第146話 主菜対決・灯花庵の偉い人
碧衣と扶美は解放厨房の舞台を後にし、
供膳車をゆっくり押し出して、女神たちのいる舞台へ向かった。
その背中は頼もしく、そして誇らしかった。
程普が私の横に来る。
「遂に主力の投入じゃな……。
儂にはよく見えるぞ。女神の茶の席に堅牢な陣を構えておる、
あの猪親子の陣がな」
曹英が程普に視線を移し、静かに頷いて言葉を継いだ。
「私たちの軍は強力です。
羊の群れが猪親子の絆に割って入り、
香草の香りを纏った米と松の歩兵たちが陣形を切り崩し、
最後に西湖の主たちが強靭な刃で主菜の首を落とす」
程普がニヤリと笑い、碧衣と扶美の背中から曹英へ視線を移す。
「さすが、曹家の智を継ぐ女将……戦術は完璧ですな」
曹英は腕を組んだまま静かに微笑み、私へ視線を向けた。
「これも、すべて澪さんの戦略の一部です」
そう言って、料理をしている私の手元を見つめる。
「まだ私たちには主力が残っています。
第二波が黄河の猪親子を襲い、
我らが主食と甘味の軍が、女神の茶の席という戦場を席巻するでしょう」
(うわぁ……この二人、いったい何を見て話しているの……)
誰もこの二人の会話に入れず、黙々と自分の仕事を続けた。
燈澄が私の袖を引き、小さな声で尋ねてくる。
「程普さんはお酒で顔が赤いから分かるけど……
何で曹英のお姉ちゃんまで変になっているの?」
私は竈の火から燈澄へ視線を移し、にっこり笑って答えた。
「それはね、澪さんの設計図に書かれている横文字のせいよ。
いま、こっちの世界とあっちの世界の真ん中にいるのかしらね」
燈澄は真剣な眼差しで言った。
「そっかあ……あっちの世界に落ちないことを祈るばかりね」
その言葉に胸の奥がきゅっと締めつけられた瞬間、
曹英がこちらを見て微笑む。
「澄ちゃん、星愛に寄り添いすぎよ。
そろそろ、年頃なのだから星愛との距離には気を付けなさいね」
そう、私たちの意識は銀糸で結ばれているのだった。
燈灯がたまりかねて声を上げる。
「もう、みんな。邪念は持たずに、今やることに集中して……。
こっちまで変な気分になるの」
私も燈灯に続いて声を上げた。
「そうよ。今集中しないで、どこで集中するの!
料理対決は勝利で飾って、冬の市最後の夜を楽しみましょ!」
私の言葉に皆が頷き、胸の奥がふわりと温かくなる。
こうして、私たちは再び料理に集中し始めた。
碧衣と扶美が女神の舞台に到着すると、
先に上がっていた琴葉と亜亥が二人を迎えた。
「わあ、美味しい香りがする」
琴葉が思わず呟くと、碧衣は微笑みを浮かべて言った。
「私たちの自信作。黄河の猪親子を席巻するわよ」
四人はニヤリと口元を緩める。
その様子がコロシアムのスクリーンに映し出され、
観客席にどよめきが広がった。
許褚と郭淮は目を合わせ、一瞬だけ不安を滲ませる。
だがすぐに虚勢を張るように声を上げた。
「おう、おう、これはこれは碧衣殿に扶美様ではないか!
我ら、黄河の猪親子の軍門に下るつもりで料理を献上しに来おったのか!」
碧衣と扶美は一瞥し、「フンッ」とそっぽを向く。
そのまま二人を先頭に、琴葉と亜亥が供膳車を押し進めた。
威風堂々とした四人が、黄河の猪親子の供膳車の間を割って前へ進む。
(うわー……なんか緊張感半端ないわね)
私が思うと、華蓮が心話で答えてきた。
――戦場と勘違いしているのかしら、うふふ。
血の雨が降るかしら。
(か、華蓮様、これは智遊祭の決勝ですよ。
血の雨とか物騒なことは言わないでください)
――あら、良いと思いませんの?
丁度そちらには呉の二人も応援しているみたいですし、
面白いことになりそうですわね。
(応援だなんて、あの二人は特産品を売り込みたいだけです!)
