第147話 故郷の主食
竈の炎をじっと見つめていると、
新たに声を掛けてくる二人がいた。
「どうですか。太陽の恵みをたっぷり受けて育った
我らの小麦粉は、お役に立っていますかな」
声の主へ振り向くと、
馬岱と関平がにこやかな表情で立っていた。
私が返すより早く、程普が口を開く。
「おう、これは劉備の平岱のお二方。
さしずめ蜀の小麦粉の売り込みですかな」
再び竈へ目を戻す。生地がいい具合に膨らんでいた。
火を落とし、私は二人へ向き直る。
「お陰様で、この通り見事に膨れ上がっています」
満足げに笑う私の横で、
馬岱と関平がどれどれと覗き込み、馬岱が目を細めた。
「ほほう、良い色で焼き上がっていますな。
これなら蜀の小麦で作ったと胸を張れますぞ」
そこへ、鼻をクンクンさせた赤ら顔の程普が割って入る。
「ほほう、うまそうに膨れておるな!
うーん、この香り……食欲をそそるのう。どれどれ……」
(あー、やっぱり手を出そうとしている)
私は腰に手を当て、じろりと程普を見た。
「程普さん、温度が変わるから触らないでください!
さっきもつまみ食いは駄目って言いましたよね」
「いやあ、すまぬすまぬ。あまりにも美味そうでな、つい……」
和やかな空気が広がったのも束の間だった。
曹英が女神の舞台、そしてその先の
黄河の猪親子の舞台へ視線を向け、ふっと目を細める。
「いよいよ、最後の料理が動き出したようです」
その言葉に、皆の視線が一斉に黄河の猪親子の舞台へ注がれた。
許褚の檄がこちらまで響いてきた。
「よいかあ、これが最後の勝負だ! 皆の者、我に続け!」
二台の供膳車が押し出され、その後ろに火鉢を担いだ許褚、
そして黄河猪親子の面々が続く。
(えっ、なになに。許褚さん、火鉢担いで何する気なの)
沙良も同じことを思ったらしく、目を細めて許褚を見つめた。
「許褚は兵糧料理でも始めるつもり?」
恬香が腕を組み、移動する黄河猪親子を目で追いながら頷く。
「許褚とは、戦場で生きてきた男のようですね。わかります。
最後の主食は戦料理を当ててくると思います」
斯音も腕を組み、恬香の言葉に相槌を打った。
「私もそう思います……武人特有の空気があります」
諸葛瑾が興味深そうに二人へ問う。
「秦の蒙恬、李斯様が言われるのなら間違いありませんね……
ということは、戦地で聞いたことのあるあの料理になりそうですね」
馬岱が手を叩き、合点がいったように言葉を継ぐ。
「ほほう、我ら馬一族も作ることがある例のやつですかね」
程普がニヤリと笑い、締めくくった。
「さよう。許褚は相当の腕前よ……戦場では敵ゆえ見られぬが、
今日は生で見られそうじゃな。
星愛殿、そろそろ儂らも女神の舞台へ向かわんか?」
(なによ、あれだの例のやつだの……いったい何なのよ)
沙良を見ると、楽しげに許褚の火鉢を見つめていた。
(えっ、沙良まで知ってるの……?)
銀糸で繋がる曹英が心話で囁く。
――私ね、許褚叔父さんに子どもの頃、
あれをおねだりして、中庭でよく作ってもらっていたの。
私と燈三姉妹はついに堪えきれず、声を張り上げた。
「「「だから、あれって何よ!!」」」
関平が得意げに笑う。
「あれは一見の価値がありますよ。
星愛さん、私たちの料理も仕上がりましたし、
そろそろ女神の舞台へ移動しませんか?」
(確かに関平の言う通り、全部できたし……移動するのも悪くないわね)
私は皆を見回し、
「私たちも女神の舞台に移動しましょう」と告げると、
全員が頷いた。
女神の舞台に到着すると、
火鉢の上には大鍋が据えられ、なみなみと注がれた水が
ぐつぐつと煮立っていた。湯気が陽光に照らされ、白く揺れている。
少し離れた場所では、許褚と郭淮が何やら話し込んでいた。
許褚がこちらに気付き、視線をよこす。
私と目が合うと、ニヤリと笑った。
「これはこれは、親玉の星愛殿。
あまりにも遅いから、始めようとしていたところだったわい」
私も負けじと口角を上げてみせる。
「ごきげんよう、許褚殿に皆さま。
次はどんな料理か楽しみですわね」
――ぷっ、なによその口調。まさか私の真似をしているの?
