、取り締まれる範囲を広げて変身動物を手助けする人間も処罰の対象としようということらしい。
これまで逮捕が難しかったのは警察の取り締まり方法が過去に押収した翻訳機を使って行う手法だったからで、偶然翻訳される意味不明な言葉でそれが変身動物であると立証するのは難しいからだった。
実際に1年間の逮捕動物は多くても14、5匹しかおらず、しかも日本に生息していないものばかりで、柳瀬もネコに変身した母親が捕まってしまうと心配したことはなかった。
そんな実効性に欠ける取り締まり方法ではあったがそれを考え出したのは他でもない警察で、彼らが取り締まる立場にある一方で事件の被害者を助ける立場でもあるというのがその理由だった。
警察は変身動物の中に実験の為に誘拐された人達がいることを知っていて、救わねばならない被害者を死刑に導いてしまうような取り締まりはやりたくなかったのだ。
しかし立場上は違法なものを野放しには出来ず、誘拐によって変身させられた者とそうでない者を区別出来るようになるまでの時間稼ぎとして、捕まえられない方法で取り締まりを行ってきたのだった。
だが富裕層の間で変身することが当り前になった今、変身動物の数が逮捕者数を圧倒的に上回るのは誰の目にも明らかで、人々の取り締まり強化を求める声も高まりつつあった。
その後のさらなる食糧事情の悪化が追い風となって変身術撲滅を訴える政治家達が台頭すると、その圧力によって政府は新たな法律を作らざるを得なくなったのだ。
「あの黒トラ柄は僕達を警察の取り締まりだと勘違いし、憎しみをぶつけようとしたのかも知れない」話を終えた柳瀬が言うと、
「変身させられた動物がいるとわかっていながら取り締まりを厳しくするなんて…、黒トラ柄が怒っても当然ね…」美沙も黒トラ柄のネコに共感しながらそう応えた。
柳瀬はその美沙の反応を見て自分を理解してもらえると思ったのか、
「政治家達は変身が食糧問題に大きな影響を与えていると言うけど僕は全然そう思わない。だって、今は本物の動物も変身動物も人間が生み出した残飯しか食べていないんだからね。僕たちが与えているネコ缶だって元は人が食べ残したものなんだし…」と少し遠慮がちに話し始めたが、「実際、やなせフーズがどんなに沢山の缶詰を作っても、数パーセントを再利用していることにしかならない位の残飯が毎日生み出されているんだ。専門家だって膨大な量の食べ残しが生み出されてしまう現在の社会システムの不備こそが食糧問題の原因だと指摘しているし、僕もそれが正しいと実感しているよ」最後は熱く語り終える。
柳瀬は少しの間何かを考えるようにした後、
「あの黒トラ柄のネコも大量の残飯が処理されているのを何処かで目撃し、食糧問題の原因は変身じゃないと解っているのかも知れない」美沙の顔を見てそう話し、「一部の人々がこれまで通り贅沢なものを食べられるようにすることで利益を得ている政治家達は食糧危機を変身動物のせいにし、人々の目を真の問題点から反らそうとしているんだ。今の社会システムを変えれば解決できると判ってはいても、そんな政治家達がいる限り食糧危機は終わらないよ」キッパリと言い切った。