――そうねえ。十一月は美味しい季節ですものね。
そんな雑談をしていても、料理対決は粛々と進められていた。
華蓮の横に碧衣が立ち、一礼して黄河の猪親子の皿を下げ、琴葉へ手渡す。
続いて亜亥から料理を受け取り、静かに華蓮の前へ置いた。
――コト。
「温菜の茸入りドルマ……葡萄の葉包みでございます」
イスタンブール風の温菜前菜。
秋の茸入りドルマ葡萄の葉包みです」
――あら、懐かしいわね。イスタンブールを思い出すわ。
「柔らかな葡萄の葉で包まれた小さな巻物の中に、
香草の香りをまとった米と松の実を詰め、ゆっくりと蒸し上げました」
――あなた火加減が上手に調整できているわね。
お米が輝いて美味しそう。それにこの香り……いいわね。
(えへへ、それほどでもないです)
華蓮に褒められ、思わず頬が熱くなる。
華蓮は私との心話を続けながら、どこか懐かしそうに目を細めていた。
その様子を見てか、碧衣が言葉を継ぐ。
「十一月に旬を迎えるしめじとエリンギを細かく刻み混ぜています。
蒸し上がった瞬間に立ちのぼる秋の香りが、
葡萄の葉の青い風味と重なり合い、深い余韻を生んでいます」
――そういえば、あなた灯花庵で澪に意識をとられたとき、
石畳の家が見えたと言っていたわね。
遠くには塩の香りがした、とも。
(はい。海がとても近くて……こちらは昼過ぎだったのに、
向こうは朝の日差しだったように思います)
――まるでイスタンブールの景色のようね。
この料理の香りが思い出させるわ。
――懐かしいじゃなくて、今私、イスタンブールよ!
――あら、澪じゃないの。今イスタンブールにいるの?
――ええ、そうよ。今回の料理は女神たちの足跡を辿ったの。
で、私今イスタンブールでしょ。
イスタンブールといえば、この料理でしょ?
――うふふ、さすが澪。よくお分かりですこと。
澪との心話を楽しむ華蓮の表情が、どこか和やかで愛らしい。
その横顔を見て、碧衣が檸檬を手に取り、静かにドルマへ滴らせた。
「仕上げに搾られたレモンが黄金色の光をまとい、
温かな酸味が全体を引き締めます」
オスマン風の器に整然と並べられたドルマは、
冬の柔らかな光を受け、葡萄の葉の艶を静かに照らし出していた。
華蓮が静かに頷き、ナイフを通して口に運んだ。
――まあ……これは良いわね。
葡萄の葉のほろ苦さに、香草をまとった米の甘み。
そこへ檸檬の酸がすっと通って、味が一段引き締まる。
蜀の山の香りと、呉の海の気配が同じ皿に宿っているわ。
イスタンブールの味を見事に再現しているわね。
とても懐かしい……中華でこの味を味わえるなんて、不思議な一品だわ。
華蓮が心話で呟くと、澪が自慢げに言葉を添えた。
――まあ、私にかかれば量子コンピュータも料理もこんなものなのよ。
心話を続けながら、華蓮は満足げに食を楽しんでいる。
そこへ曹英からの一言が届いた。
(あのう……皆さん。今の会話、声に出して言わないと、
食の感動が観客には届かないと思うのですが)
――あら、そうかしら?
この美味しさ、他の女神が黙っていませんわよ。
特に妃良、芳美、理沙、美優は一緒に歩いてきたから、
きっと昔を思い出して語ってくれますわ。
曹英の深いため息が聞こえてきた。
(はあ……そんなものですか)
華蓮と澪は声を揃えて答えた。
==ええ、そんなものですわよ==
(何だか、色々な心話が届いて混乱しそう)
そう思った瞬間、私はあることに気付いた。
(えっ……銀糸の心話と赤い瞳の心話が完全に繋がっている。
しかも、澪さんの心話まではっきり入ってきている)
――えへへへ……私にもよく聞こえているわよ。
今の華蓮の言葉は、私が伝えてあげるね。
そう、絵蓮が華蓮の言葉を余すことなく観客へ伝えた。
コロシアムは大いに盛り上がりを見せていた。
続いて二品目の蓋が開けられた。
一気に秋トリュフの香りが立ちのぼる。
許褚と郭淮の眉がわずかに動き、愛麗が反応した。
「あら、いい香りね……私好みよ。
亜亥ちゃん、私のところに給仕してくれるかしら?」
突然の声掛けに亜亥は一瞬驚いたが、
すぐに平静を取り戻し、丁寧に返事をした。
「はい、今お持ちします」
亜亥が扶美に一礼すると、
「頼んだわね」と扶美は微笑んで応えた。
本来は扶美が給仕する予定だったが、
突然の指名にも動じず、亜亥は落ち着いて一皿を愛麗のもとへ運んでいった。
「こちらが、ローマ風仔羊の香草焼き・秋トリュフ添えでございます」
愛麗は微笑みながら、目の前の皿に視線を落とす。
「いいわね……まるで香りの暴力。たまりませんわ」
