恋でもなければ、
美枝がひたすらベルンカルトの文字の書き取りをしていると、メイドがそっと声をかけてきた。
「ディア・ミエレーレ」
「え、あ、はい」
未だに「ミエレーレ」という名前になれない美枝は、さらに王族以外から呼ばれる際の敬称である「ディア」がつくと、声をかけられたときの反応が遅れる。
もう少ししゃきしゃきと物事を話せるようになりたいとは思うのだが、基本的に対人経験の少ない美枝は話すだけでも多大な緊張をするのであった。
「殿下がおいでですが」
「す、すぐにご案内してください!」
ベルンカルトにおいて、エレーレとはとても高い地位を持っていると美枝が思うのはこういうときだ。
事実上の婚約者である王太子であろうとも、無断でエレーレの部屋に入ることは叶わない。いちいちメイドが間に入り、エレーレの返事を待つ。エレーレが否といえば、決してドアが開くことはないのだ。
庶民であるという意識の強い美枝としては、毎回まいかい「王子を追い返しますか?」と聞かれるのは心臓に悪いのだが、様式美というのは身分あるものこそ保たなければならないということも分かるので、何もいえないでいる。
文字の勉強と並行して、マナーも勉強した方がいいだろうと考えながら使っていたノートを片付けようとしたら、別のメイドがやんわりと遮って片付けてしまった。ふと視線を外せば、椅子とテーブル、お茶のセッティングも完璧だった。
(ほんとうに、わたしはぼんやりだわ……)
美枝が自己嫌悪に陥っていると「グラナート殿下の御なりです」とメイドが告げて、びくり、と身体を跳ねさせた。
慌てて振り返れば、丁度恭しく開かれたドアからリオンが入ってきて、美枝を見つけて微笑する。
「ああ、今日は少し元気そうだ」
いつも通りの挨拶言葉に、美枝はもはや苦笑いではなく、単純にわらってしまう。
「はい、殿下……リオン様や周囲の方々のおかげです」
名前で呼べというリオンは、美枝が「殿下」と呼ぶと少しだけ怖い顔をしてみせる。もちろん、本気ではないと分かっているのだが、人形染みた顔が冷気を伴うと、とても恐ろしいのだ。
「早く貴方に親しく接してもらいたいが、それは私の努力次第か……。
さて、今日は少し報告があるんだが」
長くなりそうな話だと察して、美枝はさっと椅子を促した。
すぐにメイドが椅子を引き、リオンと美枝は腰を落ち着ける。同時に、さっとお茶が前に置かれた。
「早速だが、報告というのは二つだ。
一つは、ミエ、ニルギルが貴方用の滋養薬の調合を終えた。これは後で届けさせる」
「滋養薬、ですか?」
「簡単にいえば、調整薬といったところか。貴方の場合、慢性的に体内のバランスを崩しやすくなっている。それを緩和させ、少しずつ強くするものだ。治癒魔術と並行して続ければ、庭を歩き回ることを日課にするのも可能だろう。いや、走り回れるかもしれない」
美枝は目を見開き、常時血の気の薄さを表す頬をぱっと紅潮させた。
とても些細な効果だと、笑うひともいるかもしれない。だが、それすら許されなかった美枝にとっては、これ以上ないほど嬉しかった。
「もちろん、貴方の体調、外の風や気温次第だ。だが、窓辺ではなく、直に景色を見て触れられる。自分の足で歩くことを諦めれば、街を見て回ることもできる」
美枝では人通りの多い街中を歩き回れば、すぐに街体力が尽きてしまうのだろう。
「ほんとうに?」
「過剰に期待を寄せられると頷きづらいが、そういう見込みだ」
正直な言い方だが、その分真実味があった。
美枝は涙が溢れそうになるのを堪え、ぎゅ、と目を瞑って俯いた。
外に出るのも気を使わねばならなかった身体が、外を歩き回れる身体になれる。
「夢みたいです」
唇を震えさせながら美枝は呟いた。
「で、だ。もう一つの報告だ」
そういえば、リオンは二つ報告があるといっていたと思い出し、美枝はきゅ、と目をきつく瞑ってから顔をリオンに真っ直ぐと向ける。
珍しいことに、リオンは幾分言い辛そうな顔をして、視線を美枝から外した。
「私の弟が帰ってくる」
「弟君ですか?」
「第三王子ルミネッサ・エル・ベルンカルト。暫く国を出ていたんだが、近々帰ってくると知らせが届いた」
「はい」