(いいじゃないですか。こういう時は華蓮様の口調が合うんです)
――嫌ですわね。あなたには短気な妹口調があるでしょう?
(あんな話し方したら喧嘩になりますって)
――いいんじゃなくて? あなたたちの方が人数多いみたいですし。
あら、馬岱に関平、それに楼蘭商隊の隊長と娘まで。
本当に人たらしですわね、あなた。
(人たらしって何なんですか!)
私と華蓮の心話に、絵蓮が割って入ってきた。
――星愛! 許褚の話、全然聞いてないよ! 怒ってる!
(えっ!)
恐る恐る許褚を見ると、顔を真っ赤にして怒鳴っていた。
「星愛殿! わざわざ料理の説明をしておるのに……
その態度、儂らの料理を見て後悔させてやるわい!」
(料理の説明って……あれの説明があったの?)
琴葉がこちらを見て、にやりと頷く。
「そうだよん。あれを知らないのは星愛だけになったよ」
「えー、嘘でしょ!」
私は驚いて皆を見回した。
全員が静かに微笑み、揃って頷いたのであった。
許褚は私を睨んだまま、腰の短刀を抜き放った。
刀身が陽光を受け、鋭く光る。
(ま、まずい……みんな、逃げて……)
突然の抜刀に身を固くした私とは対照的に、
周囲の皆は何かを期待するように許褚へ視線を向けていた。
(えっ、どうして!? 許褚が怖い顔で抜刀したのよ!)
――うふふ、あなたもおしまいの時が来たのかしら。
(か、華蓮様……のんきに何を言っているの!)
――ガタン。
許褚は練り上げた大きな麺塊を左腕に載せ、堂々と口を開いた。
「曹丞相府・黄河小麦の刀削麺──とくとご覧あれ」
ギラリと輝く短刀が麺塊へ当てられる。
「と、とうしょうめん……?」
思わず腑抜けた声が漏れた。
――ほんと、人の子のあなたは面白いわね。
刀削麺より、あなたを見ている方が楽しいわ。
(つまらない冗談はやめてください、華蓮様!)
頬を赤らめながらも、私は許褚の動きに目を奪われた。
許褚は拳ほどの麺塊を片手に持ち、短刀を逆手に構える。
次の瞬間、豪快な削り技が炸裂し、白い麺が湯へと舞い落ちた。
湯気が立ちのぼり、麺が踊る。
その軌跡は、まるで戦場で鍛えた腕が奏でる刀の舞のようだった。
郭淮が恭しく女神たちへ頭を下げる。
「曹丞相府・黄河小麦の刀削麺でございます」
白い麺は美しい放物線を描き、大鍋へ吸い込まれるように落ちていった。
黄河猪親子の面々が、女神の前へ静かに汁椀を置いていく。
郭淮がこちらを見て微笑んだ。
「あなたたちも、ご一緒にどうですか」
「うわーい!」と声を上げたのは琴葉。
「わたしもー!」と燈澄も負けじと手を挙げる。
椀を受け取った二人は、麺を削る許褚のもとへ駆け寄った。
琴葉は感心したように目を丸くする。
「叔父さん、いつも威張ってるけど、こんな技を持ってたんだねえ」
静かに琴葉の横へ程普が立ち、しみじみと呟いた。
「敵陣でしか披露されぬ麺塊さばきを、まさか拝めるとはのう」
諸葛瑾が続く。
「左様ですな。西湖の蟹を夢咲に提供した甲斐があったというものです」
皆が許褚の麺塊さばきに見惚れていた。
郭淮が私の前に来て、恭しく椀を差し出す。
「星愛様も、我らの兵糧料理を召し上がってください」
「郭淮さん、ありがとう」
湯気の立つ椀を覗き込む。
麺は一本一本が鋭い刃で勢いよく削り取られたことを物語っていた。
不規則で荒々しい形状。中央が厚く、両端が極薄になった柳の葉のような姿。
手削り特有のゴツゴツとした断面が、湯気の中で輝いている。
白濁した猪骨スープの中で、麺が重なり合い揺れていた。
まずは汁を啜る。
豚骨独特の濃厚な旨味が口いっぱいに広がり、しかし後味は驚くほど軽い。