亜亥は静かに頷き、説明を添えた。
「仔羊の肉をローズマリーとタイムで香りづけし、
オリーブオイルと岩塩で丁寧に焼き上げています」
愛麗は満足げに頷き、ナイフを入れた。
「表面は香ばしくて、切り口は淡い桜色でしっとりしているわね……
うーん、焼き立ての肉から立ちのぼる香草の香りが空気を満たし、
その上から十一月に旬を迎える黒トリュフが薄く削られて、
深い森の香りが重なるようだわ」
ゆっくりとフォークに刺した肉を口へ運ぶ。
「……ああ、いいわね。
肉の旨味が香りに押し負けるどころか、互いを引き立て合っているわ。
香草の清らかな香り、仔羊の柔らかな甘み、
そして黒トリュフの深い森の気配……。
まるで三つの香りが一つの旋律になって舌の上で踊るよう。
これは“美”として完成しているわね。
至福の一品だわ」
愛麗の言葉に、観客席から一斉に声援が上がった。
その歓声に紛れるように、愛麗は小声で亜亥へ囁く。
「あなた、恋をしているわね。私には分かるのよ。
しかもライバルが多いわね……まあ、燃え尽きないように気をつけなさい」
華蓮がニヤリと笑い、言葉を添えた。
「竃の神にも困ったものよね……
でも、沢山の人に愛されているから、良い歯止めになりそうだわ。
みな、仲良く竃の神を愛してあげるのよ」
華蓮の言葉に、亜亥はハッとしたように頬を染め、静かに頷いた。
愛麗の前には、亜亥の気持ちを象徴するかのように、
黄金色のオリーブオイルが皿に光を落とし、
香りの層が幾重にも重なって、圧倒的な存在感を放つ主菜が輝いていた。
かなり雲行きが怪しくなってきた黄河の猪親子の二人は、顔を見合わせていた。
許褚が小さく頷き、郭淮に「任せたぞ」とだけ言い残し、
黄河の猪親子の開放厨房がある舞台へと足早に去っていった。
その背中を一瞥し、扶美はニヤリと笑って次の主菜を押し出した。
皆の視線が集まる中、ゆっくりと蓋を持ち上げる。
女神の舞台で蒸しあがるように調整された、豪華なバグダッド器の蓋が開く。
その瞬間、西湖ガニの深い旨味と中東スパイスの香りが
シルクロードの風のように広がり、
異文化がひとつの皿で融合して湯気と共に立ちのぼった。
表面には蟹の甲羅や脚が飾られ、豪奢なバグダッドの器が荘厳さを添えている。
女神たちの視線が一斉に器へ注がれ、思わず声が漏れた。
「扶美さん、その料理……」
女神たちは互いの顔を見合わせ、ふっと笑い合う。
そして妃良が口を開いた。
「扶美さん、皆に給仕してもらえるかしら」
扶美は静かに頷き、琴葉・碧衣・亜亥と視線を交わし、
四人で給仕を始めた。
全員に料理が行き渡るのを待ち、扶美が口を開く。
「シルクロード蟹ビリヤニです。
西湖蟹と羊、そしてスパイスの三重奏をお楽しみください」
絵蓮は目を輝かせ、皿をじっと見つめた。
「うーん、本当に懐かしい香りがするね」
扶美が小首を傾げ、優しく微笑んで言葉を返す。
「はい。シルクロードの先、そしてエレシュキガル様の故郷……
バグダッド風の主菜に西湖蟹を添えた、豪奢な一品です」
「うん、うん、そうだよね、そうだよね……
黄金色のバスマティ米にサフランとカルダモンの香りが立ちのぼり、
その中心には西湖蟹の濃厚な身と味噌が贅沢に混ぜ込まれている」
絵蓮は爪を手に取り、意外なほど上品に口へ運んだ。
「うわあ、この肉厚な爪がたまりませんね」
続いてスプーンで米を掬い、口に運ぶ。
「羊肉は柔らかく煮込まれ、スパイスの香りをまとって米と調和し、
レーズンの甘みとアーモンドの香ばしさがアクセントになっていて……
うーん、メソポタミアの時代を思い出す」
扶美は優しく絵蓮を見つめ、深々と頭を下げた。
「メソポタミアの冥府の女神に喜んでいただけて、嬉しく存じます」
コロシアムの観客は一斉に拍手と歓声を上げた。
女神たちのテーブルの上の一品は、
蟹の甲羅や脚が飾られ、
楼蘭、和田、イスタンブールへと続く道の香りを運び、
まるで女神たちの軌跡を辿るかのように、
豪華なバグダッドの器が荘厳さを添えていた。
郭淮は静かに女神たちの食事を見つめていた。
その瞳の奥には、まだ諦めを知らない不屈の光が宿っている。
一方、私たちの舞台では、勝利を確信した皆が微笑んでいた。
その気持ちが銀糸を通して私の中で渦巻く。
(駄目よ……ダメ。安心しては駄目なの)
心話で皆に気持ちを送りながら、
私は最後の料理が載る竈の炎を、じっと見守っていた。
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