それは良いことですね、とベルンカルトの政治に明るくない美枝が言っていいのか分からないので、頷くに留める。
「その、ルミネッサ殿下がなにか……」
「ああ……私にとってはかわいい弟なのだが、少々変わり者だ。初対面の人間はほぼ間違いなく、その……苦手意識を持つ」
会ってもいない人間に対して植え付けるべきではない認識だが、リオンが態々言うからにはそれなりの覚悟が必要な人柄なのだろう。
「こんな前置きをしておいてなんだが、あいつが帰ってきたら会ってやってほしい」
「王子殿下にお会いできるというのは光栄ですが、その……作法に自信が……」
咎められたことはないが、美枝はベルンカルトの作法など全く知らないのだ。
事情が事情だからか、リオンは気を使ってくれているが、他の人間であれば分からない。美枝がなにか粗相をすれば、そのままリオンの評価に繋がりかねない立場にいることくらい、美枝は自覚していた。
「気にしなくていい、と言っても貴方は気にするのだろうな。確かに、貴方はこの部屋からあまり出ないから、ひとと会ったときに不安か……」
貴族社会において、女のドレスや笑顔、立ち居振る舞い、その教養は武器であり盾である。隙を見せれば容赦なく突かれる。だからこそ、彼女たちは決して付け入れられることのないよう武装して、常に自らを磨くのだ。それはより良い相手に見初められるためだけではなく、自身を守るための手段なのだから。
女には女の戦いがあることを理解しているリオンは、ただやさしい言葉を与えるだけで、美枝から自身を守る手段を奪うのも問題か、とひとつ頷いた。
「貴方に緊張を強いるようなことを言うが、遅かれ早かれ、貴方のお披露目がある。ルミネッサの件はその練習としよう」
「……お披露目、とは」
「歴代は宴のひとつも大々的に開いたようだが、今回は国政に携わるもの、一部の貴族が集まった広間で陛下との謁見という形になるはずだ」
ぐらり、と頭が揺れた錯覚を感じ、美枝は椅子の背凭れに大きく寄りかかった。
「すまない、ミエ。だが……」
「だいじょーぶです、はい、だいじょーぶなのです。わたしは現状、ベルンカルトのすねかじりでしかないんです。ご挨拶くらいしっかりできなくては……」
「いや、貴方は強制的に召喚されたのであって、それに国が責任を持つのは当然なんだが……貴方に様々な負担をかけている私の言うことではないか」
そんなことはない、と気休めにしかならない言葉を美枝は言おうか悩む。
だが、それを遮るようにメイドが近づいてきて、リオンにそっと合図をした。
「すまない、ミエ。少し用ができた」
「いえ……」
「後でニルギルが薬を持ってくると思う。その時にまた診察やらあると思うが、身体が辛いようなら無理はしないように」
「はい。リオン様も、お疲れになられませんよう」
美枝は立ち上がり、頭を下げて礼をする。直後、国によっては酷く卑屈な仕草として見られるということを思い出したが、さすがは異世界人との交流に慣れているベルンカルトの王族か、リオンは「貴方の国は礼節に厳しいのだろうな」と一言置いて微笑んだ。
「いつか、貴方の国の話を聞かせてくれるとうれしい」
思い出すのが辛いと美枝が拒絶すれば叶わぬことを分かっているから、リオンは「いつか」と言ったのだろう。察して、美枝はぎこちなく微笑む。
自分の置かれた状況はあまりにも複雑過ぎて、美枝にはただいまを過ごすだけで精一杯なのだ。強制的に召喚されたことに憤りがないといえば嘘になるという思いがあり、それは自身の死を認めていることで殆ど諦観に流され、何もかもに気を配ってくれる環境に感謝を念を抱いてもいる。総合した感情が定まらず、なによりも不安なのは自分の足元。
美枝はよくも悪くも、役割や義務などとは遠かった。
生きていてくれさえすれば良い。
家族に何度も言われた言葉が、いまさら美枝を辛く縛る。
きっと、希望が見えてしまったのが、余計に美枝を不安にさせていた。
やりたくでも出来ない状況から、できるかもしれない状況へ。
けれど、できるようになったとして、なにをやればいいのだろう。
自分に何ができるか、自分の役目とは、周囲が自分に求めるものは。
