第148話 あまふわお茶時間
主食料理対決ですっかり打ち解けた灯花庵の面々と、黄河の猪親子。
誰もが料理対決のことを忘れたように、思い思いに雑談を楽しんでいた。
そこには、魏も呉も蜀も、そして楼蘭(鄯善)さえも関係のない、
国という垣根を越えた、穏やかな午後のひとときが流れていた。
その様子を眺めながら、曹英がそっと耳打ちしてくる。
「ねえ、甘味対決用に用意したお茶だけでも、皆に振る舞わない?」
私は頬を緩め、こくりと頷いた。
「そうね。これだけおしゃべりしていれば、喉も乾くものね」
銀糸を通して思いが伝わったのか、燈三姉妹も静かに頷いた。
私は程普と談笑している許褚へ声を掛ける。
「許褚さん、皆にお茶を振る舞いたいのだけど、火鉢を借りてもいいかしら?」
「おお、そうだな。儂も少し喉を潤したいと思っていたところだ」
「儂には酔い覚ましに濃い目の者を頼むぞ」
程普が片目をつむり、妙な視線を送ってくる。
(うわっ、きもいです……)
私は愛想笑いを浮かべつつ、きっぱりと言い切った。
「皆さん、同じものをお出しする予定です!」
そう言って火鉢の方へ向かうと、
郭淮と諸葛瑾、馬岱と話していたバハルンと、
その横でつまらなそうにしていた楼花が、バハルンに何か耳打ちしていた。
気にせず火鉢の前まで進むと、楼花が突然走り寄ってきて、
勢いよく私の腰に抱きついてきた。
「うわー、星愛お姉ちゃん、いい香りがするね!」
「えっ、どうしたの、急に抱きついて」
「だって、お父さんの話つまらないの」
今度はお腹に顔を押し付けてくる。
「あら、困った子ね」
そう言って頭を撫でていると、燈澄が腰に手を当てて目を吊り上げた。
「駄目! そこは私の特等席よ。離れなさい!」
曹英と燈柚は、含み笑いを浮かべている。
「ねえ、楼花ちゃん。これからお茶を作るの……
燈澄と一緒に手伝ってくれるかしら?」
「うーん、お姉ちゃんが言うなら仕方ないなあ」
そう言いながら、楼花はしぶしぶ燈澄の横へ並んだ。
銅の小鍋から立ちのぼる湯気は、秋の空気に溶けるように細く揺れていた。
濃く煮出した紅茶に、シナモンの枝をひとつ。
甘い香りが湯気に溶けて広がる。
私はそっと息を吸い込み、その香りを楽しんだ。
続いてカルダモンの殻を指で軽く押し割ると、ぱきりと小さな音がして、
その瞬間、甘く鋭い香りがふわりと広がった。
割ったカルダモンを六粒、小鍋へ落とす。
(秋の風のような涼やかな香りね……)
私の表情を覗き込んでいた楼花が、にこっと笑って言った。
「イスタンブールの秋は、こういう香りがするんだって」
「えっ、そうなの? よく知っているわね」
私が楼花に応えると、彼女は胸を張って得意げに言った。
「うん、お父さんがいつも言ってるもん」
「楼花ちゃんは、お父さんが大好きなのね」
そう声を掛けながら、私はクローブを四粒そっと落とした。
乾いた香りが紅茶の熱に触れ、ゆっくりと立ちのぼる。
出来上がったチャイを容器に移し、女神席へ運ぶ。
最初に反応したのは愛麗だった。
「あら、媚薬の香りがするわね。うふふ」
芽衣は湯気を見つめ、静かに息を吸った。
「……ふふ。
シナモンの甘さの奥に、秋の夜の気配がするわ。
これは、心を落ち着かせるお茶ね」
私は微笑み、チャイの容器を侍女に渡して静かに下がった。
チャイの香りに誘われ、皆が火鉢の周りへ集まってくる。
許褚は鼻をひくつかせ、目を丸くした。
「なんじゃこの香りは……!
甘いのに、どこか戦場の火の匂いみたいに熱いぞ!」
湯気をじっと見つめ、
「むむ……悪くない。儂は好きじゃぞ、こういうの」
許褚の反応を見て、程普は湯気をくんくん嗅ぎ、にやりと笑った。
「ほほう……これは身体が温まるのう。
媚薬かどうかは知らんが、酒の後にはちょうど良いわい」
そして私に向かって片目をつむる。
「星愛殿、儂には濃い目で頼むぞ」
ぞわっと寒気が背中を走った。
馬岱も二将の反応を見て湯気を吸い込み、目を細める。
「ほほう……これは西域の香りですな。
シナモンに、カルダモン……楼蘭の商隊が運んだ香りでね」
そして嬉しそうに笑った。
「星愛殿、これはぜひ蜀にも持ち帰りたい一品ですな!」
やがて、午後の柔らかい陽ざしのもと、
あまふわお茶時間が始まった。
その様子を、一柱の女神が危機感を持って見つめていた。
「ちょっと待った! みんな何を考えているの!
