第20話
次の日、平静を装いながらネコ缶配りへ出かけた美沙はドローンの中で何時昨日の話題に触れるのかとドキドキしていたが、柳瀬は予想に反して開発中の新しいネコ缶について話すばかりだった。
そのままネコ缶配りを始めるとすぐに柳瀬の奇妙な行動を目撃するが、美沙はそれを少し驚きながら見ていた。
なぜなら、柳瀬がその行動を少しも隠そうとしてないように見えたからで、それが昨日の話に関係しているのは間違いないと思えたからだった。
その帰り、ドローンを自動操縦に切り替えると柳瀬は切り出した。
「昨日は…、いきなり変な話をしてごめん…」そう言って頭を下げ、「別れ際は無言だったから僕が黙っていたこと…、怒っているんじゃないかと思って…」、「…でも、美沙を騙そうとしたわけじゃないんだ」途切れ途切れに話し終えるとうな垂れた。
美沙は昨日の動揺によって変身術に関わっていると疑われ、それが原因で隆の変身を知られてしまうことが怖かった。
しかし幸いにも、秘密にしていたことに対して腹を立てたと勘違いしているようで、表情にこそ出さなかったが心の底からホッとしていた。
「話の続きを聞かせて…」美沙が静かに告げると、
「えっ、イイの? じゃあ、僕を許してくれるんだね?」もう聞いてもらえないと思っていたのか、顔を上げて目を輝かせる。
「騙すつもりがないから正直に話してくれたんでしょ。だったら許すも許さないもないわ」美沙はそう言ってから、「昨日は突然の話しで少し驚いただけ…」昨夜の動揺は真実を知ってショックを受けたのだと印象付けるためにそう付け加えた。
「じゃ、続きを話すよ!」柳瀬はどこまで話したのか考えた後、「ボイスレコーダーは翻訳機だったと、探偵に聞かされたところまでだったっけ」と嬉しそうに告げ、その続きを話し出す。
ボイスレコーダーの正体が翻訳機だと告げられた柳瀬の頭の中では、なぜそれが母の元にあったのか、誰が何の為に持ってきたのか、そして変身は母親の失踪とどんな関係があるのかなど次々に湧いた疑問が大きく渦巻いていた。
探偵はそんな柳瀬を黙って見ていたが、やがて静かに口を開く。
「本件のように事件性のないことがハッキリしているにも関わらずその後も一切手掛かりが見つからない場合、変身術実験を行う為に誘拐された可能性が高いようです」と残念そうに話し、誘拐された者がひとたび動物に変身させられてしまえば、たとえ生きていたとしても捜し出す手段はないのだと続けた。
「私の母も変身させられてしまったと言うんですか?」柳瀬が訊くと、
「自ら変身した可能性も全く無いとは言い切れませんが…」探偵はそう言うと「しかし翻訳機は変身動物にとって命の次に大切なものです。それが置き去りにされているなんて普通では考えられません」、「何かの事件に巻き込まれたと考える方が妥当でしょう」と続け、「もう、私の力ではどうにもならない案件になりました」探偵は無念を滲ませながら話し終えた。
そこで中断した柳瀬は驚いた顔の美沙を見て、
「こんな話、すぐには信じられないと思うけど…。ネコ缶配りのもう1つの目的は、誘拐され、変身させられてしまった母を捜す事なんだ」俯きながらそう話し、「ネコに変身させられても、生きていればきっと自宅の近くに戻っていると思う。母の自宅があった地域からネコ缶配りを始めたのは、それが理由なんだ」と寂しそうに続けた。
「トモくんのお母さんが誘拐されて、実験でネコにされていたなんて…」美沙は唖然として呟いたがすぐに疑問が湧いて、「でも、変身させられたのが犬や他の動物じゃなくてネコだと、どうして判ったの?」と訊ねると、柳瀬はその顔を上げて再び話し始めた。
探偵が自分の力ではどうにもならないと言い残して去った後、柳瀬は静まり返った社長室で1人、これからどうやって母親を捜せばいいのか悩んでいた。
警察に誘拐事件として再捜査してもらう方法もあるが探偵が言うように動物にされた人を捜し出すのは到底不可能に思えたし変身が違法である以上、捜し出してもそのまま処刑されてしまうかも知れないのだ。
