ティル・ナ・ノーグの異人5
「ほえ……」
目を覚まし、口元によだれを垂らしながら起き上がるベネッタ。
しかし、どうやらまだ目を覚ましてはいないと思うような光景が広がっている。
「……目が覚めると、そこは……どこここ?」
ラーニャの計らいで居館に用意された部屋の天井も壁もない。
ついでに今まで眠っていたはずのベッドもない。明らかに外にいた。
ベネッタがいるのはベッドではなく花の香りで包み込んでくる花畑。
向こうのほうまで花の咲き乱れる草原が広がり、そこここに銀の枝の先に白いリンゴをならす木々が堂々と立っている。
そして空を見上げれば、空ではなく穏やかな水面が広がっていた。
「……夢……うん、夢だこれー」
ベネッタはガザスでもマナリルでもない景色に、急速に結論を出す。
今すぐここで目を瞑ってもう一度寝ようと思った矢先、
「わ……」
ベネッタの目の前を、妖精が横切る。
薄い羽根に人型の体が魔力の燐光を振り撒きながら。
「あれ……」
しかし、昼にラーニャの周辺で見た妖精とは違って実体があった。
魔力だけの存在とは違う、しっかりとした生命のカタチに目をぱちぱちさせる。
もっとも、魔力の眼球であるベネッタに本来瞬きは必要ないのだが。
『こんばんは』
「うっひゃあああああ!?」
混乱している中、後ろから掛けられた声にベネッタは前に転がる。
草原の葉を服の至る所に貼り付ける見事な前転だ。
髪に葉を絡ませながら距離をとり、声の主を確認すべく振り返る。
「だ、誰ー?」
『妖精を通じて言葉を介しているけれど、わかるかしら?』
振り返った先にいた声の主は、全身に魔力を纏う女性だった。
金色に輝く長い髪を体に巻き付けていて、服を着ているのか着ていないのかもわからない。
一先ず言葉が通じるか問われたので、ベネッタは頷く。
『よかった、そうでないとあなたを呼んだ意味がないから』
「これって……夢?」
『現実であって、夢でもある。ここはそういう場所なのよ。あなた達の世界の現実とは違うから少し手こずってしまったけれど……あなたがこの子達を見える子でよかったわ』
金色に輝く女性の周りを妖精達が飛び交う。
幻想的な光景のようで、少し現実感が増した妖精の存在にベネッタは少し感動しきれなかった
魔力の存在ではなく、実体をもったことで出た現実味が虫を想起させるからか。
「えっと……ボクを呼んだ、のは……?」
『ごめんなさい。私に名前はないの。でも直接、お礼をしたくてね。あの子の不安を解消してくれたお礼に』
「あの子って……」
見知らぬ場所。妖精。そして今日のできごと。
かつてラーニャは、自分は妖精のいたずらによってこの世界で生まれた、という話をしていた。魔法生命でないのに異界伝承を使えるのもその影響だと。
目の前にいる女性が言うお礼とはラーニャのことだろう。
『あの子は、私が送り出して、妖精達にも愛される大切な子だから』
「……何で、ラーニャ様を?」
『たまにね、いるのよ。この世界だと生まれる運命にならない子が。全員を助けるのは無理だけど、あの子はたまたま私と魔力の波長が合っていたから……チェンジリングは人間が思っているほど簡単にできるわけじゃないの』
困ったように笑う金色の女性にベネッタはようやく人間味を感じることができた。
その困ったような笑顔から、ラーニャへの愛情が窺える。
どうしても何を考えているのかわからない妖精とは違って、しっかりと感情があるようだ。
『あなたを呼んだのはお礼をするため。あの子を助けてくれたあなたに』
金色の女性はベネッタに向かって右手を差し伸べる。
『私とあなたはあの子ほどではないけれど、魔力の波長もあっているわ……だから、あなたの子供がもしあなたの世界で生まれられない運命の子だったら、私が助けてあげる』
「――」
『あの子……ラーニャをあなた達の世界に送ったようにね』
金色の女性からの提案にベネッタの表情が固まる。
確かに、ベネッタは今日ラーニャと出会って自分の未来を意識した。
子供のことで不安がるラーニャを未来の自分に重ねて。
女性はその未来から不安をできるだけ取り除いてくれるという。
『子供を取り換えるわけじゃないのよ。ただ運命を――』
「いらない」
だが、ベネッタはきっぱりと金色の女性の提案を断った。
『な、何故……? あなたにはわからないかもしれないけれど、子供が生まれなかった悲しみは……辛いのよ。それこそ、ここの妖精達が人間の感情をもらって死んでしまうくらいには』
「うん、とっても悲しいと思う。想像しただけで、正直……辛くなるよ。自分の子供じゃなくなってー……多分、誰かの子供だとしても辛いと思う」
