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第17話

 柳瀬の背中を負ってドアが()いたままの部屋に入るとそこは授賞式のスタッフルームで、やなせフーズの社員達が忙しそうに出入りしていた。


 美沙を部屋の隅にある低いパーティションで仕切られた応接セットへ案内し、

「どうぞ、楽にして」柳瀬は側にある冷蔵庫のドアを開け、缶ビールを2本取り出してテーブルに置いた。


「じゃあ、ここから(かた)い話はなしでいこう!」椅子に腰かけてビールを開けると、それを手に持って、「ほら、早く」と美沙を()かす。


「あ、ごめん」美沙が慌ててビールを開けると、

「じゃあ再会を(しゅく)して、かんぱーい!」柳瀬は元気よく言い、手にした缶を美沙目の前に出して待つ。


「かんぱーい」美沙が遠慮がちに缶同士を合わせると、

「そうだ、優秀賞受賞にも乾杯だったね!」柳瀬は気付いたように言って、「優秀賞にかんぱーい!!」と今度は1人で缶ビールを高々と上げた。


 中学の頃の面影が残る無邪気(むじゃき)な笑顔で他人(ひと)の受賞を喜ぶ柳瀬を前にして、美沙は複雑な(おも)いに()られていた。

 なぜなら今は優秀賞を貰えたことより、作家の仕事を辞めて以来ずっと持ち続けた心のしこりを手放せたことの方が嬉しかったからだった。


 美沙は結婚した後、寝る間もない程忙しい隆の仕事を手伝う為にポエム作家でいることを諦めたが、数年経つと徐々に社会から孤立しているように感じ始めてしまう。

 やがてそれは大きなしこりとなり、心の真ん中に居座(いすわ)るようになってしまったがようやく今日、追い出すことが出来たのだ。

 受賞式の後の取材で自分は忘れられていないと判り、心のしこりが消えていくのを感じた美沙は受賞のことはもうどうでも良くなったが、一方で優秀賞を貰わなければあこがれの先輩に再会することも、青春時代へ戻った気分で胸を(おど)らせることもなかったのだと思う冷静な自分もいて胸中(きょうちゅう)は複雑だった。



「トモくん、あんまり飲まないのね」乾杯して以来、ずっとテーブルに置かれたままの缶ビールを見て訊ねると、

「…実はこの後、ボランティアとして街へ出掛け、ネコ缶配りをするんだ」柳瀬は少し照れくさそうに答えた。


(えら)いね、忙しいのにボランティアまでしてるんだ」それを聞いた美沙が感心(かんしん)すると、

「この食糧難で、残飯などのおこぼれが貰えなくなった野良ネコが沢山いるんだ」そう切り出し、あちこちへ出向いて自社(じしゃ)のネコ缶を与えているのだと続けた。



「トモくんネコ好きなんだ?」美沙が意外な感じて訊くと、

「僕にとってネコは特別な存在だから…、」続けて何か言おうとした柳瀬はそこで止め、下を向いて黙った。


 足元に視線を落としたまま、

「美沙さんのポエム…、本当に感動したんだ…」しみじみと話した後、思い付いたようにして「そうだ、ネコ缶配りを一緒にやらないか? 最初にポエムを読んだ時、こんな想いの人に手伝ってもらえたらと思ったんだ」その顔を上げて学生の頃のように期待に満ちた目を輝かせた。