麺は一本一本が笹の葉のように不均一で、
その凹凸にスープがよく絡む。
少し硬さの残る食感が、さらに味を引き立てていた。
「無骨だけど……美味しい」
馬岱が横で頷く。
「戦場では戦場を忘れさせ、故郷を思い出させる味。
平和な地では戦場の荒々しさを思い出させる味。
不思議な一品ですな」
私は静かに頷き、最後の一滴まで飲み干して椀を置いた。
次は私たちの主食の番だ。
この時初めて、胸の奥に小さな不安が灯った。
私は沙良に視線を送り、沙良も静かに頷いた。
蓋を開けた瞬間、トマトソースとシナモンの香りが湯気とともに広がる。
私は一礼し、口を開いた。
「秋茄子のムサカ(重ね焼き)と、新疆風ナン・秋の胡桃ディップ添えです」
妃良が微笑む。
「随分と懐かしい料理ね。運んでくれるかしら」
沙良と斯音へ視線を送ると、二人は頷き、給仕を始めた。
沙良が妃良の前へムサカとナンをそっと置く。
妃良は優しく微笑み、料理を見つめた。
「ギリシャを思い出すわね。
さすがミレイア(澪)。私たちの好みをよく知っているわ」
私は静かに頷き、言葉を継ぐ。
「はい。ギリシャの家庭料理を、秋の恵みで仕上げた温かな主菜です。
私も、お母さんが作るこの料理が大好きでした」
芳美に視線を送ると、彼女は優しく頷き返してくれた。
私も微笑み、説明を続ける。
「油を吸って甘みを増した秋茄子を薄切りにし、
トマトソースと挽肉を重ねて層を作りました。
その上から滑らかなベシャメルソースをたっぷりとかけ、
シナモンをほんのり効かせてオーブンで焼き上げています」
妃良は料理を見つめ、そっと言葉を添える。
「焼き上がった表面が、黄金色に輝いているわね」
ナイフを当てると、重なる茄子と挽肉にすっと吸い込まれていく。
切り分けられた断面には、茄子・挽肉・トマト・ベシャメルの層が美しく現れた。
妃良は一口運び、ふわりと微笑んだ。
「湯気とともに、秋茄子の甘い香りとスパイスの温かさが広がるわ。
豪華な料理が続いた後に、ほっと息をつける……そんな家庭の味ね」
続いて虹麗(イリス)がナンを手に取る。
私は虹麗へ視線を送り、微笑みながら言葉を添えた。
「そちらが新疆風ナン・秋の胡桃ディップ添えです。
絹の道の途中、和田の秋を感じる主食です」
窯で焼いたナンは、小麦の甘い香りが立つような質感を持っていた。
表面は香ばしく、縁はこんがり。中央はふっくらと膨らんでいる。
「横にある秋の胡桃をすり潰し、蜂蜜と刻んだ棗を合わせた
濃厚な胡桃ディップを載せて召し上がってみてください」
虹麗は頷き、胡桃ディップをスプーンで掬ってナンに載せた。
「胡桃の粒感、蜂蜜の艶、棗の赤みが見えるわね」
嬉しそうに言いながら、一口運ぶ。
「……ふふ。胡桃の香ばしさが最初にほどけて、
次に蜂蜜の甘さが舌に寄り添うわ。
最後に棗の赤い香りがふっと残って……これは、幸せね」
絵蓮がぱっと声を上げる。
「ナンに茄子を載せて食べてもいけるよー!」
私は頷き、黄河猪親子の面々へ微笑みかけた。
「良かったら、皆さんも召し上がってみてください」
許褚が腕を組み、豪快に笑う。
「儂らも異国の味とやらを試してみるか」
黄河猪親子の面々にも笑顔が戻り、次々と頷いた。
「おいしい」「おー、こんな味があったのか」
故郷を思い出す味と、お互いの料理がいつしか戦いを忘れさせ、
女神の舞台は和やかな交流の場へと変わっていった。
長かった料理対決も、残るは甘味対決のみとなった。
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