『なら――』
「でも、そうなっても受け止めなきゃ」
今度はベネッタが困ったように眉を下げながら笑った。
自分の考えに自信はなくて、それでも自分の意思を貫こうと言葉にする。
「まだ妊娠もしてない癖にって思われるかもしれないけど……母親になるって、そういうことでしょー? ボクも今日のラーニャ様みたいに子供のことで不安になりたい。喜びたいし、辛い気持ちになりたい。ボクだけ異界の知らない凄い人の保険をもらって、ふー、安心……みたいなのはさ。ちょっと違うかなってー」
『……生命の誕生は、いつの時代も完璧な安全はないのよ』
「それくらいはわかってるよー! あ、言っておくけど、あなたがラーニャ様にやったことについて文句があるってわけじゃないよー!? あなたのやっていることは凄いよ。命を助けてる。でも、ボクはさ……弱い人間だから」
ベネッタは服についた葉を払いながら立ち上がる。
目の前には金色の女性が差し出す手があるものの、ベネッタはその手を握り返そうとはしなかった。
「傷から逃げるようなことをしたら、後悔するってわかるんだー。きっと、一生」
金色の女性はベネッタの言葉を聞いて、差し出した手を下げる。
ベネッタが、悲劇など起きたいと高を括っているわけではないと理解して。
『では、その万が一がもし起きたら、あなたはどうするの?』
「傷ついて、立ち直れなくなるくらい落ち込むと思うけど……その時は、みんなに慰めてもらう! ボクの親友は四人共ね、ボクのために一緒に泣いてくれる人達なんだよ!」
『……そうですか』
「それに、ボクの恋人だって……あれ? あれえ!?」
金色の女性が優しい声色になったかと思うと、ベネッタの体が透け始める。
妖精達がベネッタの周囲を飛び交って、魔力の粉のようなものがきらきらと降り注いだ。
『さようならベネッタ・ニードロス。ティル・ナ・ノーグに来た異人よ、強く生きるあなたを軽んじた……お節介な私を許してね』
「ちょ、これもう終わりってこと!? えっと……えっと……あ、ラーニャ様に伝える事とかないですかー!?」
『言葉はありません。これからも私は、あの子を見守っているのですから』
ベネッタの視界が徐々に薄れていく。
花の香りも、広がる景色もなくなって妖精の魔力だけが光の粒となって舞う。
宙を見上げた時の星のような瞬きに、ベネッタは目を閉じた。
「ベネッタさん!!」
「ほえ……?」
ベネッタが目を開けると、心配そうにしているセーバが見える。
昨日案内された居館の部屋。昨日眠ったふかふかベッド。
知っている天井と壁は間違いなく現実だった。
「今度こそ……現実だー……。やっぱりさっきのって……夢?」
「驚きました……眠っているのにベネッタさんが金色の魔力を纏ってて……」
「あ、夢じゃなかった」
どうやら妖精達の隠蔽はあまりに甘かったらしい。
セーバが心配そうにしているのも、朝起こし来たら何故か眠ったまま魔力を纏っているベネッタを見れば仕方のないことだろう。
もう少し夢っぽく、何事もなかったようにできないのか、とベネッタはもう行くことはないだろう場所に住む妖精達と金色の女性に脳内でクレームを入れる。
「……それにしてもセーバくん、恋人だからって乙女の部屋に入るのはどう?」
「ちゃ、ちゃんとドアを開けてあります!」
「いや、ボクにも乙女心があってさー……よだれ垂らしてるとこは流石にまだ見られたくないっていうかね……?」
「大丈夫です! よだれも綺麗です!」
「うーん、乙女心がわかってないー……ちょっと向こう向いててもらっていい?」
「はい!」
今日は昨日に約束した通り、デートの予定が入っている。
デート前によだれを垂らした寝起き姿を見られるというのは流石のベネッタも恥ずかしい。
「……」
ベネッタは身なりを整えながら、セーバの背中をじっと見つめる。
夢の中で訪れた場所での会話を思い出しながら。
「ねぇねぇ、セーバくん」
「はい?」
「ボクへのプロポーズっていつ予定ー?」
「はい!?」
「早めがいいなー、ボク」
子供を産むのなら、やはり恋人である彼がいい。
そんな思いからベネッタはあまりにストレートな質問を投げかける。
顔を真っ赤にしながら振り向くセーバに、ベネッタはにっと飾らない笑顔を浮かべていた。
いつもありがとうございます。
これにて外伝「ティル・ナ・ノーグの異人」終了となります。
長くかかって申し訳ありません。次の外伝は何をやるか決めていません。誰にしようかな、と悩んでいる感じです。それではまた!