今は勝負の時間なのよ……!
あまふわお茶時間なんて楽しんでいる場合じゃないの!」
絵蓮は勢いよく席を立ち、私と黄河の猪親子が談笑しているところへ割って入ってきた。
「もう星愛、目を覚ましなさい!
相手の陣営の女子と、ふわふわしてる場合じゃないでしょ!」
さっと後ろを振り向き、さらに声を張り上げる。
「許褚まで何してるの!
相手は灯花庵の協力者、しかも呉と蜀の将軍よ、しょ・う・ぐ・ん!
現実の敵対勢力でもあるのよ!
もう、程普は赤い顔してるし、馬岱はそんな笑顔で敵将と話して……
本当に、もう、なんなのよ!」
(ちょっと、落ち着いてください絵蓮様!)
私は慌てて心話で声をかけた。
――うふふ。料理対決しようと言い出したのはあなたよ?
観客の皆さんまでふわふわしてますわね。
――もう、華蓮!
あなた、たまには働きなさいよ!
――あらあら、そんなこと言っていいのかしら?
智遊祭の司会で得た信仰の力なんて限定的ですのよ。
維持できるかどうか、私、非常に疑問視してましてよ。
(まあまあ、お二人とも落ち着いて)
――私は落ち着いてましてよ。
落ち着いていないのは、このメソポタミアの駄女神でしてよ。
――ああああ! 言ってはいけないことを言ったー!
――あら、図星でしたかしら。
(もう、いい加減にしてください!)
――何、その口の利き方は……
星愛は、人の子の分際でずいぶん偉くなったね!
絵蓮の一言が、私の魂に火をつけた。
一気に視界が真っ赤に染まり、四柱の女神の意識が一斉に流れ込んでくる。
だが、入ってきた女神たちが表に出ることはなかった。
私は一瞬で絵蓮の背後へ回り、喉元に銀糸を立てた。
驚いたのは絵蓮だった。
――えっ、この動き琴葉蜘蛛?
……か、覚醒したの?!
他の女神たちも、私と絵蓮へ視線を向ける。
――絵蓮、早く謝りなさい。
今の星愛は、あなたの神能も使えますわよ。
下手をすれば、六柱の女神の神能があなたを灰にしますわ。
絵蓮は固唾をのみ、私の手をぺしりと叩いた。
――悪かったから、その手を下ろしてくれない?
私は静かに頷き、手を離してから尋ねた。
(絵蓮様が突然、勝負勝負と言い出したのがいけないと思います。
どうして急に騒ぎ始めたんですか?)
――観客を見回してごらん。
みんな、女神のお茶会……じゃなくて、大お茶会に飽きて、
退屈そうにしていたからだよ。
(それなら、麗麗姉妹の軽やかな音楽をスクリーンに流して、
私たちの甘味で女神さまのお茶会をすれば楽しめると思いますよ)
絵蓮は半分納得したように頷き、舞台の前へ出て大きく手を振った。
観客が一斉に絵蓮に注目する。
「みなさーん! 最後の甘味勝負、楽しみですか――!」
おおーーーっ!
「甘味対決は折角なので、お茶会の雰囲気の中で進めまーす!
みんな、女神のお茶会を見たいか――!」
おおーーーっ!!
「いやー、みんないい返事で安心したよー! ありがとーー!」
「絵蓮様すてきー!」「エレン! エレン! エレン!」
声援がコロシアムに巻き上がる。
「ではー、スクリーンには麗麗姉妹のお茶会に合う曲を流しまーす!
女神たちと一緒に、お茶会を楽しんでくださーい!」
オオーーーッ!
観客の歓声とともに、可愛い麗麗姉妹の歌声がコロシアムに広がっていった。
「じゃあ、チャイを飲みながら、女神たちには甘味を楽しんでもらいましょう!」
オオーーッ!
「キャー! 絵蓮様こっち向いてー!」
「ではー、まずは黄河の猪親子の甘味からだー!