何かをできるようになることは初めてに等しく、美枝はどうしたらいいのか分からない。分からないのに、流されるだけでは駄目だということを理解している部分もあり、美枝は考えたことのない「これから」に頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。
こんな状態で郷愁に駆られたら、きっと美枝は自身が酷い癇癪を起こして周囲を困らせる、と怯える。
「はい、いつか……」
僅かに震えた美枝の声に気付かぬふりをして、リオンは目を伏せる。
「では、失礼する」
「お気をつけて」
ドアの向こうに消えていくリオンの背中を見送り、美枝は細く息を吐き出してしゃがみこんだ。
「ディア・ミエレーレ、どうなさいました? お体が?」
駆けつけるメイドの心配そうな声音に首を振り、美枝はぎゅっと目を瞑る。こんな時に零れそうになる涙を卑怯だと思った美枝は、どうしても泣きたくなかったので。
リオンが美枝の部屋を出てほどなく、丁度廊下の向こうからニルギルがやってきていた。
「にゃにゃ、王子様なのにゃ。こんにちは」
相変わらずの調子のニルギルは、いつも手放さない診療鞄を持つ手とは反対に小ぶりなカートを引いていた。リオンは気にしないが、メイドたちは廊下に疵がつかないかと気をもんだことだろう。荷物を持つといっても、仕事道具に限り、ニルギルは絶対に手放さないのだ。
「エレーレのところに行ってたの?」
「ああ。薬のことは話しておいた」
「そう。エレーレには健康になってほしいからね、僕もがんばったのにゃ。褒めてくれてもいいんだよ?」
こてり、と首を傾げ、随分と開いている身長差故に見上げてくるニルギルの星色のつむじを、リオンは指でぐりぐりと突いた。
「にゃーにゃーっ、侍医の頭に虐待を加えるのはやめるのにゃーっ」
にゃあにゃあ騒ぐニルギルに攻撃をやめると、恨みがましく睨んできたので、再度リオンは指をちらつかせる。
「ばかーばかー、王子様の意地悪。そんにゃだから、一部の貴族に嫌われるのにゃ」
「嫌われて困る相手にはゴマをすってある。一部のばかどもはいつ切り捨てても構わん」
「莫迦をばかにしちゃだめだよ? 奴らは時々信じられないことを仕出かすのにゃ。年上からのちゅーこく」
「忠告はありがたく受け取るが、もう少し自身の容姿に自覚を持ってものを言った方がいい」
ぎっちりとニルギルの額に皺が寄る。
「あのね、王子様。僕がこんにゃ形なのは……」
「ああ、すまない侍医殿。陛下にお話があるので失礼する」
「もおおおおおっ、王子様のばああああああか!」
「不敬罪、不敬罪」
足を踏み鳴らしそうな様子のニルギルを置いて、リオンは優雅に歩き出す。
リオンは現在、ベルンカルト首都シェネスライドの東に位置する自身の宮に居住している。
所領であるグランアトはシェネスライドに近く、代々王太子が拝領するのが慣例で、どうしても王宮にいることの方が多いリオンは副官に任せる部分も多いながら定期的に戻り、領地経営に勤しんでいる。
エレーレの召喚はシェネスライドの大聖堂で行われるのだが、エレーレがそのまま王宮に移ることはない。まず召喚者(王太子)の首都に存在する宮へ移り、異世界に慣れてきたら召喚者の領地へと移る。場合によってはそのまま首都の宮に居住するのだが、それはエレーレが移動を厭った場合だ。また、稀にエレーレが召喚者の「花嫁」とならない場合、エレーレの希望によっては新たな家が与えられる。
リオンは当初、エレーレをグランアトへ連れて行くのを召喚から早くてひと月からふた月後と見ていたのだが、美枝の様子から言って半年前後と予定を修正した。滋養薬と治癒魔術が上手くいかなければ、無期限延期もありえる。
ちらりと脳内に「一部のばかども」が過ぎり、リオンは顔を顰めた。
「殿下、馬車のご用意が整っております」
「ああ、ご苦労」
気付けば玄関に辿り着いていて、控えていたメイドが恭しく頭を下げて見送りをした。開かれた扉の向こうには青々とした空が広がり、瀟洒な馬車が御者とともに待っていた。
(仕来り、慣例、伝統……必要だと理解しているが、面倒だな)
ベルンカルト第三位の魔法使いとしては、転移魔法で一発よ、とやらかしてやりたくなる。もちろん、王宮には侵入者を防ぐために、転移魔法などできないようにされているのだが。
