第19話
当時、食品メーカーに勤めていた柳瀬は行方不明になった母親を捜す為に殆どの休日を使い、様々な人と場所を訪ねていた。
しかしそんな事を5年も続けていると、全然構ってもらえない妻から離婚を迫られてしまう。
柳瀬は不幸だと感じさせている自分に反論する資格はないと思い、慰謝料は要らないという妻と離婚した後、食品メーカーを退職した。
退職してからは来る日も来る日も捜索に出掛けたが母親の行方は一向にわからず、警察からも依然として発見の連絡はなかった。
ある日、柳瀬が手掛かりを捜して遠い親戚を訪ねると、その人が経営する缶詰会社には後継者がおらず廃業寸前である事を聞かされ、社長になってくれないかと誘われる。
捜索の為の資金が必要だった柳瀬はその誘いに乗り『有限会社ヤナセキャニング』という会社を継ぐ事に同意したが、実際は地元で雇った社員が5人いるだけの零細企業の社長になれただけだった。
会社の売上は社員達の給料を払うのが精一杯で、母親捜しの資金を貯めるどころか自分の貯金まではたいて経営難だった会社の立て直しをする羽目に陥ってしまう。
窮地に立たされた柳瀬はふと、食品メーカーで営業をしていた時に聞いた話を思い出した。
それは富裕層が食糧難の中でも昔と変わらない贅沢な食事をし膨大な量の食べ残しを作り出しているという話で、贅沢な食事が規制されると立ち行かなくなる多くの高級レストランが証拠となる残飯を人目に触れない場所で処分しているという噂で終わっていた。
柳瀬は昔の人脈とコネを使って噂が真実であることを確かめ、ただ同然で入手してきた残飯を材料に食糧不足を補う為の缶詰を作ろうと自社に研究室を設けることにした。
研究者達の並外れた努力により、残飯を基本的な味の要素に種分けするという柳瀬が考えた手法の実現に数ヶ月で漕ぎ着ける。
その後、種分けされた味の要素を再調合することで様々な料理の再現にも成功し、1年余りで食べ残しから作る『料理缶詰』の製造技術を確立した。
残飯から作るという理由で価格が低く抑えられその味も料理研究家達から高く評価された為、当初は新たな食糧として期待された。
しかし各地で試食会を開催してみると、完全に加工されているとはいえ誰かの食べ残しを口にすることは受け入れられず、商品化に至ることはなかった。
研究のために投資した負債を返済出来ず、会社は倒産の崖っぷちに追いやられたがそんな時、柳瀬に1つのアイデアが浮かぶ。
さらなる資金を借り入れる為になんとか銀行を説き伏せ、実現したばかりの技術をペット用缶詰の製造へ転用する事にしたのだった。
食糧危機の中、動物に与えるくらいなら食べられない人間に分けるべきという考え方が主流になってペット用缶詰を買う人は減っていった。
その後さらなる食糧事情の悪化によって缶詰の製造コストが嵩むようになると、ペットフードを作っている会社は販売価格を上げた分売り上げが下がるという悪循環に陥り、殆どが倒産か廃業の憂き目に遭っていた。
そんな中、ただ同然の残飯を利用するという新しい技術で作られた缶詰は驚くほど低い価格で登場する。
食べ残しが無駄なく再利用されることが知れ渡ると、これまでのペット用缶詰に対する悪いイメージまで払拭し、それを待ち望んでいた飼い主達に受け入れられて大ヒットとなった。
『有限会社ヤナセキャニング』は廃業した会社の工場を買い取るなどして事業を拡大して行き、1年後には、自社工場を6ヶ所に持つ、従業員500人以上の大きな会社に成長していた。
その後有限会社を株式会社に変更し、社名も『やなせフーズ株式会社』へ改めたのを機に母親の捜索を再開することにした柳瀬は自身での捜索に限界があると感じて探偵を雇う事にした。
探偵との最初の打ち合わせで当時の状況を詳しく説明する柳瀬はずっと引き出しに仕舞ったまま忘れていたボイスレコーダーの事を思い出し、その調査も併せて依頼したのだった。