頼んだよ、許褚大将!」
許褚は程普との雑談をやめ、絵蓮へ向き直って返事をした。
「おうよ、まかされたぞ!」
程普が許褚の肩をぽんと叩く。
ゆっさ、ゆっさと巨体を揺らしながら、許褚は供膳車へ歩み寄っていった。
(うわあ……程普さん、完全に黄河の猪親子を応援してるみたい)
――応援している“みたい”ではなくて、応援してますわね。
心話の発信元へ視線を向けると、女神たちが探るようにこちらを見ていた。
「覚醒した」という言葉が脳裏をよぎり、私は華蓮へ意識を向けた。
(華蓮様、覚醒って……何なんですか?)
華蓮は瞳を細め、私を見つめながら言った。
――星愛、私に向かって銀糸を一本放ってみなさい。
(えっ、急にそんなこと言われても……こう? うーん……髪の毛一本に気を集中して……エイッ!)
一本の銀糸が華蓮へ向かって放たれた。
華蓮はニヤリと笑い、塵を払うように手を振ると、銀糸は失速して地へ吸い込まれた。
――分かったかしら。そういうことよ。
(そういうことって……どういうことですか?)
――きゃはは、星愛は何を言っているのー?
(その声と口調……琴葉ね。そういえばあなたも赤い瞳だったわね)
――そうよ。地上にいる赤い瞳の女神は三人。そして琴葉を合わせて四人。
今、地上界にいる“赤い瞳”を持つ女神と人の子の数。
そして星愛は、その四人の神能と能力を自由に使えますの。
(じゃあ……もし他にも赤い瞳の女神が現れたら、その神能も使えるってことですか?)
――あら、よくお分かりですこと。あなたにしては上出来ですわ。
(ちょっと待って……さっき六つの神能が絵蓮様を灰にすると言ってましたよね。
二つ多い気がするんですが)
――嫌ですわね。絵蓮の背後に回った時のことも覚えているのね。
そうですわよ。あなたの地上界の母である光の女神テイアの神能。
そして……なぜだか竈の女神ヘスティアの香りが、あなたの魂から感じるの。
(華蓮様……地上界の母も気になりますけど、
ヘスティアの香りって……何か隠してませんか?)
コトン――
その時、華蓮の耳を通して、テーブルに皿が置かれる音がした。
郭淮が甘味を並べているところだった。
「黄河蜜と棗と胡桃の蒸し菓子でございます」
――赤い瞳を持つ者の役割は、冬の市のあとでゆっくり教えて差し上げますわ。
ヘスティアの香りより、まずはこの甘味の香りを楽しみなさい。
(ちょ、華蓮様、ごまかさないで……)
その時、鼻腔ではなく“お腹のあたり”から香りを感じた。
棗の赤い甘さがふわりと広がり、
蜂蜜よりも優しく、秋風よりも温かい香りが漂う。
その甘さが、胡桃の香ばしい香りをそっと運んでいた。
(えっ……まるで目の前にあるみたいに香りを感じる……)
――うふふ、香りだけではありませんのよ。
すっと、腹の奥から心の中へ甘味の一皿が浮かび上がった。
表面はしっとりと淡い色合い。蒸気でふんわり膨らんだ質感。
生地には細かく刻んだ胡桃が混ざり、素朴な粒感が見える。
(このふわふわ……たまらないわね)
――ですわね。星愛、頬が緩んでいますわよ。
(華蓮様、は、早くいただきましょう……)
――本当に、あなたはせっかちですわね。
そう言いながら、華蓮は甘味を匙で掬った。
柔らかく膨らんだ生地には、蜂蜜で煮含めた蜜棗が添えられ、
艶やかな深紅の棗が、薬膳らしい落ち着いた甘さを伝えている。
胡桃を軽く砕いて散らし、香ばしさを添えていた。
(華蓮様……美味しいですね、この甘味)
――でも、あなたのお腹は膨れませんでしょ。
(いえ、味と食感、香り……五感全部でこの甘味を感じて……
ふわふわの幸せに包まれてます)
――あなたは、いくら食べても太らなくていいわね。
これが、あなたの赤い瞳の能力のひとつ。
赤い瞳を持つ者の美味しい感覚を、自分の五感に移せるの。
(えー、えー、いいですね、この能力!)
――あなたの言ったことは、私の感覚でもありますのよ。
そのまま感想に使わせてもらいますわね。
華蓮が私の感想をそのまま伝えると、
観衆が一斉に歓声を上げた。
(ねえねえ華蓮様、今度は私たちの甘味の番ですよ)
私は華蓮に伝え、亜亥へ視線を送る。
亜亥は静かに頷き、私たちの甘味を女神席へ運んでいった。
コト――、スー――
ゆっくりと差し出される、私たちの一品。
亜亥が一礼し、優しい声で料理名を告げた。
「ローマ風蜂蜜ケーキ・栗と干し果実添えでございます」
(うわー……やっぱり私たちの甘味はいいですねー。
見た目も香りも、“あまふわ”って言葉がぴったり)
――私たちの甘味ではないでしょ?