億劫に感じていることなど微塵も見せず、リオンは馬車に乗り込んだ。
程なく、動き始めた馬車に揺られ、王宮までの道のりをリオンは思考に没頭する。
(馬車も通常ではミエには辛いだろうな。衝撃緩和は魔術でどうにかなるとして、造りは広いものを新しくした方がいいか……やはり、ここは転移の許可を……せめて門の手前までとして、そこから馬車ならばさほど負担は……)
美枝のいた世界では、どんな移動手段を用いていたのだろうか。それを美枝が使ったことはあるのだろうか。
自然と思考はエレーレへ向かい、リオンは目を瞑る。
聞きたいことがたくさんある。
それは純粋な欲求であると同時、リオンの義務だった。
「王太子リオン、陛下のお召しにより参上致しました。陛下におかれましてはご機嫌も麗しく、ご尊顔を拝し奉り……」
「口上は良い」
道中、リオンが内心で慣例や仕来りに散々悪態をついていたのも知らず、王は挨拶の口上を遮った。
謁見の間には、前回と同様の顔ぶれが揃い、王の前に片膝をつくリオンをじっと見つめている。
エレーレに関することでの召集は、召喚直後を含めて今回で二回目だった。
「王太子リオン、エレーレに関する報告を」
「御意。エレーレは名を『ミエ・サカキ』その故国での法則で『サカキ・ミエ』と申します。慣例に従い、ベルンカルトでの名は『ミエレーレ・グラナート』とし、シェネスライド東の宮にて『静養中』にございます」
「静養中っ?」
ひっくり返った声が謁見の間に響き、幾人かの冷たい視線が集中する。声で予想はついていたが、リオンも横目で確認すれば、やはり思ったとおりの人物が視線に萎縮していた。
「……続けよ」
「はっ。エレーレは生来極度の虚弱体質であり、侍医ニルギルを以ってしても短期で回復は見込めず、滋養薬、治癒魔術を長期継続しての身体健全を見込むものとしております」
「虚弱体質か……子を孕む腹はあるのか?」
前回とは打って変わり、王の冷酷とすらいえる言い様に、しかしリオンは表情も声音も乱さない。
「現状では仕込むこともできないでしょう。治療の結果によりますが、ニルギルの予想では母体は諦めろとのことです」
王は無言で頷くが、謁見の間は密やかにざわめく。
「子の望めぬエレーレなど……」
「王太子はいったいどんな『理想』を……」
「もしや、王家の……」
王が口を開くまでの間、リオンはざわめきの中からエレーレと自身に関する謗りのみを聞き取っていく。中に、先ほど場に相応しくない声を上げた者の声もあり、内心で嘲笑した。
(ああ、まったく成長も学習もしない奴らだ)
常ならば捨て置く的外れな嘲りも讒訴も、今回ばかりは留意しなければならない。リオンひとりならば幾らでも叩き潰せるものでも、致命傷になりかねない存在が関わっているのだから。なにより「年上の忠告」はしっかり耳に残っている。
「して、エレーレはベルンカルトになにを齎す?」
続いての問いがこれでは、答えによってはエレーレもリオンも立場が危うくなると分かっているだろうに、王には躊躇などない。必要だからだ。リオンも、必要であるから正直に答える。
「エレーレの故国は生活、技術などの水準が高く、また教育の義務化など教養においても同じく。先代のような『型破り』ではないものの、彼女の知識では『当たり前』であることが我らにとっては盲点であるというエレーレ本来の『効果』には十分かと。まして、エレーレの世界には魔術、法力などは御伽噺としての存在、それに変わって発展したものはベルンカルトにとって得難いものだと愚考します」
リオンは静かに頭を下げる。
まるで沙汰を待つ罪人のように、最期まで神の守護を信じる聖人のように。
誰一人口を開かぬまま、謁見の間に沈黙が降りる。
一分か、五分か。静寂を払うようにふう、と静かに吐かれた息は、奇妙に響いた。
「王太子リオン、報告ご苦労」
「はっ」
「立て、顔を上げろ」
従い、リオンは真っ直ぐと背筋を伸ばし、父である王に顔を向ける。
「――エレーレなどというものは、存在しないのだ」
思わぬ言葉に息を呑む気配が続出する中、王はく、と苦笑いする。
「『エレーレ』なんてものは、我らの『理想』を押し付けるため、態々異世界より誘拐した被害者のことを指すのだ。皆のもの、それを忘れるな。