数日後、探偵からボイスレコーダーについての調査報告をしたいと連絡があり、会社の営業終了後に社長室で会うことになった。
インターホンが呼び出し音を響かせ、
「鈴木様がお見えです。お通ししてよいでしょうか?」女性事務員の声で探偵の到着を知らせる。
「通してください。戸締りは私がするので、皆はもう帰って良いです」柳瀬がそう言ってデスク横の応接セットに移動して待つとすぐに社長室のドアがノックされて開き、グレーのスーツを身にまとった男が黒革のブリーフケースを手に現れた。
「鈴木です」と探偵は小さく頭を下げながら歯切れよく告げ、柳瀬の向かい側に腰掛ける。
徐に手持ちのブリーフケースから封筒を取り出し、
「ご存知かもしれませんが…」何の前置きもなしに真っ白い封筒を手渡し、「あれはボイスレコーダーではありません」と何故か声を潜めた。
探偵の話し振りですぐに中身を取り出して良いのか迷った柳瀬は、渡された封筒の口少しだけ開いてを覗く。
すると、艶のある深いグリーン色をしたパンフレットが入っている。
「これは?」封筒の中を見ながら訊ねると、
「変身…」探偵が囁いて黙った。
「…………………」それにどう答えれば良いか判らずに柳瀬がその困惑した顔を向けると、
「聞いた事はありませんか? ヘヴンに行くか変身するか、と?…」探偵が意味ありげに訊ねてくる。
「ええ、聞いた事はあります、が…」柳瀬が短く答えて次の言葉を待つと、
「ボイスレコーダーだと思っていたものの正体は、変身した動物の鳴き声を言葉に変換する翻訳機でした」探偵は落ち着いた声で静かに告げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ドローンの中でそこまで話すと美沙の顔をじっと見詰めて、
「これがその翻訳機なんだ…」柳瀬がポケットから銀色に光るものを取り出した。
美沙は翻訳機の話が出た辺りからすでに動揺していたが、現物を見せられると心臓の鼓動はさらに大きくなって耳に響いた。
まるで全身が心臓になったかのようにドクッ、ドクッと大きく脈を打ち始め、その音を聞かれてしまうのではないかとヒヤヒヤしながら顔だけはどうにか平静を保っていた。
次第に頭の中が真っ白になって何の言葉も出ず、このままでは動揺が知られてしまうと思ったその時、自動操縦のドローンは降下を始める。
「家に着いたようだから、続きはまた明日という事で…」柳瀬は笑顔で言うと、「じゃあ、おやすみなさい」とドローンを降りた美沙に普段通りの挨拶をして飛び去った。
しばらくの間呆然と夜空を見上げていた美沙はハッとして我に返り、急いで玄関の鍵を開けて中に入るとドアにもたれてフーッとため息をつく。
「ニャ~オ」と、隆の明るい鳴き声が書斎から聞こえてくる。
その声でようやく現実に戻った美沙は、
「いつも留守番ありがとう」そう言いながら書斎の明かりを点け、「ただいまー、チビちゃん」と隆の頭にキスをした。
美沙はその夜、ベッドの中で柳瀬の話を思い出していた。
全てを明かすと言った時にただならぬものを感じたてはいたが、まさか『変身』や『翻訳機』といった自分が絶対口にする事のない言葉を次々に発するとは予想しておらず、それがあまりに衝撃的で頭から離れなかった。
美沙の頭の中には次々と疑問が湧いてきて、ネコ缶配りと母親の失踪にどんな関係があるのか、探偵の捜索によって判明した変身用の翻訳機が何故母親の自宅にあったのかなど、見つけられる筈のない答えを探し始める。
あれこれ想像を巡らせていると美沙が変身に関係している事を知っているのではないかと思えてきて柳瀬と再び会うのが怖くなり、隆に相談してみようとも思ったが話を全部聞いていない状態ではどう説明すれば良いのか分らず、美沙はベッドの中で悶々とするしかなかった。




