第13話
ネコを飼っていた経験がある2人だからか、美沙はネコの扱いにそして隆はネコを演じる事にたちまち慣れ、日々の生活で困ることはなかった。
「1日のスケジュールを決めた方がいいかしら?」夕食の片付けを終えた美沙が書斎の椅子の隆に話し掛ける。
体調が万全ではない為に何もしないとすぐに寝てしまうので、時間割りのようなものが必要だと感じていた隆はすぐに同意した。
「リハビリは発声と運動を1時間ずつにして…、それを2回やるなら午前と午後に分けた方がイイわね」美沙が優しく語り掛け、「じゃあ、午前は9時から11時、午後は6時から8時の2時間ずつでどう?」と頭を撫でるので、
「そぉんなぁ感じがぁいいぃね」と隆が答える。
「食事は今まで通り朝8時と夕方5時の2回にしておけば…、リハビリの後ゆっくりお昼寝が出来るわ」美沙は話し終えると隆をその胸に抱き上げた。
人間だった時、隆は甘えるのもベタベタするのも苦手だったが、わずか3日間で撫でられたり抱かれたりする事にすっかり慣れていた。
甘える事にためらいを感じないのは美沙よりずっと小さい身体になったからだと考えていたが、もしかしたら雌ネコになったからなのかも知れないと隆は思った。
当初、変身したら雄ネコになるものとばかり思っていた隆はその限りでない事を変身術の説明で知り、本物の動物に出会う事を想定した場合は雌でいる方が安全だとその理由まで聞かされたのだった。
子孫を残す為に本能がそうさせるのだろうが、野生動物の世界ではどんなに肉体的な強さで勝っていても雄が雌に牙を向ける事は殆どないらしい。
気が立った状態の雄と出会えば危険なこともあるようだが、大抵は降参の姿勢さえ示せべは襲われずに済むのだそうだ。
つまり、大きな傷を負ってしまうような事と無縁でいる為には雄と出会っても心配なく、互いに争う必要のない雌になっておくのが良いのだという話だった。
そんな話を聞かされても男の隆は雌になることに違和感があり、なかなか受け入れられなかった。
だが、野生の雄は飢えや寒さといった自然環境だけでなく、テリトリー争いや他の動物との死闘を日々生き抜かねばならず、その暮らしは人間のメンタルを持つ変身動物には耐えられない程過酷だと知って考えを改めた。
家で暮らす予定の隆は雄同士の闘いを心配する必要はないが、ネコのように小さい動物の場合はちょっとした怪我や病気で命を落とすこともあるので、気を付けなければならないことは多かった。
美沙を支える為に変身を考えていた隆は不用意に死んでしまったら意味がないと思い、最終的に健康維持能力で雄を上回る、雌になることを選んだのだった。
隆は美沙の温かい膝の上で寝そべり、身体を撫でられていた。
「そういえば、隆と呼んじゃダメじゃない。誰かに聞かれたらすぐに怪しまれちゃうわ」ソファに座った美沙がたった今、気付いたという感じで呟く。
「何か別の名前が必要ね…」独り言のように告げると膝の上で半分寝ていた隆を自分に向けて座らせ、その眠そうな顔を覗き込むようにして、「ねぇ、どんな名前がいい?」と目を輝かせる。
そう言われて確かに他の呼び名が必要だと思ったが、ネコになって以来この時間は眠くて仕方なく頭も働かないので隆はただ黙っていた。
美沙は名前のヒントを得ようとしているのか今にも寝てしまいそうな隆をじっと見詰めながら、
「えーと、隆だと悟られないような名前にしないと…」独り言を呟きながら視線を宙に泳がせていたが「大分小さくなっちゃったから、『チビ』なんて可愛いんじゃないかしら?」と殆ど目を閉じてしまった顔に話し掛ける。
「ぃぃねぇ…」眠くてもう何も考えられない隆が短く答えると、
「じゃあ決まりね! 可愛いチビちゃん!」そう言って嬉しそうに隆を抱き寄せ、頬ずりをして額にキスをした。