柳瀬は自身で密かに捜すしかないと悟り、捜索のヒントを見つける為に探偵が残していった調査報告書をじっくり読んでみることにした。
すると翻訳機は動物の種類毎に作られていることが判り、ネコ用のものはネコの鳴き声しか翻訳出来ないと判った。
そのヒントを基に数日間考え抜いて、ようやくある方法が柳瀬の頭に浮かんだ。
先ずは手元にある翻訳機がどの動物用なのか調べることにして毎日、仕事帰りに自社の缶詰を抱えて公園や川の土手に出向き、野良イヌや野良ネコと触れあう事にした。
ある日、イヤホンを繋いだ翻訳機をポケットに忍ばせながら集まった野良ネコ達に缶詰を与えていると突然、変な言葉が耳に届いた。
慌てて翻訳機のボリュームを上げると目の前で餌を食べながらニャオ、ニャオと鳴くネコの声に合わせて、何やら意味不明な言葉が耳に響いてくる。
柳瀬はそのネコの鳴き声が不完全に翻訳されたのだと考えて野良犬や鳥などでも試してみるが、そちらは何度やっても意味不明なものすら聞こえてくることはなかった。
色々試した結果、それがネコ用の翻訳機らしいと判ったがそれなら何故、意味不明な言葉にしか翻訳出来ないのかという疑問が残る。
柳瀬がその理由を探してもう一度探偵の調査報告書を読むと、あくまでその原理からの想像であるとしながらも、翻訳機が変身した人専用に作られたフルオーダー品の可能性が高いという記述を見つけた。
それを手掛かりに数か月間、対象を野良ネコだけに絞って試したが意味不明なものしか聞こえてこなかった為、柳瀬は報告書の記述の通り翻訳機が言葉に出来るのは持ち主の鳴き声だけだと結論付けた。
つまり、母親を捜し出す事が出来るのは柳瀬が持つ翻訳機以外になく、それが正しい言葉を発した時こそ母親との再会の時だということなのだった。
柳瀬はドローンの窓越しに外を見ながら、
「あのハーモニカの曲は僕が小さい頃、母にせがまれてよく演奏したものなんだ。それを流しながらネコ缶を配れば、たとえネコになっていても気付いてくれる筈…」静かにそう呟いた後、「僕はこの翻訳機をポケットに隠し、集まったネコ達の中に母がいないか時々確認しているんだ」と美沙が奇妙だと思った行動の真相を明かし、「正しい言葉に翻訳できる鳴き声さえ見つければ、僕は母親と再会出来るんだ」最後は力を込めてそう告げた。
奇妙な行動には深い意味があり、母親に会いたいという一途な愛情からだと判った今、美沙は心の底からその再会を成功させてあげたかった。
「分かっていると思うけど、この話は2人だけのものに…」別れ際に囁くような声で言われた美沙は右手で小さくオーケーサインを作ってみせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
より多くのネコを集め、出会う機会を増やす事が母親との再会を果たす近道だと考えた2人は次の日からスピードを上げてネコ缶を配ることにした。
休憩時間まで削って食べさせた努力が実り、2ヶ月経った今では美沙が手伝い始めた頃の3倍近くのネコが集まるようになっていた。
母親の自宅に程近い公園にやって来て、いつものようにネコ缶を配っていると、
『おまえの本当の目的はわかっている…』突然、男の低い声が柳瀬の耳に響いた。
柳瀬は翻訳機のボリュームを上げようと思い、急いでポケットから取り出すがまだ電源を入れていない事に気付く。
近くにいる誰かの声だと思って辺りを見回すが美沙の他に人影はなく、耳に着けていたイヤホンを外してみても何の異常はない。
『決して俺を捕まえる事はできない…』男の声があざ笑うように響くのを聞く。
翻訳機とイヤホンを両手に持ち、きつねにつままれた顔で立ち尽くす柳瀬に気付いて美沙が近づいてくる。
「トモくん、どうしたの?」と話しかける。
動揺して何も答えない柳瀬に、
「もしかして、お母さん? お母さんが何処かにいるのね?」と今度は小さな声で訊ねる。
柳瀬は辺りを見回しながら他人に聞かれないように、
「母じゃない…、男が話しかけてきたんだ…」と囁いて、その当惑した顔を向けた。