 美沙が突然の申し出に驚いて何も答えられずにいると、

「ロボットを使って配ればわざわざ行かなくても済むんだろうけど…、僕はどうしてもネコ達に直接食べさせたいんだ」柳瀬は付け加えた。



 美沙は帰りのドローンタクシーの中で、先ほど訊かれたボランティアの事と手伝って欲しいと言った時の期待に満ちた表情を思い出した。

 必要とされたこと自体も嬉しかったがそれ以上に、『ネコは特別な存在だから…』と続けて何かを言おうとしてやめたことの方が気になっていた。

 ネコは美沙にとっても特別な動物だったし隆が変身したことでそれ以上の存在になっていたから、柳瀬が何を言おうとしたのかとても知りたかった。


 その好奇心からすぐに引き受けたかったが隆に相談した方が良いと思い、

「少し考えさせて」と告げると

「気が向いたらでいいから、ここへ連絡ください」そう言って名刺に連絡先を書いてくれたのだった。



 ドローンタクシーが自宅に着くとすでに7時を回っていた。

 玄関ドアを少しだけ開けて覗いてみるが部屋の中は暗く静まり返っていて、そこに隆の姿はない。


 廊下の明かりを点けて少し不安になりながら、

「ただいま…」と(ささや)くような声と共に薄暗い書斎を覗くと、隆はいつものように椅子の上で寝ていた。


 安心して笑顔になった美沙は書斎の灯りも点けると翻訳機を取り出し、

「ただいま、おチビちゃん」と隆の頭にそっとキスをする。


 留守番させた事を美沙が気にしないようにと、寝ているフリをしていた隆はわざと大きなあくびをして、

「おかえり~」と言ってから、「今日は久しぶりに熟睡(じゅくすい)したなー」今度は前足を真っすぐに前に出してお尻を上げ、全身を震わせながら伸びをして見せた。


「授賞式はどうだった?」椅子の上で座り直した隆が訊ねると、

「ゲストや取材の人が大勢いて、私も地元のニュース配信会社から取材を受けたわ」美沙は楽しそうに話してから、「そうそう、『ヤナセフーズ』の社長が中学の先輩だったから驚いちゃった。柳瀬知広という人なんだけど、だから会社の名前に『やなせ(・・・)』が付いているのね!」と驚いたように言って、「35年振りで色々思い出話をしてたら帰るのが遅くなっちゃったの」美沙は目を輝かせながら早口で終えた。


「へぇー、そうだったんだ。そんなに昔のことなのによく美沙だと気付いたね」隆が話の内容より生き生きと輝いて見える美沙の姿に驚きながら訊ねると、

苗字(みょうじ)が斎藤になってて直ぐには分からなかったみだいだけど、受賞者プロフィールにある出身校を見てピンと来たんだって」美沙はそこまで話し、着替える為にクローゼットへ消えた。


 隆は授賞式から帰った美沙が作家として働いていた頃のように生き生きしていたので何だか嬉しかった。

 3ヶ月間、(ほとん)ど外出もせずリハビリに専念してくれた美沙に申し訳ない思いが(つの)っていた隆は今日をきっかけに自分の事も少しは考えるようになってくれたらと思った。


 美沙が食事の支度(したく)を始めたのを見て、隆はいつものようにダイニングの椅子の1つに飛び乗って待つ。

 近頃は夕食の時間になるといつも美沙の隣に座り、食べられそうなおかずをつまみ食いしているのだ。


 前足をテーブルの端へ伸ばして催促(さいそく)すると、

「チビちゃん、サンマ食べたいの?」そう言いながら(はし)で身を()り分け、隆の口元(くちもと)へ運んでくれる。


「どう、おいしい?」隆が食べるのをじっと見て、「こぼさないように食べるの、上手になったわね」と感心しながら、「後で相談したい事があるから、書斎で聞いてね」そこだけは声を(ひそ)めて言った。


 食事の片付けを終えた美沙が書斎で毛繕(けづくろ)いしている隆の所へやって来て、

「さっき言った相談の事なんだけど…」翻訳機のスイッチを入れながら告げる。


「うん、そうだったね。相談って何だい?」顔を洗う手を止めて美沙を見ると、

「先輩の柳瀬くんがボランティアで街の野良ネコ達に食べ物を配っているそうなの。最近の食糧難で野良ちゃん達も残飯にあり付けないからなんだって…」と美沙が話し始めた。


「なるほど、人間もこの食糧危機で食べ残している余裕はないからね」隆がしみじみ言うと、

「それで…、気が向いた時でイイから手伝ってもらえないかって頼まれたの。私のようにネコ好きな人に頼みたかったらしいんだけど、どうかしら?」と隆の答えを待った。


「ネコ達に配る食べ物はどうやって手に入れるんだい?」食料事情がますます厳しくなったことを新聞で知った隆が訊ねると、

「やなせフーズで製造するネコ缶だと言ってたわ」と美沙は答え、「そのネコ缶は飲食店から出る食べ残しで作られているらしいの…」そう言ってから隆も同じものを食べていると気付いたのか、「…でも、元々は人間用に開発した缶詰だと…言ってたわ…」と口籠(くちごも)って(だま)()んでしまう。


「食べ残しだって気にしないさ。ちゃんと作られていてすごく美味しいからね」隆が笑いながら言うと、安心した美沙は再び話し出した。


「ネコ缶を作るのに残飯(ざんぱん)を使うということは…、野良ネコ達の生きる(かて)を奪うことになり…」美沙はそこまで話すと、柳瀬から聞いた事を思い出そうとして少し黙ったが、「…でね、残飯が元々野良ネコ達のものなら、やなせフーズのネコ缶は全て野良ネコ達のものという事になる訳で…だから、ボランティアを通じて彼らに返しているんだって」とその考え方を誇らしげに話す。


「なるほど。そういう事なら、手伝わない訳には行かないね」その話が他人事だとは思えない隆が言うと美沙は嬉しそうにして、

「やっぱりそうよね。じゃあ明日、柳瀬くんに連絡してみるわ」と納得した後、「留守番、多くなるけど大丈夫?」今度は心配そうにするので、

「ゆっくり眠れる時間が増える、という事だね」隆は目を細めて笑顔で答えた。


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