可愛いい見た目だからかそれとも言葉を話せないからなのか美沙はそんな隆を完全にペットとして扱い、撫でたりひげを引っ張ったりして構い始める。
可愛がるだけでは飽き足らず『チビ』と呼んで子猫のように世話を焼きたいのかと隆は思ったが、美沙がそうしたいなら仕方ないと諦めてその胸でされるがままでいた。
ネコに変身して2週間程経ったある日、朝からどこかへ出掛けていった美沙が長い間家を留守にした後、大荷物を抱えて帰ってきた。
どこへ行ってきたのか訊ねるとホームセンターやペットショップを何軒もはしごしたらしく、外に着陸したドローンタクシーと玄関を行ったり来たりしながら大きな袋や箱を沢山運び込む。
全然構って貰えない隆が荷物の匂いを嗅いだり買い物の袋に入ったりしながら、
「何ぃいをこぉんなぁに買ってきたぁんだぁ?」と通りすがりの美沙に尋ねてみても、
「チビちゃん、楽しみにしててね。明日中に全部組み立てるから」そう言ってウインクするだけで何も教えてはくれなかった。
次の日、美沙は丸1日掛けて全てを組み立てた上、慣れない手つきで日曜大工までこなして壁にいくつか棚を取り付けた。
それはリハビリをする隆の為に考えたもので設置が終わると家の中でも本格的な運動が出来るようになっていた。
先ずリビングには3段式キャットタワーと壁の3ヶ所に取り付けられた棚、廊下に出ると布製のトンネルが横たわり、続いて設けられた勾配のある板、その先には階段と数個のパイロンも置かれた。
廊下の一番端にある書斎の中もバランス感覚を鍛える為なのか細長い板をデスクと書類棚の間に渡し、その下には落下しても怪我をしないようマットが敷かれている。
あちこち匂いを嗅いだりしながら美沙の作業を見守っていた隆は、まるで家の中にフィールドアスレチックが出来たように思え、早くリハビリをやってみたくてウズウズしていた。
美沙はその高ぶりをよそに、寝床用に買ってきたキャットハウスの箱を開けた後、沢山のオモチャを袋から取り出してあちこちに設置していく。
待ちきれなくなった隆が壁に取り付けられた棚にマーキングしたり、新しいキャットタワーで爪を研いだりして誤魔化していると全ての作業を終えた美沙がやって来た。
「さあ、完成したから見せてあげるわよ!」勢いよく隆を抱き上げると各所の案内を始めた。
「ここかがスタート地点よ」書斎に行って書類棚の上に隆を下ろし、
「難しいけど、先ずはこの細い橋を渡ってデスクに移るの。そこから椅子を伝って床に降りてね…」と再び抱き上げた隆を自分の説明に合わせ、デスクと椅子を経由させて床に降ろす。
「床に下りたら次はこのトンネルを抜けて…あ、その前にネズミを叩くの忘れないでね!」ネズミのオモチャを振って見せると「ここ、走って抜けられるかしら?」隆をトンネルに誘う。
美沙の説明によると、トンネルの先に設けられた急勾配の板を上って下りたら続く階段を頂上まで駆け上がって1メートル程離れた場所のマットの上へ飛び移る。
次は床にあるボールを両手で転がして2メートル位ドリブルした後、口に咥えてパイロンの間を縫うように走り抜け、キャットタワーの柱をよじ登って最上段に置く。
そこから美沙が取り付けた3つの棚を連続ジャンプで渡ってソファの背に飛び乗り、最後は書斎まで全力疾走で戻るという周回コースにだった。
途中に置かれたオモチャは別のものへ変更することで、引っ掻く、投げる、ネコパンチやネコキックといった具合に違う能力を鍛えることが出来るようだ。
そのコースを使った運動は午前に行い、午後はネコじゃらしやぬいぐるみ付きの釣り竿を使って遊びながら出来る運動をさせてくれるようだった。
それらの他に瞬発力と持久力を兼ね備えた筋肉を作りながら心肺機能の向上も図れる、キャットホイールを使ったメニューなども用意され、全てが考え抜かれていた。