(えっ、その声……澪さん!?)
――そうよ。あなたの感覚が少しだけ私にも流れてくるの。
あなたほどではないけれど、あなたが感じたことが薄く伝わるのよね。
(ほ、本当なんですか)
――ほんとだよー。
――星愛、ちゃんと私も感じてるの。
――うふふ。あなた、悪いことできなくてよ。
こうして僅かだけど、あなたの感覚を同じように感じられますの。
本来は“赤い瞳の中心”に立つあなたの危機を察知するための能力でもありますわ。
絵蓮に、琴葉、華蓮……みんな私と繋がっているの?
(あのう、赤い瞳だけじゃなくて、銀糸で私たちも繋がっていますよ)
(えっ、その声……曹英?!)
(星愛お姉ちゃん、さっきからずっと心話聞こえてたよ)
(今度は燈澄なの……)
――うふふ。あなたが皆を感じるように、皆もあなたを感じていましてよ。
まあ、銀糸はあなたが切りたいと思えば消えますけれど。
(お願いだから切らないでください! 私、繋がっていたいです)
(えっ、その声は燈柚?)
(そうね……こうやって繋がっていると、なんだか特別な気分になるわね)
(燈灯までそんなこと言うの……)
――あらあら、面白いわね。本当に人たらしですわね、あなた。うふふ……
――もう、あなたたち。それより甘味を忘れていない?
最後くらい、この料理を考案した私が直々に説明してあげるわよ。
(そうそう。おしゃべりばかりじゃなくて、甘味も楽しまないとね)
私が言うと、なぜか皆が同意した気配が伝わり、
反射的にその気持ちを澪へ送ってしまった。
――シルクロードの旅の終着はローマよ!
ウェスタもそう思うでしょ?
(だ、誰ですか、そのウェスタっていう人は)
――まあ、人の子の星愛は知らなくていいことね。
さあカレン、私の自信作。食べてみて。
表面はしっとりと黄金色に焼け、蜂蜜の艶が陽光にほのかに光る。
断面は粗めで、セモリナ特有の粒立ちが心に映える。
――セモリナ粉を使ったローマ風の素朴な蜂蜜ケーキよ。
さらに楼蘭の干し葡萄と干し杏を散らして、
シルクロードの香りを感じる彩りに仕上げているわ。
ナッツを軽く砕いて振りかけ、香ばしさも添えてね。
我ながら手の込んだ一品よ!
……
ローマ名を持つギリシャの女神には懐かしいものでしょう?
――あら、私はギリシャでもローマの女神でもありませんのよ。
――私はメソポタミアの女神だよ。
――ローマ名のある女神は、ユノ(ヘラ)、プロセルピナ(ペルセポネ)、
アフロディテ(ウェヌス)、イリス(アルクス)でしょ。
でも、みんなローマで油売ってたんだから。
両腕を組んで鼻高々に語る澪の顔が思い浮かぶ。
私が創造した澪に反応したのか、華蓮がニヤリと笑った。
――あら、このケーキ……香りも、口に入れたときのふんわり感も、
美味しいですわね。
華蓮の心話が聞こえたと思えば、もう感想を語り始めていた。
「この楼蘭の干し葡萄と干し杏が、絹の道の香りを添えているわね。
ナッツを軽く砕いて振りかけてあるのも、香ばしくて素敵ですわ」
わぁー!!
華蓮さまー!
一斉に巻き起こる歓声。
「横には、十一月旬の栗の甘露煮が添えられていて……」
フォークで栗を口に運ぶ華蓮。
「艶やかで丸みのある栗が、秋の深い甘みを伝えているわね。
そして干し葡萄と干し杏が彩りを添え、
ナッツの香ばしさが心憎い演出。
この料理の考案者の性格がよく出ていますわ」
――か、華蓮! 最後は私が締めるって言ったわよね!
華蓮は澪の言葉など気にせず、甘味を口に運び続ける。
「蜂蜜の甘さ、栗のほっくり感、干し果実の濃縮された香り……
一皿に重なる“秋の締めの甘味”。
うん、満点ですわね」
――ウォーッ!!
――か、華蓮! 最後は私って言ったのに!
美味しいところ持っていかないで!!
観客の声援と、イスタンブールからの悲鳴が
私の中で響き合った。
そして、イスタンブールの方角を見て
ほくそ笑む華蓮だった。
こうして、女神と人の子が紡ぐ
あまふわお茶時間は、静かに終焉へと向かっていった。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
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更新は偶数日の朝7時過ぎを予定しています。
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