さて、これより先達から後進への助言の時間だ。王太子以外は下がれ」
公である王の顔から、私である気安い顔へと変じた王に促され、納得できない顔の者もいるが全員礼をとって謁見の間を辞していく。
リオンは何人かの良くない視線に小揺るぎもしない態度を崩さず、謁見の間の扉が閉ざされるのを待った。
そして、最後のひとりが出て行く。
「……お前趣味悪いな」
「第一声がそれですか、父上」
王は肘置きに頬杖をついて、心底呆れたといわんばかりのため息を吐く。
「俺は不安だった。俺とあいつの子供とはいえ、やたらと上出来なお前が、いったいどんな『理想』を掲げてんのかってな。ぱっと見、お前はひとりで『完成』しちまってるから尚更だ。なんだ? まさか自分に足りないのは欠陥ですとか言うつもりじゃねえだろうな、愚息」
「言葉遣いが悪すぎますよ。それと、欠陥が指すものはミエじゃないでしょうね」
睨む息子に、王はハッと吐き捨てるように笑う。
「なんだよもう名前呼びか? 俺なんて半年経ってようやくエレーレの名前を許されたってのに。お前はエレーレの名前で呼べば『あたしはそんな名前じゃないんだよ、うすらトンカチ』といわれたことも、名前で呼べば『あんたに呼ばれる名前なんてない』って叫ばれたこともないんだろうな。羨ましいこって」
「物凄く父上にだけは趣味をどうこう言われたくない思い出話をありがとうございます」
「実際問題、お前はなにを望んだんだ」
怪訝な顔の王は、リオンの理想がまったく読めないのだろう。
リオンは苦笑する。正直に言ってしまえば、怒られるでは済まないかもしれない。だが、誰かに聞いてもらうなら、きっと『先達』が誰より相応しかった。
「分からないんです」
「分からない?」
「恐らく、私を拒絶しない、というのが最重要項目を埋めたように思うのですが、彼女は私を受け入れているわけでもない。しかし、葛藤する姿にもどかしいとも歯痒いとも思わない。
彼女より美しい女性は何人もいるし、見てきました。彼女より賢い女性も、彼女より私と同じものを見られる女性はたくさんいるし、新しい視線でもそう。彼女は『知識』がある分、王族の見るものを僅かながら知っている。だから、彼女と私は完全に違うわけでもない。
籠の鳥が欲しかったのかと思ったときもあります。ですが、いまの私は彼女に飛んで欲しい、飛べる羽を与えたい。私の理想はどこに向かい、彼女を引き寄せたのでしょうか」
困ったように首を傾げる息子に、王は片手で目を覆いながら小さく問う。
「エレーレを始めて見て、お前はなにを思った」
ひくり、とリオンの喉が震える。
大聖堂に横たわり、ステンドグラス越しの光りを浴びた小さな姿が脳裏に蘇る。
小さな声を零した唇と、その唇が綻んだとき――
「所有欲です」
これが欲しい、これが欲しい、いいや、どうしようもなくこれは自分のものだ!
叫んで掻き抱きたくなるのを堪え、こどものように軽い身体を抱き上げた。
思い出せば、触れたいと思う。髪のひと房、頬の温度、それだけでは足りないのだと、叫ぶ声が大きくなる。
リオンは自覚のないまま、いっそ晴々とした笑顔を見せた。リオンの答えを聞いて、指の隙間からちらりとリオンを見た王は、その表情に舌打ちをする。
「それはひと目惚れっていうんだ、覚えとけ」
いっそ凶悪過ぎるとさえ思った感情に付けられた名称は甘ったるくもかわいらしく、リオンは一瞬理解できずに瞬きをした。
王は自身の出来過ぎな息子の思わぬ情緒未発達ぶりを目の当たりにして、いっそ疲労すら覚える。
「恋に落ちるのに、いちいち理屈や理由、理想があってたまるか」
「それは……経験則で?」
「さて、私は仕事がある。王太子リオン、下がれ」
「…………はあ、御前失礼致します」
これ以上話す気がない王を見て取って、リオンは謁見の間を後にした。
(ひと目惚れか……)
そう、言えなくもないのだろう。ただ、もう少しなにかが足りない気がするのだが。
足りないものが分かれば、なにがどうなるというわけでもないのだろうけど。
そう、リオンが美枝に抱く感情の名称がなんであろうと、リオンの行動に何一つとして変わるものはないのだ。
段々ヤンデレ化してきたハイスペック王太子。




